第12話 木常崑崑は 貧乏に 殺されたのだ
十或セレモニーホールで、時代を作った芸能事務所の社長、木常崑崑の葬式が始まった。十或生花店が経営しており、千人ほど収容できるスペースがある。
時刻は午後6時。百数人が集まっている。もっとも息子の木常狸吉親子と長年崑崑社長と付き添い、5年前に退所した横川尚美の弟子たちであった。芸能関係の人間はだれ一人来ていない。役員も全員来ていなかった。芸能関係のマスコミが数十人おり、来客に対してインタビューをしていた。
秋本美咲と岩佐康は喪服を着ている。美咲は着物で、康はスーツだ。事務所の面々も一緒に来ており、他の客に挨拶している。
「これって社葬なのかしら?」
「いや、一般葬だよ。芸能関係に手紙を送ったけど、まったく反応がなかったらしい。崑崑社長どれだけ嫌われているんだよ」
美咲が聞くと、康は呆れていた。確かに崑崑社長は晩年失敗を犯したかもしれないが、葬式にも来ないのはどうかと思う。なぜか犬に石を投げるように追い出した尚美が来ているのは不思議であった。
「よー! 美咲に康!! 元気にしてたか?」
体格のいい、赤いパーマの女性が尋ねてきた。70歳だが肉体ははちきれんばかりであり、今でも爆発しそうである。
美咲の師匠である横川尚美だ。
「もちろんですよ師匠!! 最近は康と毎晩ハッスルしまくりですから!!」
「おい!! 葬式で言う話じゃないだろ!!」
「でもまあ、歩と三人なのが気に食わないけどね」
美咲はのろけており、康は慌てて止める。その様子を尚美は微笑ましく見ていた。
彼女は独身で子供を産んだことはないが、子供や孫ほどの弟子たちに囲まれている。なので世間で思われているほど孤独ではなかった。
「それにしても尚美一家勢ぞろいですね。演歌の女王たちを始め、パティシエやフラワーアレンジメントに、ファッションデザイナーなどその道のプロたちが集まってますね」
ほとんどが尚美の弟子だ。演歌歌手が多いが、途中で道を諦め、別の道を歩んだものもいる。テレビや雑誌では有名な顔が多い。
「ははは。今日は復讐の時さ。崑崑を見捨てた連中の信用を泥の中に落としてやるためだよ」
尚美は禍々しい笑みを浮かべた。普段は胡散臭そうな笑みを浮かべているが、腹の底から邪悪な笑顔になることがある。
「それっていつも言っていた、復讐のための親切ですか?」
美咲が訊ねると、尚美は首を縦に振った。
「そうさ。世間では私は崑崑社長に冷遇されてきた。その弟子たちも嫌がらせを受けている。それでも社長の悪口を言わず、耐えてきた。世間では横暴な社長に対して馬鹿正直に慕う妄信的な女と噂しているけどね」
「実際は相手を陥れるなんて思いもしないでしょうね」
「社長はいつも私に罵詈雑言を浴びせてきたが、私は常に社長を肯定してきた。そしたら益々社長は調子に乗り、烏丸りあも乗っかかった。そんな社長が亡くなり、葬式に来たのが私の弟子たちだけと知ったらどうなる? 別に何かされたわけでもない太鼓持ちの連中は世間からバカにされるのさ。恩知らずの不義者ってね」
美咲の言葉に尚美はくっくっくと笑っていた。康はドン引きしているが、美咲は普通であった。
尚美は崑崑社長に愛想をつかしているが、甘い汁を吸うためだけに近づいた人間も忌み嫌っていた。恐らく翌日の朝刊では尚美一家以外の人間以外葬式に参加しなかったことが一面に載るだろう。そうなれば葬式に参加しなかった関係者は周りの人に事あるごとにそのことを言われる羽目になるのだ。
それを考えると尚美は笑いが止まらないのである。
☆
