牽制し合うクマたち
「……泣かせてしまったね」
陛下は私が握っている袖はそのままにして、反対の袖で優しく涙を拭ってくれた。
色々思うことがあるのか、陛下の表情は固いままだ。
私のせいだろうかと落ち込んでいると、陛下は眉を下げながらも少しだけ微笑んだ。
「スズ、ごめんね。
……少し触れても?」
そう言って私が頷くのを確認すると、そのまま身を乗り出して、頬にくちづけた。
そういう触れるだとは思っていなかった私は、パニックになりながら硬直した。
反対の頬に触れている手は、優しく撫でていて。
熱っぽい唇は、何度も優しく頬に触れて。
優しく優しく愛でられるような、願いを込めるような、それは。
ただ頬にくちづけられているだけなのに、愛されているのが伝わった。
くすぐったくて、恥ずかしくて、また逆上せたようにふわふわしていると。
「そろそろ戻らなくては、ね」
先程まで固い表情をしていたのに、そう言った陛下はいつもの柔らかな表情に戻っていた。
それに安堵の息を吐く。
頬から手を離して立ち上がった陛下の袖を、慌てて引っ張った。
「……少し待ってください」
そうしてスマフォを取り出すと。
画面を隠すようにしながら開く。
――厄除、無病息災の御守りをください
そう入力し送信すると、私の掌に光を纏うものが現れる。
コロンと転がったそれは、透明な指輪ようだった。
思わず手をギュッと握り、隠してしまった。
なぜ指輪なのか、と思う。
確かに外れる心配がなさそうな点は評価できる。
ただ向こうの世界で育った私には、指輪は特別な気がして、少しハードルが高かった。
そもそもサイズも、見た目ではよくわからない。
指輪を見つめて、どうするべきか悩んだ。
陛下はそんな私を見守っている。
「あの、……これを」
こちらの世界での指輪の扱いはわからない。
特別な意味がありませんように、と祈りながらゆっくりと手を開く。
「御守りに、つけてください」
陛下は指輪を指で摘みあげて、眺める。
透明なのが、珍しいのだろうか。
なぜだか、ジッと見つめて観察しているようだ。
不思議に思いながら、そんなことを考えていた。
「スズが指にはめてくれる?」
予想外の言葉に、ぽかんとして聞き返す。
「……今なんと?」
「スズがつけて?」
頬を緩めて囁くようにそう言う陛下は、麗しくて困ってしまう。
落ち着いてきていた顔に、また熱が集まる。
つける、私が、陛下に。
それは結婚式を想像させて、平常心を奪う。
「……む、無理です、絶対」
やっとの思いで言葉を絞り出すが、それでも陛下は引かなかった。
「どうしても?」
悲しげに眉を下げて、こちらを見ないでほしい。
絆されてしまいそうになる。
ジッと私を見つめる陛下にたじろぎながらも、負けないように見つめ返した。
その時、扉を叩く音がした。
フェリスにしては、少し乱暴な叩き方だった。
陛下は一瞬顔を顰めると、溜息を吐く。
「……時間切れのようだね」
そう言って背を向けると扉を開けた。
そこにはヴィルとカイルが、その後ろに怒っているようなフェリスがいた。
「……全く、無粋な男だねぇ」
陛下は驚いた様子もなく、ヴィルに言う。
誰か分かっていたようだった。
「粋の間違いでは?」
「もう一度寝たほうがいいのではない?」
「それは陛下では。
疲労で獣になられては困りますね」
「獣ねぇ……。それは君のことでしょう?
スズが困っていたよ」
「……なんのことでしょうか」
にこやかに話しているふたりは、久しぶりに見たが、なんだか前より仲良く見えた。
なぜ私が出てくるのかわからないが、なんだか微笑ましくて笑っていると。
不意にカイルと目が合った。
昨日の告白未遂や今日聞いた話を思い出して、顔が赤くなったり青くなったり忙しい。
カイルは不思議そうにこちらを見ていて、ヴィルは黙ってくれていることがわかった。
なかったことにしていいのか、と思うもののどうしていいのかわからない。
「スズ?」
ヴィルと話していたはずの陛下が、眉をひそめて私を見ていた。
咎めるような視線になぜだろうと戸惑うが、すぐに笑顔になったので気にするのをやめた。
「そろそろ食事を食べて、授業に行かないと」
微笑んだ陛下にそう言われて、我に返る。
慌ててフェリスの元へ行くと、用意をお願いした。
その間に陛下は「もう戻るね」と言って、なぜかヴィルを連れて出て行ってしまった。
カイルは私の護衛をするよう、ヴィルに指示されていたので後ろに控えている。
なんだか気まずいなと思いながらもぐもぐと食事を食べた。
食べ終わると時間はギリギリで、フェリスとカイル、護衛を連れて急いで授業に向かう。
廊下を歩くと、この間よりも視線を感じる。
今日のドレスのせいだろうか。
そういえばドレスについては、誰もなにも言わなかった。
……似合っていないのかもしれない。
そんな不安に駆られて腕で少し隠すように歩く。
ほとんど意味はないが、気持ちの問題だ。
「具合が悪いですか?」
後ろを歩いていたカイルが小声で尋ねる。
「いえ!元気です」
慌てて否定すると、カイルは安心したように少しだけ口角を上げた。
申し訳ない気持ちになり仕方なく腕を下ろすが、ずっと視線が纏わりつく。
不安に胃が痛くなりそうだった。
「スズ様、申し訳ございません。
ドレスを引っ掛けてしまったようです。
着くまでこれを掛けていてもらえませんか?」
先日からデイル帝国の騎士服を着ているカイルは、立ち止まるとそれを脱いだ。
「ありがとう」
人目があるため、敬語はやめておいた。
いつ引っ掛けてしまったのだろうか。
気づいてくれたカイルには感謝するばかりだ。
カイルはその騎士服を私に羽織らせると「行きましょう」と歩きだす。
フェリスはにっこりと笑ってこちらを見ているが、なんだか笑顔が怖い。
ドレスを引っ掛けたことを怒っているのかもしれない。
あとでしっかりと謝ろう、と心に決めた。
騎士服を羽織ったことでドレスが隠れたせいか、少し視線が減ってホッと息を吐いた。
授業を受ける部屋に着くと、椅子に腰を下ろす。
「フェリス、ごめんなさい。
ドレスを引っ掛けてしまったようで」
申し訳ない、と謝るとフェリスはカイルを冷ややかに一瞥してから「問題ございません」と笑顔を浮かべた。
そんなフェリスをカイルは微かに眉を顰めて見ていて、仲悪かったかなと不思議に思う。
「申し訳ございません。
私の見間違いだったようです」
カイルがそう言うと、フェリスは騎士服を脱がせようと手をかけた。
「……部屋に戻るまで、着ていてはいけませんか?」
脱げないように騎士服をおさえてそう言うと、なぜか空気がピリピリする。
しばらく沈黙が続いたあと、カイルが「どうぞお使いください」と言ってくれた。
フェリスは無言だが、少し微笑んでいた。
似合ってないドレスでうろうろするのは、恥ずかしいのだ。
これで部屋に戻るまでは安心だ、と笑みを浮かべた。




