+第十三章 依頼人は?
真言は廊下の途中で玲香を追い越し、階段を使って五階に上がった。エレベーターを待っている時間が惜しかったのだ。
芳郎の部屋の号数は知っている。ドアの前に立って、ガンガンとドアを叩いた。
「芳郎さん。芳郎さん、開けてください」
これでもかと言わんばかりに叩き続けると、ガチャリと鍵の開く音が聞こえた。
それと同時に、ドアノブをひねってドアを開けようとする。それが途中で止まった。
見上げれば、芳郎が立っていた。反対側のドアノブを掴んで、ドアがこれ以上開くのを止めている。
「中に入れてください」
真言が言うと、芳郎が首を横に振った。
「通さん、通さ……」
声を張り上げると、慌てたように芳郎が真言の口を大きな手で塞いだ。そのまま、無理やり真言を部屋に引き入れる。
「騒ぐな」
低い声が背中越しに伝わった。真言は今、背後から腕をまわされ、口をふさがれた格好だ。
そのまま、真言は一度来たことのあるダイニングルームまで連れてこられた。倒れた通の姿が目に入り、声を上げる。だが、芳郎に口を塞がれたままだったので、くぐもった声しかでない。
その背後で、勢いよくドアの開く音が聞こえた。
「真言くんっ」
玲香の声だ。息を切らせているところを見ると、どうやら玲香も階段を使って走って来たらしい。
「あんたは……」
驚きの声が芳郎の口から洩れた。
「真言くんを離して!」
牽制するように、玲香は強い口調でそう言った。
「何であんたがここに」
愕然と呟くような芳郎の声。
「私が頼んだのよ。姉さんを裏切ったあんたが許せなくて、よくも姉さんを殺したわね」
芳郎の表情が剣呑なものへと変わる。
「よしてくれ、どうして俺が彩香を殺さなきゃならないんだ」
「さっき言ってたじゃない。俺に別れるなんて言うからあんなことになるんだって」
声を張り上げる玲香に、芳郎は首を大きく振った。
一瞬の隙を見逃さず、真言は芳郎の腕から逃れて、倒れている通の下へ駆け寄った。
膝をついて、通に触れる。
真言は息を飲んだ。
「ねえ、救急車」
真言は叫ぶが、玲香の耳にも芳郎の耳にも入ってはいないようだった。
「違う。違う、そうじゃない。俺は彩香を殺してない」
「嘘よ。あなた、あの人を刺したじゃない。あの人みたいに、姉さんも殺したんだわ」
その言葉に、芳郎は一歩退いた。テーブルにぶつかり、芳郎はテーブルに手をついた。
片手で頭をかきむしり、テーブルの上に残っていたワインの入ったグラスを掴む。気分を落ちつけようとでもするかのように、それを口に運んだ。
一口、二口飲んですぐ、芳郎はワイングラスを落とした。
ワイングラスが床にあたり、破片と液体が四散する。
芳郎は口元に手をやり、うめき声をあげた。
「よ、芳郎さん?」
真言の呼びかけも聞こえていないのか、芳郎は床に倒れ、喉を掻きむしりながらのたうちまわる。
そして、動かなくなった。
奇妙な静寂が辺りを包む。
「芳郎さん」
真言はもう一度呟いた。芳郎の方へ、這うように近づき芳郎の顔を見る。
芳郎は目を見開いていた。彼の口元からは血が流れている。
「し、死んでる」
真言は口元に手をやった。
不意に、玲香の笑い声が真言の耳に届いた。
「自殺……、自殺したのね。どうしようもなくなって、自殺したのよ。やっぱり、この人が犯人だった。姉さんを殺したのは、やっぱりこの男だった」
玲香はまた、笑った。
真言は怯えたようにそんな玲香をただ見つめ続けた。