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3-18 「クウドウ」の戯れ

そこは何の変哲もない、戸建てのダイニングキッチン。

日当たり良好、ガス水道電気、食料品、すべてが潤沢。

ただし、入った人間は『ルール』に縛られ『クエスト』を達成するまで、日々を繰り返す。


犠牲者は、ふたり。


野良猫のように生きる少女、ニィ。

すべてを諦めて過ごす少年、モク。


ふたりを縛る、『ルール』。


ニィは「タビビト」。家から出なくてはならない。

モクは「モリビト」。家から出ることは叶わない。


果たすべきクエスト、不明。

クエスト失敗は死で贖われ、朝日とともに最初に戻る。


二人は起床し、顔を合わせ、朝食を取り、模索し続ける。

無限の死と、失敗と、すれ違いを繰り返しながら。


 ベーコンエッグだ。

 白い光が差す、小さなダイニングキッチンに立ち、思い浮かべる。

 二口のガスコンロ。その左側にフライパンをかけ、静かに油をひいて、火をつけた。

 冷蔵庫から取り出すのは、二個の卵と二枚のベーコン。


「ベーコンはカリカリに、卵は両面焼き(ターンオーバー)で」


 それは一つの呪文。神聖にして侵されざる、儀式の手順。

 火力を中火よりも弱めに、薄いベージュの燻製肉をさっと沈めて。

 ちりちり、ぴちぴちと、ベーコンの周囲で脂が跳ねる。


「おはよ」


 その声には振り返らない。油と火を扱っているんだから。

 ガス代の右手側、布のれんのかかった引き戸の向こうから、抜け出てくる影。

 つたつたと近づく、足音。


「……いつ、届いた?」

「たぶん、昼、かな」


 近づいてくる。油の煙越しでもわかる、自分ではない人間の、甘い香り。


「あたし、おおきいやつ」


 無遠慮な声だ。

 焼け縮んでいく肉、今はほんの少しだけ、片方が大きい。


「多分、同じだよ。すぐ同じになる」

「違う」


 肩越しにのぞき込む。

 自分と『異種』の存在がいる当惑と、発言への不服と、それとは別の、胸をざわめかせる感覚。


「火、危ないから。どいて」


 安全性を盾に、パーソナルスペースから追い出す。

 仕上がったベーコンを皿に引き上げ、キッチンペーパーでフライパンの脂をぬぐい、割っておいた卵を投じた。

 湯気、油跳ね、頬や掌に小さな熱さ。

 調理されていく己の抗議、のようにも思えた。


「シャワー使う。そんで、でかける」


 流し込まれた二つの卵が、寄り添って白く固まる。

 それでも明確に、互いが同じものではないと主張する、溝のような境目が残った。

 ちょうどいい切り込み線。フライ返しをあてがって、分割する。


「何か変えようか?」


 素早く、やさしく、目玉焼きの黄身を、熱に向けて、反転ターンオーバー

 下側になった黄身は潰れない。


「……いい。なんか、もう少し行けそうだから。昨日とおんなじで」


 つたつたと足音。キッチンの向こう側へ。

 重いアコーディオンカーテンで仕切られたエリア。勢いよく、滴る水音。

 

