クマと赤クマは衝撃をうける
私が書き溜めたノートを寝室から持ってくると、フェリスはもう部屋に戻っていて、もう一度私を寝室に引っ張った。
「お着替えしましょう!」
そう言われて、初めて自分の姿に気づいた。
こんな格好で、今までいたなんて恥ずかしい。
気づいてくれて良かった、と安堵した。
フェリスは寝衣を脱がせてドレスを着せる。
薄い桃色のドレスでひらひらと裾が揺れて可愛い。
ただ、いつもより首回りが開いていて、銀のネックレスが見えている。
それがなんだか新鮮だ、と思った。
お風呂に入っていないので髪は軽く整えるだけにして、化粧もやめてもらった。
身支度が整うと、部屋に戻った。
戻ると先程のノートをヴィルに見せる。
「私、これが自信なくて」
そう言ってヴィルに見せたのは、貴族について、のページだった。
基本的には『救国の乙女』は貴族より上の立場になり、陛下より下の立場になる。
ただ、基本的には、だった。
カリストス王国にしか現れないと言われていた伝承の存在。
もちろんデイル帝国には現れた記録はない。
そう定められていることに、納得しない貴族もいるだろうと伯爵夫人は言っていた。
だから、堂々とした態度が求められる。
式の最中は陛下が側にいるため、声を掛けてくる貴族は少ないはず。
が、貴族にも派閥があるらしい。
恥をかかせるために、声を掛けてくる可能性もあるので用心すること、と言っていた。
「それは咄嗟の判断が求められる上、所謂貴族的なやり取りが必要だ。難しいだろう。
陛下には相談したのか?」
ヴィルのその問いに首を縦に振る。
「……陛下はにっこり笑って御礼を言うだけでいい、当たり障りない返答だけでいい、と」
「まあ、そうだろう。
中には良からぬ事を考える者もいる。
礼儀作法さえしっかりしていれば、隙を突かれることはないはずだ」
それでも不安な表情を浮かべていたのか、私の頭をぽんぽんとすると。
「心配ない。なにかあれば陛下が間に入ってくれるだろう」
陛下もそう言ってくれた。
しかし、出来るだけ迷惑はかけたくない、そう思い頬を叩くと気合いを入れた。
「『救国の乙女』だと、皆に認められるよう頑張る。礼儀作法を完璧にする!」
ヴィルは苦笑しながらも、そうだなと頷いた。
それから、昼食を一緒に食べて礼儀作法の勉強に付き合ってくれた。
カイルもずっとヴィルの側に控えていた。
空が茜色に染まり始めた頃、そろそろやめようか、というヴィルの言葉でノートを閉じる。
「疲れてないか?体調は?」
その言葉を朝から何度聞いただろうか。
ヴィルは私の体調を心配して、しきりに尋ねる。
しかし、丸二日寝続けたせいか、あの解熱剤の効果か、身体は妙にすっきりしているのだ。
「大丈夫だよ」
今日何度目かわからない返事を、笑いながら返す。
それでもヴィルは心配そうにしていた。
そうヴィルと会話をしていると。
「スズ様、陛下がいらっしゃっています」
フェリスは静かにそう私に告げる。
慌てて扉のほうへ向かうと、フェリスは扉を開けて陛下を招き入れるとすぐに下がった。
「スズ、目が覚めて良かった。
侍女から報告は受けたけれど、心配で。
本当にもう平気なんだね?」
陛下に心配そうな眼差しで見つめられて、申し訳なくなった。
「ご心配をおかけしました。
陛下のおかげで、元気になりました」
その言葉に安堵したように頬を緩めた陛下の顔を見ると、あの日のはにかんだような眩しい笑顔を思い出しそうになり、そっと視線を逸らす。
「えっと……果物も、ありがとうございます」
「ふふ、あんまり食べられなかったでしょう?
