シロクマは願い祈る
シロクマside
日が昇り始めた頃に目が覚めた私は、ひとり執務に取り掛かっていた。
そんな執務室の扉を慌てたように叩いたのは、スズの侍女だった。
挨拶もそこそこに、用件を尋ねる。
「恐れ入りますが、スズ様のお部屋にお越しいただけませんか?
どなたかいらっしゃっていて、私は外すようにと」
詳細を聞きたいところだけれど、時間が惜しい様子だ。
幸い、今のところ時間には余裕がある。
「わかった」と言うと、護衛を連れて足早にスズの部屋に向かった。
部屋に着くと、静かに扉を開けて中の様子を窺う。
窓際に立っているのは、カリストス王国の第三王子とその従者、あの女だった。
侍女が知らなくても無理はない。
おそらく頼まれて秘術を使ったのだろう。
侍女と護衛には廊下で待つよう指示を出すと、部屋の中に入って身を隠した。
スズは背を向け、あの女と話している。
こちらを向いている王子と従者は私に気づいているようだけれど、知らないフリをしていた。
「明日、お披露目式の夜。
ひとつの事件が起きて、二人が深い傷を負う。
それだけ言っておくわ」
そうあの女の、声が耳に届いた。
それを聞いた時、心臓がドクリと嫌な音を立てる。
そのうちのひとりは私だろう、と根拠はないけれど思った。
スズは動揺して躊躇いながらも、詳細を、誰なのかを聞こうとしている。
聞かなくていい、そう願う私の心の声は届かない。
「……シドランと、カイルよ。
シドランは、邪魔で、帝位から退いてほしい誰かに狙われて……傷を負う。
カイルは『救国の乙女』という、邪魔な存在のあなたを消そうする人から守ろうとしたヴィラールを守って、生死を彷徨う深い傷を負う。
犯人は貴族だとしか書かれなかった」
……やはり聞いてほしくなかった。
そんなことを聞いてしまえば、スズはきっと。
誰かが陰で動いているのは掴んでいるけれど、まだ証拠はない。
しかし、一応『救国の乙女』と呼ばれている彼女が言うならば、やはり企てている誰かがいるらしい。
……スズまで狙うとは、到底許せない。
才色兼備だ、賢帝だ、と持て囃されても、皇帝の座は兄の方が余程相応しい。
そう思っている貴族は、少なくないだろう。
私の前では媚び諂っていても、陰では容姿を揶揄する声があるのも知っていた。
それを今までは仕方がない、いつかは、と思いそのままにしていた。
けれど、スズに手を出すなら話は別だ。
動揺しているだろうスズが、気丈に振る舞う姿は見ていて辛い。
王子と従者もそれに気づいているのだろう。
口数少なく、こちらに視線を向けるとすぐに帰る用意をし始める。
あの彼女は「……死なせたら許さないから」とスズに告げてから帰っていく。
だから嫌いなんだ、と心の中で毒づいた。
三人が消えると、スズは座り込んだ。
耐えきれないように、嗚咽する声が洩れる。
私はその場にいることが出来ず、静かに廊下に出た。
外に出た私はどんな表情をしていたのだろうか。
侍女は声をかけるのを躊躇い、護衛は表情を固くする。
「……十分後に、扉越しに声をかけて」
そう侍女に言うと、廊下の壁に寄りかかる。
支えがなければ、立っていられない。
目を閉じるとスズが声を詰まらせて泣いている姿が浮かんで、頭から離れなかった。
本当はすぐにでも、側に行って慰めたい。
私は強いから、傷を負ったりはしない。
気にしなくてもいい、と。
けれど、気持ちを整理する時間も必要だろう。
スズとは、きちんと話をしなければならない。
時間が経ち侍女が扉越しに声をかけても、返事はない。
泣き腫らした目をどう誤魔化そうか、と慌てているのだろう。
「私が入ろう」と入ろうとする侍女を止め、音を立てて扉を開けた。
スズはゆっくりと振り向き、私を見るなり顔を背けて寝室に逃げようとした。
慌てて捕まえると、寝室に連れ込んだ。
部屋にいては、邪魔が入る可能性が高い。
スズは顔を見せたくないのか、呼んでも俯いたままだ。
どうして逃げるのか、なんて知っているのに。
頑なに誤魔化そうとするスズに、ひとつの可能性が浮かんでいた。
――スズは誰にも言わずに、ひとりでどうにかしようとしているのでは。
そう思うと、確かめずにはいられない。
ベッドに座らせたスズに、膝をついて目線を合わせると、薄暗い中でも目が赤いのがわかる。
泣いていたのを知らなければ、この薄暗さで気づかなかった。
スズを見つめながら、手で頬に触れた。
スズは私の顔に弱い。
動揺すればボロが出ると踏んでの行動だった。
しかし、スズはなかなかしぶとい。
滑らかでもちもちとした頬は気持ちが良く、愛でるように撫で続けていると。
スズが一杯一杯になって、冷静さを失っている様子に頬が緩む。
「スズ、そんなに私は頼りない?
