花冠の約束 -第4王子は邪魔なのですっこんでいてくださいー
色とりどりの花で作った花冠が、まだ幼い私の頭の上に乗せられた。
レオンみたいにきれいな金髪だったら良かったのに、あいにく私の髪は父親譲りのブルネットだ。
それでもレオンが私のために作ってくれた花冠をかぶっていると、みんなが可愛いと褒めてくれたが、それは彼が私に似合う花を選んで作ってくれていたからだ。
「ありがとう、レオン」
そう言って抱きつくと軽々と抱き上げられて、花冠が頭から落ちないよう慌てて抑えた。
「あのね、レオンの作ってくれた花冠が一番きれいなのよ」
レオンに抱き上げられるのが大好きだった。私よりも七歳年上の彼と目線が同じ高さになるのが嬉しかった。
「だからね、また作ってね」
「はい、姫様」
私は伯爵家の四女という微妙な立場で生まれたが、我が家に奉公していたレオンはいつも私のことを姫様と呼んでいた。
「約束よ、ずっと作ってね。明日も、その次の日もずーっと、ずーっと」
「わかりました。姫様がお嫁に行くその日まで作りましょう」
そう約束したはずなのに、レオンはその三年後、突然私の目の前から姿を消してしまった。
気づくと窓の外は明るく、そろそろ誰かが起こしにやって来る頃だ。ぼんやりしながらもベッドの上で体を起こした。なんだかすごく懐かしい夢を見た気がする。
あの頃の私はいつもレオンにべったりで、どこへ行くにも一緒だった。夜も一緒に寝ると駄々をこねて、お母様に淑女の在り方についてこんこんとお説教をされたこともある。話の内容はまったく憶えてないけど、あれはとにかく長くて眠かった。
レオンは騎士になるための学校へ入りたくて、この家で行儀見習いを兼ねて働いていたらしい。だから十五歳になったレオンは自分の夢を叶えるために、この家を出ていった。
しかし何も知らなかった私は、レオンが突然いなくなったと大泣きをして、周りの者たちを大いに困らせた。
でもレオンも悪いと思うのよね。私になにも告げずに出て行ってしまったんだから。
まあ言ったら言ったで、行かないでと騒いで困らせただろうけど。
あれからレオンとは一度も会っていない。
無事に学校を卒業して騎士になったという話はお父様を通して聞いていたが、彼が私に会いに来ることはなく、私から会いに行くこともなかった。
だって会いに来ないってことはそれだけの存在だったってことじゃないの。きっと私から会いに行ったって困らせるだけだわ。
そう思っていたのに、どうしてこんなところで会ってしまったんだろう。
「お久しぶりです、姫様」
思い出よりも大人びた顔をしたレオンが、まるで昔と変わらぬ優しい笑みを浮かべて目の前に立っている。
ここは貴族の子弟が通う学園で、騎士としての勤めに励んでいるはずのレオンが来るような場所じゃないのに。
「リリア・マリノフ様ですよね。もしかして憶えていらっしゃいませんか。昔、お屋敷でお世話になっていたレオンハートです」
少し困ったように首をかしげる仕草も、昔とちっとも変わっていない。
「もちろん憶えているわ。どうしてあなたがここにいるのかしら?」
なるべく平静を装って答えた。声は震えていないわよね、大丈夫。
「僭越ながら騎士クラスへの指導役に選ばれたので、しばらくこちらの学園へ通うことになりまして」
「指導?」
それって、とってもすごいことなんじゃないかしら。だってこの学園に通っているのは貴族の子弟ばかりなんだから、一介の騎士に任せられるような仕事じゃないはずよ。
「最後にお会いしてから十年になりますでしょうか。ご立派になられましたね」
「そんなの、誰だって十年もあれば成長するに決まってるでしょう」
「騎士クラスでも噂になっておりますよ。マリノフ伯爵家のご令嬢は皆様とてもお美しく聡明だと」
「外見はともかく、交流もない方々に聡明だと言われたって信じられないわ。まあお姉様たちはきれいだし成績も優秀だったけど」
「姫様もご優秀だと伺いましたよ。それに加えてそのお美しさですからね、騎士クラスの面々が騒ぐのも無理はないかと」
予想だにしない褒め言葉に、装った平常心が一気に剥がれた。くっ、耳が熱い。まずい、扇子はどこだ。
鞄の中に忍ばせていた扇子をわたわたと取り出し、顔の半分を覆った。
「あなたも変わらないようでなによりだわ。薄情にもあなたが私に一言も告げずに去ってからもう十年が経つのね」
「申し訳ございません。何度もお伝えしようとはしたのですが、姫様に泣かれてしまうと決心が鈍りそうだったもので」
「まあ、すごい自信ね」
ツンとすまして言ってやると、レオンはしょんぼりとうつむいてしまった。
散々世話になっておきながら、可愛げがなさすぎたかしら。
「あながち間違いではないと思うけど」
仕方なくぼそぼそと付け加えると、レオンは嬉しそうに笑ってくれた。
うっ、この笑顔に私は昔から弱いのよね。ずるいわ、レオン。
「と、ところで学園内で姫様と呼ぶのはやめてちょうだい。ここはうちの領地ではないのだから」
姫様という呼称は普通ならば王家を連想するかもしれないが、領地の住民にしてみれば、その地を治めている貴族こそが最高位の存在なので、この学園に通う婦女子のおおよそが自分の領地では姫様と呼ばれているはずだ。
「私にとっては、姫様はいつまでも姫様ですから」
そう言われてしまえば悪い気はしない。というか姫様呼び以外だとどうなるのかしら。リリアお嬢様とか? それはそれで新鮮でいいわね。
「あなたはもう立派な騎士なのだから、いつまでも従者の真似事なんて――」
内心を押し殺して建前の言葉を並べていると、ふと視界におかしなものが入ってきた。騎士の装束に身を包んだレオンの腰元に、もじゃもじゃとした紐がついている。あれはなんだろうか。
「ねえレオン、そのからまった紐のようなものはなんなの?」
どう見ても騎士の装束の一部には思えないのだが、存在感だけは非情に大きい。
「こちらは姫様にいただいた飾り紐なんですが、憶えていらっしゃいませんか?」
言われてみれば、いつも花冠を作ってくれるレオンに何かあげたくて、懸命に編んだ記憶がある。
大好きなレオンにあげるものだからと、メイドたちの手を借りずに一人で最初から最後まで作ったはずだが、あんなにぐちゃぐちゃなものをあげたのか私は。
「どうしてそんなものをいつまでも着けているのよ!」
「これは私の宝物ですから。いつもは家に大事にしまっていて、大切な日にだけ着けるのですが、今日はもしかして学園で姫様に会えるかもしれないと願をかけて着けてきたところ、こうしてお会いできました」
そんな嬉しそうに言われたら外せとも言いにくいじゃない。
「それならもう着けておく必要はないわね。そんなものをいつまでも着けていたらレオンが笑われてしまうもの」
「もし笑われたら、その相手をぼこ、いえ、じっくりと説明をしてご理解をいただきますので問題ありませんよ」
レオンは何か不穏な言葉を言いかけて踏みとどまった。
うん、踏みとどまれたのかしら? まあ、いいわ。私たちの間には、もう主従関係もないっていうのにレオンは律儀なのね。
「何はともあれ、レオンは立派な騎士になったのね」
私とは関わりのないところで成長してしまったレオンを寂しく思ったのだが、なぜか笑われてしまった。
「なによ」