また夜にでも食べてね」
報告を受けているのだろうか。
せっかくくれたのに食べられなくて、申し訳なくなり陛下を見上げる。
「……スズ、上目遣いで見ないで」
と、手で頭をグイッと下に向けられてしまった。
「してません!!」
なんだか恥ずかしくて全力で否定するが、陛下は笑うだけだ。
変な顔をしていたのかもしれないと心配になると同時に、自分の姿が気になる。
病み上がりでお風呂もまだだし、ドレスを着ただけで、化粧もしていない。
恥ずかしくなり、後退ると棚の後ろに隠れた。
「ごめんなさい、こんな格好で……」
陛下は不思議そうに首を傾げると、微笑む。
「もう。可愛くて、困ってしまうな。
……私はもう戻らないと。
なにかあれば、すぐに言うんだよ」
私の元へ来て頭を撫でると、またね、と微笑んで部屋から出て行ってしまった。
なにも言う間もなく。
それがなんだか寂しかった。
ヴィルとカイルが待つ部屋に戻ると、ふたりは仲良く会話をしていたようだった。
が、私の姿が見えるとピタリと話をやめる。
……私には言えない話だろうか。
さらに寂しくなって、落ち込んでしまった。
「私とカイルはお披露目式までは暇なんだ。
だから、スズが寝るまではこの部屋にいてもいいか?」
ぼうっとしていた私は、唐突にそう言われて目を瞬いた。
もうすぐお披露目式だと思うと、緊張する。
いてくれると、緊張も紛れていいかもしれない。
そう考えて「いいよ」と答えた。
「ありがとう。
夕食食べるか?」
ヴィルは顔を綻ばせて、そう聞く。
「あ、私は先にお風呂に入りたい。
お腹いっぱいだから、食べていていいよ」
離れたところにいたフェリスに、ふたりの夕食をお願いすると、すぐに用意してくれた。
カイルに頼み込んで、ヴィルと一緒に食べてもらうとお風呂に入らせてもらった。
お風呂から出ると、フェリスが寝衣を持って待っていた。
「こちらをどうぞ」
そう言われて寝衣を着ると、その上に丈の長い羽織りを被せた。
以前とは違って、ぴっちりとボタンで留められカーディガンのようだな、と思う。
髪の水気も念入りに拭き取られ、お風呂上がりとは思えない仕上がりになった。
また風邪を引かないようにだろうか。
フェリスはいつになく真剣な様子で、仕上がるとにっこりと笑顔を浮かべた。
私はそんなフェリスに理由を聞けないまま、浴室から出た。
ふたりは食事を終えていて、ヴィルはソファーに腰掛け、カイルは側に立っていた。
私もソファーに腰を下ろし、ハーブティーと果物を用意してもらった。
「ありがとうございます」
お礼をいうと、フェリスは食器を片付けるためか部屋から出て行った。
ヴィルはそういえば、と口を開いた。
「スズは、向こうの世界からこれを持ってきたのか?」
私が書いていたノートを指差して言う。
「うん。便利かなって」
答えてからさくらんぼを頬張った。
ヴィルはそのまま黙ると、顔を顰めている。
「スズは後悔してないか?
こちらに来てしまった事……」
ヴィルは目を伏せて、聞きづらそうに口を開いた。
「してないよ。
むしろ、来られて良かったと思う」
でなければ、私は今もひとりっきりの生活を送っていただろう。
「『救国の乙女』になることも?
嫌な気持ちはないのか?」
ヴィルは連れてきた責任を感じているのだろうか。
精悍な顔が苦しそうに歪んでいた。
『救国の乙女』になってしまえば、もうこちらで生きていくと決めたことと同義だ。
私はもし帰れなくてもこちらで生きていけばいいと、決意して戻ってきた。
だから、今更それに迷いはない。
家族に会えなくなる、それだけが心残りではある。
だけど、両方は選べないのだから。
あれから私は、大切な人が出来てしまった。
どちらか選べ、と言われたら尚更こちらしか選べない。
親不孝者だと、わかっている。
だけど――。
「私に務まるか、自信がなくて不安だけど……。
後悔はないよ。陛下の提案がなければ、私はみんなを助ける事も出来なかったかもしれないし」
いつだったか、ギルバート殿下が言っていた。
――ひとつ狂えば、すべて狂う。
それが物語というものだろ、と。
きっと人生も同じだと思う。
――人生は選択の連続である、そう誰かが言っていた。
選択をすることで、自分の未来を変えている。
なにがきっかけで、未来が変わるかわからない。
向こうにいる時に、私はそれを考えた事も意識した事もなかった。
ほとんどひとりの世界だったから、私の選択で未来が大きく変わる事はなかった。
こちらの世界に来て、初めてそれを痛感したのだ。
あの時、私がヴィルと旅に出る事を受け入れなければ、桜様が主人公だったかもしれない。
私はもう街で働いていたかもしれない。
なにかひとつでも、違っていたら――。
今はなかった。
「私は私の選択を、後悔しない。
ヴィルと出会って、旅に出た事も。
陛下の提案を受け入れた事も。
もし悪い結果になっても、選択と頑張り次第で未来が変わるかもしれないでしょ?
せっかくヴィルが私の未来を大きく変えてくれたんだから、一生懸命に生きたいの。
私は今に導いてくれた皆に感謝してるよ」
自分の気持ちが初めてきちんと言葉にできた、そんな気がして嬉しくて笑ってしまった。
ヴィルとカイルは、驚いたように固まっている。
「……ねぇ」
目の前で手を振っても、返事がない。
「ヴィル?カイル?
私喋りすぎちゃった?」
その言葉に、カイルは慌てて首を横に振ってヴィルを揺すった。
ヴィルは我に返ったのかハッとした顔をすると、頭を横に振った。
首に、頭に、首振り人形のようで笑えてくる。
「ふふっ。ふたりともおかしいよ」
お腹を抱えて笑う私と、それを見て笑うふたり。
部屋に戻ってきたフェリスは、その様子に戸惑いの表情を浮かべていた。