それとも私のせいで泣いているのかな」
引っかかって、と祈りながら呟く。
「……陛下のせいでは、」
思惑通りの返答に、申し訳ないと思いながらも安堵した。
罠に嵌ったスズに聞いていたと打ち明けると、驚愕して言葉を失っていた。
やはり誰にも言わずに、ひとりで解決しようとしていたのだろう。
気づかれなければ、スズは明かさないつもりだったようだ。
「……信じるのですか?」とスズが呟く。
そしてなにかを躊躇うように、顔を伏せた。
なぜあの話を信じているのか、そう聞くとスズはどう答えるだろうか。
私に話せないことがあると、気づいているから聞かないけれど。
「スズ、言えない事は話さなくていいよ。
ただ、スズはなにもしないでほしい。
それだけ、約束してくれる?」
スズがなにかを隠していても今のような事でなければ、いい。
危険なことはしないように、約束してもらうことのほうが大事だ。
でなければ、スズは皆を守るために危険も顧みず、行動するだろう。
それだけは、避けたかった。
私の力不足で、スズを危険に晒したくない。
そう考えて御守りも断ると、スズは私の袖を引き寄せて怒ったように口を開いた。
「……もし陛下になにかあったら、私はっ!
それにヴィルだってカイルだって!
私のせいで、もしかしたら……」
涙をこぼしながら、スズは必死に訴える。
「ずっと後悔して、生きるのは、嫌です!
陛下が私を守りたいと思うように、私だって……それに陛下はこの国に、必要なんです!」
泣きながらそんなことを言われると、譲歩せざるを得なかった。
「スズ、私はスズを失いたくないよ。
私のすべての力を使って、解決するよ。
だから、今回は私にスズを守らせて」
わかってほしい、と真剣に伝える。
「……御守りは?」
「御守りはありがたく受け取るよ。
けれど、それだけだからね。
なにがあっても、スズは動かないこと。
約束してくれる?」
御守りは受け取る、けれどそれ以上は動かない。
そう約束を迫ると、スズは仕方なく頷いた。
スズの様子に一抹の不安を覚えるけれど、あとはこちらで上手く根回しすれば安心だろう、と息を吐いた。
涙で濡れているスズの顔を袖で優しく拭う。
もし、侍女が呼びに来なかったら。
もし、私がまだ寝ていたら。
もし、会話が聞けなかったら。
私達は気づかないうちにまたスズに守られて、スズは私の代わりに傷ついていたかもしれない。
そう考えると、恐怖で顔が強張る。
「スズ、ごめんね。
……少し触れても?」
スズが頷くのを見ると、すぐに頬にくちづけた。
愛おしくて大切で、代わりのいない存在。
それを失うかもしれなかった、と思うと今スズに触れずにはいられない。
スズだけは絶対に傷つけないでと、願いを込めながらくちづける。
今まで信仰したこともない神にも縋り、祈るように何度も頬にくちづけた。
スズが一杯一杯でぼうっとしているのに気づき、頬を緩めて戻るね、と立ち上がる。
そんな私の袖を掴んだスズは、秘術を取り出す。
しばらくすると、御守りだと言って恥ずかしそうに指輪を差し出した。
それは透明で澄んでいてスズのようだった。
指輪は見たところ、薬指か中指のサイズだろうか。
「スズが指にはめてくれる?」
そう微笑みながら言うと、スズはすぐに動揺した。
先程はあんなに頑なだったのにと思いながら、そんなスズと戯れていると、乱暴に叩く音がした。
どうせ彼だろう。
いいところなんだけれど、と溜息を吐く。
侍女は不服そうな様子を見る限り、強引な手を使ったのだろう。
私と彼が牽制し合っていると、スズは彼の護衛騎士を見て百面相をしていた。
――あの騎士はスズ様に好意があるのでは。
昨夜なにかあったようで、スズ様は意識なさっていました。
侍女から報告を受けていたことを思い出して、思わず向けた視線が厳しくなってしまった。
慌てて笑顔を浮かべて、ふと横を見ると彼は複雑そうにふたりを見ている。
--ちょうどいい。
そう思ってスズに「戻るね」というと彼を連れて部屋を出た。
あの騎士を残すのは不安だけれど、スズの守りを手薄にしたくないので仕方がない。
侍女もいるから、大丈夫だろう。
そう、自分を納得させ廊下を歩いた。




