クマと予想外の効果
私が授業を受けている間は、フェリスもカイルも私の後ろに控えている。
授業は基本的に中断はしない。
御手洗いに行きたくなった時と、たまに先生が休憩を設けてくれる時くらいだった。
今日は最終日のためか、復習が中心でゆっくりとした授業だった。
歴史の授業がひと段落したころ、ヴィルが静かに部屋に入って来た。
申し訳なさそうに、入り口のあたりで佇んでいる。
ヴィルが授業中に来るのは、初めてのことだった。
カイルを迎えに来たのだろうか。
それとも陛下となにかあったのか。
それが気になって、気もそぞろになる。
「ご休憩になさいますか?」
先生の気遣うようなその言葉に、申し訳なく思いながらも「はい」と頷くと、ヴィルの元へと向かった。
カイルとフェリスも側を離れないように、後ろをついてくる。
「ヴィル、……大丈夫だった?」
おそらくあの話をしたのではと思う。
ふたり一緒に出て行く理由はそれしか浮かばない。
なんと聞いていいのかわからず、目を泳がせながらそう尋ねた。
「大丈夫だ」
それだけ答えて、私の格好をじっと見ている。
「なぜ、そんな格好を?」
ヴィルに真顔で聞かれると、怖い。
そんな格好とは。
ヴィルはカイルの騎士服を凝視している。
これのことだろうか。
「……えっと、色々あって借りたの」
結局カイルは見間違いだったと、言っていた。
そうなると、私が借りている理由を説明するべきだが、似合ってないからとは言い辛かった。
ヴィルはそんな私の返答に、眉を顰めた。
慌ててなにか言おうと思うが、言葉が浮かばない。
「申し訳ございません。
ドレスを引っかけてしまったようで、それを隠すために使用されています」
おろおろしている私を見かねたのか、カイルが淡々と説明してくれた。
引っかかけたことにしているが、いいのだろうか。
どれが本当なのか、私にもわからなくなってきた。
「そうなのか?」
そう思いながらも疑いの眼差しで見られて、思わず頷いてしまった。
嘘をついてしまった……?と、冷や汗をかく。
カイルは平然としているので、本当に引っかけているかもしれないと自分に言い聞かせていると。
「それならば、私のものを貸そう。
騎士の服装が乱れていると、あらぬ疑いがかけられるだろう」
私とカイルを見ながらヴィルが深刻な表情で言うので、血の気がひいた。
「そんなことは、」
「えっ、そうだったの!?
カイル、申し訳ありません!
大丈夫でしょうか!?」
カイルと同時に口を開きそう言うと、慌てて騎士服を脱ぐ。
私が貸してほしいと言ったばかりに、迷惑をかけた。
申し訳ないと謝り続ける私に、カイルは「全く問題ございませんので」と言って脱いだ騎士服を受け取ってくれるが落ち込んでしまった。
そんな気持ちが筒抜けだったのか、カイルはヴィルを睨んでいて。
フェリスも少し口元を歪めている。
慌てて「ヴィル、教えてくれてありがとう」と言うが、カイルは睨んだままだ。
ヴィルも心なしか悔やむような表情を浮かべる。
なぜだろうかと、考えてハッとする。
騎士服を返したということは、似合わないドレスを見せてしまっている。
見苦しいものを見せてしまったと、ドレスを隠すようにその場にしゃがみ込む。
私の行動に、三人は驚きで目を見張る。
ヴィルは私の目線に合わせしゃがむと、確認するように静かに口を開いた。
「見せたくないのか?」
ヴィルのその言葉に頷きで返す。
だって似合ってないでしょ、という言葉は飲み込んだ。
そんなことを言えば、似合っていると皆に言わせてしまうだろう。
「……似合っていて、目が離せないくらいだが。
ただ少々、いやかなり。
他の男には見せたくないな」
真面目な顔で言うヴィルに、こちらが恥ずかしくなり顔に熱が集まる。
本気で言っているのだろうか。
そんな疑う気持ちを持っている私に、更に言う。
「魅了される男が現れては困るんだ。
隠していてくれないか」
そう言って着ていたジャケットを、私の背中に掛けて腕を通させると。
前のボタンもしっかりと留められた。
「それと……」
と私の耳元に顔を寄せる。
「親しくしていても、男の服は着るな。
男の独占欲を刺激するぞ。
ほら、私に包まれているだろう?」
