序章 セイレーンを追いかけた男
岩佐康は勉強の虫であった。いや、勉強以外許されない家庭環境で育ったのである。
父親は有名な政治家で、康は国立大学入学以外に生きる道はなかった。
百点以外の点数を取れば容赦なく殴られ、食事を抜かれた。そのうえ徹夜で勉強させることなどざらであった。
そのことがばれてしまい、父親は政治家の立場を追われてしまう。そのため原因を作った康に対して虐待を繰り返し、今度は警察に逮捕されたのであった。現在は発狂して精神病院に入院している。母親はその世話をしていた。
叔父夫婦に引き取られたが、彼らは康を厄介者として迎え入れた。とはいえ目立つ虐待などせず、我関せずといったところだ。行事に必要な金などは出しているし、食事もきちんと三食分は作ってくれる。
そもそも康の父親を嫌悪していたが、康が母親似だとわかり、徐々に態度は軟化していった。八歳年下の弟の面倒を見たりと、関係は良好といえる。
康は国立大学への入学しか道がなかった。叔父夫婦に言われたからではなく、それ以外に生きる道を知らないのだ。
そもそも彼は友達と遊ぶことを知らなかった。さぼって買い食いをする発想すら思いつかないくらいである。見た目も地味でどこにでもいそうな印象が薄い男だった。
そんな彼がそばにいたのは一人の少女だった。
名前は秋本美咲といい、金髪碧眼の日本人であった。
周りは黒髪なのに、彼女だけ金髪なので周囲からは孤立していた。
女子の陰湿ないじめを受けたが、彼女はその度に相手に殴り掛かり、問題を起こしている。
普通なら優等生の康とは接点がないはずであった。いつも孤独に勉強をしている彼に彼女はいつもかまってきた。
なんというか似た者同士というか、互いに干渉しないのがよかったのかもしれない。
康は優等生だが勉強以外に興味はなく、美咲は勉強を嫌っていたからだ。
美咲は成長するとモデル並みのスタイルになり、男子からは性的な目で見られ、女子からは敬遠された。
それでも康との関係はつかず離れずに続いていたのだ。そのくせ二人は清い仲で通していたのだから驚く。チャラ男に寝取られてもおかしくなかったが、美咲はその手の男を毛嫌いしていたのだ。
二人が別れたのは大学への進学だった。康は念願の国立大学に合格し、美咲は私立大学に合格したのである。美咲は外祖母の住む佐鰭多町で下宿することになった。外祖母は小室哲子といい、地元で小室建設工業を経営していた。会社自体は伯母の婿が社長を務めているらしい。
「康、私はあんたを振り向かせるよ。絶対にね」
高校の卒業式に美咲が言った。結局二人はきれいな体のままだった。
その後、大学を卒業する手前の康だが、美咲が芸能事務所に所属したと知って驚いた。所属事務所はキツネ御殿という芸能界きっての事務所だった。
しかも演歌歌手を目指すというのだ。康は美咲に連絡を入れた。高校時代の携帯電話には彼女の番号が残っているが、使ったことはなかった。
「おい美咲。お前なんで演歌歌手なんて目指すんだよ!!」
「いいじゃないの。他のみんなは歌手になれっていうけどさ。私はみんなと違うことがしたいわけよ」
「お前、周囲とうまくやれているのかよ」
しばしの沈黙が流れた。彼女は不器用だ。友達がいるとは思えないし、所属事務所でも余計な軋轢を生むかもしれない。
「俺がマネージャーになる。それでお前を護ってやる!!」
康はそう決意した。ちょうどその事務所ではマネージャーを募集しており、国立大学を卒業した康は一発で合格できたのだ。もっとも叔父夫婦は怒ったが、きちんと今までの養育費を払うことで合意した。もっとも金が欲しいというより康の将来を心配してのことだが。それ以来康は叔父夫婦の家に帰っていない。もっとも弟の件で帰らないのが正しいが。
慣れないマネージャー稼業だが、美咲を支え続けた。その間美咲の師匠である横川尚美が退社することになった。その理由はあまりにもくだらないんで康は呆れていた。
そして美咲が30歳のころ、彼女は事務所を離れる。事務所の社長が愛人になれと迫ったため、突っぱねたのだ。
複数のスタッフたちも彼女についていった。康はついていかなかった。美咲の行為は大人として不適切だと思ったからだ。もちろん気にならないと言ったらうそになる。
康は当時人気絶頂の烏丸リア《からすま》のマネージャーを務めていた。美咲のマネージャーを志願し、しばらくは彼女とともに仕事をしたが、康は才能があったのか、事務所で一番マネージャーとして優秀だった。
それ故に美咲だけでなく他の歌手たちの世話をする羽目になったのだ。
だが彼女のわがままはひどくなり、終いにはマネージャーなんて誰でもできると首を言い渡したのである。それに事務所では独立した美咲がワイチューバ―となり活動していることで空気が悪くなっていた。美咲のマネージャーであった康の風当たりはきつかった。
それに呆れかえり康は退職した。50歳の副社長は止めたが、決意は固かった。副社長は社長の息子で80にもなって色気に走る父親を嫌悪していた。
もっとも辞める決意をしても新人マネージャーたちの引継ぎをしてから辞めていた。
その間にりあはわがままを繰り返したが、美咲に突っぱねられた社長はショックで寝込んでしまい、入院したのでりあの言葉は無視していた。それゆえにりあは般若のように顔が歪んでいたのだ。
こうして康は美咲を探すことにした。実際はすでに個人事務所を立ち上げており、SNSでは電話番号も記載されている。
試しに電話をかけてみると野太い男の声がした。相手はキツネ御殿で税理士を務めた石原克己であった。
『ひさしぶりだな。ついにあそこをやめたか。そんでもって美咲の居場所を知りたいわけだな。最初からくっつけばよいものを』
「いや、くっつくって。今美咲はどこにいるんですか?」
『A県の丸場津動物園にいるよ。今日はクラウドファンディングで購入した動物のお披露目なんだ。そこで歌うことになっている』
その後メッセージで詳しい住所が送られた。最後に逃がすなよと添えて。
そして美咲と再会し、結ばれたのであった。
詳しくはとある動物園にてを参照していただきたい。
いでっち51号さんのなろう歌フェスの連載版です。
最初からこれを書けばよかったと後悔しています。
そもそも私は歌手になろうフェスを全く理解していなかった。毎回決められた日時に短編を出せばいいと思い込んでいました。
いでっちさんには迷惑をかけたので、お詫びします。