先送りするのは悪い癖【セス】
適当にお断りしようかと思っていたのに、防音室という言葉を聞いてどうしてもその魅力に抗えず『下戸をどうにか酒豪にするぞ大作戦』を請け負ってしまった。安請け合いも甚だしい。
「でもなー…声が思いっきり出せるのは魅力的過ぎるよね」
私はポツリと呟くのだった。
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「お城?」
目の前にそびえる邸宅を見た最初の感想である。地図を頼らずとも街の人がヴィエンタイナー邸を教えてくれるので迷う事はなかった。さすが領主邸。
貴族様やその界隈では当たり前なのかもしれないが、一般人には馴染みのない規模の屋敷。
門から玄関までは、散策出来るくらいの距離があって、季節の花が丁寧に手入れされている。
「セス!良かった、本当に来てくれたんだね、ありがとう。ようこそヴィエンタイナー家へ」
物腰の柔らかい男前がサラサラと薄茶色の髪をなびかせて登場する。手入れの行き届いた庭園がピッタリの美男子はホッとした様子で私を待っていた。あのシクシクメソメソの赤ん坊(仮)オスカー様なぞ想像も出来ない、輝いた笑顔だ。
「…通常のオスカー様は本当に見目麗しくて、私なんかが見るには勿体無い気がします」
「あはは、セスがこれから相手をするのは手を焼く方の私だよ。今日はよろしく頼むね」
屋敷の中もセンスの良い調度品が飾られており、環境が人を作るとは良く言ったものだと感心する。
オスカー様は家人に私を紹介した後、簡単に屋敷の中を案内し、最後に訓練を行う部屋へと通してくれた。
「……わぁ…!!!!」
思わず感嘆の声が出る。
案内された部屋は吸音材がしっかりと敷き詰められた、とても防音機能の高い部屋だった。扉も二重になっており、話し声も壁に吸い込まれる感じがする。
「こんなに…ちゃんとした部屋…すごいです!」
壁を触りながら正直な感想を私が言うと、優しい顔でオスカー様は微笑んだ。
「喜んでもらえて良かった。昔はよくここで楽器の練習をしたりしたんだ。どうにも私にはそちらの才はなく辞めてしまったけれどね」
肩をすくめて笑うオスカー様は、そのいたずらな表情も麗しく、本当にいいトコの御曹司という感じがして、所作1つ1つに嫌味がない。
「あの…オスカー様。私、今回の事、簡単にお受けしてしまったのですが、どこまでお役に立てるか分かりません。私自身もお酒にそこまで強い訳じゃないので…」
言いながら不安になってくる。酔っ払いのお世話は出来ても、そもそもの下戸を強くするなんて無謀なんじゃ…
彼はふわりと笑って私の手を取る。
「ありがとう。とりあえず今週は毎日飲んでみようと思うんだ。私の記憶が飛びそうになったら止めて欲しい。…とは言っても記憶が飛ぶタイミングを私はさっぱり分からないから、セスには晩酌に付き合わせるだけになってしまうけれどね」
そういって彼はテーブルに置かれた様々な種類のお酒と菓子を示す。酒豪であっても飲みきれない程のそれらに、オスカー様の熱い想いを感じる。
「あぁそうだ、もし私が先日のような失礼な事をしたら必ず教えて欲しい。きちんと給金に乗せておくから」
「あ、その事なのですが、もらい過ぎになってしまうので、少しその…契約金?を下げて欲しいのです」
オスカー様が提示した指導料は庶民には高すぎるものだった。そもそも私が目当てで来ているのはこの部屋だったりするし、何だったら碧色の石が付いた釦は私が持ったままだったりする事も彼は知らない。
「いや、給金は最初に示した額にして欲しい。最初は必ず君に迷惑をかけてしまうのだから」
「大丈夫ですよ、迷惑なんて思いませんから。それと、色んな種類のお酒を混ぜながら飲むのは悪酔いの元です。最初は1種類ずつ、慣れていきましょうね」
「……セス、君はなんていい人なんだ!君とも早く楽しいお酒を酌み交わせたいものだ」
「そうですね。初日は少しだけにするので、きっと大丈夫ですよ」
兎にも角にも『下戸をどうにか酒豪にするぞ大作戦』は幕を開けたのである。
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「どうして、どうして会えないんだよぅ〜〜何で誰も聞こえないんだ…いや、でも私にだけ聞こえるというのも素敵な気もする…。でも早く会いたいよぅ〜〜〜」
部屋のローソファに乱れた様子の男前(酔っ払い)が転がっている。男前は自分の膝を抱えメソメソしながら、こちらをジッと見つめる。
「君は知ってるかぁ?あの人は美しい声で、まるで聖母のように子守唄を歌うんだぞぉ〜………なのに…どうして会えないだよぅ〜…」
「嘘でしょ?弱過ぎません?」
「齢は、ニジュウゴ、でぇ…す」
「うわ、オスカー様、けっこう若い…」
「へへへへ」
最終的にはチリコ酒をクイッと飲まねばならないため、初日はそれを果汁で薄く割ったものから挑戦してみた。
彼は1杯目を飲み、えらく静かになったと思ったら、ニコニコしながら2杯3杯目と私からグラスを奪い取るようにして飲み干し、この状態になってしまったのである。
「これは逆に下戸の能力としては高すぎませんかね?」
「えへへへへへ……会いたいなぁ…」
笑いながら泣いている器用なオスカー様は、こちらにむかって指を差す。
「セス、君も飲むんだ。それとも私のお酒は飲めないか?どぉして?私が嫌いかい?……そんな嫌われてしまうなんて、君はすてきなむにむにを持っているのに」
「弱いのに中年の面倒なオヤジみたいな絡み方しないでください。なるほど、これは本当に前途多難ですね」
酔っ払いは丸くなってまだ何かグズグズと言っている。しょうがないので横に座って体をポンポンと叩いてあやす。すると彼はむにゃむにゃと喋りながら寝ついてしまった。
前と違ってそこまでお酒が入っている訳ではないから、嘔吐などはない…と思いたい。
「そんなにしてまで会いたいですかね、その占い師に」
私は酔っ払いの髪を撫で、小さな声で『まじない』の言葉を紡ぐ。
鼻をすすっていた彼の頬に色が差し、スゥスゥと呼吸が整っていく。深い眠りに入ったようだ。
「わたしに会っても、ガッカリするだけですよ、オスカー様」
泣き虫酔っ払い美丈夫は、その声を聞いて眠りながらへへへと笑うのだった。