2話
俺と奥野が交際し始めて数日が経過したある日にそれは起きた。
下駄箱で上履きを取り、教室へ向かおうとしていた時だ。階段を降りてきた一人の男子生徒がこちらを睨みながら歩いてくる。なにかの間違いであって欲しいと願いながら目を合わさず、通り過ぎてくれと神様にお願いするが、今日は神様は留守のようだ。
「おいテメェ、奥野さんから離れろよ」
案の定、声をかけられる。俺はため息をつきたくなったが必死に我慢して男子生徒を見上げる。
そう、見上げたのだ。身長は190ぐらいはあるんだろうか。物凄く背が高く、圧が強い。そして、目つきが怖い。
上履きの色からして1年生なんだが、どう見ても俺が後輩である。そんなおっかない後輩君に俺は足を若干震わしながら対応する。
「誰だ?」
「聞いたぞ。無理やりに付き合わせてるんだろ? テメェ見たいな平凡以下の奴と奥野さんが付き合えるわけがねぇんだよ!」
あれ、日本語が通じないのかな? 俺、今さ誰かを聞いたよね。でも、返ってきたのは俺のことを全否定するような言葉なんだけど。
「えっとさ、取り敢えず落ち着こうか。皆に見られてるしさ」
「うるせぇな! お前がさっさと奥野さんと別れれば済む話だろうがよ」
それができたら苦労してねぇーんだよ! という言葉をグッと飲み込む。
はぁ、この類の輩に絡まれるとは今日はついてない。いや、今までは様子見でもしていたのだろう。噂が飛び交う中でもこのように突っ掛かれることはなかった。
「お前みたいなクズ野郎が、奥野さんと付き合うなんて烏滸がましいんだよ。お前が付き合ってなければ俺が奥野さんと」
「いや、多分それは無理。…あ、」
「あ”ぁ? 今なんつったテメー?」
俺の胸ぐらを掴む後輩君は顔が真っ赤になっている。どうやら、彼は奥野さんと付き合いたいみたいだ。
それを俺が否定してしまったので癇に障ったのだろう。
後輩君は今にも俺のことを殴りそうな勢いだが、それは一人の声で消え失せる。
「何をしているのですか?」
俺の後ろから真面目そうな声で問いただす。俺は後ろを振り向かずに手を振る。
「おはよう、奥野」
「はい、おはようございます。朝から何をしているんですか? 浮気ですか?」
「あぁ~、んーー、そうそう浮気浮気。物凄くこの後輩君に迫られちゃってさ~」
「は? テメっ、何勝手なこと言って……っ!?」
俺がそう言うと俺の後ろの温度が少しだけ下がった気がする。焦った顔をする後輩君はパッと俺の胸ぐらから手を離した。スタスタと俺と後輩君の間に入る。
「へぇ……私から奪う気ですか?」
「え? いや、俺は別に男になんか興味なんかなくてですね? ただ、奥野さんがこんなゴミ野郎と付き合ってるなんて言うから俺が助けようとしたんです」
後輩君は他にも俺のことを凡人以下だとか、根腐れ陰キャだとか、月とスッポンだとか様々な表現で俺を貶めつつ、自分を持ち上げることを話す。正直、聞いてて苛つかないのかと言われればそんなことはないが、まぁ概ね正しいので何も言えない。
これでもテストの成績とかは平均以上なんだけどなぁ。そこだけは凡人以上かもしれない。
「なんですか、そうだったんですね。それを早く言ってください」
「はい、そうなんですよ。なので、さっさとコイツと別れて俺とよかったら」
後輩君の手が外れたので俺は乱れた制服を直してカバンを肩にかける。不意に隣から花の香りがしたと思えば左腕には柔らかいものが当たっていた。
「なッ!?」
「……おい」
「私は累くんの彼女なんですよ? 公衆の面前でこうしてイチャイチャするのは普通のことです。それとも累君はもっと過激なスキンシップじゃないと満足しませんか?」
ニヤニヤしながら奥野さんは言う。そして、しょうがないですね…と言いながらギュッと俺の腕に自身の腕を絡ませる。奥野さんから視線を目の前の男に移すと、物凄い形相で俺の事を睨んでいた。
「いや、早く離れてくれ」
「嫌ですが?」
奥野さんは俺から離れようとせず、寧ろ密着度を上げる。そして、チラッと男の目を見るが、あれは今にも殺してやると訴えている目であった。
怖いよ、視線で人を殺せるんじゃない? 頼むから呪とかはやめてね?
「あの、だからさ」
「私は気にしませんよ?」
いや気にして? 主に俺の明日の人生について気にしてほしい。死んでるかもよ?
