3-17 殺し屋と軍人の二重奏
裏社会において最強の殺し屋と噂される≪朱目のアイム≫という少年がいた。少女と見まがう程の容姿と裏腹に、数々の達成不能と思われる殺しを達成させた怪物である。
そのアイムの元に、エンキル名乗る青年軍人が訪れる。彼の願いは5年前に虐殺されて滅んだ村の生き残りである少女の護衛だという。
少女を守り軍の特殊部隊と戦うアイムとエンキルの行く先に、血の嵐が吹き荒れる。
その男が店に入って来た時に、店中の客が一斉に視線を向けたのは、決して入り口の扉が安普請のせいできしむ音が響いたからではない。その男の発する気配が、アルコールで脳がふやけた男達が一気に覚醒する程とげとげしいものだったからだ。それまで騒がしかった酔客達の喧騒がなりを潜め、店の奥に設置されたピアノの音だけが残った。ピアノを弾く少女は気配に気づいていないのか、それともギャラの分は働かねばならないという職業意識からなのか。
男が発しているのは殺意ではない。
殺意であったなら、この店に集う男達は既に攻撃を開始している。だが男の発している気配は、殺意によるものではなくあくまで警戒によるものだ。
ここはヌキータ共和国の首都の外れに位置する酒場、「鼬の巣」である。外れというかスラム街と表現するのが適切な区画であり、この店に通うのはある特定の職業の者だけだ。
「あんちゃん。入る店を間違えてんじゃないか? 軍人さん――しかも士官様が来るような店じゃないぜ?」
入り口近くで食事をしていた禿頭の大男が、闖入者の前に立ち塞がり、帰るように促した。
大男が言う通り、入ってきたのは共和国軍の制服を着用した青年の軍人であった。襟には中尉の階級章がつけられている。真っ当な士官なら、この区画自体に来る事はありえない。中には不良軍人も存在しており、安酒を求めて入り込む事もあるが、この軍人はアイロンできっちりとプレスした軍服を規則通りに着用している。どう見ても不良軍人ではない。普通の軍人と少々違うのは、人一人が入ってしまいそうな鋼鉄製の鞄を手にしているくらいだ。巨大で重量がありそうな鞄を手に下げながら、全く重さを感じさせない身のこなしがこの男の非凡さを感じさせた。
「間違いではない。自分はこの店に――正確にはこの店の客に用事があってやって来た。断っておくが、貴様――≪壊鉄のジャンゴ≫ではないぞ。別の人間だ」
「……よく調べてやがるぜ」
青年士官に言われ、ジャンゴは退いて自分の席に戻った。一般には知られていない自分の仕事での呼び名を口にされ、触らぬ神に祟りなしと決め込んだのだ。
進路が空いたのを見計らい、青年軍人は店の奥に向かって足を進める。向けられる奇異の目をまるで気にする様子が無い。
青年軍人はカウンターまでたどり着くと、カウンターの中でグラスを磨いていた女に話しかけた。そして同時にカウンターの上に金塊を3つばかり積み上げた。
「依頼がある。≪朱目のアイム≫に話を繋いでくれ」
「うちは酒場だ。酒を飲まないなら帰んな」
店内は薄暗く女主人の顔ははっきりと見えないが、声の様子からすると意外と若そうである。この様なスラムの一角に店には似つかわしくない。金塊には一瞥もしない。
「生憎と下戸なのでな。酒の代わりに炭酸水でももらおう。そこに置いてある、ハナト渓谷産のボトルがいいな」
青年軍人のオーダーに、女主人は黙って炭酸水を準備し始める。その間、青年軍人はカウンター席に座っていた他の客に話しかける。
「なああんた。≪朱目のアイム≫に依頼する相場は、これで足りると思うか? この金塊は今日の相場で十万ダーラは固いはずなんだが。あんた、≪銀針のサノス≫だろ? 二十万ダーラの賞金首の。業界の相場には詳しいんだろ?」
「さ、さあなあ。俺にはよく分からないなあ」
銀針のサノスと呼ばれた男は露骨に嫌な顔をした。いつもなら相場を知らない奴が紛れ込んで来たならば、自分が依頼を受けるにしても他の同業者を仲介するにしてもふんだくるところだ。だが、それは無理だと危険信号が脳内に木霊しているのだった。会話を打ち切ろうとして言葉を濁す。
「はいよ」
女主人が炭酸水の入ったグラスを青年軍人に差し出した。青年軍人は即座にそれを手に取り口に運んだ。ひとまず飲み物を口にしなければ、依頼も何も有ったものではないと判断したのだ。
「む?」
口にするなりそれまで鉄面皮だった顔に歪みが走る。
薬や毒を盛られたとかそういう事ではない。純粋に不味いのだった。
「ラベルは本物よ。ラベルはね。中身がどうかまでは保証しないけど。エンキル中尉殿」
「まあ、ハナト渓谷は係争地だったからな。水の採取どころでは無いと言う事か……待て、何故自分の名を?」
どうやら産地偽装をされたと気付いたエンキルと呼ばれた青年軍人だったが、騙された怒るでもなくその背景を洞察するに懐は深い様だった。そして、自分の名を女主人が呼んだ事に対して少し遅れて反応した。
