過去の因縁
警視庁中央警察署捜査一課第3班。
二人しかいないにも拘わらず、俺たちの所属する班は、捜一のフロアの奥に連なって元々は何かしらの予備にと用意され、半ば物置として扱われていた小部屋を宛がわれている。
扉はあるが一課長は関係なくノックなしで入っては面倒ごとだけ投げて去っていくし、他の署員は関わろうとしないため、ほぼ無いものとして扱われている。
まぁ、面倒ごとの処理のかわりにある程度の自由裁量を与えて貰えてるのは、イカれキャリア様のお守りの意味合いもあるんだろうな。
実のところ、このイカれキャリア様は見た目と言動はただの軟弱なチャラ男だが、良家の子息で親族には警察や公安だけでなく、各省庁の現役官僚や官僚OBがぼこぼこいるそうだ。
それでいて、なんでこんな変な仕上がりに育ったのかは謎なんだが、最悪は出世を棒にふっても、警察官として問題を起こさず、実家や親族に迷惑かけずに人生を終えて欲しいという意向のもと、俺がお守り兼監視を承っているという状態だ。
まぁ、言っても、やはり遺伝子ということか、それとも理想のための努力の結果なのか、能力だけは優秀な男であるし、言動と見た目はダメダメなんだが、仕事させるときっちり結果を出すタイプなんで、相棒としては申し分ないとも言えるし、変にエリート意識に凝り固まったタイプでなく、いい意味でも悪い意味でもちゃらんぽらんで、人は恐ろしく良いやつなんで、そこは素直にやり易くもある。
結論から言えば、俺は今の境遇に満足していると言えるんだろうな。
捜一のフロアを横切って、奥にある第3班詰所とプレートのつけられた小部屋へと入る。因みにこのプレートはイカれキャリア様お手製だ。
金属板をもって来て、彫金をして文字を彫り込んだと思ったら、縁にも細やかな装飾を彫り、最後には自宅で金メッキして扉に貼り付けていた。
さすがに怒られるだろうと思ったが、あまりの出来栄えに一緒に怒られてやるから、それまでは放置するかと無視することにしたが、何故か面白がった一課長のお陰で公認されることになった。
「つくづく、変なやつだよな」
そう一人言を溢しながらも戸を開けて中へと入ると、すでに中ではイカれキャリア様が紅茶を淹れているようで、愛用のティーポットの前でニコニコしている。
「あっ、班長、おはようっす。もうそろそろ茶葉も開くんで、班長も一杯どうすか」
「おぅ、おはよう。折角だから一杯貰うよ。毎朝悪いな」
「いっすよー。ついでなんで」
イカれキャリア様は署近くにある独身寮となっているマンションに住んでいて、俺よりはやく出署しては毎朝、珈琲やら紅茶を淹れているんだが、いつも俺が来る時間にあわせて俺の分も淹れておいてくれる。
たまたま、って毎朝言ってるが、こういうところが憎めないだよなー。昨日のお土産なんかもそうだが、人への取り入り方がうまい。
露骨に媚を売ってる感じでもなく、それとなく気遣いが出来て、それでいて、甘え上手だったり、皮肉屋だったりと、相手に合わせた押し引きが出来て愛嬌がある。
計算してやってるというより、天性のものっぽいから、人たらしなんだよなー。なんだかんだ第3班と距離とってる一課の連中もイカれキャリア様のことは可愛がってたりもする。まぁ、そういう意味じゃ腫れ物は俺ってことになるのかもな。
「んっ、桜のかおり」
淹れて貰った紅茶を受けとると、さすがに鈍い俺でもわかる程度に桜の香りがする。
「わかるっすか。昨日、アロマオイル買ったじゃないすか。で、帰りにもう一度、Cerasusに寄ったんすよ。どうせなら桜の香りのお茶とか無いかなーって」
「で、買ってきたのか。随分気にいったんだな」
「いやー、アロマオイルを焚きながら、この桜茶を飲んでたら、すっごいハッピーな気分になれたっす」
「ヤバいもん入ってるんじゃないよな」
思わずカップを遠ざけて見てしまうが、いたずらめいた顔をしたイカれキャリア様に苛っとして顔を背ける。
「桜にはエフェドリンがあるーなんてデマがありましたけど、桜にヤバい成分はありませんよ」
「エフェドリン? 」
「生薬だとシナマオウから単離抽出されるアルカロイドのひとつで、交感神経興奮剤として、局所麻酔時の低血圧患者の対処につかわれたり、気管支拡張剤として、市販の風邪薬にはいってたり、あとは覚醒剤のメタンフェタミンを造るさいの前駆物質として活用されたり、市販薬だと、興奮作用があるんで販売数に制限があったはずっすね」
