さようなら、アリア
「ーーこれで全部」
キャリーバッグに詰め込んだ生活必需品。それだけを玄関から持ち出す。不必要な物は全て昨日のゴミの日にまとめて出した。
都心部のマンション。セキュリティーは抜群。家賃は成功者しか払えないであろう金額。
煌めくビル群の明かりもこれで最後だ。2度と見る事はない。
部屋の鍵を閉めた。溢れたのは一言だけ。
「さようなら」
さようなら、アリア。
私の半生の全て。
***
「ーー!!」
初めて見たあまりにも鮮明な夢に飛び起きた。私は一体誰になっていたのだろう。鏡に映っていた顔はとても綺麗で芸能人かと思ったが、私の頭に思いつく人間はいなかった。私がテレビを見る事が少ないからだろうが。
まだ覚めない目をこすりながら布団から出る。夏の朝は少し涼しい。窓を開けて空気を入れ替えると私は部屋を出た。
リビングでは両親がニュース番組を見ていた。ちょうどエンタメコーナーの時間だ。
「おはよう、凛子。早く朝ご飯食べなさい」
「おはよう、お母さん」
母に言われて自分の席についた。いつも通りに白米と味噌汁、焼き鮭と卵焼きが並んでいる。緑茶を湯呑みに注いで食事の挨拶をする。
『アイドルグループFILLSが先日アドアドームにてツアー最終日を迎えましたーー』
テレビに映るアイドル達は可愛い衣装を着て歌い踊っている。白い衣装はまるで女神や天使を連想させる。彼女達の最後の挨拶の映像が映った。片方の女性が涙を流している。その女性に見覚えがあった。
『私達についてきてくれてありがとう!!これからもFILLSを愛してくださいね!!』
彼女の言葉に会場からいたファン達から熱い歓声が送られる。テロップに書かれた名前はアリア。
間違いない。確かにそっくりだ。しかし、彼女はアリアに別れを告げていた。一体どういう事なのだろう。
***
「アリアになった夢を見た? しかも、それはアリアがアイドルを辞めるかもしれない時の夢? ーーあんた、FILLS好きだっけ?」
「曲を聞いたことあるぐらいだけど……」
学校の休み時間に親友である茉由に相談した。彼女は私よりも芸能情報に遥かに詳しいので聞いてみる事にしたのだ。彼女は意味がわからないと言わんばかりに凛子を見ている。ため息をついた茉由は完全に凛子がおかしくなったのかと疑っている。
「何か取り憑かれてるんじゃないの? そんな鮮明に大して興味のない他人になる夢を見るとかよくドラマの始まりにあるやつじゃん」
「だよねぇ……。予知夢とか?」
「いやいや、人気絶頂のアイドルが突然いなくなるわけ無いじゃん。だって、今が1番幸せでしょ」
茉由がスマホの画面を見せて来た。そこに大々的に載せられていた見出しにはどれもFILLSの人気を物語るものばかりだ。まぁ、そうだろう。自ら幸せを手放す人間などいないのだから。
私が納得したような表情を見せると、茉由がお祓いの情報サイトを勧めて来たのですぐに断った。
寝る前に茉由から送られてきた動画や記事をいくつか見た。FILLSは天使をイメージして作られ、カノンとアリアの2人で構成されているらしい。そこまではまとめサイトで帰り道聞いたので何となくは理解できた。曲もそのコンセプトに合わせているのだろうと思えるものばかりだ。ミュージックビデオの再生数もどれも億再生である。
茉由が送ってきたアリアの記事は彼女を崇めているようなものばかりだ。まぁ、天使のコンセプトのはずが女神と言われたいるのはなかなか違和感があるが。
「凛子、早く寝なさい!! いつまで起きてるの!!」
母が私の部屋にノックもせずに入ってきた。音漏れしていたのだろうか。私は慌ててスマホの電源を消すと、布団の中に潜った。
***
「私、退所します」
私がそう言うと社長は驚いたように立ち上がった。
「ま、待て!! カノン、お前も何か言わないか!!」
「好きにすれば〜〜? ーーあ、ショウちゃんだ!!」
「なっ……!!」
隣に座っていたカノンは私に興味がないようにスマホを触っていた。また新しい男ができたと誇らしそうに言っていたが、今度は若手俳優に手を出したようだ。メッセージが来た途端に目の色を変えてすぐさま返信を打っている。
私とはもう完全に目指す道が違っているとはっきりしてしまった。私からカノンに言える事は何もない。
「ーーでは、失礼します」
「おい、待て!!」
もう未練はない。ないはずだ。
心で何度も言い聞かせる。
なのに、鏡に映った私の目からは涙が溢れていた。
***
「また、同じ人になってる……」
休日の起床は普段なら今の時間よりもっと遅い時間だ。しかし、気になる夢を見て早めに目が覚めてしまった。深呼吸を繰り返しながら身を起こす。昨日から夢で起こる謎の現象は未だ不解明だ。
