シロクマは語る
シロクマside
「陛下のお部屋にお邪魔して、いいですか」
恥ずかしそうにそう言ったスズに、思わず固まる。深い意味はない、そうわかっていても。
一緒にいたい、そう含まれているその言葉が嬉しかった。
私がお風呂から出ると、スズはソファーに寄りかかって、すうすうと寝息を立てていた。
それに少し安堵する自分もいて、ふふと笑いが漏れた。
先日のスズの侍女からの報告を思い出す。
スズはクマの姿になった彼に丸め込まれるようにして受け入れた、と。
ただ口づけはしたくない訳ではないと言いながら断っていた、と。
それを聞いて私がどれだけ取り乱したか、スズは知らない。
いつか彼とそうなると思っていたけれど、まだ先だろうと安心していた。
――どうして、拒んだのだろうか。
私としてはずっと拒んでほしいくらいだけれど、もし私も拒まれたらと口付けるのを躊躇してしまった。
寝息を立てて寝ているスズを腕に抱えて、寝室に向かう。それからベッドに下ろそうと屈むと、スズの頬に髪から滴が落ちた。
急いで出たために前髪には水気が残っていたらしい。
スズはそれがくすぐったかったのか少し身動ぎしたあと、また可愛い寝息を立て始めた。
それが可笑しくて、静かに笑う。
今度は滴が落ちないように慎重にベッドに下ろすと、布団を掛けた。
ぐっすりと眠っているスズは。
もちろんその隣に横になっても気がつかない。
いくら私に背を向けているとはいっても、些か問題ではないだろうか。
「……スズは、無防備過ぎるね」
薄暗い部屋の中でひとりごちる。
男が皆、親切で優しい訳ではない。
下心ある優しさも少なくないのだから。
のこのこと夜に男の部屋に訪れただけでなく、剰え寝るなんて。
据え膳だと寝込みを襲われてもおかしくない。
そんなことは微塵も考えていないであろうスズは、呑気に寝ている。
この警戒心のなさが厄介だ。
そんなことを考えているとスズは寝返りを打った。こちらを向いたスズは布団を抱きしめるようにして幸せそうな顔をしている。
深く溜息を吐く。
寝るのはもったいない、そう思うもここ数日ほとんど寝ていない。
目を瞑れば、すぐに寝てしまうだろう。
公爵達の処罰についてスズに話すべきか、ずっと迷いがあった。
けれど誰かの口から耳に入るよりは、と食事を終えてから淡々と結果だけを告げた。
その時の翳ったような表情と、その後に言った言葉が対照的で。その真意は何だったのか。
怖がらせてしまったのか。
あるいは――。
小さな声で一緒にいたいと呟いたスズを思い出す。心を許したスズの破壊力は凄まじい。
レオンが羨望の目を向けていたことを、スズは知らないだろう。
「――全く油断も隙もない。
スズが起きたら、きちんと釘を刺しておかなくては、ね」
そう呟くと仰向けになり、しばらく天蓋を眺めてからゆっくりと目を閉じた。
翌朝、心地良いような柔らかな感触と温もりを不思議に思いゆっくり目を開けると、眼前には枕。
視線を下げると、私の胸元に擦り寄るようにして眠っているスズがいた。
呼吸を忘れて息を詰まらせると、頭が一気に覚醒した。
冷静になるよう天蓋を見つめて、思い出す。
私は眠りについた時から、位置は変わっていない。
そうなると、スズが寝ているうちにここまできてしまったのだろう。
私が寝ている間無意識にしてしまったことではないと安堵した。
――可愛い。
隙間なく密着しながらも、スズは幸せそうに寝ていてずっとこうして眺めていたいくらいだ。
しかし目が覚めたスズはどう思うだろう。
名残惜しいけれど、離れておこうと身動ぎする。
すると、スズは「ん、」と顔を顰めたあと、ゆっくり目蓋を開こうとする。
半分ほど開いたところで、黒い瞳がこぼれ落ちんばかりに開かれた。
そのまま勢いよく起き上がると、忙しなく視線を動かす。そのあと顔を赤らめながらも私から距離を取って姿勢を正すと、オロオロし始めた。
「おはよう、スズ」
考えていることが手に取るようにわかり、思わず笑ってしまいそうだった。
「ご、ごめんなさい!
