表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/27

3-22 忘却皇子と記録女官

春蘭シュンランは第三皇子、飛龍フェイロンの記録女官。

飛龍は一つずつ記憶をなくす代わりに、予知夢を見る能力を持っている。

春蘭は飛龍の側で、すべてのものを記憶しておくのが仕事だ。


ある日、飛龍は自らの手で皇帝を殺す予知夢を見てしまう。


なぜ、飛龍は皇帝を殺すのか。止める手立てはないのか。

春蘭と飛龍が調べていると、皇帝のある秘密を知ってしまう――……。

二人は予知夢を止めることはできるのか!?


記憶と記録が交差する、中華風ファンタジー!

 記憶とは何か。

 なぜ、それは頭の中に存在し続けるのか。


 そればかり考えていたら、朝日が昇った。寝所の外で朝を迎えた春蘭シュンランは、赤く色づく空を見上げる。

 今日はやけに赤い。まるで血を溶かしたような赤さに春蘭は気味悪さを感じた。

 扉一枚隔てた向こう側から、衣擦れの音が聞こえ、春蘭は立ち上がる。

 膝や尻についた土埃を払った。

 そして、開く予定の扉に向かって頭を下げる。

 早かっただろうか。いや、早すぎるということはない。

 幾ばくかして、扉が開いた。


「殿下、おはようございます」


 黒地に金の刺繍が入ったくつに向かって声をかける。

 沓の主はしばしの沈黙のあと、口を開いた。


「そなたは何者だ?」


 春蘭は思わず顔を上げる。

 彼は無表情のまま、春蘭の顔をまじまじと見つめた。黄金の瞳が春蘭を捕らえる。

 太陽のような月のような不思議な輝きに、春蘭は一瞬言葉を詰まらせた。

 彼の名は飛龍フェイロン。この国の第三皇子だ。

 黒の艶やかな髪が風に揺れる。彼はうっとうしそうに長い髪を後ろに払った。

 