「ええ、姫様のおかげで騎士になることができました」
「私はなにもしていないわよ」
「姫様のおかげですよ」
なんだろう。我がままをいっぱい言ったから、辛抱強くなったとかいう嫌味かしら。でも私に甘いレオンがそんな嫌味を言うとも思えない。
「そういえば姫様が間もなくご婚約をされるという噂を耳にしたのですが」
なんですって? 誰よ、そんな嘘をよりにもよってレオンに吹き込んだのは。
「なんでも第四王子殿下と仲睦まじくされているとか」
「まさか、社交辞令と挨拶だけの関係よ」
否定をしつつもドキリとしてしまった。
というのも私の方にその気はないのに、一方的に第四王子が私の前に現れては話しかけてくるせいだ。冷たくあしらわれてもめげずにまた話しかけてくるのだから、あの男はかなり図太い神経をしていると思う。
ちなみにどんな人物かというと、なんかこうパッとしないというか、これといった特徴もない中途半端な王子様である。
まあ、そんなことはどうでもいいのよ。
「レオンの方こそどうなの? ずいぶん熱烈にアピールしている女性がいるとかいないとか聞いたけど」
これはお父様からの情報である。
レオンは見た目もいいし性格も穏やかなので、結構モテるらしいのだ。
「私にはもったいない方ばかりで、とてもお付き合いなんてできませんよ」
「何がもったいないのかしら」
「そもそも家柄がつり合いませんから」
たしか一番熱烈な女性はどこぞの男爵令嬢らしく、その基準でいうと伯爵令嬢の私も対象外ってことかしら。
「あなたは騎士爵を持っているのだから、気にすることはないでしょう」
「しかし一代限りの爵位ですし、元は平民ですから」
「爵位は爵位でしょう」
おもわず口を尖らせるとレオンは困ったように笑った。
「姫様は私に早く結婚しろとおっしゃっているのでしょうか」
「そんなわけないじゃない!」
だったらどうして私はこんなにむきになっているのか。十年ぶりに会った昔馴染みでしかないレオンに。
そりゃ昔はレオンのことが大好きでいつもひっついていたけど、私だってもう十八歳なんだから、結婚だってできるし、なんならレオンのお嫁さんにだってなれちゃうんだから……。
え、うそうそ、違う違う、これはそう、昔の気持ちがよみがえっただけで、他の女にとられるのがおもしろくないだけ! ってこれじゃあやきもちじゃないの!
「あの姫様、どうかされましたか」
「な、なんでもないわ。私そろそろ迎えが到着する頃だから、これで失礼いたしますわ」
「では馬車までお送りします」
「いいえ、結構よ」
レオンは昔と変わらず優しくしてくれるけど、ここで甘えてはいけないわよね。もう、うちの使用人ではないのだから、きちんと距離を取らないと。
「レオン、先程も申し上げたけれども、あなたはもう立派な騎士なのだから、従者の真似事なんてしなくていいのよ。もちろんおかしな遠慮もね。ではごきげんよう」
レオンの返事も待たずに、そそくさとその場を離れた。……つもりだったが、レオンは私が馬車に乗るまでしっかり見送ってくれた。
もう、そういうところがさあ、レオンはずるいのよねえ。
最後に会ったのは私が八歳で、レオンは十五歳。少なくとも十年前はお互いに恋愛対象ではなかったはず。
それじゃあ、今は……?
それから数日のうちに、騎士クラスの指導をするレオンの噂を耳にした。
「きゃぁ、騎士クラスの講師様よ! 素敵ねえ」
そう、レオンは素敵なのよ。
「この前、うちの女子生徒が贈り物をしようとしたら断られたんですって」
まあ私が作った組紐は受け取ってくれたけどね。たしか六歳くらいの話だけど。
「あの若さで百人隊長らしいですわ。剣の腕も素晴らしいんですって」
私の七つ上だから現在レオンは二十五歳。それで百人隊長なら出世は早そうね。さすがはレオン。
しかし、こうして女生徒からの熱視線を浴びているレオンだが、誰かに靡いたという噂はまったく聞こえてこなかった。
ホッとする半面、年下は趣味じゃないのかしらなどと考えてしまう。
結局のところ、再会した日から私の頭はレオンで占められていて、これはもう好きなのだと認めるしかないだろう。それはもう五歳の頃からずっと。
何も言わずにいなくなったことは悲しかったし怒りもしたけれど、結局これまで生きてきてレオン以外の男性に私が興味を持つことはなかったのだ。
「うーん、困ったわね」
認めてしまえば行動あるのみなのだが、五歳の頃から知っている私のことを、レオンは一人の女性として見てくれるだろうか。
「マリノフ嬢」
こんなことならお父様からレオンが騎士になったと知らされたときに、連絡を取っておけばよかったかしら。いやでも、あの頃はまだ私も十一、二歳だったしなあ。
「マリノフ嬢」
むしろ十年会わずにいたからこそ、子どもの頃とのギャップを利用して勝負をしかけられる可能性があるのではなかろうか。
あ、そういえばこの前会ったときにお美しいとかなんとか言ってくれてたよね。社交辞令だろうけど。そう、私はそれくらいで喜ぶほど単純ではない。……まあ嬉しくないわけでもないけど。
「マリノフ嬢!」
「え?」
強く名前を呼ばれて振り返ると、そこには第四王子殿下が立っていた。
「まあ殿下、そんなに慌ててどういたしましたの」
「いや、慌ててはいないよ。ただ何度呼んでも気づいてもらえなかったから、声が大きくなってしまっただけで」
「大変失礼いたしました。少し考えごとをしていたもので」
不敬ととられないよう頭を下げておく。
淑女たるもの、あなたの存在感が薄いせいで気づかなかったのだなどとは、口が裂けても言葉にしてはいけない。
「どうかしたのかい。困ったという声が聞こえてきたけど、もし僕でよければ相談にのるよ」
「ありがとうございます。ですが殿下のお手を煩わせる程のことではございませんわ」
「そうかい?」
残念そうな顔をされたが、いちいち相手にするとおかしな期待をさせてしまうので、不敬ととられない程度に距離を置いておかねばならない。
「それでは私はこれで。失礼いたします」
「あ、待ってくれ」
ちっ、流されなかったか。まあ用事があるから呼び止めたんだろうし、仕方がないわね。
「明後日なんだが、もしよければ一緒に観劇に行かないか」
「まあ、申し訳ございません。その日はどうしても外せない用事がありまして」
両頬に手を当てて困った申し訳ないという顔を作る。
王族の誘いを断るなど本来してはいけないのだが、相手が異性であり公用でなければ応じなくともよい。と私は勝手に思っている。ゆえに断る。
「ではマリノフ嬢の都合の良い日を教えてくれるか」
この人のこういうデリカシーに欠ける誘い方が好きになれないんだよね。そんな誘い方をされたら、相手は嫌でも都合をつけなくちゃいけなくなるじゃないの。
「殿下に私の都合に合わせていただくなど畏れ多いことでございます。どうぞ明後日は、他の方と観劇を楽しんでいらしてください。それでは私はこれで。失礼いたします」
王族の言葉を待たずに去るなど無礼極まりないことだが、振るときははっきり態度で表せと我がマリノフ家の長女が言っていたので、妹は素直に従うのみである。
男という者は甘い顔をするとすぐつけあがるらしい。
でもその割には、お義兄様はいつもお姉様の機嫌を伺っているわよね。まあお義兄様は入り婿だし、仕方がないか。