葬式は終わった。寺から来たお坊さんのお経を聞き、狸吉の挨拶で幕を占める。
その後、長方形のテーブルとパイプ椅子が並べられ、ビール缶や仕出し弁当が置かれていく。
美咲と康は隣同士で、向かいには尚美と狸吉が座っていた。
「今日は葬儀に参加してくれてありがとう」
狸吉が頭を下げた。50歳くらいの丸っこい体格で、狸顔の男であった。細君は別の客を相手にしている。
「はい。ですが寂しいものですね。崑崑社長は確かに問題もありましたが、葬式に出ない人がいるとは……」
康は呆れていた。美咲は隣で弁当をもしゃもしゃ食べている。
「……あいつは貧乏に殺されてしまったのさ」
尚美はビールを飲みながら弁当を食べていた。
「貧乏に殺された、ですか?」
康は聞き返す。確かにキツネ御殿は零落していったが、貧乏ではないはずだ。
「私とあいつが出会ったのは、15歳の時だった―――」
尚美は自分の過去を話し始めた。
尚美の家は東京に住んでおり金持ちであった。父親は工場をいくつか経営しており、愛人を何人も囲んでいた。尚美とその母親は地味だからと冷遇されていたのだ。
父親は成金で、傲慢な男であった。かつて恩人から金を借りたのに、恩人が窮地に陥っても助けるどころか、崖から蹴落とすような性格であった。人の不幸は蜜の味と言わんばかりに、他者を陥れ、雪だるまのように資産を増やしていった。
だが事業に失敗すると父親は慌てた。まるで貧乏神にとりつかれた様に金が羽を生えて飛んでいったように思えた。金策に走るが、誰も金を貸してくれなかった。父親の仕打ちを忘れていなかったのだ。父親が泣きじゃくる顔を見え、悦に浸っていた。やがて父親の会社は潰れてしまい、愛人たちは蜘蛛の子を散らすように財産を持ち逃げした。そして父親は現実を認められず、首を吊ってあの世へ逃げたのである。
残された尚美と母親は貧乏な暮らしをしていた。しかし父親と一緒よりはましであった。楽園と言っても過言ではなかったのだ。学校に通いながらも、家事を手伝う生活は大変だが、充実した日々でもあった。
ある日、尚美は下校中に歌を歌いながら帰っていた。歌は金がかからない娯楽だからだ。それを若き日の崑崑社長が見つけ、彼女をスカウトしたのである。まるで黄金を産むガチョウを見つけたように喜んでいた。
「俺と一緒に天下を取ろうぜ!!」
最初は胡散臭いと思い、距離を置いていたが根負けしてしまった。そして芸能界に身を置くこととなったのだ。
崑崑社長は戦災孤児であった。2歳の頃に両親を空襲で亡くし、親戚の家に預けられた。だが厄介者扱いされ、こき使われることに我慢ならず、14歳でそこを飛び出したそうだ。
そして愚連隊の一員となり、様々な悪事を働いた。幹部にこき使われ、下っ端にも馬鹿にされていたそうだ。そこで芸能活動に目をつけ、一山当てようと模索したのである。
尚美を芸能界デビューさせた。最初はアイドルを目指したが、演歌が良いと判断され、演歌歌手になる。
それは大ヒットを連発したのだった。彼女のデビュー作、『肉酒場』は女が筋肉を鍛えて男を見返す曲が、男尊女卑に悩まされた女たちに受けたのだ。
「これでお母さんを楽にさせてあげられる」
尚美は稼いだ金を父親が残した借金返済に充てた。母親とは一緒に暮らし、マネージャーのまねごとをしてくれた。
尚美が50歳の頃にはぽっくりと亡くなったという。母親は幸福な死に方をしたと言える。その死に顔は笑みを浮かべていたそうだ。
仕事は増え、順調に稼いでいったが、尚美の体力は限界が近づいていた。休みたいと訴えても崑崑は聞く耳持たなかった。
