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+第一章 占いと探偵

 照明が一つ切れている。そのため、部屋は薄暗かった。

 大きな観葉植物が隅に置かれたこの部屋は、この事務所の応接室となっている。その応接室には、かなり古ぼけたソファーがある。そのソファーに腰かけた人物は、震えていた。

「まさか、本当に、こんなことになるなんて」

 身体の震えが伝わったのか、声すらも震えている。もう少し室内が明るければ、その人物が顔色を失くしていることが、よりはっきりと見て取れただろう。

「分かりました。依頼料も振り込まれていましたし、お受けしますよ」

 明瞭な女性の声が部屋に響く。クライアントとして正式に受け入れられたその人物は、ゆっくりと顔を上げる。

 すると、この事務所の所長である女性が、美しい顔に華やかな笑顔を浮かべた。

「お任せください。必ず、わたくしどもが、願いをかなえて見せますわ」

 自信を彷彿とさせる声に、ゆっくりと頷いた依頼人は、よろしくお願いしますと頭を下げたのだった。




 築十年以上は経っていると思われる、六階建の雑居ビルを見上げると、背景に映る雲が重く垂れこめているのが分かる。今にも雨が降り出しそうだ。そう思って、真言まことは顔を正面に向け、雑居ビルのエントランスへと続くドアを押し開けた。

 中へ入ると、カビの臭いが鼻につく。湿った空気が肌を撫でた。

 古い建物独特の空気を身にまとい、真言はいつも、だいたい一階に止まったままになっている、エレベーターに乗り込んだ。閉めるボタンを押して、すぐさま五階のボタンを押す。真言が今から向かうアルバイト先が、このビルの五階にあるのだ。

 大きな音を立ててエレベーターのドアが閉まり、これまた大きな音を立てて上昇を開始した。

 真言が壁に寄り掛かると、振動がより一層大きく体に伝わる。真言の寄り掛かった壁には、所々大きな染みが浮いていた。いったい何の染み何だろうといつも思うが、深く考えることは避けている。

 視線を壁の染みから、背面の壁へと向ける。そこにはどういう理由かは分からないが、鏡が壁の二分の一を覆うように設置されていた。

 細くて頼りなげな真言の姿を映す鏡は、手赤でかなり汚れている。

 一度、拭いた方がいいかな。

 そう思いながら、鏡の中の自分と目を合わせた。すると、まるで自分の醜い心まで見えてくるような気がして、真言は情けない表情をつくる鏡の中の自分から目を背けた。

 しばらくすると、エレベーターが五階に辿り着く。

 閉まる時と同様に、大きな音を立てて動き出した扉が開ききる前に、廊下に出る。

 晴れていれば、それなりに明るいはずの廊下は、かなり暗い。電気がついていないのだ。誰もつけようとする人間がいなかったのだろう。静まり返った廊下は、まるで廃ビルのような雰囲気があった。

 数年前まで、このフロアには真言のアルバイト先の事務所以外に、二つの会社が入っていたのだそうだ。真言がまだここでアルバイトをする前の話である。その二つの会社は倒産、もしくは移転してしまったそうだ。

 他の階も似たようなもので、今は空きフロアの方が多い。

 真言は廊下に出された、何が入っているのかもよく分からない、誰が置いたのかすら定かではない段ボール箱を避けて、アルバイト先である事務所の扉の前に立った。扉の上部には曇りガラスがはめ込まれており、そこに黄ばんだ紙が、変色したセロテープで四隅を張り付けられていた。

 黄ばんだ紙には文字が書かれていた。

 前半はもう、薄く掠れて読めないが、後半部分は『事務所』という文字がかろうじて判読できる。

 いつもの癖でその文字に目を通してから、真言は事務所の扉を開けた。

「おはようございます」

 事務所の扉を開いたと同時に、衝立で隠された事務所の中に向かって声をかける。

「おはよう。ちょうど良い時に帰ってきたんじゃない? 今降り出したよ」

 柔らかなテノールが真言の耳に届く。耳を澄ませば、確かに雨音が聞こえてくる。

 真言は衝立を避けて、室内に目を向けた。

 部屋を仕切るように置かれたカウンターと、その奥に置かれた左右の壁を覆う大きな棚。最奥には、入口の方向と対面するようにして置かれた重厚な造りの机がおいてあり、その重厚な机の手前には、部屋の真ん中に寄せ集めるようにして置かれた四つのデスクがあった。

 これだけ物があるせいで、それなりに広いはずのフロアは、せっかくの広さを感じさせることができなくなっていた。

 カウンターの奥には、先ほど真言に声をかけた人物が、何故か箒を手に立っていた。

「あれ? 通さん一人で……」

 すか? と続けようとしたのだが、真言はカウンターの奥を見渡せる場所まで来て、絶句してしまった。

「何ですか、この有様は」

 しばらくして。驚き、半ば呆れたような声が真言の口から洩れた。

 真言の目にまず飛び込んできたのは、一つの机の上に大量に開封してあるスナック菓子の袋の山。次いで、その中身が床や他の机にばらまかれている光景。よく見て見れば、お菓子だけではない。ファイルや書類が散乱し、デスクに置かれた電話は受話器が外れて床につくすれすれのところで揺れていた。ペン立ては倒れ、デスクに置かれていた花瓶も倒れ、活けられていた花はその周辺に散乱し、水はデスクを伝って、床に水たまりを作っていた。

