歪んだ事実と昔話
聖女が天使の羽について知っている限り話し終えると、少女は眉間にしわを寄せた。
そして地を這うような低い声で呟いた。
「そう。……人からむしり取った羽を国宝にね」
その少女の変化に聖女もすぐに言葉が出なかったが、つぶやかれた言葉に引っかかりを覚えて思わず尋ねる。
「むしり取った?」
怯えたような聖女の声で我に返った少女は、呼吸を整えるため手を口に添えた。
少女の話では王族の男がその相手愛しさでいたずらをしたような話になっているが現実はそんな甘ったるいものではない。
天使はあの時の痛みも苦痛も悔しさも全てしっかりと覚えている。
だがそれは翼のありかを教えてくれた聖女のせいではないし、彼女は捏造された昔話を聞かされただけの人間だ。
少しして冷静さを取り戻した天使は、聖女にどこまで真実を伝えるか迷いながら、口を開いた。
「ああ、今の話だとその人は羽を隠したとか、そんなふうに伝わっているんだったわね」
「違うの?」
「違うわ。彼は翼をむしり取った。そもそも天使の翼は体を浮かせて空を飛ぶものよ?翼だけ取り外しできると思う?」
「そう言われても……」
聖女が困惑するのも無理はない。
人間で天使を見ることのできる者は少ない。
聖職者と呼ばれる職業の者ですら、天使を判別できるものなどほとんどいないだろう。
そんな中、聖女は天使を見分ける力はなくとも、あまり使える人間のいない治癒の能力を使うことができる。
だから特別な扱いを受けているのだ。
だが天使からしたらそれは些細な力だった。
結局彼女も人間。
天使というのも想像の中の生き物とか、全知全能の神のひとつとして見ている一人なのだろう。
天使は少女が想像をしやすいように例を出して説明をすることにした。
「じゃあ、鳥は?鳥の翼を無理矢理奪ったら、その鳥はどうなると思う?生きたまま翼を折られた鳥は生きていけると思う?」
少女の言葉を聞いて、聖女は鳥で言われた内容を想像した。
鳥を殺さずに翼だけを外すことはできない。
羽は羽毛にするため引きちぎって回収され、羽をむしられた鳥は食卓に並ぶ。
それは小さな鳥でも大きな鳥でも変わらないし、貧しい家の者ならば、食べるための鳥くらい捌くことができなければ生きていけない。
だから容易に考えることができた。
でもその時鳥は絶命している。
苦しめたくないので殺してしまってから処理しているが、鳥たちは確かに命を失っているのだ。
そしてそれを天使という、人間の背中に羽がついている生き物に当てはめたら、その結末が美しい物語のようになるわけがない。
「それは……。まさか……」
聖女がようやく天使の本当の結末に行きついたことを察して、少女はうなずいた。
「そういうことよ。彼女はいなくなったんじゃない。無理矢理翼をもぎ取られて死んだのよ。だから私はその肉体から魂だけで離れた」
「そんな……」
「そして天に帰ることもできずにいるから、その魂は器を変えながら翼を探しているの。いつか天に帰るために」
希望を持って少女がそう言うと、聖女は寂しそうにうつむいた。
「じゃあ天使はその翼があれば帰れるの?一度もぎ取られてしまっても」
「ええ。きっと帰れるわ」
「そうなの……。少し羨ましいわ」
「どうして?」
「だって翼が戻れば自由になれるのでしょう?希望が見える話だわ」
「そうね」
そうではないかもしれないとは今まで考えたことはなかった。
いや、正しく言うなら考えないようにしていた。
そんなことを考えるようになってしまったら、魂を活かすため、魂が消えてしまうまで人間としての人生を繰り返さねばならないと知っているからだ。
「でもあなただって……」
少女が何かを言いかけた時、外に声が漏れたのかドアを挟んだ向こう側から男が大声を上げた。
「おい!誰かいるのか!」
「このままだと見つかってしまうわ。隠れる場所は……」
聖女は慌てて少女を隠そうと考えるが慌てているのかいい案が浮かばない。
そわそわしている聖女をよそに、少女は落ち着いた様子で窓を開けた。
「大丈夫よ。また来るわ!」
そしてそう言い残してさっさと窓枠をまたいで外に出ると木々の中に走り去った。
「またって……」
窓を開けたまま呆然と少女の走り去った方を見ていると、声をかけた男はすぐ返事がないのを不審に思いドアを開けた。
しかし男は開けたが中に踏む込むことはしない。
もし中に踏み込んで聖女に何かあったり、自分にあらぬ疑いがかかってしまったら自分が罰せられるからだ。
仮にも民衆に崇め奉られている聖女様に何かあってはいけない。
だから男性が聖女の部屋に乗り込むことはできない。
だが、逃げられてもいけない。
だから監視をする必要がある。
それが護衛たちに課せられた任務だ。
男がドアを開けた時見たのは、聖女は寝間着姿で窓を開けて外を見ている姿だった。
そろそろ就寝しようとする服装で履物も外出するようなものではない。
どこをどう見ても脱走する準備のできている人間の姿ではなかったのだ。
男はてっきり聖女が誰かの手を借りて脱走を試みていると思っていたため、少し驚いた様子で言った。
「聖女様、どうかされましたか?こちらから何やら話し声が聞こえたように思うのですが」
「……外からのようだけど。私も何かあるのか気になって窓を開けてみたのよ。でも真っ暗で何も見えなかったわ」
聖女がとぼけたように言うと、男は少し疑わしそうな目を向けながらも彼女の意見を肯定した。
「そうでしたか」
「あなたはここからだと思ったようだけど、窓を開けたからここから音が入って大きく聞こえたのかしら。結局、声はしたけれど内容もわからなかったし」
聖女はここに一人でいたことを強調しようと、声は外からしたということにした。
男は聖女が誰かと話していたとしても脱走さえしていなければいいと、深く追求することはしなかった。
「わかりました。……くれぐれも危ないことはなさらないように」
「わかっているわ。別に逃げたりしないわよ」
「それならば結構です」
聖女が脱走しないと明言したため男が帰ろうとすると、聖女は男を呼び止めた。
「ねぇ、その声の主は何を話していたのかしら?わざわざここまで確認に来たくらいだもの。聞こえていたんじゃないの?」
そう言って聖女は彼女との会話を聞かれていたのかどうか、直球で尋ねた。
もし話を聞いていたのなら、その内容を答えることはなくとも、何か反応くらいあるだろうと持ったのだ。
だが残念なことに男は無表情で首を横に振った。
「いえ、残念ながら内容までは」
「そう……。引き止めてごめんなさい。もういいわ」
「それでは失礼いたします」
男はそう言って大人しくドアを閉めた。
「本当に聞かれていなかったのならいいんだけど……」
聖女はそうつぶやいて少女が出て行った窓を静かに閉めたのだった。




