転生の終焉
宝物庫の天窓近くに白い羽を広げた天使がいる。
天窓から差し込む光は天使の羽根に降り注ぎ、その神々しさを引き立たせていた。
我に返ってどうにか天使を捕まえようと考えた者たちも、降りてくることのない天使の捕獲を諦めたようで、大人しくじっと上を見上げている状態だ。
「まあでも、王妃様には感謝しているわ。私の足枷を外してくれたのだもの」
鉄球の足枷を外してくれただけではない。
聖女としての自分を大事にしようと尽くしてくれたし、宝物庫にも案内してくれた。
結果的に帰る手段を与えてくれたのは元聖女の情報と、王妃の実行力だった。
王妃に天使である事を話したわけではないので、彼女を騙す形となってしまったが、こうしなければ翼を取り戻すことはできなかった。
だから非のない王妃には申し訳ないと天使は思っていた。
だから王妃には文句を言われても仕方がないと思っていたのだが、王妃はそのような事は言わなかった。
「聖女様が、天使様だなんて。私達は何と恐れ多い罪を重ねてきたのでしょう。足枷だけではなく、羽を奪い取るなんて……。これでは恨まれても仕方ありませんわね……」
これだけの力を持っている天使に見放されたら国がどうなるか分からない。
しかも王族の暴挙によって長年苦しめてきたのだ。
加護がなくなるだけで済むならいい方で、もし制裁などが加えられたらと考えると恐ろしい。
それが自分たちだけではなく、関係ない国民にまで及ぶなどあってはならない。
王妃が申し訳ないと必死に謝罪しようとしていたが、国王の反応は違った。
「この先、聖女は現れないということか……」
その言葉の中に含まれる、自分の特権が薄れるのが残念だという意味を正しく理解して、天使はやはりこれが王族の姿なのかと残念そうに国王を見下ろした。
そして冷たく言い放つ。
「それはわからないわ。でも、この扱いで、この国の聖女になろうという人間や、あなたたちに協力しようと思う天使がいるかしらね」
「天使様のおっしゃる通りですわ」
「いや、しかし……」
国王はまだ他の聖女探しを諦めていないようだが、王妃がそれを諌める。
「聖女様、天使様にあのような扱いをしたのてす。私達はその報いを受けなければなりませんわ。知らなかったとはいえ、王家の先祖代々のご無礼につきまして、私から謝罪いたします」
この王妃はどこかの貴族から嫁入りして王妃になっただけで、元は王族ではないはずだ。
それは周知の事実なのだから、彼女が夫の先祖代々の無礼について謝罪する必要はない。
本来ならば駆けつけてから何もしていない子孫がその役割を担うべきだ。
「別にあなたは悪くないでしょう?」
天使はそう言ったのだが、王妃は首を横に振った。
「ですが、私も王家に名を連ねる者、覚悟はできておりますわ」
聖女として最初に対面した時、随分と偉そうにしていた国王は何も言わず呆然としているのに、この王妃は随分と肝が据わっている。
この人は、自分の享受した贅と引き換えに必要なものをしっかりと理解した上で、この場、その地位にいるのだ。
その覚悟を聞いた天使は思わず感嘆の声を漏らした。
「あなたみたいな人が王になれば、このようなことにはならなかったかもしれないわね」
「あの、ですからどうか、国民を殺めるようなことは……」
王妃の頼みごとを聞いた天使は、ため息交じりに言った。
「そんなことしないわよ。生きているものは皆、いつかは死に滅びるのよ。人間も例外ではないわ。だからね、別に私が手を下す必要はないの。そもそも、あなたたちの言う聖女の力とかいうものがあっても、ちょっと寿命が延びるくらいなんだし」
「はい……」
王妃は天使の言葉に安堵して頭を下げる。
「じゃあ、私は帰らせてもらうわ」
「天使様、ご慈悲に感謝いたします」
王妃はそのままさらに高い所に上っていく天使を見上げながら両手を合わせて祈りのポーズをしているが、他の者たちは、ポカンと口を空けて上を見上げているだけだ。
王妃の言葉を聞いた天使は、そんな一同を見回してから、そのまま割れた窓から空の彼方へと消えていった。
天使が空に消えていくという奇跡を見た彼らは、ただ呆然とその様子を見ていることしかできないのだった。
その後、王妃によって聖女制度は廃止された。
国王は諦めきれなかったのか、新しい聖女を求めたが、王妃がそれをよしとしなかったのだ。
そして、天使へのせめてもの償いと、国王を牽制する手段として、王族の過去の行いと、聖女になされた扱いを国民に向け公開した。
聖女は何不自由ない暮らしをしていると思っていた国民は驚愕し、聖女が治癒のために自分の命を削っていると知って涙した。
それにより、男系王族に避難が集中したものの、王妃への信頼で何とか国は回っていった。
国民が王妃の手腕としている国政、実は変わらず国王が行っていたが、表に立つと批判の大きいこともあり、その手柄は全て王妃のものとされた。
しかしその傍らには、お飾りの国王が常に横にいたという。
やがてこの王妃こそ、本国を救世した聖女と言われ、後世まで語り継がれることになった。
そして王妃の聖女制度廃止の発表を受けて、元聖女とその家族は無事に元の家に帰る事ができた。
王妃は彼らが家に戻っても不自由しないよう、元の家に荷物を運び、家財道具なども一新、家族への生活の援助を行うことも決めていた。
この時、元聖女とはいえ平民に援助をするのはどうかという意見は、ほとんど聞かれなかった。
家族を人質に取られ、最低限の衣食住だけで生命を削って働かされていたという事実の方が、衝撃が強かったためだ。
彼女が元聖女ということは狭い地域で有名だった事もあり、家族はすぐに受け入れられた。
さらにその時、聖女とその家族がされたことをすでに聞いていた人たちに、特に大切に扱われた。
一家が住んでいたところから居なくなった時は、聖女の家族としていいところに住居を移したのだろうと思っていたのに、実際は軟禁されていただけだったということ、それにすぐその家に不審な人が入居した事もあり、この一家の扱いがそれだけ酷いものであったと理解されたのだ。
それだけではない。
元々彼女が聖女になったのは自分たちを治している事を知られたためであり、結果、一家は何年も不遇な扱いを受け、本人に至っては寿命を縮めることになってしまったということで罪悪感を持っていたのだ。
そしてその時彼女に治してもらった事で今の自分がいるのだから、せめてもの恩返しがしたいという良心でもあった。
一方、元聖女たち家族は、彼らに特別扱いは望まなかったし、そのような扱いをされても驕る事をしなかった。
そうして再び信頼関係を築きながら、天使の加護を受けた家族は、慎ましく幸せな生活を取り戻していった。
無事翼を取り戻し天に帰った天使は、そんな国の様子を空の上から見下ろしていたのだった。




