王妃の怒り
「女の子に鉄球の足枷なんて、何て事をしているの!」
用事を終えた王妃は、国王の執務室のドアを開けるなり怒鳴りこんだ。
「どうしたのだ……」
普段見られない王妃の様子に困惑しながら国王が尋ねると、王妃は先ほど会った少女の事を話した。
王妃の見た聖女は鉄球を付けたまま移動させられ、その鉄球を隠すために踏みつけた転びそうな丈の衣類を着せられていた。
「あれは本当にあなたの指示ですか?まさかあのまま生活させているわけではありませんよね?」
「いや、まあ……」
言葉を濁して何とかやり過ごそうとする国王に王妃が強い口調で言う。
「すぐに解きなさい!」
なぜ王妃が聖女の力を持っているだけの平民の少女を庇うのかわからないが、とりあえずこの場を収めなければならないと国王は少し困ったような表情を浮かべた。
「そんなことをして逃げられてしまっては困るのだ。聞き分けてくれないか?」
だがその言葉が火に油を注いだ形となった。
王妃は国王の執務室の机を叩き、怒りの形相で国王を睨みつける。
「あなた、か弱い女の子一人を相手に何を言っているの?そもそも聖女は大事にされるべき存在でしょう!あのような扱いをされては逃げ出されても仕方がありません。逃げ出されないような待遇をするのが筋でしょう!」
「それはもちろん……」
その勢いに押されるように国王は王妃の言葉を肯定した。
けれど王妃の怒りは収まらない。
「大事な客人に鉄球の足枷をつけるのが大事にしているというのですか?まるで奴隷のような扱いではありませんか!」
「もちろん、それ以外は丁重に扱っている」
「それ以外ですって?」
すでに奴隷のような扱いをしておきながら丁重とはどういうことか。
王妃が尋ねると、その内容は粗末なものだった。
「きちんと食事は提供しているし、個室を与えている」
「そんなの、ここで働く使用人だって、住み込みで働く市中の民ですら与えられているものではありませんか!」
「いや、それは……」
ここで働く者は貴族が多い。
そして彼らの大半が箔を付けるために働いているだけである。
採用の基準として貴族であれば身元がはっきりしているというのが建前であるが、実際のところは各貴族のご機嫌取りに近い。
まさか貴族の令息令嬢に足枷を付けるわけにはいかないし、いくら使用人という立場だとしても不遇な措置をするわけにはいかない。
そんなことをすれば貴族からそっぽを向かれてしまう。
王妃もそのくらいの事は理解している。
それならば希有な力を持っている聖女も、最低限彼らと同等に遇するべきだ。
「ここの使用人たちはあのような足枷は付けられていないでしょう。聖女様の扱いはそれ以下ということになるではありませんか!最低限というのなら、彼らと同じ、働きに関してはそれ以上なのだから能力に応じた待遇をすべきです。現状、市中の民以下の待遇をしているなど、何と恥ずかしい……」
王妃が粘り強く交渉をするが国王はなかなか首を立てには振らない。
「しかしあの者は平民であるし、過去ここに忍び込んだことがあるのだ。当然逃げられる可能性もある。それに身軽にしておけば、ここにあるものを持ちだされる可能性も……」
国王が王妃に彼女が全聖女の部屋に忍び込んだ事があると説明すると、王妃は眉間にしわを寄せた。
「まあ、そんなことが?そうなるとここの警備は無能ということかしら?本当にあのような少女に簡単に忍び込まれたというのなら、それは少女の問題より警備の問題ではなくて?」
王妃からすればここは侵入者など入ってこない安全地帯であり、もし本当にそのような事があったのだとすれば、それは警備の問題ということになる。
だから口にはしたものの王妃はそれはないだろうと考え、同時にその言葉は国王がとっさについた嘘であると判断したのだ。
「それに前の聖女は力が使えなくなるまで酷使されて、その結果ご実家に戻られたのでしょう?また同じような事をなさるおつもり?」
王妃は聖女の交代の話を女性たちの噂から耳にしていた。
国王からは聖女が交代するという事実だけを伝えられていたが、元聖女と現聖女のやり取りを多くの者が見ており、元聖女が力を失ったという話が流れてしまうのを止める事はできなかったのだ。
「いや、しかしあの聖女はあのまま治療をしているし、普通に歩いているではないか。そんな不自由というほど……」
国王は普通に歩いていると言うが、そんなわけがない。
現に王妃が近付いた時、動きにくそうにしていたし何度もひっくり返りそうになっていたのを見ている。
実際の彼女は鎖を踏んだり鉄球に躓いたりしただけなのだが、王妃はそれを重たいものを付けられて足が自由に動かないからだと思ったのだ。
このまま話していても埒が明かないと、王妃は近くにいる者に命じた。
「わかりました。私、これから聖女様に話を聞きに行きます。今すぐ聖女様の部屋に案内なさい」
「いや、待ってくれ」
王妃が聖女の部屋に行けば、隠していることが明るみになる。
それを避けたかった国王は王妃を止めるが、逆にそれが王妃の不信感をさらに増長させた。
「あなた。以前聖女であったあなたのお母様は、彼女と同じような扱いを受けたのかしら?」
「いや、それはない……はずだが……」
元王妃であった母から聖女だった頃の生活について聞いた事はない。
だから真相はわからないが、少なくとも引退した元王妃がそのような扱いを受けていたのなら、それは何らかの形で自分の耳に入るはずだと考え、答えを出した。
「では彼女にも必要ないのではありませんか?」
「だがそれは……母上の場合、父上の婚約者であったわけだし」
元王妃であり、聖女だった母親は元国王の婚約者だった。
その婚約は貴族同士の取り決めであり、少なくとも当時貴族令嬢であった元王妃がその役割から逃げることは考えられなかった。
そういう意味では彼女にも足枷はあったのだ。
けれど同じような足枷を今の聖女につけられるのかというとそれはできない。
前の聖女のように家族を人質にできるのなら、それを枷にすればいいが、残念なことに現聖女の家族は見つかっていないし、本人も家族はいないと言っている。
そして王族や側近と婚約させるにも平民の娘では家格の問題がある。
だから逃げられないように厳重に管理しなければならなかったのだ。
「そうねぇ、あなたはすでに私と婚姻関係がありますし、私と離婚して身元不明の聖女を王妃に据えるわけにもまいりませんわね。さあ、行きますよ。そこのあなた、案内なさい。鍵も準備するのです。聖女様についている鉄球を外します」
王妃に言われた男は国王を見るが、国王は顔をひきつらせたままになっている。
普段はおしとやかな淑女である王妃がここまで強く主張したのは初めてで、正直どうしていいのか戸惑っている様子だ。
だが王妃は待ってくれない。
「かしこまりました……」
男は命を出した王妃に従う形で鍵を用意すると、聖女の使用している部屋へと向かうのだった。