「そなたは、誰だ?」


 一段低くなった声に、春蘭は気を引き締める。


「春蘭と申します」

「……聞かぬ名だ」

「でしたら、私の記憶が昨夜のにえだったのでしょう」


 春蘭は深く、深く頭を下げた。

 けっして己の表情を彼に見られないように。


 ***


 第三皇子――飛龍には秘密がある。

 その秘密はわずか四人しか知らない。

 飛龍本人と、皇帝、飛龍の側近である文輝ブンキ、そして春蘭の四人だ。


「まさか、春蘭を忘れるとはね」


 文輝は焦げ茶色の結った髪を揺らしながら、アハハと軽い調子で笑う。彼はいつもこの調子だ。

 皇族を相手にするような態度ではない。しかし、これもいつものことだった。

 文輝は飛龍が幼い頃からの側近だ。

 彼はいつも変わらない。その変わらなさこそが、春蘭の救いだった。

 彼は上奏文をしたためる飛龍に向かって言う。


「彼女は春蘭。五年ほど前から君の側にいる」


 春蘭はまっすぐに伸びた背を、更に正した。

 飛龍はちらりと春蘭に目を向けたが、すぐに手元に視線を戻す。

 彼は興味がないとでも言うかのように、筆をさらさらと動かす。しかし、今日の墨はやけに薄く感じた。


「そうか」

「彼女はね、君のことならなんでも知っている」

「大袈裟だな」

「彼女には素晴らしい能力があるんだ」

「……能力?」


 飛龍はピクリと眉を跳ねさせる。ようやく顔を上げた。そして、春蘭を睨むように見る。

 その顔は怒りなのか、警戒なのか、はたまた目つきが悪いだけなのか。春蘭にはもうわからなかった。

 日を追うごとに、彼のことがわからなくなる。


「彼女はすべてを記憶する」

「すべてを? 先ほどから仰々しいな」


 文輝は我がことのように自慢げだ。彼は下がりかけた眼鏡をくいっと上げた。

 鼻で笑う飛龍に文輝は、目角を立てる。


「大袈裟でもなんでもない。ずっとその恩恵にあやかっていたというのに、君は薄情な男だ」

「それは本当か?」


 探るような黄金の瞳。飛龍の尋問のような問いに、春蘭は事務的に答えた。


「はい。見たもの、聞いたもの、すべて覚えております」


 この説明は三度目だ。そして、この反応も三度目だった。

 同じことの繰り返し。まるで時間が巻き戻ってしまったようだと思う。


「忘れっぽい君に、彼女の能力は重要だ。そうだろう?」

「どうやらそのようだ」

「五年間、君と同じものを見、同じものを聞いてきた。彼女はいわば君の脳だ。それも、優秀なね」


 文輝はまるで自分のことのように語る。

 今日の彼は饒舌だ。

 すっかり忘れられてしまった春蘭を、不憫に思っているのかもしれない。

 飛龍は小さく息を吐いたあと、春蘭を見つめた。

 黄金の瞳が春蘭を捕える。すべてを見透かしそうな美しい瞳。夜に浮かぶ静かな月とも、昼に輝く太陽ともとれる。


「二人の言いたいことはわかった。昨夜の贄は春蘭、そなたの記憶だったようだ。そなたについて知る必要のある情報は?」


 飛龍は時々、こうして記憶を失う。三日前の食事の内容のような、小さなことが抜けていることもあれば、丸々一人の人間の記憶がなくなることもある。

 春蘭のことを忘れたのは初めてではない。

 文輝のことももう二度忘れている。そのたびに飛龍との関係を構築しなおすのは骨の折れる作業だった。

 春蘭は深く頭を下げて言った。


「特に何も。私は殿下のお側につき、殿下のすべてを記録する身、私について殿下が覚えておく必要のある情報などありません」

「そうか」


 感情のこもっていない短い返事だ。

 春蘭は彼の沓に描かれた金の獅子を目でなぞる。

 彼の瞳よりもギラついた刺繍糸の獅子が二頭、春蘭を睨んでいた。


「そなたのことは理解した。これから、よろしく頼む」

「はい」


 まるで初出勤のようだと思った。

 しばしの沈黙のあと、飛龍が口を開く。


「二人には話さなければならないことがある」

「夢のことでしょうか?」


 春蘭は顔を上げ、間髪入れず端的に尋ねた。

 飛龍は回りくどいことを嫌う。いや、いつの間にかそういう男になっていたとでも言ったほうがいいだろうか。

 彼は春蘭の問いに頷く。

 文輝は苦笑を浮かべた。


「その様子だとあまりいい夢ではないようだね」

「ああ、あまり。いや、おそらく……かなり悪い夢だ」


 部屋の空気が更に重くなる。

 春蘭は息苦しさを感じ、小さくゆっくりと息を吐き出す。

 春蘭が肺の中の空気を出し切ったとき、飛龍は静かに言った。


「私が父上を殺めるようだ」

「殿下が、皇帝陛下を……?」


 想像もしてなかった回答に、春蘭は思わずオウムのように繰り返した。

 飛龍の父は、この国の皇帝だ。そして、飛龍の秘密を知る人間の一人だった。


「君が陛下に殺意を抱いていたとは、知らなかったな」


 文輝が冗談交じりに言う。飛龍はギロリと文輝を睨んだ。

 他の人間が見た夢であれば、「なんと不敬な夢か」と笑い飛ばすところだろう。しかし、飛龍の夢は違う。

 彼の秘密――それは、少し先の未来を見る能力ちからを持つことだった。

 能力の代償は彼の記憶。

 天は彼に未来を見せる代わりに、彼の記憶を奪っていく。そして、大きな記憶が奪われた日は、天変地異が起こるような危険を予知させるのだ。

 前回、文輝のことを忘れたときは、百年に一度の大豪雨に見舞われた。


「どちらでしょうか?」


 春蘭はポツリと呟いた。

 二人の視線が春蘭に集中する。


「殿下の夢は変えられることと、変えられないことが存在します」

「と、言うと?」


 文輝が首を傾げる。


「昨年の妃の事故に関する予知夢では、事故を未然に防ぐことができましたが、結局妃は亡くなりました」

「つまり、陛下の死と殿下の殺し、どちらかが変えられない未来であると春蘭は予想しているんだね」

「どちらも変えられる可能性もありますが、今まで予知夢のすべてをなかったことにできた例はありません」


 春蘭が飛龍の側に来てからの記録ではあるが。

 二人が春蘭の言葉に頷く。


「今回の何がまずいって、皇位の交代を示唆する予知夢だってことだね」

「そうですね。報告をすれば、殿下の命が危険にさらされます」

「ああ、今の状態で父上へ報告するのは悪手だ」


 皇帝は飛龍の予知夢がいかに正しいかを、知っている。危険分子となりうる飛龍はよくて幽閉、悪ければ斬首だろう。

 己の命がかかっているのだ。情よりも利を重んじる皇帝ならば、あっさりと飛龍を切り捨てるのは想像にたやすい。


「まずはなぜ、私が父を殺めることとなるのか、それを知る必要がある」

「予知夢ではそこまではわからなかったのかい?」

「残念だが……。だが、剣で心臓を刺した感触は残っている」


 飛龍は自身の右手をまじまじと見た。ぐっと拳を握りしめる。


「そして、それを食い止めなければならない」

「君の危機は僕らの危機でもあるからね。やるしかない」

「全力を尽くします」


 春蘭と文輝は同時に拱手し、頭を下げた。


 ***


 春蘭と文輝は飛龍の執務室を出た。

 飛龍は毎日、皇帝に予知夢の結果を報告している。「なんと報告するか、一人で考えたい」と追い出されたのだ。

 昨夜の夢を素直に書くわけにはいかない。本来ならば三人で案を出すべきだが、飛龍に時間が必要なのも理解できる。

 父を殺す夢を見たのだから、一人になる時間も必要だ。

 仕方なく、春蘭と文輝は朝餉を取りに向かった。


「いいのかい? 今回も本当のことを言わなくて」

「いいです。本当のことを言っても、また忘れてしまうでしょうし」

「まあ、そのとおりだけどさ」


 文輝は肩を竦めた。

 春蘭は少しずつ上っていく太陽を見上げる。ほとんど徹夜明けの春蘭には、眩しすぎる。


「文輝様、春蘭様。少しお時間をいただけないでしょうか?」


 並んで歩いていると、後ろから声を掛けられた。二人は足を止め、同時に振り返る。

 見たことのない女官だ。目が細く、色白でほっそりとした女だった。


「君は?」


 文輝の問いに女官はしばし考えたのち、にこりと笑った。感情のあるようなないような、不気味な笑みだ。


「我が主がお二人にお話があるようです」


 春蘭と文輝は顔を見合わせる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  ▼▼▼ 第24回書き出し祭り 第3会場の投票はこちらから ▼▼▼ 
投票は5月17日まで!
表紙絵
― 新着の感想 ―
面白かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