「何故ってあんた、名札にそう書いてあるじゃない」
この少々間の抜けたやり取りに、店内の空気が少しだけ緩む。だが、このエンキルなる青年軍人を笑っても良いのか客達はまだ判断に苦しんでおり、店内に響くのはエンキルと女主人の会話、そしてピアノの演奏だけだ。
「まあいい。≪朱目のアイム≫に依頼したい事がある。この国でも最強の男だと聞いている」
「ま、最強だっていうのは確かにそうでしょうね。ここ5年間で、あいつ程活躍した奴はいないわ。あんたもそう思うでしょ?」
「俺に話を振るなよ。俺もそう思うのは確かだがな。アイムより強いと自負する奴がこの業界にいるとしたら、そいつは本物の強者かただの馬鹿だぜ」
「それは良かった。護衛を頼みたかったのだが、弱くてはやられてしまうだけだ。それでは哀れだからな」
「待ちな。あんた、アイムが何で最強なのか、知ってて言ってるの?」
女主人は訝し気にエンキルに問いかける。高い金を払ってでも朱目のアイムを雇おうという者は数多くいるが、エンキルの様な依頼を目的とした者が現れたのは初めてだ。
「知っている。殺し屋だろう? 殺し屋だからこそ頼める護衛もある。とにかく、本人と話がしたい。店に呼んでくれ。あなたに頼めば連絡がとれると聞いている」
「ま、本人が依頼を受けるなら別に殺しじゃなくても構わないでしょうけどね。じゃあ頼んで来れば? わざわざ呼ばなくても、あいつは店の中にいるわよ」
「まさか、≪朱目のアイム≫といえば、ハリス大蔵相やハガタ財閥の総帥を殺害したと聞いているぞ。あれだけの護衛をものともせず目的を達成できそうな男など、この店の中にいる男達に混じっているとは思えないぞ」
「ふふ、随分な言いようねえ。ここに居る連中は、皆ひとかどの殺し屋だっていうのにさ」
「その位の事は、自分にだって分かる。我が軍に欲しい位だ。だが、情報にあるほどの男はこの中には………まさか、男ではないのか?」
エンキルは驚いた様子で女主人の全身を観察した。戦闘経験が豊富なエンキルから見て、この女主人は相当出来るはずだ。客の男達も一流の殺し屋ばかりの様だが劣るとは思えない。
「ちょっと違うかな。こいつらや私以外にも気付かない?」
女主人に促され、エンキルは酒場の中を見回した。店内には裏社会に名を轟かす殺し屋どもがあちこちに陣取り、息を潜めてエンキルと女主人のやり取りに注目している。店内に響く音は、ピアノの音くらいだ。
「ピアノ?」
そういえば、店内には客の男達や女主人以外に、ピアノを弾き続ける少女がいた。まだ若く十代半ばくらいにしか見えない。金色の長い髪がランプの光を照り返して輝き、スラム街の酒場に似つかわしくない雰囲気を醸し出している。
エンキルが戸惑っている中、ピアノの演奏が終わった。少女は立ち上がると演台の方からエンキル中尉の方に向き直った。演奏に集中してるように見えたが、どうやら会話は聞こえていたらしい。
「俺に依頼があるって?」
その声は中性的で、エンキルを更に困惑させた。少女なのか、それとも声変わり前の少年なのか判別がつかない。何にせよ、この子供が≪朱目のアイム≫で間違いない様だ。子供にしか見えないが、5年前から最強の殺し屋と謳われていたというのは本当なのだろうか。軍の資料ではそう記述されていたのだが。
「本当は殺しの依頼が本分なんだけど……あんたつけられてた……ね!」
最後まで言い終える事無く、アイムは手を素早く振り下ろした。いつの間にか手にしていた掌程の長針が投擲され、外から入って来た男の喉笛に突き刺さる。
「ちっ、一人じゃねえ。多いぞ!」
入り口に付近で酒の続きをやっていたジャンゴが料理がまだ半分ほど残った皿を掴み、続いて入って来た男達の一人の顔面に叩きつけた。相手は悲鳴も上げずに昏倒し、倒れた瞬間に首を踏み折られた。
他にも十人ほど窓や天井裏から侵入してきたが、客の殺し屋たちの手によって苦も無く始末されてしまう。
「悪いな。これを山分けしてくれ」
「気にするなよ。好きで勝手に戦ったんだからさ。報酬なんか必要ないよ。それより、俺の質問の答えてくれよ」
金塊を1つ取り出したエンキルの近くまで寄って来たアイムがにこやかに言う。人を殺したばかりとは思えないにこやかさだ。
「あんた、エンキル中尉って言ったな。確か5年前の国境争いの時、領内のスナフ村を皆殺しにした作戦の指揮官だったよな。そんなあんたが、殺しじゃなく護衛を頼むってどういう心境なんだ?」
アイムの問いを聞いていた店内の客達に緊張が走った。そういえば聞いた事があるなどというひそひそ声があちこちで響いた。エンキルの表情は変わらない。
「村人を殺したのは確かに自分だが、護衛の依頼をするのに何の問題もない。それに一つ訂正する事がある。皆殺しではない。ここに生き残りがいる。この少女を守るのが、依頼したい事だ」
エンキルはそう言うと傍らに置いていた巨大な鞄を開く。
中には、眠ったままの少女が入っていた。