「く……詳しいな」
「たまたまっすよ。死を呼ぶ桜なんて捜査してるんで、ネットのそれっぽい情報は粗方頭に入れたんす」
「その優秀さをもっと活用しろよ」
「俺は班長と一緒に十分活用してると思ってるすよ」
思わずため息が出るが、本当に無駄に優秀なんだよなー。これで性格がエリート思考、上昇思考の普通のキャリア様だったら、あっという間に雲の上だろうに。
「そう言えば、班長が本庁を追放されたのも、あの桜がらみだって、一課の人が話してんの聞いたんすけど、本当なんすか」
余計なことを考えているとイカれキャリア様から今さらなことを聞かれる。
「ん、知ってたんじゃないのか」
「てことは本当なんすか。なら、この件をやらせるのって」
「本庁のあいつが関わってんなら、嫌がらせかもな。でも、それは無いだろ。キャリア様からすれば、過去に噛みついた蟻んこの事なんて、そんときは痛くても、覚えちゃいないさ」
「俺は班長に噛まれたら、一生忘れねーっすけどね」
「安心しろ、噛んだらヤバそうだから、絶対噛まん」
「良かったっす」
「皮肉だって、わかってるよな」
にんまりと笑うイカれキャリア様の額を小突いて、今日も1日が始まる。
10年前、俺は本庁の捜査一課で殺人事案を追い掛ける刑事のひとりだった。
はっきり言えば、いくら出身の地元とはいえ、本庁勤務の一課所属、10年前に起きたあの桜の前での自殺事案は管轄外だった。
ただ、自殺した子供が、その2ヶ月前に公金不正疑惑で自殺した議員秘書の娘でなければ。
自殺した議員秘書は一ノ瀬圭介といった。
与党自由国民党こと自民党の代議士で、大臣や官房長官経験者でもある黒川哲郎の公設第二秘書を勤めていて、当時は45歳だった。
官僚の家に産まれた三男で、一度は財務省に入省したあと、政治家秘書として黒川のもとに入った。
黒川の公設秘書になった経緯は良くわかっていない。ただ、黒川と後援団体とのあいだの贈収賄疑惑のなかで、全ての責任は自分にあると遺書を遺し東京湾で溺死体となって発見された。
当時、疑惑の追及には東京地検が動いていたが、この死体の検分と捜査は警視庁の管轄だった。
当然、俺も捜査に乗り出した。なにせ、彼の死体は公式には溺死と発表されたものの、肺には殆ど水が入ってなかった上に、頭部には生活反応のある挫傷痕があったのだ。
口封じと責任の擦り付けのための偽装自殺、分かり易すぎる展開に気合十分だった20代の頃の俺は意気揚々と捜査をすすめ、上の命令で打ち切られた。
挫傷痕は転落のさいに頭部をぶつけたものと処理され、肺に水が入ってなかったことは、転落時の頭部挫傷によるショック症状による即死であったためとされ、すでに「溺死」と報道されていたことに関しては、混乱を避けるという名目で、敢えて訂正されることはなかった。
そして、彼の死が自殺と断定された数日後、彼の娘、一ノ瀬舞は通っている私立元柳中学校の近く、泣き桜前で自殺した。
早朝、朝の散歩をしていた近隣の住民が発見した時にはすでに死んでいたという。
捜査のやり直しを執拗に求めた俺は、煙たがれた上で中央署へと飛ばされた。
当時の階級は警部補、中央署に来てからはろくに捜査にも関わらせて貰えず、たった一人の第三班として腐っていると、何故か受理されなかった昇進試験を受けさせられて警部となったのが3年ほど前。
そして、東大卒のキャリアでありながら、警察庁での実地研修中に所轄への転勤を希望し、同期たちとの出世レースで勝手に脱落したバカが俺のもとにやって来た。
「キャリアに嫌われた俺とキャリアのくせに現場仕事したいバカを一緒するための昇進だったのか」
そう気付いたものの、妻と一人娘のために少しでも稼ぎを増やしたかった俺は、イカれキャリア様のことを我が儘なボンボンとして気にくわないながらも迎え入れたんだが。
気付けば、すっかりイカれキャリア様に毒されてる毎日だったりするわけだ。
10年前の自殺と自殺偽装。
一ノ瀬圭介に一ノ瀬舞。
「そう言えば、一ノ瀬には娘の他に息子がいたはずだ」
捜査中、一ノ瀬の妻と子供にもあったことがある。
亡くなってしまった舞さんと、当時は大学生だった宗介くん。
宗……介
『田川宗介といいます』
まさか、彼は。