「ふぅ」


 調理は緊張する、火を使うからだ。

 そして彼女との会話も、同じような理由で、緊張する。

 落ちていく水音が、熱したフライパンが爆ぜるような音を立てた。



「いただきます」


 こちらの宣言に、不満な目つき。

 それが返事のすべてだ。

 青い彩色の皿に乗せられたベーコンエッグへ、彼女は卓上のケチャップを掴んで、あまり上品ではない音とともに、回しがけた。

 それから、六枚切りのパンを二枚。その間に、赤い泥の塊のようになった物体を、挟んで食べ始める。


「何回目だっけ」


 もくもく、かみ砕きながら、問いかけてくる。


「君が今回で八、僕は十七、だね」


 冷蔵庫にかけられたホワイトボード。お互いの名前の下に、いくつもの『正』が、刻まれている。


「じゃあ、九か」

「十八かもしれない」


 口の周りに、べっとりと付いた赤いビンガム液を、舌で舐め取る彼女。

 それから、マグカップに注がれたミルクを、ぐいっと飲み干す。見下ろしたシャツに、べたべたと付いたケチャップの、痕跡。

 ざっくりと荒々しく切られた黒髪。無遠慮ににらみつける視線。くたくたによれた、無駄に大きなTシャツ。

 こっちの視線に気が付いて、不機嫌そうな意思を振りまく。 

 何か文句があるのか、という反意。

 捨てられて、野良で生き続けたネコの、人間に対する対応めいていた。


「そんじゃ」


 満足したのか、面倒になったのか、席を立つと彼女は風呂場に引き返し、物音を立てて身支度らしいものを始めていた。

 残されたのは、自分のための食事。

 塩と、胡椒、静かにふりかけ、パンに乗せて、食べる。


「行くから」


 彼女は、小柄だった。身に着ける服にもこだわりはなくて、無造作にまとうだけ。

 荒い生地の、群青の作業着つなぎ

 はっきり言って、不格好だ。

 その片手には、むき出しの金属の棒。多分、バール、のようなもの。


「……いってらっしゃい」


 返事はない。

 玄関の扉が無造作に開けられる音。見送らない、出ていく姿も見ない。

 そもそも、外に向かう扉を、視線から外している。

 途端に、部屋の中は静かになった。


「さて、と」


 カップの中身を飲み干してしまうと、二人分の食器を片付け、調味料をすべて所定の位置に戻す。

 テーブルの片隅に置いたノートを引き寄せる。

 開いて、内容を一瞥。

 それから、壁に掛けられた時計を見た。

 八時二十一分。


「冷蔵庫」


 それは、自分に向けた言葉だ。これから何をすべきか、そこに意識を向けるために。

 立ち上がり、中身を調べる。


「卵十二個入りパック、牛乳予備一リットル、二百グラムベーコン使用済み、ブルーベリージャム百八十グラム、徳用トマトケチャップ一本、無塩バター二百五十グラム未使用」


 読み上げ、確かめ、目視を続ける。几帳面に、なにも見逃さないように。

 深呼吸して、もう一度中身を見回し、扉を閉める。


「終了。次、風呂場」


 ノートを片手に、アコーディオンカーテンを開け、湿気の残る空間に足を踏み入れる。

 声に出し、確認。


「カップ、二。歯ブラシ、二本。歯磨き粉、使用済み一本」


 言葉は、次第に緊張でこわばっていく。


「洗濯用洗剤、使用済み、一箱。未使用一箱。洗濯用柔軟剤一本」


 それは、儀式だった。

 声を上げ、一つ一つを指差し、確かめていく。

 それから風呂場を見て、洗濯機を確かめ、洗濯籠を見直す。

 

「洗い物、なし」


 気が付くと、汗がにじんでいた。

 八時四十七分。

 その表示に、呼吸が知らずに早くなっていた。時間が、ない。


「次、シンク下」


 水回りの下にある収納を開き、調べる。漂白剤、予備の醤油、塩、大きな鍋、すり鉢や空のビン。

 すべて記録通り、一つとして『かけたもの』も『ふえたもの』もない。


「確認。終了」


 確認ではなく、お伺い。

 これで、合っているはずだという、問うような言葉。

 時計が、静かにベルを鳴らす。

 午前九時。


「え」


 それまで、平凡そのものだった空間から、あらゆる起伏、あらゆる色が剥落していた。


「な、なんで!? 僕はちゃんと」


 ドアも引き戸もアコーディオンカーテン消え、すべては白々と染まっていく。

 最後に、残っていたテーブルが音もなく消滅していく。

 その寸前に、見えたもの。

 ずんぐりとしたケチャップのボトルが、片隅に残っていた。

 甲高く、軋るような音。白い世界が狭まり、全身が、圧迫されていく。


「ちくしょ――」


 ぐちゃり。



 

 ドアを開け、中に入る。

 安全靴を無造作に脱ぎ捨て、キッチンに続く廊下を通り、扉を開けた。


「はぁ……」


 テーブルの上に、箱が乗っていた。

 材質も分からない、真っ白な長方形。

 上の部分に、薄い切れ目があって、うっすらと、嫌なにおい(・・・・・)がした。

 彼女は近づき、あて名書きを眺めて、背を向ける。

 それから、冷蔵庫のホワイトボードに、新たな一本棒を書き加えた。


「十八回目」



 ベーコンエッグだ。

 白い光が差す、小さなダイニングキッチンに立ち、思い浮かべる。

 二口のガスコンロ。その左側にフライパンをかけ、静かに油をひいて、火をつけた。

 冷蔵庫から取り出すのは、二個の卵と二枚のベーコン。


「ベーコンはカリカリに、卵は両面焼き(ターンオーバー)で」


 それは一つの呪文。神聖にして侵されざる、儀式の手順。

 火力を中火よりも弱めに、薄いベージュの燻製肉をさっと沈めて。

 ちりちり、ぴちぴちと、ベーコンの周囲で脂が跳ねる。


「おはよ」


 その声には振り返らない。油と火を扱っているんだから。

 ガス代の右手側、布のれんのかかった引き戸の向こうから、抜け出てくる影。

 つたつたと近づく、足音。


「なんだったの、今回」

「……引っかけ問題。ケチャップが、テーブルに増えてた」

「は、最悪」


 振り返ると、笑いがあった。

 獰猛な、恫喝するような、異様な笑い。

 お前ら(・・・)なんて大嫌いだ、と宣言するような笑いだった。


「そっちは」

「あたしだけ成功しても意味ない」

「ごめん」


 ベーコンを油から上げ、汚れを取り、卵を落とす。

 透明から白へ、固まっていく白身。

 寄り添いながら、それでも切れ目のある二つの目玉焼き。


「そっちのが大きい」


 二つの目玉焼き、片方を指す指。荒れていて、細かな傷があって。

 要するに、傷だらけの野良猫、そういう彼女だった。

 無言で差し出しだしたそれに、ケチャップ。べったりと汚して、パンで挟み込んで、かぶりつく。


「行ってくる」


 ドアが閉じる。静まり返る。午前八時二十一分。

 ノートを引き寄せ、書き込む――テーブルを再確認しろ。


「冷蔵庫」


 点呼する。確認が始まる。死を避けるための、試行錯誤が。



 その日は、どちらの『数』も増えなかった。


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