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占い師のカラクリ【セス】

 走って家に帰り、玄関の鍵を閉める。

 鼻の奥がツンとするけど、泣くものかと奥歯に力を入れて、ゆっくり呼吸を整えた。


 思いがけないタイミングで『狂人一家』という言葉を投げられ、自分がどういう存在か改めて認識して頭が冷える。


「そうだった。…そうだったね、私は…」


 は…と乾いた笑いが零れる。オスカー様が私なんかにも分け隔てなく紳士であるために、自分がまともな人間であると錯覚してしまっていた。

 ただの買い物に、浮かれたりして。


「そんな資格なんてないのに、ほんと…」


 それ以上何も言う気にならず、私は服のままベッドに転がる。

 病院にお金を持って行かなくちゃ。でも何もやる気が起きないや。そんな事を考えながら気を抜くと、すぐに鼻の奥が痛くなって、涙が溜まりそうになる。

 こっちは他人様の財布を盗んで生活するような人間だ。たとえどんな理由があっても、その事は肯定されるべきではない。


「…それでも、何か理由があるのだろう、と慮ってくださるんだろうな…あのお人好しな騎士サマは…」


 そして彼の真面目な性格故に、理由を知れば妙な罪悪感を持つのだろうか。


「さっさとこの街を去ろう。もう少しで目標の額になるもの…」


 流れる涙を乱暴に拭って私は目を閉じた。


--------


 郊外の静かな建物に、腫れた目のままやって来る。お酒を飲んだ訳でもないのに頭が痛い。知らない間に寝ながら泣いてしまっていたらしい。


「こんにちは。今週の分、持って来ました」


 受付に声をかけると、眼鏡をかけた中年の女性が笑顔を向ける。


「セスちゃん、欠かさずえらいわね。……はい、確かに頂戴しましたよ。もうお姉さんには会った?」

「いえ、今から様子を見に行きます。いつも姉をありがとうございます」

「いいのよ、セスちゃんも無理しないようにね」

「はい、ありがとうございます」


 礼を告げてから陽当たりの良い角部屋の扉を叩く。返事はいつも無いから、一呼吸おいてからその扉を開ける。


「姉さん、来たよ。調子はどう?」


 姉はベッドに座ってぼんやりと窓の外を見ていた。私と同じ黒髪が、不格好に色々な方向へとハネている。

 私はサイドテーブルの引き出しからブラシを出して彼女の髪を梳く。私が声をかけても触れても、彼女は反応を示さない。


 左足は歩くのに支障がある程の後遺症が残り、左耳の聴力、左目の視力を殆ど無くしてしまった。なにより、感情があの夜に消えてしまったかのようで、まるで生きた人形を相手にしているみたいだ。


 私は彼女の髪を梳かしながら話し掛ける。


「もうすぐ目標していた額のお金が貯まるの。……割の良い仕事が見つかったから、予定していたよりずっと早く。凄いでしょ?母さんの故郷は空気の綺麗な所だから、姉さんの体もきっと良くなるよ。だからあと少し…待っててね」


 私がどんなに話し掛けても彼女の瞳は感情を示さない。いつも通りの姉の姿に、今日は無性に哀しい気持ちが溢れそうになる。


「早く…行き…たい…ね」


 言いながらパタパタとシーツに涙が落ちる。ズズッと鼻をすすりながら私はブラシを動かした。

 場所を変えても姉の傷が癒えるとは限らない。それに私の罪が無くなるわけでなく、そもそも普通に生活していけるかどうかも怪しいのだ。新天地でスリや盗人稼業をするつもりはないけれど、生きるために必要だったらするかもしれない。


「それでも…」


 それでもこの街にはもう居たくない。普通に生きたい。私の願いはそれだけだ。


 あの夜から、私は自分の声を売って生きてきた。

 『まじない』を『占い』と称して授け、金銭を受け取る。とはいっても、私には殆ど入らなかったけれど。

 体型の気になるご婦人には食欲減退、体調不良の人には虚弱改善を思い込ませるという風に、私たちが知っている『まじない』には色々と応用出来るものがあった。


 以前は姉がそれをしていたらしいが、不正が行われそうになったり、人を騙して金品を奪おうとする強欲な人間には『おまじない』を頑なに吐き出さなかったと養父はボヤいていた。そのため、占いが当たる時と当たらない時の差が大きく、集客をしていた養父は詐欺師だ何だと言われる事も多かった。

