身代わりと聖女の解放
王との謁見を終えたこの日、二人の希望で聖女と少女は同じ部屋で過ごすことを承諾された。
手続きや準備があるため本日中には無理だが、明日になったら聖女は家族の元に戻ることができるようにするという。
王は別々の部屋を用意して見張りを増やすより、一つの部屋に押し込めた方がいいと考えたのだ。
こうして二人は聖女の部屋に押し込められると、残りの時間をそこで過ごすことになった。
天使は聖女の荷造りを手伝いながら言った。
「一時はどうなるかと思ったけれど、上手くいきそうでよかったわ」
「ごめんなさい。思わず……」
謁見の時、危うく力を使えると言いかけた事を思い出した聖女は天使に謝罪した。
彼女が上手く取りなしてくれなかったらどうなっていたか分からないし、もし嘘がばれていたら虚言を吐いたとして別の意味で命が危なかった。
それを部屋に戻って落ち着いたところでようやくそのことに気が付いて聖女は青ざめる。
「まあ、普通は王様を目の前にしたら怖気づくわよね。仕方がないと思うわ」
「それにしてもあなたはすごいのね。あんなに堂々と意見しちゃって、後が心配だわ」
「そう?」
天使が不思議そうにしていると、聖女はため息をついた。
「だって、あなたはこれからここで過ごさなきゃいけないのに、あんな感じじゃ周囲から何かされないかって……」
自分は家に帰れば、今後ことの関わりがなくなるが、彼女はこれからここで生活をしなければならない。
そして彼女は無礼だと声を上げていた男たちと、この先何度も顔を合わせることになるのだ。
もしかしたら彼女は自分の能力を確認に来ただけの人たちだと思っていたのかもしれないと少し心配そうに聖女が言うと、天使はあっけらかんと答えた。
「あなたみたいに大人しくしていても家族は人質にされるわけだから、何やっても変わらないわよ。それに最初からなめられても困るわ。後々意見が通りにくくなるもの。それにたぶん、王に怖気づくような人たちは私が軽く威圧しただけで耐えられないから大丈夫」
「そんな力もあるのね」
聖女は感心していたが、その力がなければ家族の居場所を聞き出して手紙を届けることはできなかったし、見た目がか弱い少女が一人旅をしたり、夜にふらっと外を歩いたりしていて、危険な目に合わない訳はないのだが天使はあえて触れないことにした。
「そうね。あまり使っていい気はしないけれど、身を守るのには役に立つわ。だって怖がって誰も危害を加えてこないもの。これも長く生きていく術の一つだったのよ。まあ、泣いても笑っても、あなたは明日でここを発つのだから、忘れ物がないようにしないとね」
そう言いながら天使は容赦なくクローゼットの中にある服やアクセサリーを聖女のカバンの中に詰め込んでいく。
「でも、私、本当は身ひとつで連れてこられたのに、こんなに持ち出していいのかしら?」
「あら、サイズの違う服とか、アクセサリーとか、そんなのは今まで苦労した分のお給料だと思ってもらっておけばいいのよ。それにここにあるものの中には、あなたに感謝してプレゼントされたものもあるのでしょう?」
「はい。民衆がくれるのは食べ物などが多いのでその場で食べてしまうことも多いですが、貴族の方とかがお礼にと下さるものはアクセサリーなどが多いです。あっても困らないだろうと」
直接来ても会うことすら叶わない人たちが彼女にものを渡すことはできないため、護衛やら王族やらを経由して届けられるはずだ。
その過程で、不要なものや危険なものが届かないだけではなく、価値の高いものも中抜きされるのではないかと天使は思った。
「よく取り上げられなかったわね」
「おそらく、前に預けられたアクセサリーが私の元に届いていないことがあって、再度治療でお会いした貴族の方と話がかみ合わず、国は聖女から金品も没収しているのかと尋ねられてしまいまして……」
「渡してないことが広まったら自分たちの悪評になるから、貴族からの贈り物はちゃんとあなたに届くようになったってことね」
中には善良な貴族もいるし、その中には有力貴族もいる。
たまたま聖女は王族に意見の言える貴族に尋ねられたか、その質問を多くの人たちの前でされたかで、中抜きの実態が表にさらされかけたのだろう。
「でもこれからはあなたが聖女になるんだし、私は自由になるんだから譲っても……」
巡業用のカバンしかないので、そこにどんどん詰め込まれるアクセサリーを見ながら聖女が言うと、天使は興味なさそうに言った。
「いらないわ。私は天に帰れればいいし、目的を達成したら長居をするつもりないし、翼を見つけたら金品なんて持ち出す前にさようならよ。それにこれはあなたのしたことに対するお礼なのだから、必要なかったら売ってお金にして贅沢すればいいじゃない。それはあなたの自由なのだから」
