+第十四章 復讐の終り
通と芳郎が倒れた部屋で、玲香は笑い続けていた。
真言は玲香を睨んだ。
それに、玲香は気づかずに笑っている。
真言は立ち上がった。やるせない気持ちでいっぱいだった。
「どうしてですか? 玲香さん。どうして、殺したんですか」
玲香の笑い声がやんだ。
冷たい視線が真言を射る。
「殺した? 私が? 言いがかりはよして頂戴、この人は、自殺よ」
真言は一度目を伏せた。
「言いがかりじゃないよ。あなたが殺した。僕は知ってる」
「何を言ってるのか分からないわ。ああ、そうね。二人も人が死んだんだもの、気がふれて当然よね」
可哀想にと同情するような表情をつくる玲香。そんな玲香に、真言は言った。
「馬鹿だね、言うとおりに泳ぎの練習していれば、こんなところで溺れずにすんだのに」
真言はゆっくりとそのセリフを口にした。
玲香の表情が変わる。否、玲香の顔から表情が消えた。
「彩香さんは、あなたに助けてっていったのに、あなたは見殺しにしたんだ」
玲香が動いた。真言に向かって。
「あなたが、殺したんだ。お酒の弱い彩香さんに大量のお酒を飲ませて、湖に突き落した。彩香さんを殺したのはあなただ。僕は見た」
そう、玲香と初めて会った日。真言は玲香の目を通して、一部始終を見ていた。
暗い森の中。月明かりに浮かぶ湖。大きな水音。
助けを求める声。
「どうして、どういうことなの」
玲香は真言の肩を掴んで揺さぶった。
「なぜ知ってるの」
その声とともに、突き飛ばされて、真言は床に尻もちをつく。
ふと、玲香が笑みを浮かべた。玲香の視線を追うと、床に落ちたそれに真言も気づく。真言が動くよりも早く、玲香はそれを拾い上げた。
「茉莉さんたちがいなくてよかった。あなたも……」
玲香はそこで一旦言葉を切って、倒れている芳郎を見た。
「彼に殺されたの」
芳郎が通を刺したナイフを持って、玲香は微笑んだ。
真言は、身を震わせる。
「そんな、ここはカメラがある。みんな映ってるんだ」
「そうね。でも、そんなの壊せばいいわ」
怖かった。
ものすごく。
玲香が怖かった。
「計算が狂ったけど、まあいいわ。姉さんの遺産が入れば何でもいい」
玲香が真言を見下ろし、ナイフを振り上げた。
真言は反射的に目をつぶって、痛みを予想して身構える。
しかし、予想した痛みは一向にやってこない。
恐る恐る目を開くと、玲香が誰かに背後から腕をとられていた。
「せ、清吾さん。姉さん」
叫んだ後、ほっと力が抜けるのを感じる。
「な、何、離して」
「まあ、まあ。暴れなさんなって。新犯人さん」
清吾が人を食ったような物言いをする。
「真言、よく頑張ったわね」
茉莉が玲香と清吾の横をすりぬけて、真言に手を差し出した。
情けないが、すがるようにその手を取って立ち上がる。
「離してったら、私が何をしたって言うのよ」
玲香が怒鳴る声が部屋に響く。
「よく言うよ。何したかって? ワインに毒を盛ったくせに」
その声は、清吾の口から洩れたたわけでもなく、茉莉でも、ましてや真言でもなかった。
「嘘っ」
そう声を出した後、玲香は絶句した。
玲香の目に映っていたのは、声を出した人物の姿。
目を大きく見開き絶命したはずの人物だった。
口元から垂れた血を拭って半身を起したのは、芳郎だった。
「よ、芳郎さーん」
真言は、芳郎に駆け寄った。芳郎はにっこりと笑顔を作り、真言の手を借りて長身を起こした。
「びっくりしたよ。本当に死んじゃったかと思った」
「悪い悪い」
言いながら、芳郎は真言の頭をなでる。
「あなた、死んだはずじゃ……」
芳郎を凝視し、驚愕する玲香に、茉莉が艶やかな笑顔を向ける。
「そう、あなたが持ってきた毒入りのワインでね」
清吾が掴んでいた玲香の腕を離して、部屋を出た後、何かを手にして戻ってきた。
「あんたが持ってきたのは机の上にあるワインじゃなくて、こっちのワインだったけどな」
清吾が玲香にワインの瓶を見せた。
「すり替えておいたんだよ。俺もワインの買い出しに行ってたんだ。昨日こっちがあんたに、酒買いに付きあえって電話したあと、あんたが買って来たワインを調べてね。予備のためかしんないけど、あんた三つも買うんだもんなぁ。金がもったいねぇっつうの」
清吾が言う。茉莉は頷いて玲香に目をやった。
「このワイン調べれば、あなたがしようとしていたことが全て分かるわよ。あなたは芳郎を殺そうとしたわね」
「ネットで薬物買っただろう。ちゃんと調べついてるぜ」
口添えする清吾。
「自殺にでも見せかけようとしたか? さっきあんたが言ったように」
玲香は大きく首を横に振った。額に手をやって、前髪を掴む。
「どうなってるの。何が、どうして……」
茫然自失したように、玲香は声を洩らす。
「通ー。いい加減に起きたら?」
茉莉が背後で倒れたままだった、通に声をかけた。
