シロクマの兄は
結局外が明るくなっていく様子を、ベッドの上で眺めていた。
今日は仕事のはずだ。
しかし、未だに全く眠れていない。
陛下は元に戻れたのを見た。
しかし、ヴィルは。
結局なぜあんな態度だったのか、わからないまま
帰ってきてしまった。
消化不良のように胸がモヤモヤする。
カードは見ただろうか。
…書いた通り、ヴィルは私が必要なくなったから戻したのだろうか。
しかし、予想外のことに焦っている顔だったような気がする。
確かめようがないことが、ぐるぐると頭の中を占領していた。
もうこちらから行くことはできないのだろうか。
本は帰ってからは反応することはなかった。
聖石がないから?
それとも、まじないがきれた?
本当かはわからないが、陛下のお兄様は記憶を代償にしたといっていた。
代償を払えば繋がる?
どうやって?
本を見つけたあの喫茶店に行けば、また手掛かりが見つかったりしないだろうか。
ふとそう思い浮かんで、仕事が終わったら寄ってみようと考えると。
少し希望が見えた気がして、気持ちが落ち着く。
出勤の時間までもう3時間をきっている。
喫茶店に行くなら寝ておかなければと思い、目を瞑って眠りについた。
気づいたらアラームが鳴っている。
少しだけでも寝られて、頭はスッキリしていた。
キッチンで朝食の準備をして、テーブルにつく。
今までひとりで暮らしていたはずなのに、寂しく感じた。たった2日だったのに。
パタパタと仕事の準備をして、会社に向かう。
今まで通り、粛々と仕事をこなして。
今まで通り、ひとりでご飯を食べて。
今まで通り、定時になれば帰る。
今まで通りとは、こんなにつまらないものだっただろうか。
一日中誰にも話しかけず、誰にも話しかけられない。
改めて寂しい人生だと思った。
私には本当に両親しかいなかった。
あの日と同じ道をひとりで歩く。
笑いながら歩いたことを、思い出して切なくなった。
喫茶店の扉を開けると「いらっしゃいませ」と、この間の店主が挨拶をした。
その姿を見てなんの前置きもなく、問いかける。
「あの日にいただいた本に、関係があるものは他にありませんか?」
「なにか気になることが?」
「はい。『羨望のひと』のお兄様が知りたいです」
確信はないが、そう答えたらなにか変わる気がした。
店主は目を瞑ってなにかを考えている。
「兄のなにを知っている?」
「なにも。記憶を失っている可能性は聞きましたが、それはないようですし」
店主は確認するように呟く。
「…行ったのですか。あちらに」
「はい。それを望まれていたのでは?
残してきた弟が心配だったから」
喫茶店に入った瞬間に、気がついた。
髪と瞳は違うが、雰囲気が陛下によく似ている。
優しそうな目元が特に。
「彼は元気そうでしたか?」
「国民のために頑張っていました」
「……そうですか」
「私はもう一度戻りたいのです。
その方法をご存知ですか?」
「本を使えば戻れる。
髪と瞳の色を代償にまじないをかけた。
だから、私は早く手放したかったのです。
帰りたくなってしまうから」
「しかし、反応しません。
……帰れば火種になるからですか?」
「こちらも大事だと思っているということです。
未練があると繋がらない。
私は弟に皇帝でいてほしい」
「未練を残さない……?戻ってきてこの世界を意識しすぎているかもしれませんね。
少し落ち着いてからもう一度試してみます」
「……別人として一緒に帰るのは駄目でしょうか?
陛下はずっと待っています、顔を見せるだけでも」
「……誰も気づかないとは限らない」
「あの本、陛下の執務室行きです。
きっとお兄様の想いが強いのでしょう。
もし、違う場所に飛ばされても私がいますから。
今週の土曜日にまた試そうと思います。
その前に来るので、考えておいてほしいです」
そう伝えると、喫茶店から出た。
来た時よりも、気持ちが軽くなっていた。
戻れる可能性がある、それだけで土曜日まで頑張れる気がした。
この世界への未練……。
行ったっきりもう二度と帰れないという可能性もある。
唯一未練が残るのは、両親だろうか。
いつも私を気にかけてくれていた。
そんな優しい父と母を振り切ってでも、あちらに行きたい。
どうしてももう一度ヴィルに会いたい。
なぜか強くそう思ってしまう。
両親には会って話すことはできないから、手紙でも書こうかと考えながら帰路についた。
****
クマside
そのころ、私は部屋に篭っていた。
聖石を見ながら考える。
聖石は向こうの世界では使えない。
こちらから干渉することも難しいと思われる。
ではなぜ、クマになってあちらに行ったのか?