「わかったわ」
確かにこの先、王族からの援助はなくなる。
両親は軟禁されている状態なのだから働くこともできていないだろう。
急に働こうにも働き口がすぐに見つかるとは限らないのだから、確かに生活費のことは考えなければならない。
彼女の言うような贅沢をする目的ではないが、換金できるものを持っておくことは大事だと聖女は思った。
「荷物はこんなものかしら?」
天使は空っぽになったクローゼットを満足そうに眺めて扉を閉めながら言った。
「そうね。ありがとう」
「いいのよ。さあ、明日は長旅になるわ。ずっと座っていられるとはいえ、馬車は疲れるしさっさと寝ましょう。どうせ馬車にも二人だけ押し込められるのでしょうから」
「何だか夢みたいだわ」
「そうね。私もよ。長い夢を見ていた気がするわ」
この生活も今日で終わり。
二人はそれぞれ明日から新しい生活を始めることになる。
聖女は家族の暮らし、天使は聖女として働きながら翼を探す暮らし。
天使からすれば歴代で一番翼に近いポジションだ。
できればこの生で生まれ変わりの輪廻から脱したい、それまであと少し、これで終わりたい。
天使はベッドの中でそれが叶うようこっそりと祈るのだった。
翌日、天使の予想通り、聖女と天使は同じ馬車に二人で押し込められた。
馬車の中に同情者はいないが、馬車を取り囲むように多くの警備が配置されていて、非常に物々しい雰囲気だ。
同乗者に世話役を付けていないあたり、道中の面倒を見るつもりはないということだろうが、さすがに交代する現役の聖女を乗せているのでこの馬車には何もしかけられないらしい。
この様子だと、一人で帰らせようものなら、きっと道中事故にあったことになるのではないかと天使はそう思った。
天使が馬車で警戒を続けていたこともあり、聖女は何事もなく無事に家族の元に送り届けられた。
急なことで間に合わなかったのか、送り届けられた先は、聖女の生家ではなく、家族の住む少し離れたひっそりした家の方だ。
到着時、ここがどこなのかわからないと困惑した様子だった聖女に天使は言った。
「前に言ったでしょう?引越しさせられてるって」
「そうだったわね」
「たぶん急だったから前の家に引越すのが間に合わなかったのね。でも大丈夫。前に私が来たのもここだから」
そう言われても人のいない知らない場所に連れてこられたのだから不安にならないわけがない。
「ねぇ。聖女様驚いているんだけど?」
「そ、それはどういう……」
「そりゃあそうでしょう?こんな人里離れた知らない人の家に連れてこられたのだもの」
「いえ、ですが……」
本来であれば家族を生家に戻してから聖女を移動させるべきだったのだが、今回の話があまりにも急すぎて、引越しをする余裕などなかった。
まさか聖女を家族のいない生家に連れていくわけにもいかない。
そこには聖女と接触しようとする人物を監視するため、別の関係者が滞在しているのだ。
どう答えるべきか悩んでいると、新聖女となる少女がため息交じりに、助け船を出した。
「まあいいわ。ここに家族がいるのよね」
「はい」
「じゃあ、その家族の人にここに出てきてもらえばいいわ。そうしないと安心して中に入れないし、あなたたちは任務を終えられないわよ?」
「わかった」
天使に言われて男の一人がドアをノックすると、一人の女性が顔をのぞかせた。
「あの……何かございますでしょうか」
恐る恐るドアを開けた人の姿を馬車の中から見た聖女は目を丸くした。
「お母さん……」
出てきたのは、天使が尋ねた時、聖女に渡してほしいと天使にお守りを託した女性だ。
やはり彼女は聖女の母親だったようだ。
本人が母親だと認識できているのだから大丈夫だろうし、ここにまだ聖女の家族がいるのは間違いない。
天使は聖女と共に馬車を降りると、最後に聖女の手を握って彼女を保護する魔法をかけてから、言葉で彼女の背中を押した。
「さあ、行きなさい」
「あの、ありがとう」
「いいえ。じゃあ、幸せに暮らしてね」
「はい」
聖女も天使も分かっていた。
だからお互いにまた会いましょうとは言わなかった。
こうして聖女は元聖女となって、家族の元に戻ることになった。
天使はもう一度、彼女とその家を守るためにこっそり力を使うと、そのタイミングで男たちに呼び戻された。
天使は聖女との別れを惜しんでいるように見せるため、何度も振り返り手を振って魔法をかけたことをごまかしながらも、男たちに促されて馬車に戻った。
そして今度は天使が一人、来た道を戻ることになるのだった。




