間に合わないクマとシロクマ
私は目が覚めて、むくりと身体を起こした。
昨日は布団に入ってから、また涙が浮かんで泣きながら寝てしまった。目が浮腫んでいるのがわかる。
はあ、と溜息を吐くと、扉の外にいるであろうフェリスを呼ぶ。
フェリスは挨拶をしてから、気遣わしげな表情でこちらを見ていた。
「おはようございます。
申し訳ないですが、目を冷やすものはありませんか?」
「持って参りますね」
いつもは綺麗な歩き方で静かに歩くのに、今はパタパタと急いで出ていく。
知らないうちに、心配をかけてしまったらしい。
「私を心配するのは、両親だけかと思ってた……」
誰もいなくなった部屋で、そう呟いていると。
コンコン、とノックの音がした。
「スズ、おはよう。気分はどうかな?
入ったりはしないから安心して。返事もいいよ。
昼に彼の部屋に集まることになったけれど、スズは無理しなくていいよ。
差し入れを侍女に渡したから、よかったら食べて」
じゃあね、と言って出ていく音がした。
どうやって見られないように来たのだろう。
そんな素朴な疑問が浮かぶが、もう知る方法はない。
陛下は優しい、欠点が見つからないくらい。
どこの馬の骨かもわからないような私を心配してくれる。
気を遣いすぎて疲れたりしないだろうか。
肩の力を抜ける相手がいればいいのにと、そんなことを考えていると、すぐにフェリスが戻ってきた。
「お待たせいたしました。
こちらをお使いください」
四角いなにかに布が巻いてある。
受け取ると少しひんやりとして気持ちいい。
保冷剤のようなものだった。
「ありがとうございます」
そういうとフェリスはなにか言いたげに口をもごもごしていたが、何か言うのをやめたらしい。
四角い布を浮腫んだ目にあて、冷やす。
冷たくて、ぬるくならず、便利なものだった。
保冷剤のようだと思ったが、硬くない。
こちらに来てから部屋の中にあるものしか見てない。どんなものがあるのか教えてもらうのもいいかも、と考えながら冷やし続けた。
大分見られる顔になったところで、フェリスが朝食を準備してくれた。
今日は、パンケーキのような丸いパンにサラダ、大きいお皿に果物がたくさん盛ってある。
「わあ、すごいですね。おいしそう」
思わず笑みがこぼれる。
フェリスは喜んでいる私を見てホッとしていた。
「こちらの果物は陛下からでございます」
「御礼を言わなくてはいけませんね。
こんなにたくさん食べられないので、フェリスも一緒に食べませんか?」
「ありがとうございます。
ハーブティーもご用意しますね」
そう言ってフェリスはすんなりと了承してくれた。
丸いパンはパンケーキのように甘くてふかふかでもちもちとした食感がくせになりそうだ。
果物もあると生クリームがほしくなるが、それは駄目だろう。
果物は姫リンゴとぶどう、メロン、オレンジ、さくらんぼと知っている果物もあった。
見たことのない果物から食べてみる。
黄色くて平べったい形をしたものを口に入れる。
「すっっっぱい!」
シャクシャクしているのに、味はレモンだ。
ハーブティーにいれて、レモンティーになったりしないだろうか。
あ、赤ワインがあったら、たくさん果物があるしサングリアを作りたい。
「フェリス、赤ワインってありますか?」
「ありますよ、頼みましょうか?」
「いえ、食べ終わったあとで作りたいものがあるのです。厨房の端など借りることできませんか?」
「お願いしておきますね」
「ありがとうございます。残った果物を使いたいので、とっておいてください」
話しながら果物を食べて、満腹になったお腹をさすった。
フェリスが片付けて下げに行った際に、厨房を借りることをお願いしてくれた。
そのため、すぐに果物を持って厨房に向かう。
お城なだけあり、厨房もとても広い。
火は使わないので、盛り付けするスペースを借りることにした。
熱湯消毒した蓋付きの容器を借りると、ワインをとぽとぽと注ぐ。
甘いシロップを少しとブランデーも拝借して、かき混ぜる。
その中に小さく切った果物と、皮を剥いたオレンジを入れていった。
蓋をしめると、冷蔵庫の役割をするらしい冷えている部屋に置かせてもらうことにした。
フェリスは、一連の作業を不思議そうに見ていた。
できたら少しあげよう、と思う。
作業している間にお昼になったが、果物でお腹がいっぱいなので、昼食はなしにしてもらった。
厨房の方に御礼を言うと、そこをあとにした。
****
部屋に戻ると、机に向かう。
「色々お願いして申し訳ないのですが、紙と書くものを用意できませんか?」
先程頼めばよかったのに、申し訳ない。
「こちらでもよろしいですか?」
フェリスがポケットから、メッセージカードと鉛筆のようなものを出す。
「ありがとうございます。
いくらでしょうか?」
「いえ、とんでもないです!そちらは差し上げます。先程果物をいただきました」
果物は私が買ったわけではないのだが。
しかし、これ以上言っても受け取ってもらえないと思い、甘えることにした。