今回見たのはおそらく解散する時のものだろう。しかし私には信じられなかった。
昨日の放課後に茉由から送られてきた様々な映像を見ていたら気になってしまった。そこで母が寝室に行ったのを確認した後、私はFILLSについてインターネットで夜遅くまで調べていた。SNSや動画サイトにあげられていた切り抜き動画はどれもタイトルに『仲良し集』などとつけられ、FILLSの仲睦まじい様子ばかり流れてきたのだ。
おそらく夜更かしした影響で睡眠状態が悪くそのような夢を見たのだろう、と結論づけた私は自分の頬を叩いて悪い考えを捨てた。
「空気入れ替えるか……」
私は窓を開けて風を浴びた。涼しい風が部屋中を駆け巡る。いつも通り網戸とカーテンを閉めた後、部屋の扉を開けようとした。
「あ、こんにちは」
部屋の扉の前に見知らぬ男がいた。全く見覚えがない。黒いコートと綺麗に整えられた白髪、ルビーのような瞳がよりこの男の怪しさを深めている。
不審者が出た時には誰かに助けを求める事が大切だ。私はそう幼い頃から学んでいる。しかし、その考えに至る前に口から悲鳴が溢れ出した。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
私の叫び声を聞いた両親が1階からやってくるのが分かった。いつもならもう休日の出勤時間のはずの父が慌てて階段を駆け上っている。
「凛子!? どうした!?」
「な、なんか変な人がいる!?」
「何だと!?」
父が私の部屋を勢いよく開けた。それを避けるように男が慌てて私に近づいてくる。私は慌ててベッドに身を投げ捨てた。
「お、お父さん!! ここにいる!!」
私の必死の叫びに父は部屋全体に目を回す。しかし、見終わった後に首を傾げた。
「凛子、どこにいるんだ? 誰もいないぞ?」
私は目の前にいる男を指さした。男は困ったように父と私を交互に見ている。
「え? でも、私の目の前に……」
「ーー幻覚でも見たんじゃないか?全く、休日の朝から大騒ぎするんじゃない」
父が注意をした後、ゆっくりと下の階に降りていく。しかし、私は依然としてベッドから動けずにいた。私の目の前にはその男がいるからだ。しかも、男は私の部屋の椅子にちゃっかり腰掛けている。
私には見えて父には見えない。そんな不可解な話があるものか、と私が男の体に触れようとする。しかし、私の手は男の体をすり抜けた。
「今の私は貴方にしか見えないんですよ」
男が私の反応が面白かったのか大笑いする。しかし、私は全く笑えない。私は何度も男の肩を掴もうとしたが、結局掴む事が出来なかった。仕方なく私は男を取り押さえる事を諦めて問い詰めることにした。
「誰ですか、貴方!! それに人の家に勝手に入っておいて私にしか見えないとかどういう事です?」
私の問いに男はどう答えようか悩んでいた。男が答えた解答はあまりにも信じ難い話だった。
「私は久遠と申します。えっと、説明しますね。神様が貴方が予知夢を見てどう動くのか、っていうゲームをしてるんです。まぁ、簡単に言いますと貴方の行動に対して神様が賭けをしてるって事なんですけど」
「ーーよく分からないんです」
「ですよねぇ……。僕もちゃんと理解しているわけではないんですけど」
男は苦笑いしながら長い説明を始める。
人間を世界に創り出した神達は暇つぶしにゲームを始めた。とある神が条件をいくつか作り、そこに選ばれた人間がどう対応するのか。その行動に賭けをし、賭けに勝った者には新たな創造物を世界に創ることが出来る。
「今回は他人に関する予知夢を見た人間が動いて未来を変えられるか。まぁ、それで貴方が選ばれた訳なんですけど。そもそも悪い予知夢を見たのに、全く貴方が動かないので退屈に思った神達が私を入れたんです」
話をし終えた久遠に私は呆れるしかなかった。話にあまりにも現実味がないのだ。哲学やSFを混ぜた御伽話のようにしか聞こえない。
「いや、本当に意味分からないんです。と言うか、その予知夢に出てくる相手が悪すぎるでしょ!? 芸能人なんて街で遭遇する事出来るどころか一生会えないぐらいの存在ですけど!?」
「あーー、そこはこれから検討しますね」
「どうせ検討だけでしょ……って、そうじゃなくて!!」
何故か私がアドバイスにしたようになってしまった。しかし、そんな事よりも私が問い詰めたいのはゲームの攻略者という話だ。
「じゃあ、神様達は私に予知夢に出てる未来を変えて欲しいわけ?」
「まぁ、そうですね。実際に今賭けに参加している16神中半分以上がそうして欲しいって思ってるから僕を送り込んだわけですし」
「それってありなの? 普通はダメじゃない?」
「ほんとですよ。僕、休暇で現世に来てたのに!!」