さて迎えの馬車に乗って家に帰ると、広間でお母様が待ち構えていた。
「リリー、そろそろ来月の王宮でのパーティーに向けてドレスを仕立てますよ」
「わざわざ新しく作らなくとも、持ってるドレスの中から選ぶからいいわ」
「馬鹿なことを言わないでちょうだい」
マリノフ伯爵家の末娘ということで、家族や使用人からやや甘やかされてきた私は、あまり貴族のご令嬢らしくは育たなかった。屋敷の中を自由奔放に駆け回り、レオンをよく困らせていたことも懐かしい。
そんなわけで私の行く末を案じたお母様が授けてくれた技が淑女の仮面である。
この仮面をかぶっているときは、粛々とお母様の真似をしなくてはならない。そんな遊びから始まり、成人した今ではお母様のいない場所でも淑女らしく振舞えるようになったというわけだ。
もちろんその仮面は家に帰ると同時に脱ぎ捨ててしまうのだが、まあ、家名に傷がつかない程度に取り繕えていれば上等でしょ。
「淑女は時と所と場合によって装いを整える必要があるのよ。それにあなたもそろそろ結婚を考える年頃なんですからね」
「えー、そうなんですかー、知らなかったー、お母様すごーい」
困ったときはこれを言っておけばなんとかなると、二番目のお姉様が教えてくれた言葉なのだが、お母様は予想以上に冷たい一瞥をくれた。
「あなた最近、第四王子殿下と仲がいいらしいわね」
「いーえ、まったく」
「私の耳はごまかせないわよ」
まあ、あれだけ第四王子がアピールしてたら、嫌でも耳に入るだろうな。
「どうせなら第四王子殿下の髪と目の色に合わせたドレスにしましょうか」
「絶対にやめてよね、勘違いされたらどうするの。私は全身真っ黒でもいいくらいなんだから」
「そんな恰好でパーティーに行けるわけないでしょう! だいたいあなたは――」
またガミガミ説教が始まった。嵐が過ぎ去るまで耐え忍ぶのは苦痛でしかない。
「第四王子殿下のどこに不満があるの? お優しいし成績も優秀だし、お顔だちだってそれほど悪くないでしょう」
「良くもないよ」
「悪くなければ良しとしなさい」
お母様の方が私よりもよっぽど失礼じゃなかろうか。
「二人とも久しぶりぃ!」
そこに嫁へ行ったはずの二番目のお姉様がどこからともなく現れた。
久しぶりも何も三日前にも会った気がするんだけどな。幻とは思えないほど大声で笑っていたから間違いない。
「あなたまた帰ってきたの? 嫁いだからには、そう易々と里帰りするものではありませんよ。マリノフ家では娘の躾ができていないなんて噂でも流れたら、リリーの結婚にも響くんですからね」
「お母様ってば気にしすぎぃ。ちゃんと許可もらってるから平気だってばぁ」
二番目のお姉様は、伯爵家の令嬢とは思えないほど口調が軽い。これで公爵家の女主人だというのだから世も末である。
「どうしたのリリー、ふてくされた顔しちゃって。せっかくの可愛い顔が台無しよ」
「だってお母様がおかしなことを言うんだもの」
お姉様が私のむくれた頬をつんつんと突いてきた。
「第四王子殿下のどこが不満だと言うの?」
「あの人さあ、デリカシーがないんだよね。今日なんて観劇に誘いたいから空いている日を教えてくれとか言われたんだよ。どう思う、お姉様」
「なしなしのなし。女性から好意を示されているならありだけど、あなたにその気はないんでしょ?」
「ないよ。なしなしのなしのなしのなしだよ」
私とお姉様の会話を聞いて、お母様が首を横に振った。
「それであなた、そのお誘いをどうしたの」
「もう明後日で席を取ってるらしいから、私に構わず都合のつく奴と行けばって言っといた」
「やだ、リリーってばおもしろーい」
ケラケラと笑うお姉さまの隣でお母様が青筋を立てている。
「王家の誘いを断るなんて……」
「それじゃあお母様は、もし王家の誰かにプロポーズされていたら受けたの?」
「……受けたわよ」
「はい嘘ー! 知ってるんだからね私、お母様が当時の王弟殿下に結婚を申し込まれて断ったの」
「あ、それ私も聞いた。親子で王族を振るなんて、うちって不敬一族なんじゃないのぉ」
笑い上戸のお姉様はまたケラケラと楽しそうに笑った。
「リリーと私では状況が違います。私にプロポーズをしてきた王弟殿下は、私より三十歳も年上だったんだから」
「それぐらい貴族なら許容範囲じゃない」
「言えてるぅ」
「私はもうそのときお父様と出会っていたから、他の男性なんて目に入らなかったのよ」
勝ち誇ったような顔をしているが、結局王族のプロポーズを断ったことに変わりはない。これでもう私に説教はできなくなりましたわよ、お母様。
「とにかく私が第四王子殿下を選ぶことはありません。どこが悪いってわけじゃないんだけど、いっつもへらへらしてなんか信用がおけないし、存在感もないし、空気は読めないし、特徴もないし、顔もべつに良くはないし、頼りにならなそうだし」
そもそも私ははっきり態度に出して断っているのに、気づかないなんてありえるだろうか。むしろ全部わかっていて誘ってきているはずだ。それはそれで質が悪いと思うんだよね。
「私はもっと、私だけの騎士みたいなタイプがいいの」
「あー、リリーは昔からそういうタイプが好きだもんねぇ」
お姉様が公爵夫人とは思えない、にやにやとした笑みを浮かべている。
「そうかな」
「そうだよ。執着心も強いし」
そんなにはっきり言い切るほど強い執着心を見せた覚えはないんだけど、なぜかお母様までもが頷いている。
「とにかく第四王子はなしってことで」
「あははっ、なしなしぃ」
はっきり断るとお姉様が茶化してきて、お母様は肩をがっくりと落として嘆き始めた。
「まったくどうしてうちの娘たちはこう貞淑さに欠けるのかしらね」
「まあ元気に育ってくれたんだからいいじゃないか」
全然気づかなかったが、いつの間にかお父様が広間にやって来ていた。
「あらあなた、いつお帰りになったの」
「さっきからいたよ。一応声はかけたんだけど、話に夢中で気づいてもらえなかったんだ」
「そういうときはもっと大きな声を出してくださいな」
お父様しか目に入らなかった時期は過ぎ去ったらしく、娘の手前貞淑な妻でありたいお母様は、八つ当たり気味にむくれた声を出した。
「ふふっ、ただいま」
しかしお父様がお母様を抱き寄せて頬にキスをすると、たちまちその機嫌が直った。さすがはお父様、見事な手腕である。
「そうそう、さっきの話だけどリリーが嫌なら殿下の誘いは断っていいからね」
「本当? さっすがお父様、話がわかるわ」
「だってほら、うちは侯爵家から婿をもらった上に、公爵家に嫁に出しただろう。ここでさらに王家と繋がりを持ってしまうと、おかしな憶測をされかねないからね。お父様の胃がもたないよ」
お父様は男爵家の出身で、マリノフ家の跡取りであるお母様の元へ婿入りして、マリノフ伯爵となった人だ。きっとこれ以上、爵位の高い家との付き合いを増やしたくないんだろう。
ちなみに三番目のお姉様は、お父様の胃に優しい男爵家の跡取りと婚約を結んでいる。
「安心してくださいね、お父様。私の狙いは騎士爵なので!」
握りこぶしを作ると、なぜかお父様もお母様もお姉様も生暖かい眼差しを向けてきた。
え、これってもしかして私の狙いがばれてたりする?
