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+第八章 芳郎と通子

 仕事を終えて、支度する時間を考慮すると、待ち合わせ時間は六時半がベストだということになった。

 小さな会社の事務職をしていることになっている通は、今は通子とおことして待ち合わせ場所に立っている。肩までかかる髪がふわふわとウエーブがかっているのは、茉莉が面白がって髪を巻いたからである。

 前回同様、今回も茉莉の見立てで清楚系お嬢様チックな女装をしている。

 胸元につけられたブローチには、小さなマイクが仕込んである。ここからは見えない場所に待機している車中の仲間たちに、会話が聞こえるようになっている。

 ほどなくすると、伊藤芳郎がやってきた。一目でブランド品と分かる高価そうなクリーム色のスーツを着こなしている。あいさつ代わりに上げた片手には、しっかりと金の腕時計が見えていた。ブランド物、推定二百万円はするだろう品だ。

「ごめんね。待った?」

 気遣う口調の芳郎を見上げれば、いかにも女性にモテそうな爽やかな笑顔が目に入ってきた。

 少したれ気味の目もとだが、品がないわけではなく、きつくなりがちな端正な顔に柔らかみをプラスしてくれている。

 総評して良い男である芳郎に、通も通子として、笑顔を向けた。

「いえ、私も先ほど着いたばかりなので」

 しおらしく返事をしてみる。伏し目がちなのは、通子が大人しい女性という設定だからだ。

「急に食事に誘ったりしてごめんね。彩香が亡くなってから、どうにも一人で食事するのが淋しいんだ」

 辛そうな表情を見せる芳郎に、通はいいえと首を横に振って見せた。

「私も、彩香がいなくて淋しいので、一緒ですね」

 言葉の最後に笑顔を付けて、好意的であることをアピールしてみる。芳郎も笑顔を返して、二人で歩きだした。

 これから、ホテルでディナーだ。普段の通なら絶対に足を運ばない場所だが、通子は金持ちという設定なので、食べ慣れている風を装わなければならない。

 着なれない女物の服を、早く脱ぎたいのだが、仕事はまだ始まったばかりだった。




「彼、完璧に女性みたいですね」

 イヤホンから聞こえる芳郎と通の会話を聞いた玲香の始めの感想がそれだった。

「に、しても笑えるな。男が男を口説いてる声聞いてると」

 笑いを含んだ声は、運転席にいる清吾の口から洩れた。真は助手席から清吾を見やった。

「一応、今通さんは女性なんですよ」

 窘めたが、清吾は分かっているといいながらまだ笑っている。心底面白がっているのは、目の色から見て取れた。

 清吾の言うとおり、先ほどから聞こえてくるのは、芳郎が通を口説いている声だった。婚約者を亡くしたことを悲しむ素振りを見せながらも、いかに自分が今、人恋しいか。女性の同情を引くように上手く言葉を選ぶセンスはさすが、元ホストというべきだろう。

 フィアンセを亡くしたばかりだというのに、お盛んなことである。

「姉さんが死んだばかりなのに、この男……」

 伊藤芳郎はかなりの女好きであることが分かっていると、玲香には伝えていた。そして、何人もの女性に貢がせては、紐のような生活をしてきたことも。

 彩香が亡くなって、新しい金蔓を探しているはずの芳郎に、新しいカモを目の前にぶら下げて見せた訳だ。それに食いつかせるかどうかは、通の腕次第である。

『ねえ、芳郎さん。彩香は本当に事故死なんでしょうか』

 通が、今日必ず聞いてくるようにと茉莉から言われたセリフを口にした。

 清吾の笑い声がやむ。

『どうして、そんなことを?』

 声からは、動揺は感じられない。

『彩香は泳げないのに。一人で湖に向かうなんて信じられなくて』

『ああ、確かにね。でも、彩香はかなり酔っていたと聞いたよ。前後不覚で湖に向かっている自覚すらなかったのかもしれないな』

 少し悲しみを帯びた芳郎の声が、真言たちの耳にも届く。

『前後不覚の人間がそもそも別荘から湖まで行けるんでしょうか。彩香はもしかしたら誰かに……』

 そこまで通の声が聞こえたとき、かぶせるように芳郎の声が響いた。

『通子さん。めったなことを言うもんじゃないよ。ほら、眉間に皺が寄ってる。可愛い顔が台無しだ』

 慌てて身動きする音が、イヤホンから漏れ聞こえる。真言の隣から、小さな笑い声が聞こえてきた。今のセリフがまた、清吾の笑いのツボを突いたらしい。

『でも、まあ。僕もおかしいとは思っていたんだよね。もし、彩香が殺されたんだとしたら……』

 そこで、一旦声が途切れた。しばらく回りの雑音だけが耳に届く。

『犯人は大方、見当がつくよ』

 真言はそっと背後を振り返った。後部座席に座る玲香は、恐ろしい形相をしていた。

『誰ですか?』

『さあ、誰だろうね』

 嘯く声。

「やっぱり、犯人は彼だったんだわ」

 呟く声が、玲香の口から洩れた。真言の耳に届いたその声は、確信に満ちていた。





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