05 Hounds lurking at an acute angle(鋭角に潜む猟犬)
「今日という日は残りの人生の最初の一日、と言うけど……」
血塗れの両親や兄姉達に “何故、助けを呼んでくれなかったんだ” 、“自分だけ隠れて生き延びたのは狡い” と夢の中で責められ、真摯な心持ちで日々を過ごそうとは思えない。
重い溜息を零して、一睡もしてないような重度の疲労感を誤魔化しつつ、身支度を整えて職場へと出勤するも…… 散々たる有様を呈して、所有者に事務室へ呼び出されてしまった。
「リズベル… お前、もう明日から店に来なくていいぞ」
「え?」
大衆酒場の営業と後片付けが終わった深夜二時、唐突な解雇通告が突き付けられる。言葉の意味は分かるものの、理解したくない。
独立都市に於いて農奴階級である二等市民の場合、それは “飼い主” が変わる事を意味しているため、室内にいた “堅気とは思えない” 強面の男へ視線を向けた。
「彼は繁華街で娼婦達の面倒を見ている人の舎弟だ」
「初めまして、お嬢さん。噂通りに器量が良いな……」
「ま、待ってください! 私、もっと一生懸命に働きますから!!」
「そういう問題じゃない、諦めてくれ。部屋の私物は後で娼館に送ろう」
ばつが悪そうに頭を掻いて咥え煙草の所有者が半歩退くと、若干の憐憫など表情に浮かべた男が腕を強く掴んでくる。
「嫌… やめて――」
親戚に見放されて都市へ来た二等市民の私に拒否権は無く、不本意な交わりを強いられる事も覚悟していたけど、唇は震えて背筋が寒くなる。
連日の疲労も相まり、高鳴る心拍数と共に意識が遠のいて膝から崩れる瞬間、落ち着き払った、誰かの声を、聴いたような―――
「少々、暮らしぶりを様子見するだけの腹積もりだったが、色々と致し方ない」
室内に点在する鋭角の影より、忽然と湧き出た英国紳士風の青年が気絶した赤毛の少女を抱き留め、硬直している二人と向き合う。
いち早く正気を取り戻したのは荒事慣れしている裏稼業の男で、奇妙な侵入者に親しげな笑顔を浮かべてみせた。
「Dr.ディー、あんたは神出鬼没な黒猫の同類だとボスから聞いてる。決して喧嘩を売ったり、揉めたりするなともな… どうして此処に?」
「余計な詮索はするな、寿命を縮めるぞ。この娘は通りすがりの “医師” が買い取ったとだけ、ダグラスの小僧に伝えておけ」
手短に答えると片手で意識のない少女を支えたまま、齢二百歳を越えると嘯く青年は懐を漁り、貨幣の詰まった革袋を放り投げる。
慌てて受け取った酒場の所有者が口紐を解き、中身を確認すれば2000ポンド程の貨幣が入っていた。
「ふむ、手切れ金としては申し分ないが……」
一度、先約があった強面の男を窺い、然りと頷いたのを見てから、リズベル・グラヴィスと交した契約書に宛名なしの裏書を添えて差し出す。
それを手にした年齢不詳の青年は伸び上がった自らの影に少女ごと包まれて、出現した時と同様に一瞬で姿を消失させた。