真言が通に目をやると、通はゆっくりと起きあがるところだった。服の腹の部分は真赤に染まっているが、いたって元気そうだ。
通はうーんと伸びをしてから、立ち上がる。
「あー。じっと倒れてるのも疲れるし、飽きた」
「あなたまで、死んだはずじゃ……刺されてたじゃないの」
玲香が叫ぶ。
通は得意げに笑んだ。
「迫真の演技だったでしょう。僕も、芳郎も」
玲香は息を飲む。
「あなたたち、皆グルだったの? 私を騙してたのね。あの、手紙も。私を人殺しって書いた手紙も、あなたたちが送ってきたのね」
玲香は動いた。テーブルの上にあったワインの瓶を掴むと、それを大きく振り上げて真言に向かう。
殴られる。
真言は咄嗟に頭を手で庇った。
「おおっと、危ねーな。お前、ちったぁ大人しくしろっつーの」
その声に顔を上げて見ると、清吾がまた玲香の腕を掴んでいた。玲香は必至に清吾の腕から逃れようとしていたが、所詮、男性の力にはかなわない。茉莉が冷笑する。
「騙していたのはお互いさまでしょう」
「私は依頼人なのにっ」
玲香は茉莉を睨む。
憤怒の形相とはまさにこのことなのだろうかと真言は思う。玲香の綺麗な顔は今、醜悪に歪んでいた。
「残念ながら、あなたは依頼人ではないわ。私たちの依頼人は別にいる」
きっぱりと茉莉はそう告げた。
「あなたも会ったはずよ。彩香さんの婚約者。彼が私たちの依頼人」
玲香は顔をあげて、清吾に掴まれていない自由な方の腕を持ち上げた。そして、芳郎を指差す。
「それはこの人でしょう、婚約者はこの人だって弁護士が言ったわ」
芳郎は、悠然とそれを受け止めた。余裕のある笑顔で真実を口にする。
「俺は、彩香さんの婚約者ではないよ。遺言発表の場に、もう一人いただろう。あんたたちが勝手に勘違いしたんだ。俺ではなく、もう一人が、本物の婚約者だ」
玲香はその時のことを思い浮かべたのか、力なく声を上げた。
「そんな」
「本当は、遺言なんてなかったんだよ。あの弁護士は俺達が仕込んだ偽物だったってわけだ。気づかなかった? 俺のプロフィール。クラブ経営していて、今破産寸前。ほら、まんまアンタのことだろう」
「そんな。……嘘よ。嘘、そんなの嘘だわ」
「あんたここ数カ月、姉の会社に脅迫文を送っていたらしいな」
「彩香さんはそれに気づいていたわ。誰がやったのかも。そして、悩んでた」
玲香は首を振りながら嘘だと呟き続けている。
「嘘じゃない、これが現実だよ。玲香さん」
通が、悲しそうに玲香を見つめていた。
「あなたのお姉さまは、私の客だったの」
茉莉が不意に口を開いた。玲香がゆっくりと茉莉に視線を送る。
「私は占い師。彼女を視た時、彼女の行く末には暗雲が立ち込めていた。未来が視えなかったの」
玲香は口を横に引いた。歪な笑顔になった。
「すこしでも暗い未来を回避できるように、私は助言したわ。今すぐ家族と縁を切りなさいと。できないなら私たちが力になると。でも、彩香さんは聞かなかった。きっと大丈夫、私は信じているって。彩香さんはあなたが思いとどまってくれることを信じていたのよ」
その言葉を聞いて、玲香は急に笑い出した。気味の悪いものを見るような眼で、清吾が玲香を見やる。
「あははは。ふざけてるわ。本当に、ふざけてる。姉が私を信じていたですって? そんなことあるわけないじゃない。あの人は私のことなんて気にも留めてやしなかったわ。姉だけじゃない。あの家の誰も、私に興味なんてなかった」
玲香はそこで息をついた。
「私がどんなにお願いしても、助けてくれなかったのに。好い気味よ。結局私に勝てなかったんだわ。最後は私が勝った。勝ったのよ」
半狂乱になったように、玲香は笑い続ける。
真言は一度目を伏せてから、顔を上げた。笑い続ける玲香を見据え、口を開いた。
「勝ったっていうなら、どうしてそんなに悲しい眼をしているの?」
「何?」
笑うのをやめ、玲香は真言を凝視する。
「あなたの今の目の色は、悲しい色。後悔の色だ」
真言の言葉に、息を詰まらせて、玲香は俯いた。ゆっくりと膝をおり、床に座り込む。清吾がその動きに合わせて掴んでいた玲香の腕を離した。
「お金が必要だったの。お金が。両親の愛情も、会社もすべて独り占めにしてきたくせに、あんなに必至で頼んだのに……これは、罰よ、何もかも私から奪った姉さんへの、罰なのよ」
玲香は一度息を吐き出すと、茉莉に顔を向けた。
「ねえ、私はどうなるの?」
「私たちは警察じゃないわ。自首するも、逃げるも好きにして。私たちの目的はあなたから自白を引き出すことだから。この模様はしっかり録画させてもらってるし、クライアントには報告できる材料はそろったもの。ただし、私たちに何かしたら、すべて警察に話す」
茉莉は淡々とそう口にした。玲香はほんの少し口の端をあげた。
「そう」
小さくつぶやいて、うつむいた。
それを全員で見やる。しかし、玲香に声をかける者はなかった。