さて、そうやってにぎやかな日々を送っているうちにも、あっという間に王宮でのパーティー当日がやって来た。
会場に入るなり第四王子が私の元へとやって来て、ダンスを申し込まれてしまった。残念なことにうちは女系一族なので、自分でパートナーを見つけないかぎり、万年男性パートナー不足の家系であるため、断る理由もひねり出せなかった。
こんなときレオンが隣にいてくれたらと思わずにはいられない。
第四王子には続けて三曲も踊らされた。無駄に体力があるな、こいつ。
「殿下、申し訳ございませんが少し疲れましたので、向こうで休んでまいります」
「それはいけない。私も付き添おう」
「いえ、一人で結構ですわ」
「体調の悪い君を一人にはできないよ」
これだけはっきり断ってるのに、本当に空気の読めない王子である。
仕方なくバルコニーに設置されたソファで休憩することにした。
誰か第四王子狙いの女の子が割って入ってくれないかと辺りを見回したが、まったくそんな気配はなかった。モテない男だな。
バルコニーはパーティー会場の一面に沿った長く広い作りになっていて、今夜はそこへ続くすべての窓が解放されているため、自由に出入りできるようになっていた。
また間隔を置いて設置されたソファは左右背後に仕切りが立てられていて、パーティー会場からは誰が使用しているか見えない仕様になっている。
でもこれだとどこが空いているかわからないよね。なんて思っていたら侍従がやって来て、空いているソファを教えてくれた。どうやら王宮側できちんと管理しているようだ。
そこでふとバルコニーにも警備の騎士が控えていることに気づいた。
もしかしてレオンもこの会場内にいるのかな。
辺りを見回してみたけど、レオンの姿は見つけられない。寂しさ半分、こんな男と一緒にいるところを見られなくてすんだことに安堵半分と、複雑な心境である。
「殿下、私は少しここで休ませていただきますので、どうかダンスフロアへお戻りください。このままでは殿下と踊りたい女性に恨まれてしまいますわ」
訳:一緒に居たくないからあっち行ってよ
「君の体調が回復するまで一緒にいさせてほしいな」
回復しました。と言いかけて止めた。またダンスに誘われたらそれはそれで面倒だし。
「そういえばこの前誘った観劇なんだけどね、女性が好きそうな恋愛がテーマの作品だったんだ」
第四王子がさりげなくソファに腰を下ろしたので、私も隣に座るしかなくなってしまった。
「ぜひもう一度観に行きたいと思っているんだけど、今度こそ一緒にどうかな」
へえ、ただの口実で誘ったのかと思ったけど、本当に観に行ったんだ。
しかしながら恋愛のテーマだから女性が好きそうだ、などと決めつけてしまうあたりがいただけない。世の中には恋愛のいざこざよりも、剣戟や偉人伝、冒険活劇のような話が好きな女性も少なくはないのだ。
「申し訳ありません、殿下。実は私、観劇はあまり好みではなくて」
「そうだったんだね。じゃあシルバ池に行ってみないかい。あそこのボートに一度、乗ってみたいと思っていたんだ」
カップルがデートするところで有名な場所じゃん。この前、三番目のお姉様が近くを通りがかって、あんなボートまみれの池じゃムードも何もあったもんじゃないって言ってたぞ。
「シルバ池はボートがひしめき合っていて、乗るまでに一時間は待たなければならないそうですわよ」
「ずいぶん混んでいるんだね。でもきっと君と話してたらあっという間だよ」
「わたくし貧血気味なので、とても耐えられる気がしませんわ」
「それなら侍従に並ばせよう。その間は別のところを見て歩いたり、ゆっくりお茶を飲んで待つのもいいね」
めげない男だな。やっぱり適当な理由をつけてここから去った方が良さそうだ。
しかしそこでおかしな甲高い声が聞こえてきた。
「あんっ」
あら、なにかしら、今の鳴き声は。誰か犬でも連れ込んだの?
「んっ、ダメですわ、こんなところで」
違う、犬じゃないぞこれ。おいおいおい、こんなところでナニをしているんだい。
「んんっ、やっん」
その後もおかしな声が聞こえてきて、さすがの第四王子も無言になってしまった。
というかこれって私たち以外にも聞こえてるよね。侍従はどうした、見張りの騎士は?
「いけませんわ、もうっ、戻らないとっ」
「いいんだよ、こんなパーティーなんか。君との時間の方がずっと有意義なんだから」
おいおい、王家主催のパーティーを”こんな”呼ばわりなんて不敬にも程があるぞ。気持ちはわかるがここに王族がいますからね、発言にはお気を付けて。
「ああっ」
というかこれ、完全にいたしてるよね。なんでよりにもよってこんなときにこんなところで始めるかな。
「殿下、冷えてきましたしそろそろ中へ入りましょう」
いつまでも聞いてられるか、こんな声。
「待ってくれ、マリノフ嬢」
立ち上がろうとしたところで殿下に腕を掴まれた。は? さすがに許可なく触れるのは不躾すぎるだろう。
「マリノフ嬢、いやリリア」
突然名前を呼んできた第四王子はなぜか熱っぽい瞳をしていた。
「行かないでくれ。僕は、僕は君のことが」
「はあ?」
なにこいつ、もしかして発情してるの? 他人のいたしている声を聞いて? 変態かよ。ないないない、ドン引きだわ。
「殿下、寒くて耐えられないので私は先に戻りますね」
「嫌だ」
「私も嫌です」
付き合ってられるかと腕を振り払おうとしたら、逆に引き寄せられてソファに押し倒された。
クッションが置かれていなかったらコブが出来ていたかもしれない勢いだ。なしなしのなしのなしのなしのなしだ、こいつ。
「どうかこの思いを遂げさせてほしい」
真上から覗き込まれて一気に鳥肌が立った。
きーもーいーっ。
もちろんされるがままに黙っているなんてことはなく、反射的に私の足は動いた。膝をおもいきり振り上げるとがつんと音がして、え、あれって蹴るとこんな響くくらい固いの?
