第9話 烏丸りあは 死んだ
「はい、はい……。わかりました」
とある昼下がり、秋本美咲の個人事務所セイレーンでは、食堂で食事をしていた。
調理は双子のようで双子でない富沢利奈と久川寿子の二人だ。右わけのボブカットで赤いメイド服の女性が利奈で、左わけの青いメイド服が寿子である。
彼女たちは美咲を含めた事務員たちに食事を作っていた。
メニューはミートソーススパゲティで、みんなに取り分けている。
美咲と岩佐康は隣の席で食べていた。他の面々は黙々と食している。
そのうち白いスーツを着た気障な男がスマホを取る。黒髪のリーゼントに色付きの眼鏡、髭を生やしているが、元女の緒方真世だ。今は手術して完全な男になっている。
そんな彼はちょうど食事を終えたので、スマホを取ったのだ。
「あれ、真世さん。相手は誰なの?」
金髪碧眼の美女である美咲が尋ねた。隣にいる冴えない黒髪の康も心配そうな顔になる。真世の顔が真剣だからだ。
「ああ、狸吉さんからの電話だよ。あの人ついにクビになったってさ」
狸吉とは大手芸能事務所キツネ御殿の副社長、木常狸吉である。彼は社長の木常崑崑の息子だ。
「クビになったって……。株式総会で退任させられたのかしら?」
肩まで流れた茶髪に、日焼けした肌が眩しい恰幅のいい女性が聞いた。オネェで日髙雄二である。真世とは結婚しており、三歳の子供がいる。真世が生みの親で、雄二が育ての親だ。
「あのバカ女がいきなり首を言い渡したそうだ。そのうえ自宅も自分のものだから勝手に入るなよと吐いたらしい」
真世が苦々しく答えた。バカ女とはキツネ御殿の烏丸りあだ。22歳のアイドルだが、若い以外にとりえがない、枕営業に熱心な女である。
社長を色気で篭絡し、事務所を思いのままに操る悪女、といえば聞こえがいいが、実際は痴ほう症寸前の社長と、世の中の仕組みを一切理解しないバカ女が悪い意味で咬み合わさってしまったのだ。
「ふぅん、でも狸吉さんには関係ないよね。だってあの人すでに別の会社を立ち上げているし、マンションも持っているもの」
美咲が言った。
「そうだね。奥さん名義でムジナックスというワイチューバやVチューバを抱えている芸能事務所だもんね」
康が補足するとなぜか美咲は不機嫌になった。ワイチューバはワールドチューブという動画サイトで、動画を投稿し生活する職業である。Vチューバは架空の3Dモデリングを使ったものだ。
モデリングもそうだがネタも重要で、生半可な覚悟では稼ぐことは叶わない。主にボーカロイドの曲を歌ったり、ゲームの実況などで稼いでいる。上級者ならスパチャと言ってお金がもらえる仕組みだ。よほどアイディアがよくなければもらえない厳しい世界なのである。
「でもよく社長さんに見つからないわね。奥さんは取材とか受けないけど、SNSでは話題になっているけど」
雄二は心配そうにつぶやいたが、真世は否定する。
「あの人はSNSどころかネットを敵視しているぜ。そもそも事務所でサイトを立ち上げたり、動画を撮ったりするのも否定的だったんだ。狸吉さんが説得して実現したんだよ」
肩をすくめて呆れていた。社長の崑崑は頭が化石時代なのだ。新しいものを即座に否定しない時が済まない。彼の頭の中では歌手の活躍はテレビやラジオに映画、大規模な施設のコンサート以外ありえないのである。
SNSなどはまったく理解できず、頭を掻きむしりながら否定するありさまであった。
息子の狸吉が説得し、あくまでおまけみたいなものだと言いくるめたのである。
「ついでに狸吉さんの話だと烏丸りあは、美咲が出演するメテオシャワーフェスを潰すよう各業界を脅迫するよう命じたそうだよ。やっても無駄なんだけどねぇ」
真世はせせら笑う。メテオシャワーフェスの参加者たちの事務所は、ヴィベックスを始めとしてキツネ御殿を嫌っていた。さらに言えばスポンサーたちもキツネ御殿を嫌っている。
「俺は烏丸さんのマネージャーを引き受けたけど、ひどすぎるね。わがままし放題だし、まともに仕事もできない。そのくせ俺に罵声を浴びせる。怒りを通り越して呆れたよ」