「何ですか、この有様は」

 もう一度同じセリフを吐いていた。

「あ、ははは。いやー、ごめんねぇ真言くん。お腹空いたなーと思ってさ、お菓子の袋開けたんだけど、すぐに飽きちゃってさ、でもまだお腹空いているからと思って、他のも開けちゃってさ、そうしている内にこんなことに」

 先ほど真言が通さんと呼んだ人物が、真言の傍へと寄ってきてそんなことを言った。通は女性のように整った顔立ちを情けなさそうに崩して微笑んでいる。柔らかな通の笑顔につい和みそうになって、慌てて頭を振った。

 通さんこと、佐野通は真言が勤めるこの事務所の先輩社員である。箒を手にしているところを見ると、一応掃除をする気はあるらしい。

「えっと、お菓子の袋が沢山開いている理由は分かりました。じゃあ、このお菓子がなぜこぼれているのかと、この机の上の惨状はいったい何ですか」

 真言が部屋を見回すと、通も一緒になって部屋を見回す。そうすると、動きに合わせて、後ろで結んだ通の髪が少し揺れた。今日は赤色のゴムをしている。昨日は確か白だった。

「いやー、清吾が連れてきた猫がね、もう大暴れで」

 真言は溜息をつきたいのを堪えて、通を見た。その顔は真言の目線より少し低い位置にある。高校生の真言より、通は身長が低いのだ。真言の身長が百六十五センチであるから、通の身長は推定百六十センチといったところか。

 つい通の目を見つめて、真言は通の言葉に嘘がないことを知る。

「おい、通。俺が連れて来たんじゃねーよ。猫が勝手について来たんだよ」

 不機嫌そうな声が背後から聞こえて振り向けば、大柄な男性が衝立の脇に立っていた。声と同じように不機嫌な顔だ。その端正な顔立ちに似合いの顎髭を蓄えて、四角いメガネをかけている。百八十近くある長身のこの男性は、事務所の正社員である田上清吾だ。

「ああ、分かりました。まーた、清吾さんが猫ちゃんを誑し込んだんですね」

「たらっ……人聞きの悪いことを言うな。真言、あいつに似てきたんじゃないか? その嫌味なとこ」

 清吾の言うあいつが、清吾の背後に立っていることに真言は気づいた。

「あーら、清吾くーん。あいつって、誰のことかしらぁ」

 わざとらしく粘っこい口調が清吾の背後に立った女性の口から洩れた。今日はタイトな黒いスーツを身にまとっている。

 清吾の表情が固まった。

「お、おー。茉莉。今日もいい天気だな」

「雨よ」

 この事務所の所長にして、真言の姉である宇佐見茉莉うさみまつりは、あっさりと真実を口にした。

 確かに、先ほどからひっきりなしに、窓の外から雨音が聞こえていた。清吾、大失敗。

 真言はにやりと笑う姉と、引きつった表情を見せる清吾に向かって、拝む真似をした。

 清吾さん。どうぞ成仏してください。そう思って目を閉じた真言の耳に、清吾の悲鳴が聞こえた。

 目を開けてみると、清吾の頬をこれでもかと引っ張っている姉の嬉々とした姿が映った。

 隣では、通が無情にも声を出して笑っている。

「まったく、余計な時間を費やしたわ。さ、みんな仕事よ」

「どっちの?」

 通が茉莉に尋ねると、茉莉は不適な笑みを顔に乗せた。

「+プラス探偵事務所の方」

 そう、それが事務所の名前。プラスの前に付く+の記号含めて正式名称だ。しかし、プラスプラス探偵事務所と読むのではなく、読むときは、プラス探偵事務所である。+は茉莉曰く、ただの飾りらしい。

「どんな依頼?」

 興味をそそられて、真言が尋ねると、茉莉は真言に目を合わせ、鮮やかに微笑んだ。

「それは、まだ分からないわ。依頼が来るのはこれからよ」

「なんだそりゃ。依頼が来てねぇなら、仕事のしようがねぇじゃねーかよ」

 大きな手で、頭を掻きながら、清吾が呆れた声をだした。

 そんな清吾に、茉莉は冷たい視線を送る。

「うるさいわね。私は、占い師よ。未来が見えるの。依頼が来る前にやれることをやらないと」

「あー、さいですか」

 面倒くさそうに言われた答えに、茉莉は蹴りをくらわせた。痛がる清吾をよそに、通と真言に向かってにっこりと笑う。その笑顔が少し怖い。

 さあ、さっさと仕事に戻るわよ。と、言って歩き出した茉莉を、真言は止めなければいけなかった。

 事務所の惨状を見た茉莉は、外より早く、事務所に雷を落としたのだった。




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