「ぐうっ」
第四王子の口からおかしな声が漏れて、その体が揺らいだ。よしっ、今のうちだ。
そう思ったのに第四王子が覆いかぶさってきて、こうなったら蹴り飛ばしてやろうと再度身構えたところで、ふいに体が軽くなった。
「えっ」
「ご無事ですね、姫様」
なぜかそこにはレオンが立っていた。そして第四王子は足元に転がっている。
「失礼します」
レオンはさっと私の体を起こして、服装に乱れがないことを確認すると、おもむろにホッとした顔をした。
「申し訳ございません。さすがに王族の会話を盗み聞くことはできませんので、離れたところに控えていたのですが、まさかこんな場所で不埒な真似をする輩がいるとは思わず」
あら、そういえばあの声が止んでるわね。
「隣のソファを使用していたお二方には移動していただきました」
いつの間に!
「怖い思いをされたでしょう」
「うん、怖かった」
本当はそこまで怖くはなかったけど、チャンスなので甘えた声を出してみる。
「レオン、抱っこ」
「ひ、姫様?」
「怖かった」
レオンは狼狽えていたが、私が両手を広げると、おずおずと近づいてくれたので、そのたくましい胸に遠慮なく抱きついた。
「申し訳ありません。本当はもっと早くお助けしたかったのですが」
「ううん、来てくれただけで嬉しい」
「姫様」
レオンもぎゅっと抱きしめ返してくれた。
なんだか今だけは本当にお姫様っぽいかも。
しかし良い雰囲気だというのに、視界に邪魔者がちらちらと映りこんでくる。
「ねえ、股間を蹴っただけで気絶するものなの?」
「それとはべつに私も少々……」
あらじゃあ、さっきの音はレオンが出したものだったのかもしれないわね。
少々なにをしたのかまでは教えてもらえなかったが、大丈夫、言いにくいことは聞かないでおくから。
「姫様、この場は私に任せてどうぞ中へお戻りください」
「どうするつもりなの?」
「正直に話します。もちろん姫様のお名前は出しませんのでご安心ください」
「そんなことをしたらあなたが罰を受けちゃうじゃない。こんなのでも王族なんだから」
「姫様の評判に傷がつくことに比べたらなんてことはありません」
「私が嫌なの」
ムッとして見上げると、レオンは困ったように笑っていた。
「私に考えがあるわ。まずはあれをソファに座らせてくれる?」
「あれって姫様……」
「いいから早く。あ、顔は見られてないわね」
「ええ、後ろからやりましたので」
レオンは私から離れると、第四王子を担いでソファに座らせた。
「こう肘置きにもたれかけて一人で座れるようにしてね」
「これでよろしいですか」
「うん。じゃあもう一回抱っこして」
「ひ、姫様、さすがにそう何度もはできません」
目に見えて狼狽えているので、作戦の続きを話すことにした。
「レオン、このまま私を抱き上げられる?」
「ええ、もちろんできますが」
「私、そんなに軽くないわよ。このドレスだってかなり重いし」
そう、もし重く感じるとしたらそれはドレスを着ているせいなのだ。
「失礼いたします」
そう言ってレオンは私の太ももと背中に手を当てて、ひょいと持ち上げた。
「姫様、ずいぶん軽いですがちゃんとお食事を召し上がってますか」
「食べてる。っていうかレオン、見かけによらず力持ちなのね」
「それはまあ鍛えてますから」
やだ、素敵だわ。
「それでこれからどうするんです」
「具合が悪くなった振りをするから、どこか適当な部屋まで連れていってくれる?」
「わかりました」
この後、第四王子の意識が戻るのが先か、気を失ったまま見つかるのが先かはわからないが、どちらでもたいした問題ではない。
「第四王子殿下はどうされるんですか」
「このままでいいわ。目が覚めたところで、婦女子に襲い掛かろうとしてやり返されたなんて言えないでしょ。間抜けすぎて」
「たしかにその通りですね」
「じゃ、行きましょう。あ、会場を出たら歩くから降ろしていいわよ」
「いえ、演技は最後まで貫いた方がよろしいかと」
「……じゃあ無理のないところまで運んでちょうだい」
「かしこまりました」
にこりと微笑んだレオンこそが王子様のようだ。
まあ私の王子様なんだけどね!
その後レオンが一緒に参加していた三番目のお姉様を呼んでくれたけど、レオンがついていてくれるのなら心配ないとすぐにパーティー会場へ戻ってしまった。
その際レオンにはわからないようにウインクをされたので、きっと気を利かせてくれたのだろう。ありがとう大好き、お姉様。
「姫様は第四王子殿下と婚約するつもりはないのですか」
「あるわけないでしょ、あんな犯罪者」
「しかしまた同じようなことがあるかもしれませんよ」
「そうね、私に婚約者でもできないかぎり、あるかもしれないわね」
「候補となる方もいらっしゃらないのでしょうか」
「いないってば」
婚約者になってほしい人はいる。今、目の前に。
でもそんなことを突然言っても迷惑をかけるだけだろうし、今後もし避けられたらと思うと言葉が出てこなくて、ドレスをつまんでいじいじしてしまう。
「姫様。私がこんなことを言うのは分不相応ですし、ご不快に思うかもしれませんが」
え、なになに、そんな言い方されたら期待しちゃうわよ。
「私に婚約者の役をさせてもらえないでしょうか」
来たこれ! えー、何これ何これ、夢なの? それとも幻? えー、それでも嬉しー!
「やはり私では役者不足でしょうか」
何も答えない私にレオンの眉が下がった。
そんな表情も素敵ね……はっ、そんなことを考えている場合じゃないのよ。
「レオンはそれでいいの? 恋人とかいるんじゃないの?」
「いませんよ」
いやっほい!
「姫様がお嫌でなければですが」
「嫌だなんて思うわけないじゃない。だってずっとレオンを忘れられなかったんだから」
うっかり口を滑らせてしまったが、レオンは気づいた様子もなくにこにこ笑っている。
つまりこれで私とレオンは晴れて婚約者を名乗れるわけだ。さっそく家に帰ったら婚約式の準備をしなくっちゃ。
「では第四王子殿下の問題が片付くまで、仮の婚約者ということでよろしくお願いします」
「え?」
「え?」
お互いに目を丸くして見合った。
「なんで、なんで仮なの?」
「なんでって、ほとぼりが覚めるまでのことですから」
「あなたさっき、そんなこと言わなかったじゃない」
「言うまでもなく、私と姫様では家格に差がありすぎて婚約なんて無理ですよ」
「家格? 妹にしか見えないとか、恋愛対象に見えないとかじゃなくて家格?」
なによそれ! せっかくこれでレオンとずっと一緒にいられると思ったのにぬか喜びだったとか、可愛さ余って憎さ百倍なんですけど!