康が憐れむように言った。康は以前の事務所で美咲のマネージャーを務めていた。美咲が社長から愛人になれと言われて断ったら、社長が倒れてしまう。
真世や雄二たちは一緒に離れていったが、康はついていかなかった。安易にやめるのは違うと思ったからだ。それに社長は入社したころはまだまともであり、見捨てることができなかった。
だが担当した烏丸りあは別であった。彼女は更衣室ではクーラーがない、好きなメーカーの弁当ではないと、康を罵った。さらにCMの撮影でも気がのらないと言って、そのまま帰ってしまうなど康は各方面で頭を下げる羽目になったのである。
りあにとっては気に入らない美咲のマネージャーをいじめて楽しんでいるつもりだろうが、実際は所属事務所の顔に泥を塗る行為であった。そもそもりあを採用したがる会社は少ない。彼女の悪名は広まっており、康が頭を下げて仕事をもらってきたのだ。
それなのにりあは一切感謝せず、仕事をえり好みし、採ってきた仕事を徹底的にぽしゃらせていた。
康が恥をかくよりもりあの評価は一気に氷点下まで下がっていく。それでもりあは自分は芸能界一で一番偉いと思い込んでいた。何か薬でも決めているのではないかと噂されている。
「それで俺が注意したら彼女にクビを言い渡されてね。他のマネージャーの引継ぎも終えたし、ちょうどいいと思ったんだ」
康はクビになったので、美咲に会いに行くことにしたのだった。
「正直、彼女は頭がおかしいどころじゃなかったわね。近づきたくないと思ったわ」
「私もだよ。あれと今まで一緒にいた狸吉さんに敬意を表するね」
雄二と真世はりあを酷評していた。そもそもりあは同僚だけでなく、事務員にも嫌がらせを繰り返す狂人であった。トップにはこびへつらい、下っ端は犬扱いするという最悪な女であった。
だがいずれトップは現役を引退し、下っ端が上になる。その時りあにされたことを覚えているものは、彼女を絶対に使わないだろう。
美咲の師匠である横川尚美は常に人に親切にしろと弟子たちに口酸っぱく教えていた。意地悪や嫌がらせをする人間より、親切にしたほうがいいからだ。
それで恩を仇で返すような輩は周囲から嫌われる。現に新人時代の尚美をいじめた年配は、親切にされた元ADたちから排除されていった。
そして敵は徹底的に排除しろとも教えられている。その場合は第三者に任せた方がいいと教えられた。
例えば尚美を徹底的に嫌うテレビ局のプロデューサーがいるとする。そいつの家庭に浮気の証拠を送り、家庭崩壊を興すのだ。組織内で不正を告発しても外聞を気にしてもみ消すことが多い。しかし家庭問題は別だ。組織としては恥をさらされる前に切ってしまうのである。
それで潰した相手は数知れず、尚美の弟子たちは尚美一家と呼ばれ恐れられていた。
「あの女にイベントを潰す力はないな。そのうえ事務所も風前の灯火だ。そもそも社長が起きてもどうにもならないと思うぜ」
真世が言った。
「それよりもメテオシャワーフェスではムジナックスも出るらしい。あの人気Vチューバ、玄姫やすむが出演するそうだ。こちらはEARTHHALLに出るってさ」
真世の言葉に美咲の額に血管が浮かんだ。ぐぐぐと歯ぎしりしている。
「美咲、開催される場所は違うから、やすむとは出会わないよ」
「ぐぐぐ……、べっ、別にやすむなんかと会いたくないし……」
康はなぜかフォローしているが、美咲はスパゲッティを大量にほおばった。
それを見て真世と雄二は微笑む。
いったい玄姫やすむとは何者か? それは次回のお楽しみに。
メテオシャワーフェスの詳しい話は、田舎の祭りでコンサートを読んでいただきたい。
あとキツネ御殿はその数か月後倒産した。烏丸りあは負債をすべてしょい込んでしまい、暴力団の手で風俗に落とされた。最後まで彼女は現実を認めず、頭がおかしい女として、客を取る羽目になったそうだ。
烏丸りあはここで退場です。あんまり敵としてふさわしくないので。
投げっぱなしですが申し訳ない。