――向こうの世界に行った日を思い出す。
あの日は、25歳になっても婚約者を作らない私に痺れを切らした国王陛下が夜会を開いていた。
代わる代わる話しかけてくる御令嬢に辟易としながら、優しい王子を演じた。
望まれるままダンスを踊ると、その父に娘を打診され。丁重にお断りして。
それが十数回になるころには、誰もいなくなった。
ひとりテラスに出て、ふうと息をつく。
何気なく手首の聖石を見る。
黒い緑色になっている。長いこと使っていなかったな、少し使っておかなくては……。
願うことは今までなかった。
道具などを出すのみ、仕事として使うくらいだった。
しかし、その日は疲れていたせいか、つい願ってしまっていた。
『王子はもういい。ここから逃げてしまいたい』
すると、聖石が反応した。
気がついた時にはスズの元にいて、私の体はクマになっていた――
そうなると、聖石に力を溜めないことにはどうにもならない。
しかし、聖石は未だほぼ透明だ。
力は自然に溜まるのみ。よって、かなりの時間を要する。
しかも、向こうで聖石は使えない、行けたとしても行ったっきりになってしまうだろう。
本は使えない可能性もある。
行き詰まってしまい、肩を落とした。
スズはどうしているだろうか。
もう二度と会えない、姿も見れないのだろうか。
スズのことばかりが頭の中を占めていた。
****
喫茶店に行ってから、私は必死で働いた。
あの日以来、嫌がらせもなくなり仕事が捗る。
いざという時のための引き継ぎ資料も作っておいた。
不審に思われるかもしれないが、迷惑はかけたくなかった。
――明日になれば戻れるかもしれない。
はやる気持ちを抑えながら、仕事をこなして退社する。
あれだけやめたいと思っていた会社も、もう来ることがないかもしれないと思うと、哀愁に駆られるので不思議だ。
もし戻れなかったらヴィルと会ってスッキリしたあと、デイル帝国の街で働きたい。
陛下の国なら楽しく働けそうだと思ってのことだ。
そんなことを考えていたらあっという間に家につき、適当にご飯を食べてから荷物を整理することにした。
「うーん、身につけておけば持っていけるのかな?
一応鞄にも詰めてみよ!」
服と下着、家族の写真とスマホ、太陽光パネルのついた充電器を入れる。
成人したときに、母にもらった真珠のイヤリングも大事にしまう。
あとは資金調達のために、たくさんある髪留めを全部詰める。
本を読むときに髪が邪魔に感じてつけ始めて、それがいつからか可愛いものを集めるようになった。
アクセサリーは向こうのほうが、本物なのでやめておいた。
手には子供の頃から大事にしているバンビと、ヴィルにとってもらったクマの女の子のぬいぐるみを抱えることにした。
用意がおわり、明日に備えてベッドに入るも、遠足前のようにわくわくしてなかなか眠れなかった。
そしてついに、土曜日の朝。
スッと起きて朝の支度をする。
まだ朝だが、そわそわしてしまう。
10時ごろに行こうと決めたが、待っているとなかなか時間が経たない。
早めに出てぶらぶらしよう、と家を出た。
開いているお店が数店ある。
その中の文房具屋さんに寄ってみることにした。
ノートが売れているのをみて、10冊ほど手に取る。
ついでに鉛筆数本とペンも数色買っておく。
インクは消耗品だから大事に使わなくては。
働くとなるとメモをしたくなるだろうし、いい買い物ができたとほくほくしながら喫茶店に向かう。
喫茶店ではいつもと違う男性が接客をしていた。
あれ?と不思議に思っていると、こちらに気づいて歩いてくる。
「いらっしゃいませ。
もしかして、店長と待ち合わせの方ですか?」
待ち合わせかと言われれば、そうかもしれない。
「あ、はい。どちらにいらっしゃいますか?」
「ご案内いたします」
お店の2階の部屋に案内される。
「では、ごゆっくりどうぞ〜」
意味ありげな視線と表情になにか勘違いされている気がした……。
まあいいか、と思いドアをノックしようとすると
「入ってください」
と中から声が聞こえた。
殺風景な部屋で、椅子に座っている。
挨拶するために口を開こうとすると。
「おはようございます。
先日のお話ですが、お受けいたします。
王家の色を失った今、影響は少ないと判断しました。もちろん居座る気はありませんが。
喫茶店は先程の彼に任せることにしました」
入った瞬間、突然話し出すので驚いてしまった。
「そうなんですね。良かったです!
そうと決まれば私のアパートにいきましょう。
荷物が多くて……すみません」
「わかりました。
私の荷物はこれだけなので大丈夫ですよ」
ふたりで部屋から出て下の喫茶店に降りると、扉から外に出る。
すると「お幸せに〜」と彼の声が聞こえた。
やはりなにか勘違いされているらしい。
それでいいかもと思って軽く頭を下げた。
「すみません。なんか勘違いしているようで」
お兄様が謝る。そういえば。
「大丈夫です。それより、お名前を教えてください。私は鈴原鹿乃です。スズでいいですよ」
「スズさんですね。私はシャロと呼んでください」
喫茶店の名前と同じだ。
思い入れがあるのだろうか。
「シャロさん、改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ」
そうこうしていると、アパートに着いた。
部屋に入り、荷物をソファーに集める。
「シャロさんはそちらに」
ソファーの片側を指差す。
私は荷物を肩にかけてぬいぐるみふたつを抱っこして座る。
テーブルの上の本を手に取る。
「では、いきますよ」
本の模様に触れながら、願った。
ーーすると、本が光りだす。
その瞬間に、シャロさんは私ごと抱きしめて光に包まれた。
――次に目を開くと、やはり陛下の執務室にいた。




