天使と人間の出会い
むかしむかし、ある国で、本来出会うはずのない天使と人間の男が出会った。
天使はたまたま人間の世界に降り立っていたが、特に人間と交流をする予定はなかった。
彼女は短期間で発展する人間の世界を知るため、様子を見に来ただけだったのだ。
上から見下ろしている限り、人間同士、親しくなければただすれ違っていくだけ。
だからたくさん人間のいる所ならば、自分を気に掛ける者もいないだろうと、思ってふらっと降り立ったのだ。
ところがその考えは間違いだった。
何を思ったのか、彼女の横を通った人間の男は、天使である自分に声をかけてきたのだ。
「すみません……」
本当はここで無視すればよかったのに、声をかけられたことに驚いて思わず足を止めてしまった。
これが非常によろしくなかった。
「あの、少しお話しできませんか?」
男は彼女の方に触れてそう言った。
「いえ、それはちょっと……」
天使はやんわりと断ったが男はそれくらいでは引かなかった。
「やましいことはありません。あちらでいかがでしょう?あの公園にはベンチがあります。人の目もありますから女性が心配するようなことは起こりません。何かあればすぐに誰かが駆けつけるでしょう。どうか」
あまりにも男が熱心に懇願するので天使は自分が折れて話をすることに同意した。
「少しでしたら……」
「ありがとうございます。それではまいりましょう」
男はそう言うと手を差し出した。
天使はこれが男性が女性をエスコートする時にする仕草だと察して差し出された手に自分の手を乗せた。
すると男は嬉しそうに笑みを浮かべて彼女の手を引いて公園に足を向けた。
その人間は彼女の美しさに一目で惹かれ、その瞬間、恋に落ちていたのだ。
「あなたはこの辺りの方ではありませんよね。観光でいらしたのですか?」
「ええ、まぁ、そのような感じです」
天使は曖昧に答えた。
目的のある観光ではないが、ふらっと立ち寄った観光のようなもので間違いはない。
答えが返ってきただけで男は嬉しくなったのか、次々と天使に質問を始めた。
「出身はどちらでしょう?」
「あの、それは……」
「ああ、すみません、いきなり突っ込んだ質問をしてしまって……。ですがあなたのような美しい方が、付き添いもなしにどうしてこのような場所にいるのかとても気になりました」
「付き添いですか……?あまり気にしたことはありませんでした」
上から見ていると人間は忙しそうに歩いているようにしか見えない。
細かいしきたりのようなものを知らないため、そういうものが必要とは思っていなかった。
「そうですか……。あの、この辺りの方ではないということは、どこか宿を取っているのですよね。せめてそこまで送らせていただきたいのですが」
「それは……困ります」
送ると言われても彼の来られる場所ではないし、連れていくことができる場所でもない。
どう答えるか悩んだが、もうこの先は何を言われても断っていくしかないと心に決めた。
だが、そんな彼女の考えをよそに男はどんどん質問を続ける。
「残念です。ではせめてお名前だけでも……」
「いえ、それもちょっと……」
「分かりました。名無しの美しいレディ。あまりしつこくしては嫌われてしまいますよね。明日もいらっしゃいますか?私はまたあなたと会って話がしたい」
「それは難しいかもしれません」
「なぜですか?」
「本当ならばここでお話ししているのも、あまりよくは思われないのです」
天使はあくまで天から人間を見守るものである。
そして時々人間の祈りや災害の予兆を確認して、この世界がうまく回るように調整するのが仕事だ。
こうして人間と交流をしていいわけではない。
ところが男はそう言われても一歩も引かなかった。
「そのようなこと……、私と話をして咎める者がいるのなら、私が説得してみせましょう。ですからどうか安心してください」
「いえ、ですからそれは……。もうお話はいたしましたからこれで」
そう言って天使は立ち上がって彼に背を向けた。
「……天使、なのか?」
男は彼女の背に翼を見て、その背を慌てて追いかけた。
「待ってください!あなたの帰る先は空の彼方なのですか?」
そう言って男は彼女の翼を掴んだ。
「痛い!離してください!」
「いいえ、離せません!質問に答えてください。あなたは天使なのですか?」
「分かりました。答えますから離してください。……ご覧の通りです。すみません、これ以上は……」
しかし天使と人間では住む世界が違う。
男に自分が天から来たことがばれてしまった。
だからなおさらこれ以上の関わりを持つわけにはいかないと、天使は何とか男を振り切って逃げようとした。
一方の男は美しい彼女を失いたくなかった。
このままでは天に帰ってしまう。
何とか手元に置いておけないか。
どうしても彼女を失いたくなかった男は、逃げようとする天使の腕を掴み、力づくで地面に引き倒した。
そして彼女の背中の翼に手をかけて強く引っ張った。
彼女から翼がなくなれば空の向こうに帰ってしまうことはない、ずっと自分の元にいてくれる、いや、置いておけるはずだと思ったのだ。
天使は痛みのあまり泣いて悲鳴を上げたが、男に力では敵わない。
男は引っ張っても取れない翼を、力ずくで折るようにしてもいだ。
もいだ片翼を小脇に抱えもう一方の翼に手をかけようとした時、男はようやく彼女の異変に気が付いた。
天使は体の一部である翼をもがれたことで息絶えてしまったのだ。
気が付けば公園には亡骸になった彼女が横たわっていた。
男は我に返って何度も何度も呼びかけたが、彼女が息を吹き返すことはなかった。
男は大変悲しみ、そして後悔した。
しかしここは公園だ。
割れに帰った男は彼女をこのままにしておくことはできないと、少し離れたところに待機させていた者を呼び、その者と一緒に彼女の遺体を自分の別荘に運んだ。
そしてその体を煙に乗せて天に帰すために火葬することにした。
彼女を火にかけるのは忍びなかったが、こうすれば天使は煙に乗って天に帰れるはずだと男は考えていたのだ。
そして男はその煙がなくなるまで外で彼女の火葬を見届けると、自分が彼女からもいでしまった翼を大事に抱えて部屋に戻った。
それからというもの、男は天使の翼を片時も離さず持ち歩いた。
それがせめてもの彼女への償いであり弔いになると信じていたのだ。
そうして男は何十年もの時を生き、最期もその翼を大事に抱えて息を引き取ったのだった。




