聖女との交流
服に付いたものを落とし、腕や顔についている泥をタオルでふき取ったところで、聖女は少女にお茶を出してくれた。
こんな侵入者をずいぶんと歓迎してくれるのだなと少女は思いながらも素直にそのお茶に手をつけた。
少女は塀をよじ登ったり、警備の目をかい潜ったりと、わりとハードな運動をしていたが、その間、全く飲み物を口にしていなかった。
緊張していて体も忘れていたのだろうが、そのお茶が体に入り込むと、体は渇きを思い出したようで急にのどが渇いた感覚に襲われた。
そのため一呼吸置いてからは思わず一気に紅茶を飲み干してしまった。
「おかわりも淹れるわね」
そんな少女の様子を楽しそうに見ながら、彼女は空になった少女のカップにお茶を足した。
お茶でのどを潤して落ち着いたところで、ようやく普通の会話が始まった。
と言っても、少女が聖女に聞きたいことを聞き始めたという感じだ。
「ねぇ、聖女様ってどんな暮らしをしているの?ずいぶんと大切に守られているように見えるけど」
警備は聖女を安全に王宮に戻すためだと考えて少女がそうきり出すと、聖女は困った表情をしてこう返した。
「そうね……生活には困らない。けれど自由はない暮らし、かしら」
「どういうこと?」
「私は権力や能力では彼らに勝てないということよ」
「やっぱりわからないわ」
少女が眉間にしわを寄せると、聖女はため息をついて諦めたように自分の置かれた現状を語り始めた。
「聖女は籠の鳥なのよ。こうして自由のない生活を強いられて逃げることもできない。私はね、彼らのために持っている力を使わなければ、私ではなく家族に危害を加えると脅されているの。だから大切にされていると思ったことはないわ。それにこの部屋だって、王族が聖女を大切にしていると見せかけるための、いわば見栄のようなものね」
田舎の街で聖女を質の悪い宿や部屋に泊めるわけにはいかない。
そんなことをすれば聖女が普段、彼らに酷い扱いを受けていることが街中に知れてしまう。
少なくとも一般市民は皆、聖女のことを少なからず崇め奉る存在として見ているし、実際に体を治してもらったという者は彼女に感謝し恩を感じている。
そんな聖女が国政に強制的に利用されていると知られれば市民から暴動が起こりかねない。
そして聖女が生活に困らないようにというのは、食事と寝床を与え、働かせるためのものであるということだ。
「そう……。確かに、あなたに危害を加えて死んでしまっては困るのはこの国だものね。それに能力があるのに国に大切に扱われていないと知ったら、氾濫分子を生みかねない。だから大切にしているように見せかけるし、本人に枷をはめるために弱みを握って利用しているということね」
「その通りよ」
少女の言葉を聖女は肯定した。
少女の考えが正しければ、聖女は家族がいる間ずっとこのような生活を強制されなければならないということになる。
だが過去の聖女たちの中で、そんなひどい目に合った人がいるという話は残されていない。
確かに聖女を囲うために王族と婚姻することになった聖女は多いと聞いているが、それは本人が了承したものだと、世の中的にはそうなっているのだ。
「それじゃあ、あなたは一生をこのままで過ごすことになるの?」
「そうかもしれないわね」
「違うかもしれないの?」
聖女のあいまいな答えに思わず少女は強く聞き返した。
そこに希望があるかもしれないと思ったからだ。
だが聖女は少女から目を反らしうつむいた。
「私よりも強い力のある聖女が現れたり、私の力が枯渇して使い物にならなくなれば開放されるかもしれないわ。でもその時、私は生きているかわからないけれど……」
「そんな……」
聖女の事情を知ってしまっている彼女が開放される時、生きて彼らから解放される可能性は低いという。
王族はギリギリまで彼女の能力で自分たちの権力を誇示したいと考えているし、本来の事情を知られて困るのも彼らだ。
だから彼女がもし、家族の元に帰りたい、外に出たいと望んだら、自分の命と引き換えになってしまうかもしれないという。
「でも皮肉なものでね、皆、聖女っていうものに憧れをもっているらしいのよ。聖女様はきれいな服を着て、良いものを食べて、贅沢をして、時には王妃や側妃に召し上げられたりしているのもいるのだから、さぞ良い暮らしをしているんだろうって思っているみたい。でも、服が選べるわけでもないし、困らないけれど贅沢なものを与えられているわけでもない。王妃や側妃になるなんて、結婚すら自由にできないっていうことよ。会いたい人にも家族にも自由に会うことが許されないのに、それのどこがいいのか分からない。本当ならば彼らに代わってほしいと思っているわ」
聖女は少女が入ってきた窓の外に目をやった。
聖女からすれば窓から侵入できる自由奔放な少女が羨ましくて仕方なかった。
きっと自分との必要話が終わったら彼女はあの窓から帰っていって、きっとありふれた日常を送るのだろう。
そんな日常を送ることすら自分には許されないのだ。
聖女はそう考えていたが、少女は眉間にしわを寄せて少し考え込んでから急に頭を下げた。
「ごめんなさい、私はあまり憧れを持っていなかったわ。正直、聖女様っていう存在がいることに関してもあまり実感がなかったの。むしろ本当にそんな人がいるのかしらって思っていたわ」
ここには人を幸せにするために自分が不幸になってしまっている聖女がいた。
きっと歴代続いてきたことなのだろう。
それは何となく、天使が転生を繰り返して生きている人生に似ている気がした。
本当ならば幸せになれるはずなのに、王族によって自由を奪われ、多くの物を失っている。
それこそがその人に与えられているはずの時間であり、人生だ。
苦労をしているのは自分だけではなく、人のために自分を犠牲にしている姿には頭を下げずにはいられない。
自分は転生する時に記憶を維持することができるが、彼女の人生はこの一度きりだ。
だからこそ、今を大切に行きたいはずなのにこんなことに囚われているのは理不尽だと怒りすら覚える。
聖女は少女の話を聞き、その反応を見て思わず笑った。
「ふふふっ。何だかあなた、変わっているのね。てっきり私に何か治療をして欲しいとか、そういうお願いをしにきたのかとばかり思っていたのだけれど何だか違うみたい」
「ええ、それは違うわ。実はあなたに相談、というか、教えて欲しいことがあるの」
「何かしら?私に分かることだったらいくらでも答えるわよ。……嬉しいわ」
どうやら聖女は少女の話を聞いてくれるらしい。
そして知っていることは何でも教えてくれるという。
だから聖女が最後に加えた嬉しいという言葉の意味いが分からず、思わず少女は尋ねた。
「嬉しいって……何が?」
「こうして同年代の女の子とお友達みたいに普通にお話ができることが」
「そういってもらえたら、私も嬉しい。話も聞きやすいもの」
二人はこうしてすぐに打ち解けていったのだった。




