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3-20 私と鬼と喫茶ふぇりちた

【この作品にあらすじはありません】


 【お会計は現金でお願いします】


 ふぇりちたの重いドアには、おばあちゃんの丁寧な字で書かれた札がかかっていた。小さな手で開ければ、ふわっと珈琲の匂いがしてくる。短い足でよじ登ってカウンター席に座ると、キッチンが見えた。

 夕暮れ色のナポリタンが真っ白なお皿にゆるりと盛り付けられる。ふかふかホットケーキには、とろりと蜂蜜をかけて。宝石のようなメロンソーダにまんまるなアイスクリームがポトリと落ちる。

 ホットミルクのやさしい湯気を感じながらずぅっとそれを見ていると、いつもの時間に角のおじさんがやってくる。隣に座ったおじさんに挨拶をして、撫でてもらって。

 ……あったかくて、おいしくて、やさしいあの場所が大好きだった。


         *


 今年は随分と早咲きなのだと、天気予報のお姉さんが言っていたのを思い出した。

 散りかけの桜並木は風にたなびかれ、早朝の淡い空に花びらが舞う。まだシャッターの開いていない商店街は朝日に照らされてぼぅっと淡く光っていた。

 ああ、なんて綺麗なのだろう……と私もぼーっとしてしまう。日差しが目が沁みてチカチカする。


「うーん。なんかとっても痛い……」


 頭が痛い。まるで木魚になった気分。足には鈍痛が。どこかにぶつけたらしい。きっとあざになっている。


「ここ、どこ?」


 「お客様、終点でございますよ」の声で目が覚めて、気が付いたら、知らない駅の出口で突っ立っていた。

 幻想的な景色に呆けたまま、ぼけぇっと昨日を思い出す。

 昨日は、大学の卒業式だった。みんな晴れ晴れしい顔をして、就職先の話をしていた。その中に、私は混ざれなかった。

 大学のキャリアセンターも、インターンも、企業説明会もなんだって行った。誰よりも準備は万端だった。しかし、消える履歴書、謎の不運、それでもなんとか決まったはずだったのに突如告げられた内定取り消し。


「というか、私は、どこにいけばいいの……」


 こうして、人手不足の時代に珍しく無職が生まれたのだった。

 もうヤケになってしこたまお酒呑んで……ただでさえ軽い財布を余計に軽くした。そのまま泥酔した上に終電を逃し、始発の電車に乗ったはいいものの、寝過ごして知らない駅についてしまった、と。


「と、とりあえず時間……」


 スマホを取り出した、が何度タップしても真っ暗な画面。嫌な予感がしつつも電源を長押しすれば、無慈悲なバッテリー切れのマークが。

 これじゃあ、時間どころか、電車賃も、地図も、何もない。持っているのはガンガン痛む頭だけ。


「ハ、ハハ……はぁ」


 乾いた笑いは風にさらわれ、大きくため息をついた。パンプスの靴擦れが酷い。ストッキングは伝線している。

 昔から不運体質だった。酷い目に遭い続けて学んだのはただ一つ。それでも、とりあえず立ち上がらなきゃ始まらないこと。馬鹿でも達者がようがんす、だ。意を決してパッと立つ。少しよろめいたけれど、立つには立てた。そのまま二、三歩歩く。


「さて、どこかにマップとか……って、え?」


 さぁっと、桜吹雪が舞う。辺りを見渡すと、駅はなくなっていた。代わりに後ろにあるのは桜に囲まれた小さな神社。目の前には変わらず商店街。思わず目を擦る。

 でも、やっぱりそこに駅はない。


「……わ、私、まだ酔っ払ってるのかな〜」


 そんなことないのは、自分が一番知っている。なのに、どうして。

 何度瞬きをしても変わらない景色に、いつまでもここに突っ立っているわけにもいかないことを思い出す。とりあえず、商店街の方へ進むしかなかった。

 下町のような雰囲気の商店街で、ただひたすらに足を進める。日に褪せた店先。薬局に置いてある謎の人形。黒い影が、箒で掃き掃除をしている。

 まるでホラー映画の導入のような光景に、私はなぜか懐かしさを感じていた。


「……あれ?」


 映画でしか見たことないような昔のガチャガチャが目に入る。おかしい、私はこれを、昔回した気がする。ううん。きっと、いつかの違うところの記憶が混じってるだけ。昔から、混ざりやすい子で、お母さんを困らせて……。


