翼の奪還
翼の周りをしっかりと観察した結果、翼を囲っているケースは上からかぶせてあるだけで、実は底がない事に気がついた。
つまり密閉されているわけではなく、下は空いているということだ。
そして気がついた絨毯の跡は、ケースの下になっている硬い部分が絨毯に当たってついたもののようで、体重をかけてその側面によりかかればケースは動くようだった。
そうだとすれば、持ち上げられなくても、倒せばいい。
確かにケースは重たいかもしれないが、一瞬でも持ち上げられてその翼に触れる事ができれば、取り戻すことができる。
ただ、失敗したら二度とこの宝物庫に入ることはできない。
それどころか宝物庫の物品を破壊、もしくは盗もうとした罪で捕えられて殺される可能性もある。
チャンスは一度だ。
人間の少女として生きている今の背の高さでも、ガラス上部から翼を見下ろせる。
それならば上部の一辺に力をかければ傾けることくらいできるだろうし、少しでも下部が浮いたなら、そこに靴でも差し込んでしまえばどうにでもなる。
運が良ければ、足と手の力でケースを退けて、その場で翼を取り返すことができるかもしれない。
ケースを倒して翼がむき出しになったらすぐに触れ、すぐに自分の体に取り込むことができれば、背中に翼が戻る。
ケースを倒すことで大きな音がするかもしれないが、確実に触れるためには、一瞬だけ持ち上げるより、倒してしまってどこ彼でも触れられるようにした方がいい。
その音で人が駆け付けるまでの時間は短いかもしれないが、大きな失敗をしない限り、彼らに捕えられる前に翼に触れられる。
翼が手に入った時点で、自分は天に帰る資格を取り戻すことができるし、飛んで上空に逃げる事ができるようになる。
幸い、宝物庫は防犯のため、高い位置に窓を付けて採光している。
つまり天井は普通の人では届かないくらい高い位置にあるのだ。
前のように取り押さえられて再び翼をもがれたり、地上から近すぎて彼らに掴まれ引きずり降ろされたりしなければ、逃げ切れるはずだ。
そしてここで使った力は天に戻れば回復できる。
今まではいつ回復できるか分からないし、次に生まれ変わる時の事を考えて最小限しか力を使って来なかった。
成功率が高いのだから、この場でありったけの力と能力を、翼の奪還に使っても問題ない。
翼に触れたら全力で上空へ逃げよう。
もし翼に触れる前に捕まってしまったら、その時は別の方法を考えなければならないので、全力を出すのは翼を取り込んで上空に逃げる時にする方がいい。
念のため上を見上げると、見た感じ大きな窓がたくさんある。
上空にさえ避難で切れば、その後、上部の窓のどれかを突き破って逃げる事は簡単だろう。
そう判断した天使は、次のチャンスを待つのではなく、今この場で翼を奪還する決意を固めた。
天使はまず、音をたてないよう気をつけながら、ガラスの下に片足を滑り込ませた。
重みで足の甲がかなり痛むだろうと覚悟していたが、絨毯がクッションのようになって、その衝撃を和らげてくれている。
そのおかげで重みは感じるが、思っていたほどの痛みはないので、これならばと天使はこの場で羽を取り返すことを決めた。
念のため、周囲を見回して、誰もいないことを確認してから、少女はガラスの側面に体を当て、上部の辺に両手でしっかりと手を添えた。
そしてケースの下に入れた足とは反対の足で踏ん張って、下になっている縁を力いっぱい蹴り上げるのと同時に、体と両手を使ってケースを転がすように力を込める。
するとケースはその力で横に倒れ、横向きに口の空いた状態となった。
翼は箱を開けたかのようにむき出しになっている。
少女はケースをどけた際のはずみでバランスを崩しながらも、人が来る前にどうにか翼に触れることができた。
その時、この翼が自分のものだと確認できた天使は、自らの能力で自分の背にその翼を戻して高く舞い上がったのだった。
動いたケースは、幸いどの国宝にもぶつかることはなく、それらに傷が付くようなことはなかったが、絨毯の上であっても大きなものが倒れればそれなりの音はする。
ケースは倒れたのと同時に重く鈍い音を宝物庫に響かせていた。
そのため物音に気がついた警備の人間がすぐにこちらに向かってくる。
しかし彼らが到着した時には、ケースが倒され、そこにあった国宝の一つがなくなっていた。
警備の者たちも、王妃も、展示されていた天使の羽がなくなっていることに呆然としていたが、少しして我に返った彼らは、大慌てで翼を探したり、報告のために飛び出していったりした。
彼らは国宝の事で混乱していたようだが、王妃だけがその場に聖女の姿がない事に気がついていたのだった。
当然このような混乱した状況を想定していた少女は、すぐさま翼を取り戻して彼らの手の届かない天井近くに避難していた。
両翼になったことで、予想通り再び飛べるようになっていたのだ。
だから天使は国宝がなくなって混乱している様子を、しばらく黙って高い位置から見下ろしていた。
下は騒がしくなったものの、誰も上を見る者はいなかった。
とりあえずこちらを見る人間がいない事が確認できたので天使は下の人間から目を離して、天井付近の採光のための窓を確認する。
ありがたいことに、下から確認した通り、その窓は一つ一つが大きい。
風が入ってこないので閉ざされた空間だとは思っていたが、窓にはケースに使用されているのと同じ素材の透明なものがはめこまれていた。
そこに格子などがはめられていたら少々面倒だと思っていたが、そういうものはなかった。
それならば窓にはめこまれている透明なものを破壊すれば、窓から外へと抜ける事ができそうだ。
翼を広げた状態では難しいが、一度窓に足をかけて翼を閉じ、体を外に出してから飛び立てば問題ないだろう。
そうして翼を得た天使は、手の届かないところまで舞い上がった状態のまま、窓を突き破るために強い光を放ったのだった。
天使の放った強い光は、晴れた外にいた者たちにも見えるようなものだった。
宝物庫の上部にある窓から強い光が放たれると、宝物庫の窓のいくつかが割れて大きな音を立てて飛散する。
窓を覆っていた透明な物は、翼を囲っていたケースと同じ素材でできていたが、天使の力を受けたことで粉々になっていた。
その素材は元々透明で光を反射するのか、割れた粉は、太陽の光と天使の放った光を浴びて、宝物庫の周辺に、聖女が祝福を与えたかのような光を降らせることになるのだった。