久遠はそう言いながらがっくり項垂れる。どう見ても真夏のバカンスに来たとは思えない暑そうな格好だ。名前や事情を話してもらったとはいえど、余計に怪しさが増す。
「あの、じゃあ久遠さん?は……」
「久遠、でいいですよ」
怪しい微笑みに引き下がりそうになるも、私はふと頭をよぎった質問をしてみる。
「ーー久遠はどうなって欲しいの?」
凛子の問いに予想外だと言わんばかりに久遠がまじまじと凛子の顔を覗き込むように見てくる。その瞳に吸い込まれそうになるのを凛子は何とか思いとどまった。
「僕の意志は関係ないですよ。というか、そもそもあまり賭けに興味ないんでどっちでも……」
戸惑ったような解答は本心のように思える。久遠は困ったな、と言いながら頭を掻いた。
一方、私はその解答を聞いて満足した。
「じゃあ、私は動きません」
「はい!?」
さらに予想外の出来事が起きた為か、久遠が私の肩を掴んで止めようとする。が、私が先ほど試したようにその手はすり抜ける。私は驚く久遠に言い放った。
「そもそもFILLSが解散するわけないでしょ? だって、昨日ツアーのファイナルが終わって次のツアーも決まったってニュースになってたし」
「いや、ちょっと待ってくださいよ。それじゃあ、僕来た意味無いじゃないですか!!」
昨日インターネットで得たばかりの知識を久遠にぶつけた。私は椅子を奪い取るとその上に乗って久遠を見下ろした。流れは完全に私の方だ。
「神様が勝手に巻き込んだのに退屈だから動けって何様!? 私達を生み出したとはいえ、何よそれ!!」
「まぁ、そう思うのは当たり前でしょうけど……えぇ……」
久遠が明らかに予想外だと私の考えを改めさせようとする。しかし、私の意志は変わらない。
もし、FILLSが互いに険悪だったら少しでも疑われるような部分が出てくるはずだ。しかし、そんな動画は出てこなかった。
「え、本当に少しは動こうと思わないんですかーー!!」
「動きません!! てか、別に私の行動に興味ないって言うのに口を挟む権利ないですよね!?」
「た、確かに……」
私の言葉に久遠は黙り込んでしまった。少し気分がいい。しかし、久遠は諦めが悪かった。久遠の必死の説得は私が眠りにつくまで執拗に続いたのだった。
***
「係員の指示に従ってくださいーー」
今日は確かシングル特典の握手会だ……。
さほど寝れていないからか頭を働かせようとしても言う事を聞かない。
「お2人とも移動お願いします」
スタッフの案内で私達は控え室から出て会場に向かう準備をする。
「はぁ……マジでだる……」
「カノン!!」
マネージャーの叱咤の声にカノンはスマホを控え室の机に乱暴に置いた。画面には今人気の若手俳優とのメッセージ画面が一瞬見えた。
「今日はよろしくお願いします!!」
すれ違うスタッフ1人1人に挨拶をして握手会会場に向かう。スタッフの拡声器を通した声とファン達の熱気高まる空気にさらに頭痛が酷くなった。
自分の自己管理はあれほど気を遣っていたのに、体調を崩したのは私の責任だ。ファンやスタッフさんのせいではない。
何とか隠さなければ。
息を軽く吸って私は自分のスペースに向かった。最初に並んでいた馴染み深いファンが私を見て小さく飛び跳ねる。
「こんにちは!!」
握手会が始まった。制限時間が終わればスタッフさんが引き離してくれるので、時間いっぱい話す。
ファンにとっては人生で一度きりになるかもしれない。永遠の思い出になるように目を見て1人1人話していく。
「こんにちは、初めて来てくれたの?」
列の終わりも見えかけた頃にやってきたのは背の高い男性だった。服装がジャージなので余計に目立っていた。
「ーーアリア、一緒に死のう」
「え?」
何を聞いたか聞き返そうとした次の瞬間には、手首に熱が走っていた。恐る恐る見ると手首に大きな切り傷が出来ていた。出血が止まらない。
「アリアさん!?」
「おい、警備員呼べ!!」
スタッフさんの怒声や焦った声が聞こえる。隣のレーンから自分のレーンからファン達が悲鳴を上げてるのが聞こえた。
「ーーみろ」
奏音が何か言っているのが聞こえた。しかし、私には聞き返す力はなかった。ずっと我慢していた頭痛が手首の痛みによって一緒に痛みが戻ってきた。
「アリア、アリア!!」
マネージャーの叫ぶ声を最後に私の意識は途切れた。
目が覚めた時に見えた世界は暗くシミのついた天井だった。
***
「ーーっっ!!」
飛び起きた。夏の暑さが厳しい為、エアコンの温度を下げてつけていたものの汗がびっしょりだった。
私は慌てて久遠を探す。寝る場所を提供しろと言っていたのでクローゼットの空きスペースを貸したのだ。クローゼットを勢いよく開けてみるが、久遠はいなかった。