「家格なんて関係ないもん! レオンのバーカ!」
「姫様!」
「仮の婚約者なんていらないんだから!」
そのまま部屋を走り出た。
くそー、レオンの女たらしめ! 私の純情を弄ぶなんて、なんて酷い男なんだろう!
悲しくて悔しくてやりきれなくて、でもきっとレオンは精一杯の優しさのつもりだったんだろうと思い直したが、やっぱり許せないものは許せない!
怒りに任せて淑女にあるまじき足音を立てて廊下を歩いていたら、ふと前方から見知った顔が歩いてきた。
げっ、第四王子じゃないの。もう目を覚ましちゃったの?
騒ぎになっている雰囲気ではないから、気絶しているところを誰かが見つけたわけではなさそうだ。
「マリノフ嬢、良かった、探したんだよ」
「まあ、ほほほほ、ちょっとお花を摘みに席を外しまして」
あんなことがあった後でよく話しかけられたな。まったく神経の図太い男である。
「少し時間をもらってもいいかな」
「いえ、そろそろ会場に戻らないと姉が心配しておりますので」
「すぐにすむから」
有無を言わさず王子は私の腕を取り、近くの部屋へと連れ込まれてしまった。
力のかぎり王子の腕を振りほどこうともがいたが、どうしたって女性の力ではかなわず、そのままソファへと押し倒された。
「何をなさるんですか!」
「静かにした方がいいんじゃないの。こんなところを見られたら、すぐ噂が広まるよ」
いつもとは違う口調に違和感を覚えつつも睨みつけた。しかし第四王子にはまったく効いていない。
両腕を頭の上で押さえつけられ、ぴったりと体を合わせて抑えつけられているので、先ほどのように蹴り上げることもできない状態である。
「まったくおとなしいお嬢さんだと思ったら、とんだじゃじゃ馬だね」
「それがあなたの本性ですか?」
「そうだよ」
いつもの抜けた顔は演技だったのか。いや、なんのために? あれ絶対、地だろ。
「本当は合意の上で既成事実を作りたかったんだけど、時間がなくてね」
「奇遇ですわ。私もあなたに割いている時間がありませんの」
「本当に失礼だよね、君って」
「だったら構わないでいただけますか」
「でも顔は好みなんだ」
最低だなこいつ!
「僕にね、隣国の女王との縁談が持ち上がっているんだ」
「まあ、おめでとうございます」
祝いの言葉を述べたというのに王子の目は笑っていない。
「王女じゃなくて女王だよ。しかも五番目の夫として、ほぼ人質同然で送られるんだ。かわいそうだと思わないかい」
「それが王族の務めであれば仕方のないことかと」
むしろ国のために動けないなら、王家の存在意義がなくなってしまう。
「もしここで既成事実を作ってしまえば、僕は隣国へ行かなくてすむんだよ」
「その代わり国交問題が浮上するかと。そちらはどうなさるおつもりですか」
「父上や大臣たちが尽力するさ」
「最っ低ですわね」
力を込めてもがいているのに、頭の上に伸ばした腕をタオルのようなもので結ばれてしまった。くそっ、この場を脱出したらお母様がなんと言おうと護身術を習ってやる。
「さて、これで少しはおとなしくしてくれるかな」
下品な顔が近づいてきた。やだやだやだ、嘘でしょ、こんな男に触られるなんて絶対に嫌!
「僕も初めてだから、あまり暴れると痛みが増すかもよ」
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
「おとなしくしていればすぐにすむから」
すんでたまるか!
「レオン! レオン! レオン! レオンの馬鹿! 助けてレオン!」
第四王子が慌てたように私の口をふさいだ。
「騒がないで、口も塞ぎたいところだけど、その前にレオンというのは誰のことかな。君に男の陰なんてなかったはずだけど」
「あんたなんか足元に及ばないくらいカッコいい人よ!」
「ふーん、でもその人が来てくれるわけないよね。だって君がここにいることだって知らないんだから」
「来てくれるもん! レオンは呼べばいつだって来てくれるんだかっんーんーんー!」
口の中に何か布のようなものを突っ込まれた。
「もう少しロマンティックな初体験が良かったんだけどな」
「うううー! うううううう!」
「何を言ってるかわからないけど、ムードが出ないから静かにしててくれる?」
王子の手が私のドレスに触れて、気持ち悪くておもいきり暴れてやった。
「んんんー!」
言葉にならない叫びでレオンを呼んだ。
ここで助けに来なかったらもう二度と名前も呼んでやらないんだからね!
「んんんーん!」
力のかぎり叫んだ瞬間、すごい音を立てて部屋の扉が開いた。
「姫様!」
転がるような勢いでレオンが飛び込んできた。
「誰だお前は!」
レオンだ、レオンが来てくれた。
嬉しくてホッとして涙があふれてきた。
「誰の許可を得てこの部屋に入っ……!」
言い終わる前に第四王子が私の上から吹き飛んだ。
「姫様、ご無事ですか」
レオンはすぐさま私の拘束を解いてくれた。
「遅いよ、レオンの馬鹿」
「申し訳ございません」
来てくれただけでもありがたいのに、私の八つ当たりを真面目に受けたレオンは見るからにしょげてしまった。
「貴様っ、王族である僕を殴ったな! ただですむと思うなよ」
懲りない第四王子が権力をかさに睨みをきかせてきた。しかしレオンはそちらを振り返ることなく、私に頭を下げている。
「おい! 聞いているのかお前!」
レオンと話をしたいが第四王子がうるさくて邪魔すぎる。本当に空気が読めないな、こいつ。すべてにおいてなしなしすぎるだろ。
するとそこでレオンが下げていた頭を上げた。
「姫様、お怒りのところ申し訳ありませんが、ゴミムシがうるさいので少しお待ちください。お叱りはその後に受けますので」
「所属している隊を言え! 俺が直々に」
レオンは喚き散らす第四王子の元へと歩いていき、その胸倉を掴んだ。
「てめえ、俺の姫様に何してくれてんだコラ」
んん? レオンが自分のことを俺って言った?