ヴィルは私だけに聞こえるように囁いた。
言われた意味が分からず、困惑していると。
「そろそろ授業が再開されるぞ」
とヴィルは苦笑いを浮かべてそう言うと、私の両手を取って立ち上がらせた。
そのまま背中を押して「頑張れ」と手を振っている。
それをカイルとフェリスは、なんとも言えない表情で見ていた。
なんだかすっきりしない気持ちを抱えながら、私は授業に戻った。
それから授業を真面目に受けていると、ふといつもと違うことに気づいた。
少し身体を動かす度に、ジャケットからふわっとヴィルの匂いがする。
馬に乗っていた時にも包まれていた、あの匂いだ。
抱きしめられているような、そんな錯覚を起こす。
ヴィルにお姫様抱っこされた時も、一緒に寝た時も、キスされた時も……この匂いに包まれていた。
記憶と現実がぐるぐると頭の中を巡り、紅潮するのがわかった。
プルースト効果だっただろうか。
匂いを嗅ぐことで、過去の記憶や感情が蘇る現象が起こると、本で読んだことがある。
これがまさに、それだろうか。
当時はそんな馬鹿なと、思っていた。
しかし、今ヴィルの匂いと記憶が、完全に結びついている。
授業をしてもらっているのに、集中できない。
ヴィルの匂いにぼうっとする頭が、恨めしい。
こんなことなら、借りなければ良かった。
心底そう思ったところで、気づく。
……この場にいるのは私達だけだ、それなら脱いでもいいのでは。
そう気づいてからの行動は早かった。
先生に一旦中断してもらい、ジャケットを脱ぐ。
それを持ってヴィルの元へ行くと、ヴィルが驚いた顔でこちらを見ている。
「暑くなったから、終わってから着るね」
と言うと、くっくと笑いながらも受け取ってくれた。
まさか本当の理由に気付いている……?
と心配になるものの、授業が大事だ。
すぐに席に戻ると、再開してもらった。
先程とは違って集中でき、私は時間いっぱい授業を受けた。
「ありがとうございました」
授業が終わり、先生を務めてくれた伯爵夫人にお礼を言う。
「一生懸命に聞いてくださって、わたくしも感謝いたします。明日のお披露目式を楽しみにしておりますわ」
そう言って微笑む夫人に「……お手柔らかにお願いします」と微笑み返した。
では、と部屋から出て行く夫人を見送った。
いつの間にか背後にいたヴィルが、「着て」と私の肩にジャケットを掛ける。
カイルとフェリスは先に廊下に出ているようで、姿がない。
……着たくない、と思いながらも親切心を無碍には出来ない。
渋々腕を通すと、またヴィルの匂いがする。
ヴィルに背を向けたまま、自然と赤くなってしまう頬を手でおさえる。
「スズ?」
ふいに背後から耳元で囁かれると、なんだかぞわぞわとくすぐったい何か駆け抜けた。
思わず耳をおさえて蹲ると、上から笑う声がする。
後ろにいるヴィルは屈んで私の耳元に顔を近づけると、また囁く。
「スズは耳が弱かったんだな。
もっと私を意識しろ。
……スズなんか私で一杯になってしまえばいい」
蹲る私からはヴィルの姿も顔も見えない。
いつも通りのヴィルだと思っていた。
しかしヴィルの声だけを聞いて、そうではないことに気づいた。
ヴィルは余裕ぶっているだけだ。
なにが理由かわからないが、余裕がないらしい。
「なにを考えて悩んでいるのかわからないけど、ヴィルが思うようにすればいいと思うよ」
私の言葉に、ヴィルが息を呑む。
よいしょ、と立ち上がってクルッと後ろを向くと、それにと続ける。
「ほら、見て。
私はヴィルでいっぱいだよ!」
長い袖で手は隠れているが、ほらほらと精一杯腕を広げて見せる。
ヴィルは目を見開き、ぶわっと顔を赤くした。
照れている顔は見たことあるが、こんなに赤いのは初めて見た。
こちらが恥ずかしくなってしまう。
なぜと驚く私と、赤い顔で固まるヴィル。
「……なんか、ごめん」
そう言って謝ると、ヴィルは赤い顔を手で隠しながら、顔をほころばせた。
「……スズには、敵わないな。
お披露目式で変な男に目をつけられるなよ」
心配そうに眉を顰めるヴィルに、「それはないから大丈夫」と笑う。
「待たせてるな、行くか」
深い溜息を吐いて、そう言ったヴィルに頷く。
ヴィルと廊下で待つふたりの元へ急いだ。




