聖女のお守り
そうして聖女交代作戦は開始された。
聖女は天使との約束通り、夜が明けてから調子が悪そうな表情を見せ、すごく疲れているとか、力が使いにくいと頻繁にアピールした。
幸い初日は天使と話をしていたせいで寝不足だったこともあり、非常に顔色が悪く周囲に心配された。
それで自信の持てた聖女は、大げさにならないよう、そして確実に力が弱っているように見せるための芝居を繰り返した。
その間、聖女はもう一つのことを密かに行っていた。
誰も見つからないよう、お守りを作り始めたのである。
作業は夜中、誰にも見つからないようにこっそりと進めた。
もし毎晩、ほとんど寝ずに何かを作っていることが知られたら、疲れているのも力が弱っているのもそれが原因で一時的なものだと言われてしまうに違いない。
下手したらせっかく作ったお守りを取り上げられてしまうかもしれない。
だから明かりも漏れないように気をつけながら、それでも天使の幸せを願いながら丁寧にお守りを作っていく。
母親が作ってくれたお守りには効果があるらしいけれど、自分の作ったお守りに天使の言うような効果が出るは分からない。
それでも聖女は天使に自分のできることをしたかった。
そうして聖女が天使に言われた通り過ごし一週間が経った。
聖女はずっと気を張っていたこともあり、その時が来てもあまり実感はなかった。
けれど、天使はその日が来るのを心待ちにしていたこともあり、本当に一週間後の夜、前に来たのと同じくらいの時間にやってきた。
その日が来ていたことを少し忘れていた聖女は、窓をコツコツと叩く音でそのことに気が付いて、慌てて窓を開けて天使を中に招き入れた。
「ごめんなさい。開けるのが遅くなってしまったわ」
やつれたような顔で笑みを浮かべて聖女を見て、天使はため息をついた。
「なんか、忘れてたって顔してるけど……。それに本当に顔色が悪いわよ。何かあったの?」
「何もないわ。順調……だと思う」
幸いこの一週間、変わったことは起こらなかった。
いつも通り、貴族が大金を積んで王族を尋ねてくれば治療に呼ばれ、何もない日は部屋にいるだけ。
治療はいつも通り行ったが、その後はわざと疲れたといい、早く休ませてもらうとこの顔で言えば、周りは何も言わなかった。
「そう?まあ、確かにその顔色を見て体調がいいなんて、さすがの人間たちも言わないと思うけど、作戦実行前に倒れられてもダメなんだからほどほどでよかったのに」
わざと疲れるようなことをしているのかと天使が言うと、聖女はふふふっと笑った。
「顔色が悪いのは、あまり寝ていないからなの」
「眠れないの?」
これからのことを考えて緊張しているのかと天使が心配そうに尋ねると、聖女は首を横に振った。
「そうじゃないわ。どうしてもやりたいことがあったから」
聖女の言葉に天使は呆れたように言った。
「そんなの、聖女というお役目から解放されたらいつでもできるじゃない」
「今じゃないと意味がないことだったの」
聖女が今までにない強い口調で返事をしたので天使はそれ以上、この話に触れるのをやめることにした。
天使にはよくわからなかったが、彼女にも色々あるのだろう。
自由になる前じゃないとできないことなど思い浮かばなかったが、深く詮索する必要はないと天使は判断して、とりあえず納得したことにする。
「まあ……そうよね。病弱のフリをしながらだから、人のいるところではできないことは夜にやるしかないものね。とりあえず無事でいてくれてよかったわ。あなたは嘘をついても頑張ってしまうから、このくらいがちょうどいいのかもしれないわね。ここまでしたのだから終わるまで利用させてちょうだい」
「そうね。利用できるものは利用してちょうだい。それで……」
聖女は立ち上がると、ベッドサイドにある引き出しから本を取り出し、その本にしおりのように挟まっているものを取り出した。
そしてそれを天使の前に差し出した。
「まさかこれを作っていたの?」
お守りを受け取った天使は、それを手にしてから驚いて聖女を見た。
「ええ。私を助けるために何度も危ない目に合っているんだもの。お母さんのお守りのような効果があるかは分からないけど、気持ちだけは込めているわ。あなたが安全に、そして元のところに帰れるようにって」
「ありがとう。こんなことをしてもらえるとは思わなかったわ。それにこれ、とても効果が強いわよ。大変だったでしょう?こんなのを作ってたら、顔色だって悪くなるわよ……」
天使はお守りを受け取って全てを理解した。
たかが一週間、寝不足になったくらいで、ここまであからさまに顔色が悪くなることはない。
お守りからは彼女の母親以上の力が感じられた。
おそらくそれだけ強い思いを持って天使のためにこれを作ってくれたのだろう。
このお守りには彼女の聖女の力が込められている。
つまりお守りを作っている間、少量とはいえずっと、彼女は聖女の力を放出していたようなものだ。
これで普通の人間が疲れないわけがないのだ。
「大丈夫よ。だって、ここを出る時には治してくれるんでしょう?」
聖女にその意識はないらしく、単なる寝不足と疲労によるものだと思っているらしく、のんきなことを言っている。
けれど天使は、これを聖女に伝える必要はないと思った。
もうすぐ彼女は聖女という職から開放されるのだ。
もし母親が何か知っているなら彼女が娘に伝えるべきだろうし、この先、このお守りのことをどう伝えていくかは、聖女とその家族が決めることだ。
もうすぐここからいなくなる予定の自分が余計なことをするべきではない。
「あなたが家族の元に戻る時は完全に元気な状態にするわ。でも、あなたがここを出て家族の元に帰るまでの間で急に元気になったら、私がお役御免になってしまうかもしれないから、それまでお芝居は続けるのよ」
天使が冗談めいてそういうと、聖女はすべきことは終わったと思って気が抜けていたらしく、驚いた表情をした。
「そうだったわ。危うく忘れるところだった」
聖女はきっと寝不足で頭も回っていないのだろう。
本当は忘れていたのだろうが、もうそこを突っ込んでも仕方がない。
後は失敗しないように念を押すだけだ。
「私が治して元気になりましたなんて言ったら、お仕事続行よ。あなたが弱くなっているのは体調が悪いからではなくて、聖女の力を使い果たす寸前という設定なんだから」
「気を付けるわ」
天使の言葉に気を引き締めたのか、聖女の表情は急に険しくなった。
表情のコントロールも上手くいっていないらしい。
天使は少し考えてから言った。
「どうする?別に急がないから、人を呼ぶのは明日の朝にする?」
この状態で人を呼んだらボロを出しかねない。
自分のために作ってくれていたお守りは手元にあるのだから、今日くらいはゆっくり寝た方がいいだろう。
きっと彼女の周りの人間たちは、少し彼女の顔色がよくなったくらいでは気が付かないに違いない。
「そうね。今日はあなたとゆっくり話をしたいわ」
「そうしましょう。ついでに一緒に寝ましょうか」
「それがいいわ!私、誰かと一緒に寝るのなんて久しぶり!嬉しいわ!」
二人はお茶を飲みながらたくさん話しをして、二人でひとつのベッドにもぐりこんだ。
そこでもしばらく話しをしていたが、聖女は本当に疲れていたのだろう。
話しているうちに彼女は眠りに落ちていった。
こうして天使と聖女は一緒にいられる最後の時間を、誰にも邪魔されることなく過ごしたのだった。




