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+第二章 黒いうさぎ

 小さい頃、真言は人の目をじっと見つめる癖があった。それは、彼のある能力に起因するものであったのだが、周りの大人は誰も信じてはくれなかった。

 理由を言おうものなら、嘘つき呼ばわりされるか、気味悪がられることが大半で、大きくなるにつれて、彼は自分のこの力のことを口にすることはなくなった。




 土曜日は学校が休みだ。真言は事務所の所内で、先ほどまで計算していた書類のチェックを終えた。

 真言のこの事務所での主な仕事は、経理の手伝いである。

 経理担当の所員が、先日から別の仕事で席をはずしているため、真言がその仕事を一手に引き受ける羽目になっていた。

 座ったまま伸びをすると、固まった肩が少しはほぐれるような気がする。

 ふと顔を上げて見ると、前の席に座る清吾と目が合った。

 清吾は、パソコンを前になぜか、雑誌を開いていた。さっきまで、パソコンではなく雑誌を読んでいたようだ。

「清吾さん。ちゃんと仕事してくださいよ」

 これまでにも何度となく、同じセリフを口にしている。今日もすでに三回目だ。

「真言ー。おまえ他に言うことはないのか」

「ないです」

 即答してやった。

 清吾は緑色の四角いメガネを中指で押し上げて、ふんっと鼻を鳴らす。

「真言は真面目クンだもんなー」

 どこか、揶揄する響きのある声に、真言は顔を顰めた。そんな真言の前に、茶色い液体の入ったペットボトルが差し出される。

「まこっちゃん、はい、紅茶」

「あ、ありがとうございます」

 事務所に備え付けの小さな冷蔵庫に買い置きしていた、五百ミリペットボトルの紅茶だった。素直に受け取ったものの、真言は通の呼び方に違和感を覚える。

「通さん、今日はまこっちゃんですか?」

 通は女性のように柔らかく整った顔に笑みを浮かべる。

「うん。真言君はもう飽きた」

「飽きたって……」

 真言は呆れた。通はしょっちゅう人の呼び名を変えるのだ。油断していると、たまに自分が呼ばれていることに気づかなかったりする。

「清吾には、これ」

 清吾にはいつもと変わらない呼び名で呼びかけて、牛乳パックを置いた。

 清吾は礼を言ってそれを受け取り、そのままパックに口をつけようとした。

「あ、でも、それ賞味期限切れてますよ。後で捨てようと思って……」

 制止しようとしたが、清吾はそのままパックに口をつけてしまう。

「せ、清吾さん」

「大丈夫だって、まこっちゃん。清吾は鉄の胃袋だから」

「でも、鉄の胃袋って言っても限界はあると思うんですよ。あれ、一週間以上賞味期限切れてるんですけど」

 今朝確認したから確実だ。パックを開けて、少しつんとした臭いも嗅いでいる。さっさと捨てておけばよかった。

「大丈夫だっつってんだろう。お前も大概心配症だな。俺はちょっとくらい腐ってても平気なんだよ」

 平気だからと言って、腐ったものを口にしていいわけがないと思うのだが。

 本人が良いというなら、もう何も言うまい。

 真言が、諦めに似た気分で溜息をついたとき、不意に電話が鳴った。

 けたたましい呼び出し音に、三人で顔を見合わせる。

 清吾が真言に向かって顎をしゃくった。お前が出ろということだろう。通に目をやると、どうぞという風に手を差し出された。

 真言は一度咳払いして、受話器を持ち上げる。

「はい、黒姫占い事務所です」

 真言は、+プラス探偵事務所ではなく、もう一つの事務所名を口にした。

 この事務所の所長、つまり真言の姉が黒姫という名で占い師をやっており、駅前のビルの一角で、占いの館を経営しているのである。

「もしもし?」

 電話の相手が無言だったので、真言は訝しんで声を上げた。

『あの……』

「はい?」

 女性の声だ。どこか緊張気味の小さな声が真言の耳に届く。

『黒い兎を探しているんです』

「こちらはペットショップではありませんよ」

 電話の相手の緊張が伝わったのだろうか。真言の声にまで緊張が現れた。

 清吾が席を立って、隣室のドアの方へと足を向けるのを眼の端に捉える。

『でも、そちらに迷い込んだはずです』

 ひかない女性の声に、真言は知らず知らず、受話器を握る手に力を込めた。

「黒い兎を見つけてどうするんですか?」

『た……』

「た?」

『食べるんです。天ぷらにして』

「天ぷらですか? から揚げの方がおいしそうですよ」

 何言ってるんだろうと、真言は思いながら相手の発言を待った。

「いえ、天ぷらがいいんです」

 真言はその言葉を聞いて、隣に立っていた通に頷いて見せた。

 ドアの開く音が耳に届き、真言がそちらに顔を向けると、清吾とともに、茉莉がドアから出てくる姿を目に捉える。

「それでは、しばらくお待ちください」

 真言はそう言って、保留ボタンを押し、茉莉を見た。

「姉さん、かかった。予想通り、依頼だよ」

「プラスの方ね」

 そう言うと、所長のデスクに歩み寄った茉莉は、受話器を持ち上げた。

「お電話変わりました。+プラス探偵事務所、所長の宇佐見です」

 先ほどの、電話での会話は、合言葉だった。

 +プラス探偵事務所への依頼をしたい人間に、こちらの指定した合言葉を言ってもらうのだ。一言でも間違っていれば、真言は電話を切っていた。

 合言葉は、清吾の作った黒姫占いのホームページ経由で知ることができる。いろいろと面倒臭い手順を踏まなければならないが、本当に助けが必要な追い詰められた人間なら、これくらいの暗号は覚えられて当然というのが、茉莉の持論だった。

「本当に、かかってきたな」

 通が感心するように、呟いた。

「そりゃ、姉さんだもん。姉さんは未来が見えるから」

 真言が言うと、清吾が眉を顰めた。

「おまえ、茉莉が言ったこと本気にしてんのか」

 清吾も、三日ほど前に茉莉が言った、近々依頼が来るといった言葉を思い浮かべていたようだ。

 清吾の呆れたような声音に、真言も眉根を寄せて清吾を見る。

「信じてるよ。っていうか事実だもん。嫌だな、清吾さん。夢がないんだから。僕こんな大人になりたくないなぁ」

 わざと大げさに首を横に振ってみせる。清吾が眉間に皺を寄せた。

「ふんっ。なんだ、この、シスコン」

「ウドの大木」

 真言と清吾は無言で睨み合う。まだ茉莉が電話を終えていないので、大声で言い争うことは互いに避けている。

「うーん。何でだろ。真言くんの方が賢く見えるよね」

 真言の隣で睨み合っている二人を観察していた通は、そんな風に感想を述べた。呟くように言ったので、所員の誰の耳にも入らなかった。





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