「今休んだら銭を稼ぐ機会を失ってしまうんだ。頼む、勝ち続けてくれ。勝つことを止めないでくれ……」
崑崑社長は涙を流しながら頭を下げた。30代にもなると尚美だけでなく他にも歌手は増えたが、彼女たちを容赦なくこき使うため、逃げ出すものが多かった。
崑崑社長は30歳の頃に芸能関係者の女性と結婚して狸吉をもうけた。
母親は子育てに興味がなく、狸吉を放置していた。尚美が代わりに面倒を見ていた。
「崑崑社長は銭を稼ぐのに夢中になった。銭を稼げないと頭を掻きむしりヒステリーを起こすようになったんだ。さらにあいつは自分に逆らう者はもちろんのこと、かつての恩人たちを陥れることを繰り返したんだ。私はやめろと言ったよ。私の父親と同じように破滅の道を歩むぞと。それでもあいつはやめなかった。勝ち続け、銭を稼ぐことこそが世界の心理、裏切りと騙すこと以外は悪だと思い込んだのさ……」
尚美はため息をついた。のちに尚美が結婚しようとしたが、銭が稼げなくなると言って反対したので、お流れになった。
のちに尚美の稼ぎが悪くなると、彼女を無視し始めた。他の売れる歌手ばかりえこひいきし続けたのだ。それに腹を立てた尚美は弟子を取り、自分の考えを教えたのだ。
人に親切にすること。人の悪口陰口は言わないこと。金の貸し借りはしないこと、なるべく仕事を与えること。敵に対してはからめ手で相手を陥れることを教えたのだ。
すべては尚美の父親と崑崑社長を反面教師にした結果であった。
「……親父は金勘定が趣味だった。毎晩、金庫から札束を数えるのが何よりも楽しい人間だった。烏丸りあの色気に惑わされ、破滅するとは思わなかったな」
狸吉はビールを口にする。父親は金を貯めることが趣味だった。晩年は色気によって金を湯水のように使ったことは意外だったらしい。
父親は貧乏に痛めつけられたため、金に対しての執着心は人一倍であった。他人は愚か家族にすら金を使うことはあばら骨を抜かれるほどの苦痛だったという。
「金は貯めるだけでもだめだが、ただ使うだけでも駄目だ。その金で人を生かせるように投資しないといけないんだ。あいつはそれがわかっていない。哀れな奴だよ」
尚美はビールを一気に飲み干す。それが彼女の言っていた貧乏に殺されたという意味だろう。
自分が受けた惨めな過去を金で塗りつぶそうとしていたのだ。金をうまく使うことが出来ず、金に振り回された人生である。
「でも師匠と狸吉さんは幸運ですよね。反面教師を参考に成功できたから」
弁当を食べ終えた美咲が言った。尚美や狸吉もうなづく。
「まあ、すぎたことは忘れよう。今は自分たちのできることをしないとね」
狸吉が言った。
「そういえば美咲。あんた今度オーディションを開くんだって?」
尚美が訊ねた。二本目のビールを開けた。
「ええ。地元商店街で大々的に開催するんです。もちろん生配信ですよ」
美咲は胸をどんと叩いた。今の個人事務所セイレーンは美咲ありきだ。最近は玄姫やすむというVチューバも入所したが、まだまだ足りない。それに商店街を盛り上げるのが目的なのだ。
「全国から色々応募者が集まってますよ。でもひとり意外な人がいますね」
康が言ったが、口をつぐんだ。それは個人情報を漏らすからだ。
それを察したのか尚美と狸吉は深く聞かなかった。
美咲は康の話を聞いて思い出す。気になる女の名前は烏丸りか。
烏丸りあと同じ出身地の女であった。
今回は木常崑崑の過去を書きました。
尚美の過去も一緒ですね。
最後の烏丸りかは最終回であっと驚く形にしますのでお楽しみに。