 


 私たちの『まじない』は決して万能な魔法ではない。



 私たちの声は、聞いた人にある種の催眠をかける。

『まじない』そのものの正体は"いたいのいたいの飛んでいけ"と同じような事だ。だから自分にかける事は出来ないし、耳が遠い人にも効き難い。


 骨折している人を一時的に動けるよう暗示をかけることは出来るけれど、その効力が切れてしまえば無理をした痛みが一斉に襲いかかる。『まじない』で痛みそのもは癒せないし、痛みは本来防衛本能だから、それに気付かぬよう蓋をして無理をすれば、その皺寄せはとても酷いものになるのだ。

 だから、母からも姉からも、治療するまでの痛みを飛ばす一時凌ぎだけに使う事、それ以外に使ってはいけないと強く言われていた。


 姉も私も、母の声質を継いだのか、小さな声でもよく効く『まじない』を紡ぐ事が出来た。

 

 あの日から、私は養父に言われるまま小屋から言葉を紡ぎ続けた。それが善か悪かも分からずに。それが"悪"になる時もあると知った時、私はもう戻れない場所にいた。


 誤算だったのは、『神秘の占い師』がよく当たると評判を呼び過ぎて、常設で店を開く事が出来なくなってしまった事だ。不治の病でも治療や延命が出来るとなれば、怪しげな薬物などを流通させていないか、王室から調査が入ってしまう。

 

 養父は小狡い人だったので、不定期に開催される夜市で稼ぐだけ稼ぎ、私には殆ど稼ぎを渡さなかった。

 姉の入院費も払わねばならず、バレる事を恐れて外で声を発する事が出来ない私は、コソ泥まがいの生活で日銭を稼ぎ、そのお詫びに小さな『まじない』を紡いだ。決してそれが贖罪になるとは思わなかったけれど、何か渡さないと気が済まなかった。


 自分の声は、私にとって呪いのようなもの。それなにの、ふとした瞬間に声を解放したくなる衝動にかられる。小さい時に、姉と一緒にたくさん歌っていた優しい子守唄を。それももう遠くの記憶だ。

 自分が迂闊に言葉を放った結果が"今"なのだと、私は遠くをぼんやり見ている姉を見つめて口を(つぐ)む。


「姉さん、母さんの故郷に行けば、この声の上手な使い方が分かるのかな?きっと分かるよね。ね、…分かると、いいね…」


 今日は感情を整えるのが難しい。小さな声で私は子守唄を歌う。誰に聞かれるかも分からないのに、どうにも声を出したくなって駄目だった。少しだけ…そう思って自分が大好きだった子守唄を口ずさむ。


「……あ、………う」


 ブラシを動かす手を止めて、姉の前に回り込む。


「え…?」


「…か…わ、いい…子の…」


 僅かに動いた唇から、子守唄の言葉が溢れる。


「……お姉ちゃん?」


 瞳は変わらず何処に向けているか分からないけれど、確かに歌っている。止まった涙がまたパタパタと落ちる。


【かわいい この まあるい おめめ しずかに ねむれ おてんとさまが まもっているよ まもっているよ こわい もの こわい ゆめ ぜんぶ かなたへ おほしさまの した おつきさまの した】


 思わず私も一緒に歌う。怖い夢をみないように眠りが深くなる『おまじない』の歌だ。小さい頃、何度も何度も歌ってもらった優しい歌。溢れた涙がシーツに大きなシミを作る。


「お姉ちゃ……お姉ちゃん!!」


 姉は歌い終わったあともボンヤリ視線を漂わせている。それでも姉の歌声を聞くのは本当に久しぶりで、一瞬の覚醒だったとしても、私の涙腺を決壊させるには充分な『まじない』だった。




「貴女を、探しておりました」




 後ろで急に声がして驚き振り返る。

 私に平和な日常を教えた声の主が髪を乱して立っていた。


「…オスカー様……どうして、ここへ?」


 彼と姉が同じ空間に居る事が、まるで現実離れしていて、私は理解が追いつかない。


 オスカー様はゆっくりと近付き、姉の手を取る。


「お会いしたかったです、運命の人」


 美しい所作で手を取る騎士はまるでおとぎ話の王子様のようで、私はそれを見つめる事しか出来なかった。

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