3-14 悪役令嬢は騎士団長に絶賛片思い!~縦ロールは貴方を溺愛するために辞めました~
王太子との婚約式直前の舞踏会に現れた侯爵令嬢ブランシュ。
艶やかなドレス姿の彼女に観衆は息を飲んだ。
何故なら、それまで彼女のトレードマークであった黄金色の縦ロールヘアが消え失せ、サラサラのストレートヘアになっていたからだ。
王太子はそんなブランシュに向かって口を開いた。
「お前の縦ロールは偽物だったのか。エメリーヌの言う通りだった。万民をも欺いていた性悪女とこのまま婚約することはできない!」
待ってました、その言葉!
どうせ王太子は聖女エメリーヌを溺愛しているのだ。
そんな男と婚約などまっぴらごめんである。悪役? 上等だ!
事実上の婚約破棄宣言を受けたブランシュは無言のまま恭しく頭を垂れた。
しかしサラサラの髪に隠された口角が上がっていたことなど、その場の誰も気づきはしなかった。
――目的は達せられた。
足取り軽くブランシュが向かった先、それは王立騎士団の詰め所だった――。
「やったーぁぁぁぁ! ざまあああ!」
並みいる貴族たちが集まった広間から出た途端、嘘のように足が軽くなった。物理的な意味では髪を下ろした昨日から体が軽く感じていたけれど、これはきっと気持ちの問題なのだろう。
はしたないと言われようと構うもんか。
顎が外れそうなほどに口を開いた二人の顔を思い出すと、おなかの底からおかしくなる。あんな連中のために心をすり減らしているなんて、時間の無駄だったのだ。
それより私はもっと違う人のために気持ちも、時間も、力も使いたい。
ドレスの裾を翻させ、跳ねるように地面を蹴り、私は一目散に城の裏手に回った。昨日までくるくるに固められて重く垂れさがっていた髪も、私の気分同様さらさらと空になびく。
甘ったるい香水と燭台で蝋燭を燃やす煤けたにおいが充満する空間から出ると、饐えたカビの匂いや家畜のにおいが漂い始めた。風にのって耳に聞こえてくるのは、固い金属が打ち鳴らされる音である。
大好きな人を連想させるにおいや音が近づくにつれ、私の胸はどんどんと高鳴って両足はさらに軽くなった。
石を積んだ壁の向こうに古びた木の屋根が見え始めるともうだめだ。気持ちが抑えきれずに膨らんでくる。
だって仕方がないじゃない。
子どものころからずっと王太子妃になれって言われていて、ずっと諦めていたんだから。家のため、国のためと言われて私の肩に乗せられていた重石が外された今、我慢することなんてできるわけがない。
石壁をぐるりと迂回した私は、目的地である小屋の前に座っている人影を見つけると大きな声で叫んだ。
「ジュリアン! 私、婚約が白紙になったの! ということで妻にしてちょうだい!」
「はあ? って、ブランシュ様、その頭!?」
小屋の前に座って剣の手入れをしていた黒髪の青年――ジュリアンは慌てたように立ち上がった。
その拍子に持っていた剣が地面に落ち、大きな音が鳴る。それを合図にしたように、小屋の中からわらわらと鎧を着こんだ男たちが飛び出してきた。
「どうした団長! うわ……!?」
「何事――あー!?」
「ジュリアン様? 何か――ぐはっ!」
男たちは呆然と立つジュリアンの視線の先にいる私を見ると、一様に奇声を発して固まった。
「何よ、あんたたち私を見るなり失礼じゃないの!?」
「い、いや、失礼もなにも……ブランシュ様、その御髪は、一体……」
いち早く立ち直った、いや、騎士団長という立場上うろたえたままでいるわけにはいかなかったジュリアンが口を開く。そのついでにおずおずと指さしたのは私の胸元に垂れ下がる髪だ。私達を取り巻く騎士団が、はわわとでも言いたげな表情を浮かべた。
ふんっと私は鼻を鳴らし、肩にかかった髪を払いのける。
金の糸のような細い髪が宙を舞うと、うわああと男たちの野太い悲鳴が上がった。
ある者は両手で顔を覆い、またある者は地面に額をこすりつけ、まるで見てはならないものを目の前にしたかのような、一種の恐慌状態だ。
「さっぱりしていいでしょ?」
「……えっと、お、俺は知ってましたけどでも外でその髪型になることは、その、侯爵家にも、貴女のお立場的にもマズいのでは……」
「マズくないわよ。あの縦ロールが私と侍女の涙ぐましい努力で作り上げた偽物だってバラしてやったの。軽くなってさっぱりしたわ」
