気になる本
翌日、目が覚めると外はもう明るかった。
慌ててベッドからおりて寝室から出ると、部屋でフェリスが支度をしていた。
「おはようございます、スズ様」
微笑みの中に心配そうな、気遣うような表情が見え隠れしていて、申し訳なくなってしまう。
「おはようございます。
昨夜は心配かけてすみません」
「いえ、ゆっくりお休みになれたようで、安心しました」
そう言って私の身支度を手早く整えると、食事を用意し始める。
パタパタと忙しなく動くフェリスの姿を見ながら、物思いにふける。
――あれから陛下は休めただろうか。
それともまだ働いているのだろうか。
……ヴィルは、どうしているだろうか。
そんなことばかりが頭の中を占めていた。
用意してもらった食事を食べ終わる頃、誰かが部屋を訪ねてきたようで、フェリスが対応するためか、部屋から出て行った。
戻ってきたフェリスは、手のひらサイズの封筒のようなものを持っていた。
「スズ様、陛下からお手紙のようです」
フェリスが笑みを浮かべて言ったその言葉に、驚き目を瞬かせながらも受け取る。
封筒は銀色の模様に縁取られ、いかにも高級そうな質感だった。
封を開けて、中に入っている紙を開く。
――ゆっくり休めたかな?
事後処理のため今日は会えそうにないけれど、もう危険はないことだけ伝えておきたくてね。
今まで、忙しなく動いていたのだから、今日はゆっくり休んで。自由に過ごしていいからね。
それと、後日スズを婚約者と公表することになったから、そのつもりでいて。
もう私はスズを離すつもりはないけれど…逃げるなら今のうちかもね。スズ、愛しているよ。――
最後の一文に頬を染めつつも、思わず「ふふ」と小さく笑いが漏れた。
逃げるなんて思っていないだろうし、私も逃げるつもりなんてない。
陛下の婚約者ということは、すぐに妻、皇妃になる立場だということで。
だからこそ私の気が変わったらと、逃げ道を用意してくれているらしい。
フェリスに便箋を用意してもらうと、陛下に返事を書いた。
――お陰様でぐっすりと休むことができました。
私は陛下のお身体が心配です。忙しいとは思いますが、合間で休息をとってくださいね。
陛下こそ、逃げるなら今のうちですよ。
もう私は陛下から逃げられないほど、好きになってしまっています。――
好き、というのは恥ずかしい。
だけど想いは伝わらないと困る、そう思って書いてみたものの、改めて見るとかなり恥ずかしい。
もうどうにでもなれと、えいや!と手紙を畳んで、封筒に入れると、横にいたフェリスに届けるようお願いした。
「外に侍従が待っていますので、すくに渡して参ります」
そう言って、部屋から出て行ってしまった。
本当は栄養ドリンクみたいなものを渡したかったが、そういうものは直接手渡したい。
信用していないわけではないが、昨日あんなことがあったばかりだ。なにかあってはいけないだろう。
それにしても一日暇になってしまった。
なにしようかと、考えるもなにも浮かばない。
考えているうちに、フェリスは部屋に戻ってきていた。
「……どこか本が読める場所はありますか?」
「本でしたら書庫にございます。
行ってみられますか?」
その言葉に勢いよく頷くと、ポーチを身につけて部屋を出た。
****
部屋の扉よりふたまわりくらい大きな扉の前に着くと、ついてきていたふたりの護衛が扉を開けてくれた。
中に入るとふわりと懐かしいような匂いが鼻に入ってきて、丸い部屋にぐるりと本が並んでいるのが見える。
「どの本でもご自由にお読みください。
私達はこちらでお待ちしております」
そう言うとフェリスと護衛たちは扉のあたりで控える。
本棚の前に立ち背表紙を眺めて、目についた本を引き抜く。装丁は私が知っている古書と大差ない。
手に取ったそれは兵法の専門書なのか、戦術や武術が小難しくズラズラと書かれていて、そっと閉じた。
端の方から背表紙を眺めて歩くと、やはり武術や剣術、戦術についての本が多い。
今でこそ平穏で争いはないが、少し前まではかなりの軍事国家だったというのは、本当らしい。
兵法に興味はない私は、開きもせずに先へ進む。
しばらくすると政治関連のものが増えてきて、その中に気になるものを見つけた。