「あれ、何でそんなに慌ててるんですか?」
「ーーうわぁ!?」
突然私の後ろから久遠が声をかけてきた。予想外の場所からの登場に昨日両親から散々怒られたので慌てて口を押さえる。
「ど、どうしよ。アリアが襲われちゃう」
私の焦る様子に久遠が意味が分からないと首を傾げた。
「どうして急に? 貴方、予知夢なんか信じないって言ってましたよね? 変えることに興味ないって言ってましたよね?」
あまりにもど正論だった。私は答えれずに口を半開きにしてしまった。久遠は追い打ちをかけるようにさらに続ける。
「それに運命を変えたら神様を楽しませることになりますよ?貴方、思い通りにさせたくないんでしょう?」
「で、でも……」
スマホを取り出して検索する。調べる内容はただひとつ。FILLSの握手会の日程だ。
FILLSの公式ホームページを開いてスケジュールの項目を開く。カレンダー式のスケジュールから今日の日付を探す。
「今日、10時より清明文化センターにて握手会……今日!?」
清明文明センターは都心部にある。ここからは2時間ほどだ。現在9時半。今から行くにしても間に合わない。
「ーー確かに私は予知夢なんか信じてない。でも、人が危ない目に遭うって分かってるのに見逃したら……」
私の言っている事が矛盾しているのはよく分かる。もし私が相手に言われれば都合が良すぎると腹を立ててしまう。しかし、久遠はすぐに返答してくれた。表情は満足げだ。
「仕方ありませんね。本来なら貴方が予知夢を信じて変えようとするように仕向けないといけませんでしたし、この状況はラッキーです」
久遠は何かを唱える。映画で見た事のある陰陽師のようなポーズを取った後に、私の頭を指さした。
突然目の前が私の部屋から真っ白な光に包まれたのが分かる。
「やばい、FILLSに会える!!」
「なんて話そう……」
次第にざわめく声が耳に入ってきた。私は恐る恐る目を開いた。私は目の前の景色に驚愕する。そこは家から2時間かかるはずの場所だった。握手会に向かうであろう人々が私達を追い越していく。
「はい、清明文化ホールに着きましたよ。これで貴方は動けますよ」
「でもどうしよ……。何も考えてなかった」
久遠にそのような事が出来ると思っていなかったので、いざ来てみると何をすれば良いのか分からない。とりあえず私は辺りを見回す。周りの人達は皆これから起こる推しとの対面に頭がいっぱいで、私に声をかけようとする人はいない。まずはチケットを手に入れる事だろう。でも、チケットを譲ってくれる人はいないだろうし、当日券なんてシステムもないはずだ。
「あぁ、お任せください。私は何でも用意できますから。チケットでも何でも言ってください」
久遠が思考を読んだのか待ってました、と言わんばかりにチケットを渡してきた。彼の手にあるチケットは私でも掴むことが出来た。私はそのチケットを持って、ファンの列に並ぶ。思ったよりも最後の方につけたらしい。好都合だ。
私は列の前後を見回す。しかし、該当する人物は見当たらない。少しずつ列が前へと進んでいく。だが、夢で見た人物は現れなかった。確か、夢で見た男は久遠のように黒一色の姿だった気がする。周りが着飾っているからこそ、シンプルな服は目立つはずだ。しかし、どこにも見当たらない。ファン達はメンバー達のグッズを持って写真を撮ったり、グッズを交換しながらその時を今か今かと待っている。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「アリア!!アリア!!」
突然ホール内から甲高い悲鳴が聞こえた。一瞬で周りの人達の騒ぎが収まる。中がまだ見えない私達は突然の悲鳴に状況を理解できない。
「え、何……」
「アリアに何かあった?」
ファン達が中で何があったのかと背伸びをしている人もいるが、簡単に見えるわけが無い。順調に進んでいた列も止まってしまい、中に入る為には倫理を無視して列を越す必要があるだろう。
まさか、と私は悪い想像をした。そんなわけない。SNSを開いて検索履歴をタップする。ここ数日調べていた為、『アリア』というワードは1番上にあった。私はすぐにタップした。外だからか電波が悪い。何とか読み込みが終わったので最新の投稿から遡る。そして、私は事の全容を知った。そのままだった。夢で見た時と同じような内容だった。
『やばい、アリアが男に刺された』
『男取り押さえられてるけどなんかずっと喋ってる』
『アリア、倒れた』
そんなツイートと共に衝撃的な写真が流れてきた。そこには手首や腕が血に染まったアリアが床に倒れているのが見えた。必死にスタッフがファン達から見えないように囲んでいるからかスキマから撮ったようなので男の姿などははっきりとは見えないが。
