3-13 彼女と世界を看取れたなら
「必ず戻るから待ってて」
そうメッセージを残して彼女はこの世界から消えた。
VRのオンラインゲームで、俺はアリーシャというキャラとペアを組んでいた。
彼女と共に世界中を飛び回るのは楽しく、充実した毎日だった。
だが、ある日突然、彼女は一通のメッセージだけを残して理由も告げずにゲームに来なくなってしまった。
彼女の居ない、色を失ってしまった世界を、俺は惰性で彷徨い続ける。
そうして二年の時が過ぎ、彼女が戻らぬまま、運営から三ヶ月後のサービス終了が告知された。
もはや再会はできないのかと落胆する俺の前に現れた、謎のキャラクター。
クエスト管理NPCと名乗るそのキャラクターは、成功報酬はアリーシャの帰還だと告げる。
半信半疑ながら、俺はそのクエストに挑む決意を固めた。
巨大なトカゲに似た怪物の咆哮が、大気を揺らす。
こいつがこのエリアのボスモンスターか。
俺は内心舌なめずりをする。
ここはVRゲームの世界で、対峙している相手も、ただのコンピュータグラフィックだ。
だが、自分がその仮想空間に立っているというだけで、その威圧感は映画なんかとは桁違いだ。
猛烈な勢いで突進してくる相手を、手にした剣でいなす。
まともに食らったら、ひとたまりも無さそうだ。
「スターク! ボスの注意を引いて!」
ペアを組んで一緒に戦っている女剣士、アリーシャが声を上げる。
「了解だ!」
俺は短く返事を返すと、付かず離れず、小刻みに攻撃を加えながらボスの目線を引く。
そこへ、奴の後ろから風を巻くような速さで、アリーシャが襲い掛かった。
彼女の剣が、奴の背中に深々と突き刺さる。
ボスが叫び声を上げて後ろを振り向くが、彼女の姿はそこにはない。
今だ!
俺の狙い済ました一撃は、ボスの弱点を貫き、その巨体は地響きを立てて地に伏した。
「お疲れさま、思ったより苦戦しなかったね」
「ああ、良いコンビネーションだったと思う」
ボスを無事に討伐し街に戻った俺たちは、祝杯を挙げていた。
「それにしてもスターク、あんた強くなったよね」
「そりゃ毎日毎日、半年もやってるからな」
「あたしの指導の賜物もあるしね」
「言ってろ」
今日の収穫は上々で、二人ともすこぶる機嫌が良い。
「ま、これからもよろしく頼んだよ、相棒」
「こっちこそだ」
俺とアリーシャは、ジョッキを掲げて乾杯する。
ずっとこんな時が続けば良い。
俺はそう思っていた。
そんなある日のことだった。
いつものようにゲームに入ったが、アリーシャの姿はなかった。
おかしいな、普段ならこの時間には居るはずなんだが。
フレンド登録している彼女のステータスはオフライン。つまりこの世界に入ってきていない。
代わりに、彼女からのメッセージが新着で残されていた。
『ごめん、当分の間ログインできなくなりそう。必ず戻るから待ってて』
彼女らしい端的な一文だった。
当分……どのくらいだろう? 一週間くらいだろうか?
その時は軽く考えていたが、一月経ち、二月経ち、全く音沙汰がない彼女を待ち続けるうちに不安が募ってくる。
しかしゲームだけの付き合いである彼女とは連絡の取りようもない。
世界が丸ごと色を失ってしまったようだった。
喪失感の大きさに、自分でも驚いた。
今更ながらに、彼女の存在の大きさを思い知らされる。
「必ず戻ってくるんだろ、信じたからな」
呟いた言葉を彼女に届ける術を俺は持っていなかった。
そうして、二年の時が過ぎた。
アップデートにより刻々と姿を変えていく世界。
運営から与えられる新しいコンテンツを黙々と消費しながら、俺はまだこの世界にしがみついていた。
我ながら、未練がましいと思うこともある。
アリーシャは、もうこのゲームに飽きたのかもしれない。
あのメッセージも、ただの社交辞令だったのかもしれない。
それでも俺は、彼女の残した『必ず戻る』という言葉を信じたかった。
だが、時の流れは非情だ。
折からのプレイヤー不足に苦戦を強いられていたこのゲームが三ヵ月後にサービス終了すると告知されたのだ。
彼女とのわずかに残された繋がりも、このままゲームが終了すれば完全におしまいだ。
待つしかないのなら、終了の瞬間まで待ち続けよう。
もしそれでも会えなければ、自分の中で何かのけじめがつくのではないか、最近ではそんなことを考えていた。
その日も、アリーシャがオンラインにならないか確認しながら、クエストカウンタの傍に座り込んでいた。
ここは大きな通りに面していて人探しがしやすいので、すっかり俺の指定席になってしまっている。
最近ではサービス終了の告知を見たプレイヤーが復帰しているのか、通りは多くのキャラクターが行き交っている。
いまさら人が増えるというのも皮肉なものだ。
「あ、スタークさん、ちわっす!」
不意にかけられた声に顔を上げると、そこには人懐こそうな男が一人。
以前、少し一緒に遊んだことのあるプレイヤーだ。名前は……なんて言ったかな?