「さっきは姫様の手前見逃してやったが二度目はねえぞ」
レオンの口調がおかしい。しかもいつもの馬鹿丁寧な態度はなりをひそめ、王子の胸倉を掴んでいる。
「ひっ、やめろ!」
「歯ぁ食いしばれ!」
レオンがおもいっきり第四王子を殴った。胸倉を掴んでいなかったら吹き飛んでいたであろう力強さだ。
「一発や二発で済むと思うなよ、小僧。王族だろうがなんだろうが、人のもんに手ぇ出したんだから覚悟はできてんだろうな」
人のもん? それってどういう意味? そういえばさっきも俺の姫様って言ってたな。
しかし第四王子が七発くらい殴られたところでさすがに私も我に返った。
「待ってレオン!」
慌てて後ろからレオンに抱きつくと、レオンは既に気絶している王子を床にぽいと捨てて、私に向き直ってくれた。その表情はとても気まずそうだ。
「すみません、俺カッとなると昔の口調に戻ってしまって、怖かったですよね」
「ううん、そんなレオンもカッコいいからいいの」
「え?」
「そうじゃなくて、私にも仕返しをさせてほしいの」
首を傾げたレオンもカッコいい。しかしひとまず人が来る前にヤッてしまわねば。
王子を仰向けに寝転がしてその上に乗った。落ちない程度にジャンプをする。
「ぐがっ」
全体重をかけてお腹へ衝撃を与えてやると第四王子は目を覚ました。
今日はピンヒールで武装しているのでさぞかし痛かろう。ダンスの練習で鍛えたこのバランス感、とくと見よ。
「お、重い……」
なんだと? レオンは軽いと言ってくれたというのになんて失礼な男だ!
失言の罰としてもう五回ほど腹の上で飛び跳ねてやったら、第四王子はまた気を失ってしまった。弱っちいわね。
「あー、すっきりした」
「姫様」
レオンが驚いた顔で見つめている。あらためて第四王子の上からそちらに向き直った。
「助けに来てくれてありがとう、レオン」
「うわっ!」
ごまかすために抱きついてみたが勢いが良すぎてレオンがたたらを踏んだ
「いえ、俺が気の利かないことを言ったせいでこんな目に合わせてしまって」
「ううん、酷いことを言って逃げたのは私の方よ」
さすがにここまでやれば、第四王子も私をどうにかしようなどとは思わないだろう。
「あのガキに触られたりしませんでしたか」
言葉の端々に昔の名残とやらが残っているが、そんなレオンも素敵である。
「姫様?」
黙っていたら心配そうに顔を覗き込まれた。
「少しドレスに手をかけられたくらいだから大丈夫」
「あと百回ほど殴りましょう」
レオンがくるりと振り返ったので慌てて止めた。
「そんなことしたらレオンの手が腫れちゃうよ」
あんな馬鹿のためにレオンが傷つくのは嫌だ。
「いっそのこと切り落としますか」
切るじゃなくて切り”落とす”というところに、レオンの本気を垣間見た気がする。
「もうあんなの放っといていいから。レオンは私のことだけ心配してればいいの」
「わかりました」
レオンは私の姿を上から下まで確認して「無事でよかった」と頷いた。
「あの姫様、先ほどの話ですが」
「どの話?」
「婚約の話です」
せっかくこのまま有耶無耶にするつもりだったのに、どうして蒸し返すのかな。
「もう一度最初からやり直させてください」
予想だにせずレオンは部屋に飾られていた花を花瓶から引き抜くと、それで器用に花冠を作り始めた。
そして私の足元にひざまづき、その花冠を差し出してきた。
「姫様、どうか私と結婚してください」
明るい金髪と碧い瞳がシャンデリアの光を受けて輝いている。
「レオンったら、もう婚約者の振りは必要ないのよ」
もちろん今夜のことは家を通して王家に抗議してもらう。
貴族には派閥というものがあり、マリノフ伯爵家は二女が嫁いだ公爵家の傘下に属しているが、この一件を知ればまずお母様もお姉様たちも黙ってはいないだろう。なんなら自ら王城に乗り込んでいきかねない。なんだかんだでみんな、末っ子には甘いのだ。
「振りではなくて、私は本気であなたの伴侶になることを望みます」
「本気で? だってさっきは仮だって言ったじゃない」
「それはその、私などが姫様の隣に立つのは恐れ多いことですから……」
さっき第四王子の胸倉を掴んで殴ったのが嘘のように、レオンがもじもじと俯いた。
「しかし、あんな男に姫様を盗られるのかと思ったら我慢できなくて……。できることなら私が一生をかけてあなたをお守りしたい。その役目は誰にも渡したくありません」
「守るだけなら結婚する必要ないじゃない」
「その、できれば一番近くでお守りしたいのです」
「なんで?」
「なんでって、それはその……私が姫様をお慕いしているからです……もう二度とあんな場面は見たくありません」
「それ、本気で言ってるの?」
「もちろんです」
「後でやっぱりなしとか、取り消しますとかなしだからね」
「そんなことを言うわけがありません」
まだ跪いているレオンに合わせて私もその場にしゃがんだ。
「姫様、ドレスが汚れてしまいます」
「いいのよ、こんなケチがついたものは明日にでも売ってしまうんだから」
本当はすぐに捨ててしまいたいけど、さすがにもったいないからね。
「私ね、レオンの作った花冠が一番好きなの」
そう言って頭のてっぺんがレオンに見えるように、少しだけ前かがみになった。
レオンは察してくれたようで、花冠をそっと私の頭に乗せてくれた。
「へへ、似合う?」
顔を上げるとレオンはとても優しい瞳で見つめてきた。
「はい、とても」
その後、警備で見回りをしていた騎士がやって来て、この部屋の散らかりようと気絶している第四王子に気づき大騒ぎになりかけたが、私の渾身の演技により事なきを得た。
「突然殿下に部屋に連れ込まれたところを騎士様に救っていただき、彼が来なかったら今頃どうなっていたことか!」
家を通して抗議してもらおうと思っていたが、その日のうちに第四王子の両親、つまり王様と王妃様がこの一件を知ることになり、さらにはいつも穏やかなお父様といつも怖いお母様が猛抗議をしてくれたおかげで、レオンも私も不敬罪に問われることはなかった。
お姉様たちもそれぞれの夫を巻き込んで後ろに控えていてくれたおかげかもしれない。ありがとう、みんな大好き。
それから数日が経ち、あらためてレオンが我が家へ挨拶にやって来た。
もちろん婚約の話は先日の騒動のどさくさにまぎれて認めさせてある。だから本当に顔合わせ程度の挨拶だというのに、レオンはすさまじく緊張していて、少しは気持ちが落ち着くかと思って抱きついてみたが、ますます硬直してしまった。
「どうして浮かない顔をしているの、レオン」
「いえ、結局こんな騒ぎになってしまい、旦那様と奥様に申し訳なくて」
そうは言ってもパーティーの来客たちにまで事情が知らされたわけではない。王家としても恥部を晒したくはないだろうから、関わった者たちに必死にかん口令を敷くことだろう。
あと第四王子の婿入りが早まったらしい。監視も強まり、もう二度と馬鹿な真似はできないので安心してほしいと、国王直々に告げられた。
「あら、みんなあなたが私を助けてくれたことに感謝しているわよ。それに娘が幸せになることを喜ばないような両親じゃないわ」
「姫様は昔から口が達者でしたからね」