「フェリス、なにからなにまで本当にありがとうございます」
侍女がフェリスさんで良かった。
この世界で出会った人は、皆優しい。
だからこそ、きちんと御礼がしたかった。
メッセージカードに鉛筆らしきもので、さらさらと書いていく。
書きながら、日本語だけど読めるよね?と不安になったが、きっと大丈夫だろう。……たぶん。
二枚かいて、一枚は昨日買ったカフスボタンに。
もう一枚は物がないので、そのまま。
とりあえずふたつとも棚に置いておいた。
そうしていると、ノックの音と共にレオン様の声が聞こえた。
「そろそろお時間ですので、行って参ります」
フェリスがいるため、内容は口に出さない。
一緒に行きますか、と言わないことに気遣いを感じる。
「私もご一緒させてください」
自分が起こしたかもしれないことだ。
ここで行かないのは、それから無責任に逃げているようで嫌だった。
レオン様とヴィルの部屋まで歩いた。
一歩一歩、歩くたびに緊張が増している気がする。
レオン様が扉を叩く。
出迎えたヴィルは目の下に隈があり、寝れていないように見えた。
昨日あんな態度をとってしまい、気まずい、どうしようと思っていたのに。
会ったらすぐに謝ってそれから……と考えていたことは全て吹き飛んでしまった。
心配になってつい、声をかける。
「ヴィル、大丈夫?」
「平気だ。昨日はすまなかった。
嫌な態度をとって、悪かった」
ヴィルは本当に申し訳なさそうに、言葉を出している。
「私こそ、ごめんなさい」
ヴィルに謝る。
「陛下にもご迷惑をおかけしました。
果物も美味しくいただきました。
ありがとうございます」
そのあと陛下にも御礼を伝えた。
「迷惑だなんて思っていない。
元気になったようで、安心したよ」
陛下は笑うように、そう言ってくれた。
レオン様が「では、そろそろ始めましょうか」と切り出すと、皆でソファーに腰を下ろした。
座るとヴィルは思い出したのか、ジャケットの中からあの本を出して私に手渡した。
「スズが持っていてくれ」
まさか、本も一緒にきているとは思わなかったので驚くが、そのまま受け取った。
「本?大切なものなの?」
陛下は本に興味があるようで、覗き込む。
しかしすぐに、その顔が固まった。
「これ……、どこで?」
「こちらに来る前に、人からもらいました」
「これは、私の兄が持っていた本だ。一度だけ見せてもらったことがある」
「兄?」
陛下がお兄様の話を始めた。
陛下が皇帝に、という声が大きくなると皇太子だったお兄様は、ある日突然いなくなったらしい。
その前夜、陛下の部屋に来て話をした。
それはもうひとつの世界の話とまじないの話だった。
この本を見せて、これにまじないをかけようかなと。そうしたら、代償は自分の記憶にしよう。
そのあと、冗談だよ、と笑っていたがそうは思えなくて。
次の日、もう兄はいなかった。
――そう話をしてくれた。
「もしかしたら、兄は本当にそちらの世界に行けたのかもしれないね」
陛下はホッとしたような悲しいような声でそう言うと。
「さあ、気を取り直して、始めようか」と言った。
ヴィルは聖石をつけた手をテーブルに乗せて
「この手に触れてください」という。
シロクマさんは、言われた通り手の上に置く。
緑色だった石が少しずつ透明に近づいていく。
――すると、ボンっと音を立ててシロクマさんは人間に戻った。
「……成功?」
私は半信半疑でヴィルに尋ねた。
「成功しました。しばらくは様子を見てください」
それを聞いて安心して、体の力が抜けた。
「良かった……!」
そう呟くと、手に持っている本が光っているのが見えた。
嫌な予感がする。まさか。
予想通り手が離れない。
あの時と同じだ。違うのは私ひとりだけということ。
ヴィルと陛下が慌てて私に触ろうとしても、触れないようだった。
どこに行くのかわからないが、これだけは伝えたいと一生懸命口を動かす。
「私の部屋!棚の上を、見てください。
直接渡したかったけど、感謝の気持ちです」
伝わっていたらいい。
伝わっていないと困ってしまう。
そう思っているうちに、光が弾けた。
――そうして気付いたら見慣れたアパートのソファーに座っていた。
夢だったのだろうか?
……いや、ドレスが夢ではないといっている。
慌ててスマホで日付を確認する。
4月23日、16時。
私があちらに行ってから進んでいない。
なにがなんだかわからず、呆然とソファーに座る。
もう、2度と会えないのだろうか。
こんな突然の別れは受け入れ難い。
せっかく謝ることもできて、プレゼントを渡してふたりの喜ぶ顔が見れると思ったのに。
本を手に持てば、戻れるのではと何度も試す。
しかし、なにも変わらなかった。
気がつけば外は暗くなっていて、ふらふらとお風呂に入ると布団に潜り込んだ。
心にポッカリと穴が空いたような感覚に、私は眠れる気がしない。
ぼうっと天井を眺めながら、夜が更けていった。