きっぱり言い切ってやると、それまで呆気にとられたように色を失くしていたジュリアンの顔色が一気に青ざめた。そしてすごい形相で椅子に掛けてあったマントをひっつかみ、私の頭にすっぽりと覆いかぶせる。
「い、いやいやいや! バラしてどうするんです! 高貴な生まれである証じゃないですか! あれがなかったら貴女は王太子妃になれな――」
「だからバラしたの!」
「えっ!?」
私は両手で拳を作り、どんっと自分の胸を叩く。背の高いジュリアンを見るため顔を上げると、頭に被せられたマントがはらりと地面落ちた。
「王太子妃になんてなりたくなかったからバラしたの!」
若干胸を反らして宣言すると、ジュリアンの顔に疑問の色が浮かんだ。もちろん周りの男たちもだ。困惑したように私の顔と、髪とに視線を動かしているのが分かる。
ああもうとジュリアンは大きな手をぼさぼさの黒髪に突っ込み頭を掻き始めた。
「なんでですか!? ラフィリエット侯爵家の悲願だって、侯爵閣下もおっしゃっていたじゃないですか。だからこそブランシュ様には専属の髪結い師をお付けになって、侍女たちにも巻き髪を作る技術を叩き込んでいたんでしょう! 指から血を流しながら習得していた侍女もいた。それを無下にするようなことを、どうして」
「いやよ、自分を偽り続けた挙句に好きでもない男に嫁ぐなんて。どうせ王太子は神殿のエメリーヌにご執心なんだから」
「でもエメリーヌ殿は緩い巻き髪でしかない。身分が低い出だからこそ王太子妃にはなれないはずじゃないですか」
「とはいってもあの二人の気持ちを変えることはできないでしょう? ジュリアンは私に両想いの間柄を引き裂く悪役になれっていうの?」
悪役という言葉にジュリアンが怯む。我がラフィリエット家の分家の出であり、王立騎士団の団長という立場の彼にとって、当主筋の姫君である私にそんな役割を演じろなんて口が裂けても言えないだろう。
「い、いや、そうではなく」
「ならいいじゃない」
案の定、ジュリアンは言葉に詰まる。こうなると分かってそれを口にした私は既に相当な悪だ。
生真面目な騎士団長は髪を下ろした私を直視することができないようで、視線を宙に彷徨わせながら次の言葉を探している。
私は周りで固唾を飲んで見守っている騎士団の男たちにも分かるように、ねえと声をかけた。
「貴方達だったらどう思う? 好きな女の人に恋人がいたら身を引かない? その女の人が心底恋人を愛してたら、奪い取って自分のものにするなんてひどいこと、できる?」
「ま、まあ、そうっすね……」
「そこまでは……まあ、できないっていうか」
外堀を埋める作戦は大成功。
顔を見渡して頷き合う男たちの同意を得て、私はジュリアンに向き直った。
「王太子には好きあっている相手がいる。私は王太子妃になりたくない。であれば、婚約しないのが正解でしょう? でも陛下とお父様の間のお約束だから子どもである私達がいくら言っても簡単には撤回されないわ。だから合法的に婚約を白紙にできそうな方法を取ったのよ」
それがいかに危うく、自身の身を貶めることであるかは分かっていた。けれど、どうしても婚約はしたくなかった。
ジュリアンは肩を落として大きなため息を吐いた。地面に落ちたマントをゆっくりと拾い上げと、もう隠す意味もないというのに私の頭にそれをかけた。
この男のこんな甘い優しさを手放したくない一心でやったことがちょっと報われた気がして、胸がほんのり温かくなる。マントに染みついた彼のにおいを思い切り吸い込むと思わず頬が弛んだ。
あ、ここほつれてる。後で直してあげなくちゃ。
なんてウキウキしながらマントのふちを指でなぞっていると、ジュリアンがまた大きなため息を吐いた。見上げたその顔は呆れ果てているかのように、眉根に深いしわが寄っている。
あまり好意的な表情ではない。
どうしたのと聞く前に、ジュリアンが口を開いた。
「しかし王太子とのご婚約をお断りになるのであれば、髪のことをバラすのではなくもっと別の手段があったでしょう。貴女であればもう少しマシな言い訳を考えることができたはずだ。高貴なお生まれである証をお捨てになってしまったら、ブランシュ様の今後のお輿入れに差し支えがありますでしょうに」
はあ?
今後のお輿入れ?
貴方、私がさっきここに来て何を言ったか忘れたというの?
まるで幼子を諭すような口ぶりに私の中でぷつりと理性の紐が切れる音がした。
「王太子妃になった貴女をお守りするために騎士になった俺の気持ちも――」