周りのファン達もその画像を見たのか、再び騒ぎがどんどん広がっていく。今度は高まる歓喜の声ではなく、恐怖の声だ。安否を確かめようと中に入ろうとする人、ただ叫ぶ事しかできない人……。
「これは……」
久遠だけはなぜか落ちついていた。彼は私の隣にやってくる。その表情は何故か苦虫を噛み潰したようだった。
「ーー予知夢は完全に当たるわけではありません。出来事を予期するだけで時間や位置をピッタリ当てられる訳ではないんです」
慰めの言葉をかけようとしているのだろう。しかし、それは慰めにはならなかった。嘘だと言ってくれ。そんな事しか思い付かなかった。予知夢が本当ならFILLSは解散し、アリアはアイドルを辞めてどこかに行ってしまう。
もう何も考えれそうにない私を見かねた久遠が再び私の頭を指さした。光は先程よりも優しい光だったように思える。そうして、私は再び自分の部屋へと戻されたのだ。
その日の午後のニュースで、FILLSの握手会での事件が報道された。犯人はすぐに捕まったというが、黙秘していると言う。
SNS上ではFILLSを気遣う声が上がっていた。誰もが事務所の声明ではなく、2人のありのままの声を求めていた。
しかし、それは叶わなかった。
1週間後、FILLSの解散が発表された。突然の発表にファン達が困惑の声をあげて事務所に詳しい説明を求めたが、事務所は解散するとしか答えなかった。
メンバーのカノンは芸能活動を続けるので応援してほしいと自身のSNSを更新した。しかし、一方のアリアはSNSを更新しなかった。その為、消息不明となった。誰もアリアの行方を知らない。
***
FILLSの解散はクラスでも持ちきりだった。皆熱心なファンではないが、ショックだと連日休み時間には何かしら曲が流れている。
昼食を食べていた私を見ていた茉由が飲んでいたコーヒー牛乳を置いて言う。
「いやぁ、まさかあんたが見た夢が本当になるなんて」
「感心するとこじゃなくない?」
私はあの日から何も身に入らないでいた。授業も部活も何も身が入らない。
未だにアリアの行方は分かっていない。ファン達が事務所に声明を出すよう抗議したものの、事務所も把握していないとの一点張りだとどこかのニュースで特集されていた。
「アリア、どこ行ったんだろうね〜〜。解散したらカノンが人が変わったようにテレビに出てきたし。あんなキャラなんだって驚いたけど面白いよねぇ」
茉由がそう言いながらSNSを見せてくる。確かにカノンはFILLS時代ならあまり出ていなかったバラエティーやドラマ、グラビアなど様々な活動をしているらしい。ファン達も困惑しているようだ。
「みんな、アリアを待ってるのに……」
「まぁ、流石にあんな事があったら怖くなるよ。アリアはこのまま引退して正解かもね。カノンが急にはっちゃけてるんだもん。復活するにも天使のイメージ壊れてるし」
茉由は興味がなさそうに次の話題を話してきた。私はその後の会話が耳に入ってくる事がなかった。
帰り道、家の前にハイビスカスのシャツを着た久遠が立っていた。他人からは見えないとはいえ、住宅街には異様な服装だ。
「もう賭けは終わったんだから神様の所に帰るんじゃないの?」
私に紅芋タルトを渡してきた久遠はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりの顔で答えた。
「まぁ、終わりですね。でも、僕にはバカンスを満喫するっていう目的があったんですよ」
「あぁ、確かそんな事……」
「今日はテーマパークに行こうと思いまして。なかなか面白いと聞いていたので楽しみです。あぁ、お土産買ってきますね」
「いや、良いよ別に……」
久遠はそう言って私の前から姿を消した。しかし、数日後にはカチューシャなどをつけて私にお土産を渡しにきた。そのように久遠は数日姿を消しては、私の元にお土産を持って来てくれた。
FILLS解散から1ヶ月経つと、カノンは普通の人気タレントとしてテレビの主演が増えていた。ソロデビューも発表され、カノンはFILLS時代よりも波に乗っているように見えた。
カノンはFILLS時代の話をする事を禁じられているのか分からないが口を閉じていた。何も話さなかった。一部のファンからは『穢れた天使』などと色々言われていたようだが、それを遥かに上回るほどに大衆人気を得ていた。
しかし、1つの火種によって状況が一変する。カノンの裏垢が見つかったのだ。そこで発覚した二股どころではない熱愛と同時にアリアを含む他のアイドルへの悪口なども見つかった。 決定的だったのはアリアを襲った男との繋がりを示唆する投稿がいくつかあった事だ。おかげでカノンは炎上を抑えきれず活動休止をしてしまった。