俺は最終手段に出ることにした。
「お昼……一緒に食べるから」
「仕方がないので離れてあげます。えっと、杉田君ですよね? 累君に迷惑をかける事は止めてくださいね?」
もしかしたら、今俺は平穏な昼休みを犠牲にして明日の命を勝ち取ったのかもしれない。
それにしても物凄い手のひら返しだったな。お手本とも呼べるほどだ。
俺が杉田と呼ばれた男子生徒の横を通り過ぎようとした時だ、小さな声でそれは確かに聞こえた。
「認めねぇ。俺はお前を絶対に認めねぇ」
「……」
俺は何も言わず、そのまま横を通り抜ける。
認めるも認めないも勝手にしてくれというのが俺の意見なのだが。それは言わないでおこう。火に油を注ぐ事になりそうだ。
廊下を奥野さんと肩を並べて歩くのも慣れたものだ。最初は全くなれず、他人の視線が気になってしょうがなかったが、今ではもうどうでも良くなった。
視線の殆どは俺ではなく、俺の隣にいる奥野さんに注がれているし、俺への視線は大概が妬みの視線だ。本当にいつでも代わってやるからな?
「奥野さんの知り合いなのか?」
「え、どうしてですか?」
「いや、あいつの名前を知ってたし」
「あぁ、有名なんです。彼はバスケ部の1年生エースですからね。女の子からの人気も非常に高いです」
確かに身長は高かったな。1年であれだけデカくて運動できればそりゃモテるか。
「なるほどな。それで名前を知っていたのか」
「そうです。あ、もしかして嫉妬してくれたのですか?」
「どうしてそうなるんだよ」
奥野さんはわざとらしく手を口に当てて俺に聞く。こういう想像力が豊かな所は本当に感心する。俺はため息をついて、可能な限りで冷たい視線を奥野さんに向ける。するとなぜか奥野さんは顔を赤らめ、両手で顔を隠す仕草をしだした。
「えぇ……」
俺は本当に奥野さんがわからない。
「照れる要素はどこ?」
「冷たい視線というのも……意外と良いですね、ゾクゾクします。それに、好きな人に見つめられるのはかなり良いものですね」
「えぇ……」
本日二度目のドン引きである。この状況を見れば奥野さんが俺に惚れているようにしか見えないだろう。だが、それは間違いだ。そもそも嘘告という悪戯など純粋な好意を寄せている相手にするだろうか? 二次元に存在するツンデレキャラでもそんな事はしないだろう。 というかそんなキャラクターは尖りすぎだろ。
「あ、そう言えば昨日の夜に累君がやっていたゲームなのですが、私も買いましたので今日の放課後にやりませんか?」
「どうやって知った? 俺、言ってないはずなんだけど」
「さぁ? 女性の勘です」
笑顔でそんなことを言う奥野を俺は信じられない顔で見る。一度部屋を隈なく調べてみる必要がありそうだな。奥野さんなら壁とかにカメラを仕込んでてもおかしくない。
「まぁ確かにあれはマルチで遊んでも楽しいゲームだしな。一緒にやるか」
「はい。私の初めてが累君で良かったです」
「おいッ!?」
俺は急いで奥野の口を手で塞ぐが時すでに遅し。聞こえていたのだろう。周りの生徒からは悲鳴のような声と俺には侮蔑の視線が集まる。奥野を見るとニコニコしているため、意図的に声を大きくして言ったようだ。
こういう所が読めないのだ。俺には奥野さんが何を考えているのかさっぱりわからない。俺は奥野さんと分かれ、神経を半分以上すり減らしながら教室に入る。席に座ると良く知った顔が俺に話しかけてきた。
「よっ! 今日もお熱いね?」
「裕二、代わってくれても良いんだぞ」
「絶対に嫌だね。俺には画面の向こうで待っている女の子がいるんだからな!」
「また別のギャルゲーを初めたのかよ」
「おう!これがまたクソゲーでな? ぶっちゃけるとかなり楽しいぞ」
河合 裕二は俺の幼馴染の一人である。
ゲーマーであるが裕二が主にやるのは、二次元の女の子を攻略するゲームだ。他のゲームはボチボチと言ったところだろう。俺はアクションゲームをプレイするため、互いによくゲームを勧め合う仲だったりする。
「そんで? 朝からそんだけ疲れてるって事はなんかあったのか?」
「1年生の後輩に絡まれた。しかもかなり怖かった。泣くかと思った、俺明日死んでるかも。あとお昼休みを犠牲にさせられた。マジで許さん」
「ぶっ! あっはっは!」
机に突っ伏しながらそう言うと裕二は腹を抱えて笑う。
「笑い事じゃねぇよ。今まではそんなこと無かったから油断してたけどさ……」
「ま、これからも増えるだろうな」