まるで私がみんなを言いくるめたかのような言い方である。失礼しちゃうわ。
「それに本来なら、私のような者に姫様を嫁がせるなどお嫌でしょうに」
「えー、それはないと思うけどなあ」
だってお父様もお母様もお姉様も、なんならお義兄様まで、本当に私でいいのかとレオンに詰め寄っていたくらいだ。
「いえ、大事な末のお嬢様ですから皆様ご心配なさっておりましたよ」
「むしろレオンを心配してたんだよ。なんていうかほら、私って中身があんまり良家のご令嬢っぽくないじゃない」
「そこが姫様のいいところです」
間髪入れずに真顔で言われるとちょっと照れる。
「ところでいつまで姫様と呼ぶつもりなの? 婚約したことだし、そろそろ名前で呼んでもいいんじゃないかしら」
「え……」
どうしてそこで固まるのかわからない。
「ほら、言ってごらんなさいよ。リリアって」
「そんな、まだ無理です」
乙女のようにレオンが真っ赤になった。そんなレオンも可愛くて素敵なんだけど、やっぱりいつまでも姫様と呼ばれるのは寂しいわ。
レオンをじっと見つめていたら、ちらっと視線が合ったがすぐに逸らされた。もう、仕方がないわね。
「レオン、私、花冠が欲しいわ」
「え、はい、わかりました」
レオンは立ち上がり花壇の花を見繕い始めたが、花を摘む前にきょろきょろと辺りを見回した。
「昔の癖が抜けないようね」
「ご存じだったんですか」
レオンの作ってくれた花冠が一番きれいだったのは、庭師の目を盗んで庭から特別に見栄えのいい花を摘んでいたからだ。その後でレオンが怒られていたと知ったのは、彼が私の前からいなくなってからのことである。
もちろん私が欲しいと言えば庭師は嫌だとは言わなかっただろうが、なぜかレオンは私の名前を出さなかった。
「摘む前に、庭師の方に許可を取ればよかったのですが、そうすると別の花を薦められることがあったので」
少し照れ臭そうにレオンは頭をかいた。
「それに同じ種類の花でも、自分が見つけたとびきりきれいな花を姫様に贈りたかったんですよ」
「呼び方」
「あ……」
レオンは気まずさをごまかすように花冠を作り始め、出来上がると私の前に跪いた。
「私の一生をあなたに捧げます。ですらからリリア様の一生を私にいただけないでしょうか」
やっぱり格好いいなあ、レオンは。
「約束よ、ずっと花冠を作ってね」
「はい、私の愛と共に姫様へ捧げます」
*** レオンハート視点 ***
姫様は今日も俺の作った花冠をつけてご機嫌だ。
「レオンは騎士になりたいの?」
「はい、一応は」
騎士を目指すのは貴族の子弟がほとんどだ。平民で騎士になるには相当の努力が必要らしいが、元騎士だった祖父が、商人になった親父の分までお前は騎士になれと毎日うるさくて仕方がない。
「あと三年したら騎士になるための学校へ行くんですけど、平民の俺がやっていけるか自信がなくて」
五歳の女の子になにを相談しているんだと自分でも思わなくもないが、姫様は真剣な顔で俺の話を聞いてくれている。
「それに平民が騎士になっても、その後がなかなか大変みたいなんですよね」
騎士になれば騎士爵が授与されるが、生まれながらの貴族たちの中には、卑しい成り上がりと蔑む者がいる。
学校で礼儀作法を教えてくれるらしいが、幼い頃から学んでいる本物の貴族と同じように振舞えるとはとても思えない。はあ、気が重いなあ。
「きっと周りは貴族ばかりなんだろうな」
「わたしも貴族よ?」
姫様がかわいらしくこてりと首を傾げた。
「姫様は良い貴族です」
「お父様とお母様は?」
「お二人も良い貴族です。俺みたいなのにも優しく声をかけてくださいますし」
「じゃあ悪い貴族ってどんな人?」
「相手が平民だというだけで見下すような人でしょうか」
あまりおかしなことを教えると後で怒られそうだが、このおかわいらしい姫様にはそんな人間になってもらいたくはないという願望を込めて答えてみた。
「わかった!」
姫様が明るい顔で手を打った。
「じゃあ私がレオンのお嫁さんになってあげる。そうすればレオンはうちの子になるから、誰も馬鹿にしたりしないよ」
目から鱗な提案だった。懐かれているとは思っていたが、さすがにこれを誰かに聞かれてしまったら、明日からもう来なくていいと首を切られてしまいそうだ。
「姫様、俺は平民なので姫様と結婚はできませんよ」
「でも騎士になれば、きししゃくがもらえるって言ってたもん。きししゃくは貴族になるってことなんでしょ?」
幼いながらも姫様はきちんと俺の話を理解してくれていたらしい。子どもというのは侮れない。
「あとね、レオンは私と一緒にマナーの授業に出ればいいと思うの。そうしたらきっと楽しいよ」
姫様はマナーの授業、というかおとなしく座って話を聞くことが苦手で、よく授業から逃げ回っているのだが、これはもしかしたらチャンスかもしれない。
「では姫様、俺が一緒に授業に出たら姫様もおとなしく勉強してくださいますか」
「え、うーん……たまになら」
やはり授業自体は好きになれないらしく、もじもじと口を尖らせた。
「先生は俺一人じゃ授業をしてくださいませんよ。姫様が一緒なら教えてくれるでしょうけど」
「……わかった。じゃあレオンと一緒に勉強する」
その後、伯爵ご夫妻にその提案を告げると、特に奥様には泣くほど感謝された。
これまで授業のたびに姫様探しをしていた使用人たちからも暖かい言葉をかけてもらい、誰も俺が姫様の側に控えることに文句を言う者はいなかった。
あれから十数年。まさか本当にリリアが俺を選ぶ日が来るなんて、あのときの俺は考えもしなかったことだ。
昔からかわいらしい姫様だったが、大人になった彼女は美しさに磨きをかけ、通っていた学校ではクソガキ共の憧れの存在となっていた。
皮肉なことにあの第四王子に目をつけられていたので、他の男どもは手が出せなかったようで、そこだけは褒めてやらないこともないが、俺の姫様に働いた無礼は絶対に許さん。
第四王子はあの後すぐ隣国に送られたが、会ってみたら隣国の女王に惹かれるものがあったらしく、その寵愛をめぐり他の男と競う日々を送っているらしい。
「ねえレオン、結婚式の日にも花冠を作ってね。あ、ブーケもよ」
「リリア、さすがにそれは素人の私よりも専門家に任せた方がいいと思うよ」
「レオンが作ったのがいいの」
まったく困った我がまま姫様だ。伯爵夫妻、主にお義母様の小言がまた増えそうだ。
「だってお嫁に行くまで花冠を作ってくれるって約束したでしょ」
ひと月後には俺の奥さんになるリリアはかわいくて、かわいくて、かわいくて、結婚する前からメロメロな俺は既に周囲からかなり呆れられている。
「それは本当にお嫁に行くまででいいの?」
かわいすぎて、ついこうして意地悪をしてしまいたくなる。
「ふふ、冗談だよ。君がおばあちゃんになっても、ずっと君のためだけに作り続けるよ」
そう言って愛しの姫様の頬にキスを落とすと、ふくれっ面が花のような笑顔へと変わり、きっと俺もまた同じような顔になっているのだろう。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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