FILLSと調べれば出てきた『仲良し動画集』は出てこなくなった。いや、その数を上回るほどに元々投稿されていた『FILLS解散の闇』、『不仲説』のタイトルの動画が再生数を取り始めたという方が正しい。投稿日は数年前のものばかりだ。その流れに乗っかるように他にも似た動画や切り抜きが次々に生まれた。
しかし、誰もがFILLSの事など騒いでいたのはその時までぐらいだった。興味が移れば、皆すぐに別の話題に移った。
***
季節は秋になった。まだ気温は高いものの日差しは少し優しくなったように感じる。
「これって、神様からすればどう見えるんだろ?」
「どうでしょうね……。貴方は未来を変えようと動きましたけど、結果は変わる事なく彼女は引退されてしまいましたし」
久遠が今日には元の世界に戻ると言った為、私は見送りに近くの公園まで歩いていた。久遠曰く、元の世界からの扉がその付近にあるらしい。
歩いていると、公園に誰かが座っているのが見えた。その服装は黒一色で久遠の初対面同様の怪しさがある。しかし、その服装とキャリーバッグには見覚えがあった。
別人だったらどうしよう。いや、こんな住宅街にいるわけないだろう。その答えを考えるよりも先に私は動き出していた。
「あ、あの……!!」
突然声をかけられた事に驚いた彼女は私の方を見る。その容姿は少し痩せ細って健康的ではないが、完全にあのアイドルと一致していた。
「私?」
「あ、貴方はえっと……アリアですよね?」
彼女は私の問いにあり得ないと顔で答えていた。しかし、すぐに表情を戻して自分の言葉で私の問いに答えてくれた。
「ーーよく分かったね? 顔隠してたつもりだったんだけど」
アリアは深々と帽子を被り直すと、私の方へとやって来た。私は声はかけたものの何を話せばいいのかわからなかった。アリアが近くまでにやって来た。いかに人間離れしている容姿かを思い知らされる。その前では黙っていようと思っていた事も口から出てしまった。
「あの、信じてもらえないかもしれないんですけど……。私、貴方に関する予知夢を見て」
「予知夢?」
アリアは首を傾げて私を不思議そうに見つめていた。当たり前だ、突然声をかけて来た人間が自分の未来を見ていたなんて言い出せば普通は怖がるはずだ。しかし、アリアが興味を持ったのか私の手を引いてベンチに座らせた。
「ちょっと待っててね」
アリアは自販機で飲み物を買って来た。片方にはブラックコーヒー、片方にはオレンジジュースを持っている。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
アリアは私の隣に座ってコーヒー缶を開ける。夏はもう終わりかけだがまだまだ暑い。私もすぐに缶ジュースを開けて飲み干す寸前まで飲んだ。
「ねぇ、聞かせて。私の予知夢って何を見たの?」
アリアが瑠璃色の瞳で私を見てきた。私はどこから話せば良いのかと考えたが、全て話す事にした。握手会の日に見たアリアが男に刺される夢、その前に見た事務所の退所を申し出る夢。そして、初めて見た寂しそうなアリアの夢。
アリアは私の話を黙って聞いていた。静かに何も反応する事なく。しかし、終わった後には私の方を見て苦笑いした。
「予知夢ってそんなに明確に同じ物事が起きるって見えるんだね。昔からそんな風に予知夢を見てたの?」
「いや、今回が初めてで……」
「そうなんだ。私達初めて会ったのに変な運命があるものだね」
アリアはコーヒーを飲み切った後、ベンチに優しく缶を置いた。決意したかのように私に尋ねてきた。
「少し、私の事を話しても良い?」
私はすぐに頷いた。アリアは安堵したように頷き返して口を開き始めた。
「ーー最初の頃は同じ夢を見てたはずだった。でも、だんだんと私とカノンの間で衝突する事が増えた。方向性も違うって薄々気づいてたの」
***
アイドルになりたいと上京して数週間後にはスカウトされて、事務所に所属する事ができた。
デビューが決まるまで他の練習生達と練習した。特にカノンとは1日中一緒にいた。常に一緒だった。
事務所の社長からデビューさせると言われた時にはカノンと抱き合って誓った。
私達はアイドルとしてみんなの憧れであろうと。
こうして、可愛らしい天使のイメージしてFILLSが誕生した。
デビューはアイドル戦国時代の後だった。戦いが終われば全てが無に戻る。誰もが光を求めていた。
私達はその光になった。すぐに人気になった。忙しくなったが、それも人気の代償だと思っていた。