「だよなぁ~。本当に勘弁して欲しい。平穏な学校生活を送りたいだけなんだ。あとは家でゲームとアニメが見れれば何も言うことはない。あ~、俺の昼休みがぁ」
「高嶺の花の奥野 游華と付き合ってそれを望んだら、いくらお優しい仏様でも許さないだろうな」
「はぁ…もう帰りたい」
俺と裕二が話していると俺の頭に手が置かれる。こんな事をしてくるのは、一人しかいない。後ろを振り向くと気だるそうな顔をした女の子が俺を見ていた。
「ん? …心か」
「反応がいつもよりも鈍い。疲れてる? 寝不足?」
「いや、朝からちょっとな」
「ふーん。あ、噂になってた、奥野さんと松本のワンナイト」
そう言って、俺の顔の前で心は左手で丸を作り、右手で人差し指を立てる。
当然だが、女の子がしていいジェスチャーではない。
「そのジェスチャーは止めとけよ? ちなみにそれ嘘だぞ」
「知ってる。奥手の松本がそんなのする訳ない」
「………信用されているということにしておくよ」
俺の隣の席に座る不思議な女子生徒は白田 心。常に眠そうにしており、こいつが授業中に寝ていない所を俺は見たことがない。必ず一度は、船を漕いでいる。
こいつもかなりのゲーマーであり、様々なジャンルを遊ぶ雑食系のゲーマーだ。
「また、夜までゲームしてたのか?」
「うん、一狩り行ってた。気づいたら朝日が私を迎えに来てた」
「お、お前もやってるのか。俺も買ったぜ。いつかやろうな」
「今日」
「今日か? ……奥野さんとやる約束があるんだよな。一緒にやるか?」
「やる。ゲームは大勢でやっても楽しい。久しぶりに松本と遊べるから楽しみ」
椅子に座った心は足を少しバタバタさせる。表情ではいまいち嬉しそうには見えないが、声色は高くなっているので喜んでいるようだ。
「おいおい! 俺も入れてくれよ。仲間はずれとは連れねぇな? それともハーレムのほうがお好みかい?」
「そんな訳無いだろ。というか裕二、お前も持ってるのか?」
「おう、お前らが買うと思ったからな。丁度四人だしいいだろ?」
「奥野さんに確認を取ってもいいか?」
「いいぜ」
「構わない」
ピロンッ!
携帯の通知音が鳴る。携帯の画面を見るとメッセージアプリに游華からのメッセージが届いた通知だった。メッセージの内容は可愛らしい犬のスタンプで『OK』と書かれていた。
「……大丈夫らしいぞ」
「ん、何がだ?」
「いや、一緒に遊ぶことは問題ないそうだ」
携帯の画面を二人に見せる。二人は画面と俺を比べ、固まっていた。
怖いものを見るような目で俺を見る。わかるぞ、言いたいことは理解できる。
「「……」」
「頼むから何も言わないでくれ。それと二人は奥野とは面識はあるのか?」
「あるわけないだろ?ただのオタクが話せるわけないって」
「私もない。Tierが違いすぎる」
Tireって……まぁ、言わんとしてることは理解できる。二人は、奥野さんとの面識はないのか。
俺もあんな事件が起きるまでは、皆無だったので何も言えない。いや、あの事件後も別に関わりたかったわけじゃないんだけどさ。
「じゃあ、お昼にでも自己紹介しておいた方がいいな」
「いや、それは遠慮しとくぜ。ゲームを始める前でいいだろ」
「は? なんでだよ」
俺がそう聞くと割と真剣な顔をして、裕二は俺の肩を掴む。
「あのな……俺が奥野さんと面と向かって話せるわけないだろッ!」
そんな真剣な顔で残念な事を言わないで欲しかった。折角に整った顔が台無しである。
「昼飯は奥野さんと食べるんだろ? 常識的に考えて邪魔になるだろ。付き合いたてほやほやのカップルの輪に入るなんて…死地に向かうようなもんだぜ。万が一にも奥野さんの機嫌を損ねてみろ。…俺等のスクールライフは終わりだ。わかるな?」
「お、おう」
裕二のあまりの圧に頷く。
心にも聞いてみたが、お昼に奥野さんに合うつもりはないらしい。というのも「ゲームやりながらでも打ち解けれる。それで充分」というなんともゲーム好きらしい答えが帰ってきた。
ピロンッ!
携帯の通知音が鳴る。それはやはり、奥野からのメッセージだった。
先程の犬のスタンプではなく奥野と書かれた人形がOKの看板を掲げているスタンプだった。いや、バリエーションあるのかよ。
「「…」」
「鞄を買い替える必要がありそうだな」
ピロンッ!
『そ、そんな必要はありません!』
「…この事は、昼に話してもらうからな」
ピロンッ!
潤々とした目でこちらを見る犬のスタンプが送られてきていた。無言で携帯の電源を切って鞄に仕舞う。
「苦労してるんだな」
「奥野さん、意外と怖い?」
俺はそれに無言で頷くのだった。