私、勝手に寝て、挙句……」
「汚い身体のまま陛下のベッドに……しかも寝相が悪いせいで陛下を潰して……ごめんなさい!」
取り乱している様子のスズは、何度も謝る。
「寝てしまっていたのは寂しかったけれど、ベッドに運んだのは私だし、潰されてもいないよ。
目が覚めたらスズの温もりが側にあって、なんて幸せな朝だろうと感動したくらいだけれど」
正直にそう言うと、更に顔を赤らめて視線を泳がせている。どう返せばいいかわからないのだろう。
そんなスズが可愛くて、ひとしきり笑ったあと。
「それはそうと、どうして急に部屋に来たいと言ったの?」
「…………一緒にいたくて」
「それだけが理由ではないでしょう?」
「…………陛下がひとりよりふたりがいいんじゃないかと思って、それで……」
予想外の言葉に驚いて、言葉が出ない。
スズはそんな私の反応を誤解したのか、慌てて口を開いた。
「ごめんなさい!……自惚れでした」
「そうではないよ、驚いただけ。
自分では気づいていなかったから」
皇帝に即位して以降、処罰を下すことは多々あった。しかし処刑に処すような事件はなく、今回がはじめて人の命が関わる処罰だった。
その処罰に迷いはない。
それでもやはり気が滅入る。
処罰を下し続けた時、私は私のままでいられるだろうか、そう思って暗い気持ちになっていたのは事実だった。
今なら話せるかもしれない、そう思った。
「スズ、……私の両親の話を聞いてくれる?」
スズは表情を固くしつつも、静かに頷いた。
それを確認すると、ゆっくりと口を開いた。
先帝、私の父は優しすぎるほど優しい人で慈悲深い人格者だった。
母は大らかでありながら快活な人で、いつも笑顔を浮かべて父に寄り添っていた。
その時代は今ほど国が安定しておらず、まだ小競り合いも多かった。
ひとつひとつは小さなものでも、それを見逃せばやがて国は乱れる。
そのため重い処罰を下すことも少なくなく、優しすぎる父は罪の意識に囚われていたのか、次第に感情の浮き沈みが激しくなっていった。
留めとなったのは、五年前皇妃だった母が急逝したこと。母が心の支えだったのか、母を失った父は錯乱状態に陥り、その後すぐに父は精神を病んで第一線から退いた。
その頃にはもう会話が出来る状態ではなく、あっという間にこの世を去ってしまった。退いた父の代わりに公務をしていた皇太子の兄は、父が亡くなると同時にこの国から姿を消した。
わずか三ヶ月の間に父も母も兄もいなくなり、私の立場はガラリと変わった。
――厄介な立場だけを残して。
「今あの時の父と同じ立場になって、ようやく父の苦しみがわかったような気がする。
スズがいてくれたから、それに囚われずに済んだのかもしれない。……ありがとう」
話が終わる頃には、スズは膝を抱えて丸まっていた。涙を我慢するように唇を引き結んでいる。
黒い瞳は今にも涙が溢れそうに潤んでいた。
スズは足を崩すと私のほうに近寄って、ベッドの上に座ったままだった私の足を膝立ちで跨ぐと抱きついた。
「苦しい話をさせて、ごめんなさい。
……でもご両親のお話が聞けてよかったです」
私の首に回されたスズの腕は震えていた。
「……逃げたくなったでしょう?」
意地が悪い言葉だと思う。
けれど、聞かずにはいられない。
私でも逃げたくなる時があるのだから。
「はい、……陛下を引っ張って逃げたいです。
でも、それは出来ません。
陛下は国民に慕われていて、期待されています。
陛下のおかげで安寧を維持しています。
それは陛下が必死に頑張ってきた結果だから。
だから、やっぱりそんな陛下が無理しないよう、
お母様みたいに側に寄り添っていたいです」
なんという口説き文句だろうか。
首に回された腕に力が入り苦しいくらいだけれど、それすらも嬉しいと思ってしまう。
そんなことを言われると思っていなかった私は、予想外の言葉に胸が熱くなるのを感じた。
「ありがとう。……嬉しい」
それだけ言うと自分を落ち着けるように、顔の横にあるスズの頭を撫でた。