しかし、ある日を境にカノンと争う事が増えた。きっかけはコンサートのリハでカノンが振りを間違えた事からだった。1回だけなら何ともなかった。だが、カノンは一曲の間だけでも何度も間違っていた。
『カノン、どうしたの?最近踊ったばっかの曲なのに忘れるなんて……』
『いや、何でも。次の曲やろ』
『でも、カノン。もう一度やらない?本番でもこんな感じだったらーー』
『あんたは間違えないから良いかもだけど。私は本番はちゃんとできるから』
私の言葉に苛立ってしまったカノンはそう言って控え室に戻ってしまった。私も最初は少し言いすぎたかもって思った。
でも、カノンが置いていったスマホを見てしまった。そこには見覚えのある芸能人とのメッセージのやり取りの通知だった。どう見ても側から見ればカップルの会話だ。しかも、1人ではなく少なくとも2、3人と同じような会話をしている。
『カノン!!スマホのやつ通知見ちゃったんだけど……』
『ーー何』
『カノン、私は恋愛するなとは言わない。でも、人間としてダメな事をしてる。お願いだからちゃんと説明して別れるとかーー』
『あのさぁ。そういうところがムカつくんだけど。ーーあんただけいつも持ち上げられてさ。私がオマケみたいじゃない!! 私だって同じ努力をしてきたのに』
確かにあの頃の私は天才だと持ち上げられていたと思う。だけど、その評価に恥じないようにそれに相応しくあろうとさらに努力していた。
カノンも努力していた事なんて私が誰よりも知っていた。だから、私だけが讃えられるような事は苦手だった。
カレンは私の方を見て鼻で笑った。
『というか私は別に芸能人になれれば何でもよかったんだけど』
『ーーえ?』
『あんた、気持ち悪いほどにアイドルに固執してるからこいつとデビューすればイケメンと繋がれるかなぁって。まぁ、おかげで私の夢は簡単に叶った。けど、あんたのせいで私は比べられる事ばっか。もっと私だって崇められても良いはずよね? それに、私がアタックした男は皆あんたの方がいいって言いやがって…』
マネージャーが止めなければ、カノンはそのまま私への不満を続けていただろう。私達は何とか1日目のコンサートを終えた。
しかし、その1日だけてわ私とカノンの間には埋めることの出来ない亀裂が出来た。カノンは何かが音を立てて切れたのか、積極的に男性との関係を求めるようになった。
私は彼女に何かを言うように言われたが、何もできなかった。私はカノンのことを何でも知っていると思っていたが何も知らなかった。ずっとカノンと夢の方向性が違うと知ったショックを引きずっていた。何が悪かったのか。そう考えても分からない答えを永遠に考えていた。
次第に私はアイドルである事が辛くなった。
私がなりたかったアイドルーー私の全てを捧げて作り出したのがFILLSのアリア。
次第に真っ白な清い存在、コンセプト通りの天使であったはずのアリアが濁ったように見え始めた。ステージで光り輝いていたペンライトすらも見るのが辛くなってきた。
そうして起きた、握手会での事件。
私の中で何かが途切れた。
限界だったのかもしれない。それに気づくのが遅かったのだろうか。
私にはもうアリアとして立つ事は出来ない。
アリアをこれ以上穢す訳にはいかない。
ここで幕を下ろそう。これ以上私がアリアであればどんどん穢れてしまうから。
私が憧れたアイドルがファンの記憶の中で天使でいられるように。
***
「アリアは私が1番なりたかったアイドル。そして、私が1番のファン。だから、アリアを美しいままで終わらせる為に突然引退なんてしたんだけど……あまり正しい方法じゃなかったかな」
アリアの手は震えていた。確かに美しいままの終わりではないかもしれない。しかし、彼女は美しい記憶のままを人々に残すために最後は何も言わずに消えた。彼女の覚悟は簡単ではなかったはずだ。
「私に思いつく最高の終わりが引退理由も言わずにステージから降りる事だったから。まぁ、結局カノンの事があってFILLSはイメージが汚れてしまったかもしれないけど」
彼女はそう言って近くのゴミ箱に缶を捨てると立ち上がった。その表情は既にしがらみを捨てて強くなっていた。
「ーー久しぶりに人と話したかも。人と話すのも辛かったけど話してみると気が楽になるもんだね。ごめんね、急にこんな話をして。イメージ壊したくないって言いながら何でも話しちゃった」
「いえ、私も引き留めてしまってごめんなさい」
立ち去ろうとするアリアに私は問いかけた。恐らくこの答えで神達の賭けの結果は変わるかもと思ったからだ。
「あの!!もうアリアに戻る気は無いんですよね」
「ーーうん。アリアは誰にも汚させない為に。もうさようならって自分の中でけじめをつけて別れたしね」
