不穏な気配と涙
次に目が覚めた時には、太陽は真上の方にあった。
きっともうお昼に近い時間だろう。
とんでもない時間まで寝てしまった、と反省しているとベッドの横にカードがあるのに気づいた。
『付き合ってくれて楽しかったよ。
今日の授業は中止にしてあるよ。色々あって疲れてるだろうからゆっくり休んで。
侍女にも私から伝えておくから心配しないで。
素敵な夜をありがとう』
陛下の達筆な字で、メッセージが書いてある。
こんなに優しくて立派な人が、私を好きだなんて信じられないし恐れ多い。
後半の記憶がないし、きっと間違いなく迷惑をかけているはずだ。
なにか変なことを言ったり、したりしてないだろうか……。
というか、自分でベッドまで歩いたのだろうか?
はっきりとしない記憶に、何があったのか気になって休むどころではない。
フェリスはどうしているだろうか。
ベッドから起き上がると、寝室から顔を出す。
と、フェリスがすぐに飛んできた。
「おはようございます。
……二日酔いはいかがですか?」
申し訳なさそうな、納得していなさそうな、フェリスはそんな顔をしている。
「なんとか。こんな時間まですみません」
「大丈夫ですよ。
陛下からも頼まれていたので」
やけに陛下の部分を強調している気がする。
主君をたてているのだろうか。
「あの、陛下は今日お忙しいでしょうか?」
フェリスは顔をパッと明るくし、確認してまいります!と足早に出て行った。
最初はお淑やかな侍女だと思っていたが、最近はどちらかというと元気のいい侍女だと思う。
そちらのほうが素なのだろう。
少し気を許してくれたようで、なんだか嬉しかった。
「スズ様でしたら、いつでも歓迎するそうです!」
とすぐに戻ったフェリスから報告を受けた。
それは答えになっているだろうか?
忙しいなら、邪魔はしたくない。
悩んでしまい考え込んでいると沈黙になる。
「あ、あと。もしスズ様が黙ってしまったら、これを渡してほしい、と預かっております」
フェリスは布に包まれた、なにかを差し出す。
不思議に思いながら受け取り包みを開くと、いつも陛下が綺麗な長い銀髪を纏めている、紐のような髪飾りだった。
「これは必要なものだから返しにきてほしい、と」
フェリスは少し笑いながら、伝言を告げる。
「……ふふ、わかりました」
それを聞いて思わず笑ってしまった。
陛下らしい気遣いだと思う。
私は邪魔するのを気にして来ない、その可能性が高いことがわかっているから来やすいように用事を作ってくれたのだ。
「では、身支度したらお届けいたしましょう」
そう言ってフェリスは用意をしてくれた。
手際良くドレスを着せて、化粧を施す。
「今日の髪飾りはどちらにいたしましょうか?」
陛下から贈られた髪飾りを広げて尋ねる。
今日は黄色とオレンジを混ぜたマーブルのようなドレスを身につけている。
胸の下で結ぶリボンは白色だ。
淡い色を探していると、フェリスがこれはどうでしょうかと言う。
手に取られたそれは銀細工で作られたもので、デザインが凝っていた。
ドレスは全体的に淡い色でぼやっとしている。
淡い色を重ねるより、引き締められていいかもしれない。
「いいですね。これにします」
フェリスは髪飾りが見えるように、横で留めてくれた。
身支度もおわり、フェリスと護衛騎士と廊下をのんびりと歩いて執務室に向かう。
執務室に着くと、扉の前に控える騎士はなぜか困った顔をしていた。
それを疑問に思いながらも、扉の前で声をかけてみることにした。
「失礼いたします」
「どうぞ」
中からは陛下の声ではない返事が聞こえた。
声をかけた手前、とりあえず入るべきかと扉を開けると。
ーーソファーに陛下と桜様がいた。
「お邪魔いたしました」
それを見た瞬間、逃げるように部屋を後にした。
入ったばかりの部屋からでてきた私を見て、フェリスは不思議そうに首を傾げている。
「お邪魔だったようなので、戻りましょう」
それだけ告げて先に歩き出す私を、フェリスと護衛騎士は慌てて追いかける。
すぐにここを立ち去りたい私は足を早めた。
部屋に戻り食事も断ると、本棚から適当な本を手に取った。
フェリスは違和感を感じているのか、心配そうにこちらを見るがなにも言わない。
机に向かい椅子に座ると、読んでいるかのように本を開いた。
しかし本の内容などなにも頭には入って来ない。
先程見た光景が頭から離れてくれなかった。
ーー扉を開けたあのとき。
ソファーにいたふたりは、キスしていた。
私はふたりの姿を一瞬見ただけなので、どんな表情をしていたのかはわからない。
ただ、なんとも形容しがたいものが込み上げてきてすぐに部屋から逃げてしまった。
あれは合意の上?
