クマを受け入れる
全く気にしていない様子のヴィルは「触っていいんだぞ」と私の上に座ったままで。
なんだか怖いくらいでもふもふしたいとうずうずするが、躊躇する。
ふと視線を感じた気がして顔をそちらに向けると、フェリスが引き攣るような笑みを浮かべていた。
それを見てサッと血の気が引いた。
秘術の事は知られてはいけないはずなのに、思いっきりクマになるところを見られてしまった。
しかも私がクマを撫で回していたのも……。
そこまで考えたところで、思考を放棄した。
思い出したくないし、知りたくない。
ただ、このままで居るのは良くないと思う。
「ヴ、ヴィル!
もう十分癒されたから!だから、戻って」
慌ててヴィルにそう言ってから、戻るのもどうだろうかと気付く。
しかし、戻らないと帰れない。
そんな私の気持ちが伝わったのか、渋々私の上から下りると、ボンッと元に戻った。
「これでいいか?」
「……うん、……けど、近い!」
人の姿に戻って急に目の前に顔を持ってこられると、いくらなんでも心臓に悪い。顔を赤くしながら目を逸らす私を見て、ヴィルは満足気に口角をあげた。
やられた、と思うがもう遅い。
ソファーに座っている私の前に片膝をつくと、徐に私の右手に触れた。
少し節くれだっている指に陛下との違いを感じて、心臓が跳ねてしまう。
緑色の瞳には動揺する映っていて、なんだか閉じ込められているような気分になりそうだ。
「スズ、……好きだ。
もう私はスズしか、考えられないんだ。
私には、陛下のような華やかさも才智もない。
それでもスズを想う気持ちは、負けないつもりだ。何番目でも構わない、隣にいさせてくれ」
もう一度私の意思を確認するように、ヴィルはそう言った。先程のクマの姿とは違い、熱っぽく見つめられてそんなことを言われたら、頬が紅潮してしまう。
しかし、私と出会わなければ、そんなことを思ってしまう。本当だったら、貴族の御令嬢と婚姻して、お互いだけを想って。
ヴィルにはそういう普通の幸せがあったはずで。
何番目でも、なんて言わないといけない未来はなかったはずで。
「ヴィルだって良いところはいっぱいあるよ。
なのに何番目でも、なんて……」
「何番目でも、と言えるのは恵まれている。
スズが『救国の乙女』であるおかげだ。
そうでなければ振られておしまいだったからな。
感謝したいくらいだ」
ヴィルはそう言って頬を緩めた。
そうハッキリと言い切られてしまうと、もうなにも言えない。それに、そんな考え方もあるのか、と妙に納得してしまう自分もいた。
「……本当に後悔しない?
他の女性が良かった、とか思わない?」
「しない。思う訳がない」
「じゃあ……、よろしくお願いします」
無理矢理とは言え、一度受けたものは断れない。
顔を隠すようにしてペコリと頭を下げて、そう言った。
すると、ヴィルは嬉しそうに破顔する。
「こちらこそ。ありがとう」そう言って浮かべている笑みは幸せそうなもので、こちらまで嬉しくなりそうだ。
ヴィルは触れたままだった手をギュッと握りしめて「ところで」と口を開く。
その顔は笑っているが、黒いオーラを感じる。
「もう一度確認しておきたいんだが、スズは私をどう思っている」
「どう……、とは?」
「好きなのか、少しだけ好きなのか。
それとも気を使っただけで、好きではないのか」
「……今、言わないと駄目?」
あっという間にこの状況になって、心の準備が出来ていない。後日にしてほしい、そんな気持ちを言外に含ませる。
「もちろん。現状確認は大事だろう?
それによって私も色々考えなくては。
だから正直に答えてくれ」
色々とは。
含みをもった言葉に後退りたくなる。
脈拍が早くなっているのか、息がうまくできない。
「えっと……、その、前者かな」
卑怯だと思いつつも、言葉にするにはまだ恥ずかしくて。ただそれを聞いたヴィルは、予想外だったのか固まってしまっている。
「……私は好きなのか、少しだけ好きなのか。
それとも好きではないのか。
と聞いた。前後間違えてないか?」
「……間違えてない」
「そうか。しかしきちんと言葉にしてくれないと、わからない」
私の答えに目を見開きながらもそう言ったヴィルは、口元を手で押さえている。
私は絶対にわかってて言っていると確信した。
しかし、こうなったら言うまで許してくれないだろう。
「……っ、ちゃんと、好きだって!」
やけになって怒ったように言うと、目の前のヴィルの顔が赤らんだのがわかった。
ヴィルはすぐに顔を伏せると、手で口元を押さえている。私からはヴィルの後頭部しか見えない。
ただ、茶色の髪の隙間から覗く耳が赤く染まっていて、可愛いと思ってしまった。
そう思った時、手を握ったまま俯くヴィルの頭をふわりと撫でてしまった。
驚いたようにビクッと跳ねたものの、顔はあげない。それをいいことに、もう少し髪に触れてみる。
その髪の毛の感触はクマのようにふわふわと柔らかくて、男性だとは思えないほどサラリと指の間から抜けていく。
それが気持ち良くて、何度も触っていると。
「スズ、……後悔することになるぞ」
怖い言葉が聞こえて、反射的に「ごめんなさい」と謝りながら手を引っ込める。
ヴィルは顔を上げると、上気した顔で私を見つめる。その視線はなんだか暴力的な色気があって。
思わず視線を逸らして、もう一度「ごめんなさい」と謝った。
握られたままだった手を引っ張られると、私の身体が前に倒れて、ヴィルの顔が近づいてきて。
昨日したことを思い出して「……駄目!」と既のところで、空いている手でヴィルの口元を押さえた。
そのせいでヴィルは顔を歪めて、不機嫌なオーラを隠していない。
先程までは顔を赤くしていたのに。
……さすがに酷かっただろうか。
しかし、昨日は陛下とキスをして、今日はヴィルとキスをするというのは、ふしだらな気がする。
そもそも不器用な私に、そんな切り替えができるはずがなく。
こんなことになるとは考えてもいなかったから、まだ割り切る覚悟もない。
「なぜ?」
短い問いかけが、ヴィルの気持ちを表しているようで怖い。
「いや……、あの、違うの。
ヴィルと、キスしたくない訳ではなくて、」
正直に言う訳にもいかず、歯切れが悪くなる。
そんな私にヴィルは溜息を吐くと「悪かった」と謝罪を口にして表情を緩める。
「……調子にのってしまったな、悪い」
そうではない、そう言いたいが言えない。
言ってしまうと理由を聞かれてしまう。
が、このまま勘違いされたままで、ヴィルが傷つくのも嫌だ。
「もう気にするな」
ヴィルは困ったように笑みを浮かべる。
私を気遣うその表情に、申し訳ない気持ちになった。
「……違うの!本当に!
それだけは信じてほしい」
「わかった。
……手ならいいか?」
さすがに断る訳にいかず頷くと、繋いでいた手の甲にそっと唇が触れた。
壊れ物を扱うように優しく触れたそれに、心臓が煩く鳴る。
ヴィルは柔らかく緩めた目で私を見つめていて、恥ずかしくなってしまう。
「……大切にする。
スズ、ありがとう」
そう言って立ち上がったヴィルは、続ける。
「邪魔して悪かったな。
ゆっくり休んでくれ」
繋いでいた手を離して背を向けたヴィルに、慌てて「また明日」と言うと微笑んで頷いてくれた。
そうして部屋から出て行くヴィルを見送った。




