02 The world is like a swaying balance(世界は揺れる天秤の如く)
されども酔っ払い客が素直に帰らず、予想より少々遅い時間に帰宅して、温いシャワーを浴びてから堅いベッドにダイブしたのは午前三時半。
なお、昼食時に合わせたパン焼き等の仕込みや開店準備があるため、朝の七半時には起きている必要があり、従って今日の睡眠は四時間ほど。
(うぅ、昨日はもう少し眠れたのにね)
一日、二日の話なら兎も角、毎日がこの調子だと幾ら若くても身体は持たない。事実、二等市民の平均寿命は短いらしく、使い潰されては新たに補充される。
比較的に富裕層が集う煌びやかな都市に組み込まれて、労働と引き換えに最低限の生活だけは補償された社会の歯車に過ぎないのだ。
(極東の島国に “衣食足りて礼節を知る” なんて言葉があるけど、他にも大切なことは多い気がする)
故に現状の生活から早く抜け出そうと、思案している内に意識が霞み始め… 気が付けば真っ暗闇の中を延々と落下していた。周囲の空間に掴む物が存在しないのだから仕方ない。
偉い碩学の誰かが言っていた。地球上に眠る資源が有限なのに対して人の欲望は無限、公平かつ自由な経済競争の結果として、格差が生じるのは必然なのだと。
つまり近代社会はゼロサム的であり、“誰かの幸福” は “誰かの不幸” の上に成り立つ。ぐらぐらと揺らぎながら、今日も世界の釣り合いは取れていた。
重荷を背負わされて喘ぐ二等市民が載っている側の天秤皿から零れ落ち、暗闇に飲まれた私が行き着いたのは…… 幼少期を暮らした実家で、懐かしいと感じるよりも先に咽返るような血の匂いに包まれてしまう。
然したる事件なんて起こらない片田舎なのにも拘わらず、州都で猟奇殺人を犯した男が逃亡の果てに飢えて襲った郷紳階級の屋敷。
唐突に鳴り響いた猟銃の音や悲鳴に驚いて二階から降り、居間の扉越しに覗いたのは両親や、兄姉達が血溜まりに沈んでいる光景だった。
薄情な私は息を潜めながら後退りして隣室のクローゼットへ隠れ、家族の安否を心配するよりも、“どうか猟銃の男がこっちに来ませんように” と只管に神様へ祈っていた。
(翌朝、隣家のダグラスさんが見つけてくれた時、自分のことしか頭になかったのを悔いて、皆の死体に縋りながら何度も謝罪してたんだっけ?)
記憶、今更どうしようもない記憶。そんなものを夢に見たせいで身体が重く、発条式の目覚まし時計に手を伸ばすのも億劫になる。
「うぅ、最悪… ちっとも、疲れが取れてない」
どんなに体調不良であろうと、朝の支度をすべき刻限はくる訳で…… 短めなブラ付きスリップの上から、縫製工場で生産された安価な白ブラウスを着用して、膝上丈まである黒い薄手の長靴下も履く。
続けてワンウェイプリーツの黒スカートを身に着け、やはり黒色の胸部が開いたコルセット・ベストを羽織って、もはや寝床に過ぎないアパルトメントを出た。