物語が進んでしまった?
陛下は私のことは忘れた?
物語が進んでしまえば、陛下が私のことを忘れてもおかしくない。
私に気づいた様子もなかった。
桜様はきっと主人公なのだ、私とは違う。
忘れられていることを知りたくはない。
陛下にはもう会いたくない。
……ああ、でも髪飾り返さないと。
「フェリス、レオン様はどちらにいらっしゃいますか?」
「おそらく、執務室かと」
「……そうですか」
「私、いってきます!」
そう言ったかと思うと、すぐにどこかに出て行ってしまった。
本当に最初の印象と違う、と笑みがこぼれた。
しばらくして戻ってきたフェリスはレオン様を連れていた。レオン様は戸惑っている様子だ。
フェリスは退室はせず、部屋の隅に控えたまま空気になろうとしているようだった。
心配してくれているのかもしれない。
「スズ様、どうされましたか?」
その言葉に先程のあの光景を思い出して、それを振り払うように頭を振る。
「こちらを陛下にお返ししていただきたくて」
そう言って髪飾りを差し出す。
レオン様の顔が強張ったのがわかった。
「……なにがあったのですか」
「……」
なにも言えない、口に出したくない。
「……桜様が関係していますか?」
「なにかご存知なのですか?」
その名前が出てくるということはなにか気になることがあったのかもしれない、そう思ったら聞き返していた。
「……陛下のご様子がおかしいのです。
昼前に桜様が訪ねてきてから」
私より先に訪ねていた、あの時のことだろう。
嫌な予感が確信に変わりつつあった。
「……レオン様。
陛下は私のことを憶えておられますか?」
もう本当はわかっている。
だって、あれはきっと合意の上だった。
――陛下の腕は桜様を抱いていたのだから。
「……」
沈黙が答えだろう。
陛下は私のことを忘れた。
もう私のことなど好きではない。
その事実が胸に重くのしかかった。
好意を向けられることにあんなに困っていたのに、なぜか涙が溢れて止まらない。
「スズ様……」
レオン様は心配そうに、眉を顰める。
「……陛下は桜様になにかされていましたか」
物語を進めるために強制力が働いたのか、それとも故意に忘れさせたのか。
しかし強制力があるならば、今レオン様が私を憶えているのはおかしいような気がする。
「当初はいつも通りの冷たい対応でした。
様子が変わったのは、桜様がなにか石のついた装飾品を取り出したあとです」
……石のついた装飾品?
それから様子が変わった?
石、装飾品。
そう言われて思い浮かぶのはヴィルの聖石だ。
「それはブレスレットのような物ですか?
何色でした?」
思わず質問攻めにしてしまう。
「えっと。ブレスレットのような長さでした。
色は緑色です」
……ますます嫌な予感がする。
私を忘れた陛下。戻って来ないヴィル。
聖石が使われている可能性。そして、緑色。
知らないところで、なにかが動いているような不快感が胸から消えない。
「アリシャール王国に行きたいのですが、なにか手続きが必要ですか?」
「私が申請しておきます」
「ありがとうございます。
桜様は帰られましたか?」
一刻も早く帰ってほしい。
「出発はまだですが、王太子が責任持って連れ帰ると。ただ喚いていたので、すぐに戻ってくるかもしれませんが」
ということはあまり時間がない。
勝手に記憶をすり替えているのではないか、と疑う気持ちはどんどん強まる。
そんなことをするような彼女と陛下を婚姻させるなんてあり得ない。
問題はアリシャール王国に行く方法のほうだ。
聖石も、呪いも、携帯電話もない。
私のスマフォはまだ中途半端だ。
……いや、唯一影響を受けないであろう彼ならば。
そう思った私は彼の居場所をレオン様に聞くと、急いで向かった。