良く言えば距離感がとても近い、悪く言えば馴れ馴れしい男だ。
俺個人としては、そんなに嫌いではないタイプだ。
「いま暇っすか?」
「暇に見えるのか?」
「いや、そりゃまあ、ただ黙って座ってるように見えますし」
返答に思わず不機嫌な色が混じるが、この男は意にも介さない。
良く考えてみたら、事情を知らなければ、そう見えても仕方ないかもしれないな。
「時間があるなら手伝ってくださいよ。スタークさんが居るとレアアイテムの効率良いんですよね」
そういえば、終了キャンペーンでレアアイテムのドロップ率が上がってるんだったな。
すぐに電子の藻屑になるアイテムなんて欲しいものかと醒めた目で見ていたが、もしアリーシャと一緒だったら俺もあちこち飛び回ってたかもしれない。
「どうっすか?」
「そうだな、一時間だけなら」
「そうこなくっちゃ!」
準備をしようと立ち上がりかけた俺は、視界の端にちらりと映った人物を見て思わず固まった。
まさか!
慌てて見直しても、その姿はもう雑踏に隠れてしまっている。
「悪りぃ、付き合うのはこの次だ!」
「え? ちょ、スタークさん! どうしたんすか!」
驚いた声を上げる男を置き去りにして、俺は走り出した。
見間違いか……いや、そんなはずはない。
通りを行き交う人の間を縫いながら、登録されたフレンドの一覧を確認する。
やはりアリーシャのステータスがオンラインになっている。
通りの向こう側に抜けると、見慣れた彼女の姿が建物の一つに入っていくのが見えた。
こっちにはまだ気づいていないようだ、俺は急いで後を追う。
帰ってきた! やっと!
俺の胸は喜びと期待でいっぱいになった。
建物の中に入ってみると、そこはガランとして何もない、まるで空き倉庫のようだった。
彼女は、その部屋の中央で、窓から差し込む日の光に照らされて立っていた。
「……アリーシャ」
その姿を目の当たりにしても、まだ半信半疑だった。
俺は二年間の空白を埋めるように、遠慮がちに名前を呼ぶ。
彼女は何と答えてくれるだろう。
ただいま? 久しぶり? それとも、待たせてごめんね?
「プレイヤーID照合、スターク様と確認しました」
だが、彼女の言葉はどれでもなかった。
強烈な違和感が俺を襲う。
VRの世界に空気というのも変な表現だが、彼女を取り巻く雰囲気が明らかに違った。
彼女の姿を見間違えるはずはない。なら、こいつは一体何者だ?
「アリーシャなんだろ? ふざけるのはよしてくれよ」
声が震える。
心の中に、期待を裏切られた絶望感がゆっくりと侵食してくる。
「私はアリーシャ様が所持していた支援用AIです。今はクエスト管理用NPCとして起動しています」
直立したまま、目の前の彼女がそう答えた。
動作の一つ一つがまるでコンピュータ制御された機械のような動きだった。
そういえば、このゲームにはプレイヤーが不在の間にレベル上げや簡単なアイテム収集をさせるAIがあると聞いたことがある。
俺は、そういうのも含めてゲームを自分の手で楽しみたいので、使ったことはない。
知り合いには使っている奴も居たが、クエストを作って、ましてや他のプレイヤーにやらせる機能があるなんて聞いた事がないぞ。
「それじゃあ、お前はアリーシャではないのか?」
「私の身体はアリーシャ様のものですが、中身は違います」
「目的はなんだ?」
「アリーシャ様が作ったクエストを、スターク様に案内することです」
なるほど、自分でクエスト管理NPCと名乗るくらいなのだから、当然だな。
「アリーシャはどうした? 彼女はなぜここに戻ってこないんだ?」
「それは、これからご案内していくクエストに関係があります」
「よくわからない、順を追って全て話せ」
「アリーシャ様は現在、このゲームに入ってこられません。その原因はアリーシャ様を取り巻く状況にあります。そこで、アリーシャ様は私をクエスト用NPC
として作り変え、スターク様に助力を求めるためにゲーム内に潜り込ませました」
とても信じられない話だが、彼女が俺に嘘をつく理由も思いつかない。
もしこのクエスト管理NPCとやらが本物で、これをアリーシャが仕込んだのだとすれば、彼女はただの一般プレイヤーではない可能性が高い。
一体何者なのだろうか。
「つまり、そのクエストとやらを進めれば、アリーシャの助けになり、クリアすれば彼女は戻ってこられると、そういうことだな?」
「その通りです。話が早くて助かります」
なら、俺のやることは一つだ。
どんな無茶な難題が来たって構うもんか。
「彼女の頼みなら断る理由はない。引き受けよう」
「期間は、このゲームが終了するまでの三ヶ月間。スターク様にはいつでもクエストを放棄する権利があります」
「わかった」
「それではクエストを開始します。最終目標は、この世界にある隠しダンジョンを踏破することです。そして最初のミッションは……」
俺の背筋を緊張が走る。
定番としては、隠しダンジョンを開くための鍵を探すといったところか。
「現実世界で、とある新興宗教団体に潜入していただきます」
「……は?」
あまりの予想外の指示に、俺は思わず間の抜けた声を出した。