彼女はそう言って去っていった。キャリーケースを公園の前にいつのまにか停まっていた車へと男性に運び入れてもらう。何もない両手で私に手を振った後、自分も乗り込んだ。外で待っていた男性が彼女そっくりに見えたので兄弟だろうか。いや、詮索はやめよう。
私が車を見送った後、今までどこに隠れていたのか、久遠が私の横にやって来た。私は気になっていた疑問を尋ねてみた。
「今のは久遠も神様も分かってた出来事なの?」
「いや、私としても予想外ですね」
久遠は相変わらずよく分からない。彼は面白いと大笑いしながら、いつのまにか現れていた後ろの扉を開く。扉の先は真っ白で何も見えない。
「それでは、ここで私は失礼しますね」
「待って!! 私、久遠に聞きたい事があるの!!」
私が引き止めると彼はすぐに戻ってきた。私でも分からない答えを恐らく答えてくれるだろうと期待して私は尋ねた。
「久遠は今回の事、ハッピーエンドかバッドエンドかどう思う?」
「そうですねぇ……。誰かにとってはハッピーエンドでも誰かにとってはバッドエンドですから」
久遠も私と同じ答えを出した。やはり、張本人ではなく他人が判断するのは難しいのかもしれない。
「私も答えが出ない。アリアからすれば綺麗なままのはずだからハッピーエンドなのかな?」
「それもひとつの考えですよ。ーーあぁ、時間だ。では、お元気で」
私の言葉に簡単な返答をした久遠はそう言って深々と一礼すると、その扉の先まで行ってしまった。秋の訪れを告げる風が静かに吹いていた。
***
「あれ、皆様お揃いなんですね」
扉を閉めた久遠が一礼し、神座に集まる神達の様子を窺う。神達は面白いというように笑ったり、不満そうな表情をしていたりと様々だ。
「手を加えたのに予想を超えた結末だった」
「これ、賭けの勝敗をつけれますの?」
「久遠。お前はこの賭け、どう勝敗つける?」
神から突然話を振られた久遠は困ったように苦笑いした。先程はすぐに答えたとはいえ神達の前だ。慎重な答えを出そうと、数分考え込んだ後に答える。
「今回の賭けはドローで良いんじゃないんでしょうか。皆さんの予想を超えたのですから勝ちか負けか選択肢だけでは決めれないと思いますね」
久遠の答えに神達は意味が分からないと蔑むように笑った。しかし、とある神が顎髭を撫でながら考え込んでいる。その神は神達の中でもトップに君臨していた。
「ーー確かにそうだな。人間共が我々の考えを遥かに超えた事を讃えて今回は引き分けとしよう」
神はそれぞれの自我が強いとはいえ、上下関係などの慣習的な関係には厳しいのだ。逆らえばどうなるかなど分かっている。無言の返答に満足そうな1番上の神は決定と木槌を落とした。
「なかなか面白かったわ。次は私にやらせてちょうだい」
「そうかなぁ? 俺は絶望した顔をもっと見たくて手を加えてまで間に合わないようにしたのになぁ」
「まぁ、分からなくもないが。人間はなんとも恐ろしい生き物だ。我々と違って内面まで穢れている」
「ーー所詮完璧な我々よりも劣った生物なのだ」
神達は自分達が創り出した人間にあれやこれやと蔑むような発言ばかりだ。一方、人間でもなく神でもない久遠は傍観者としてその賭けを見ていることしか出来ない。久遠は思った事を小さな独り言として溢してしまった。
「神も人間も誰かが不幸になる瞬間を見るのが好きなのか」
今回凛子が防ごうとした握手会での事件。本来なら防げたのだ。しかし、時間がずれて防ぐ事ができなかった。理由は簡単。
神が手を加えて運命を変えたからだ。
所詮気分屋な神達の手で作られたゲームなのだから気分次第で運命を変える事が出来る。毎回、ゲームの結果は最高神の意向で変わる。前回のゲームでは人間達が未知の現象を実験で解明できるかという賭けだった。最初は実験を成功させようとしていたのに、やっぱり失敗させようと最高神がいった。結局、実験を失敗に終わらせた。そんな結果が分かりきったゲームの一体何が面白いのか久遠にはさっぱり理解できない。
今回も不幸になる方がいいと思った最高神が運命をいじったのだろう。だが、思っていた終わり方ではなかったようなので最初に反応を見た時、久遠は笑いそうであった。
神達は自分達よりも劣った生物が人間だと言う。だが、神も人間も誰かが不幸になるのを第三者の目線で見るのが大好きなのだろう。実際、今回の件でも不幸になった人間を見て嘲笑っている者が何人かいた。
(結局神と人間って一緒だよなぁ……)
この親にしてこの子あり、なんてことわざがあるがその通りだ。神がどれだけ人間を下に見ようが、人間がどれだけ神を崇めようが所詮同じ生物なのだ。
久遠は内心そう思いながら、神達の前から姿を消した。
読んでいただきありがとうございました。