その本の背表紙には『懺悔』と書いてあり、本を開くと誰かの手記のようで、古びている。
何故か気になってしまい、近くにあった椅子に腰を下ろすと、その本を始めから読み始めた。
――この本を読もうとしている貴方へ。
これから語ることは、決して逃げてはいけなかったことから逃げたわたしの話です。
この話が嘘か誠か。
その判断は読んだ貴方に委ねましょう。ーー
最初のページに書かれた文章は意味深長な言い回しで、書かれた文字は滲んでいた。
次のページからは、物語のように語られる。
それは"わたし"がある国の王子と婚姻するところから始まった。その婚姻は愛のない、政略結婚のようなもので、どちらの意思も関係のない強引なものだった。わたしはそれを受け入れるしかなかった。
王子には想う人がいたこと、それに気づいたとき、わたしは罪悪感に苛まれる。
決してわたしを愛することのない夫。
しかし、王子は優しく品行方正な男性だった。
妻となったわたしを愛することはなくとも、大事にしようと努力をする。次第に、そんな夫に好意を持ち始めるわたし。
それからは、日々積もるその想いをどうしていいか分からずに苦悩する様子が描かれていた。
そんな時、周辺国で争いが勃発する。
そのせいでわたしの周囲はガラリと変わることになった。
わたしは嫌だと訴えるも、夫である王子とその国の王は私の訴えを聞き入れなかった。
無理を言っていたことは自覚していた、それでも。
ーーそうしてわたしは他国の王子や騎士と婚姻をした。
その一文を読んで、この手記を書いた"わたし"が誰なのか、想像がついてしまった。
そう騙っているだけかもしれない、そう自分に言い聞かせて嫌な音を立てた心臓をおさえる。
それでも続きを読もうと、ページを捲った。
その指は動揺からか、汗が滲んでいるのが、わかった。
最初の夫を含め五人と婚姻をしたわたしは、最初の頃こそ苦痛だったようだが、皆優しく、愛ではなくとも幸せを感じ始めていた。
国を転々としながら、自分の役割を果たす。
そうしているうちに、最初の夫以外の四人の夫から、愛を囁かれるようになった。
しかし、わたしがそれに応えることはなかった。
――気持ちがなかった訳ではない。
だだ、怖かった。均衡を崩してしまうのが。
最初の夫はわたしを愛してはくれない、その事実も受け入れられなかった。
だから皆と形だけの夫婦として過ごし、囁かれる愛の言葉も聞き流した。ーー
しかし、そんなわたしの選択が最悪の事態を招くことになってしまう。
叶わない想いの悲しみを埋めるように、ひとりの夫と夜を過ごしてしまった。
そのあと子どもが出来たことがわかった。
それからは他の夫は余所余所しくなり、わたしに愛を囁くことはなくなった。
そのときわたしは初めて気がついた。
自分で思っている以上に、皆を好きになっていたことに、大切だったことに。
最初の夫に固執するあまりに、見えなくなっていた。しかし、もう全てが手遅れだった。
ひとりの夫だけと夜を過ごした、その事実は皆の心に影を落とした。
皆が私を大切にしようとしていた気持ちを、踏みにじるような行為だった。
それがたとえ夫であったとしても。
皆は形だけの妻になったわたしと、義務を果たすために子どもを作った。
最初に夜を共にした夫とは、罪悪感からすぐにすれ違い、冷え切ったものになった。
――そうして他の夫達は子ども達だけを愛して、亡くなった。
わたしひとりだけ最後まで残されてしまったのは、自分本位だったわたしに対する罰なのでしょうか。
わたしは複数の夫を持つように命令した王を恨んでいました。望まない婚姻をさせられた、と。
しかし望まない婚姻だったとしても、幸せを築くことは出来たはずだと、ようやく気がついたのです。
わたしは夫達の好意にきちんと向き合うべきだったのです、愛のない結婚だったとしても、妻になったのですから。
失望されたあとも、向き合うべきだったのです。
こちらの世界に来なくとも、恋愛結婚なんて出来なかったのでしょうから。
わたしももうすぐ夫達の元へ行くのでしょう。
愛する夫達の元へ…。今度こそ、伝えたい。
妻になれて良かったと。愛していますと。
その決意が鈍らないよう、わたしの罪をここに記します。――
悔いのない、人生を。
最後のページにはその一言だけ書かれていた。