 ヒソヒソ……ヒソヒソ……

 帰ってきたんだね。帰ってきた。帰ってきた。でも、もうあそこはないのに。


 どこからともなく声がする。帰って、きた……? 


「……もしかして」


 パンプスを脱いで走り出す。

 存在しない記憶、と言われて一番最初に思い出すのが、おばあちゃんのやっていた喫茶店だった。ずっと小さな頃から、ほぼ毎日のように通っていた大事な場所。ある日を境に消えてしまった、幼い私が作ったまぼろし。誰に聞いても、そんな場所はないと言っていた、けれど。


「っ確か、こっち」


 ……知っている。私は、ここを、知っている。

 あの布団屋も、蕎麦屋も。そうだ、私はここに何度も来ていた。でも、ないと言われるうちに、いつの間にか忘れていて。

 商店街の端っこ、三つ目の信号を越えた先。

 鬼灯のマークのランプと、ハリボテのような壁。横のトタンにはスプレーで落書きがしてあって。


「っ!」


 【喫茶 ふぇりちた】


 褪せた板に書かれたその文字に、記憶がつながった。

 ドアにおばあちゃんの札はない。昔のような人気もない。それでも、確かにここだ。見間違えるはずはない。夢じゃ、なかった。私は、帰ってきた。

 カランコロン、と聞き慣れた音が響く。ドアを開けようとした手は宙に残された。


「え?」


 でてきたのは、おばあちゃんではなかった。


「……は?」


 黒髪が揺れる。大きな角に鋭い赤眼、襷で着物の袖を結んだ、大柄な男性だった。


「人の子が、ここで何をしている」


 低い声が耳に響く。

 角……?? 人の頭に、角……?


「おい、聞いているのか」


 チャキチャキチャキ、チーン! 混乱した結果、高速回転した脳が結論を出す。

 目の前にいるのは、多分、鬼。


「ぎゃああああああ!!! おへそ取らないで!! いやこれ違う! 食わないで!」


 大声で叫んで、逃げようとする。叫んだせいで頭が痛い。くるっと後ろを向いた時、小石に躓いて派手に転んだ。


「いった!!」

「突然なんだ煩い……。何をやっているんだお前は」


 鬼が手を差し伸べてくれる。ありがたく掴もうとしたけれど、鋭い爪が目に入って愕然とした。


「おい、どうした」

「っ鬼って節分で桃太郎で妖怪で」

「錯乱するな、桃太郎は倒した方だろう」

「それもそっか!」


 もうわけがわからなくなって、手を借りずにガッと立ち上がった。膝が痛い。ストッキングが破けまでした。


「……ねぇ、ここ、おばあちゃんの喫茶店だったと思うんだけど」


 たとえ鬼でもなんでもいい。今聞かなきゃ、いつ聞ける。そう思って尋ねると、鬼は少し考え込んで、私を頭からつま先まで見てから小さく頷いた。


「……ああなるほど。おまえ、櫻子の孫か」


 櫻子。それはおばあちゃんの名前。ということは、この鬼はおばあちゃんの知り合いなのだろうか。でも鬼が知り合いって一体……。


「俺は冬月。櫻子からここを譲り受け、住んでいる鬼だ」


「……それにしても酒臭いなお前」



 ────萩原菜乃子、二十二歳。無職のまま大学を卒業した春のことだった。


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