+第十二章 しかける
カーテンを引いた室内は、照明のおかげで明るい。クーラーがきいてずいぶんと涼しくなっていた。
真言と玲香は、とても画質が良いとは言えないモニターをじっと見つめていた。
音声ももちろん入っている。
通達が、しばらくとりとめのない話をしながら、食事をしている風景をただ眺めた。
真言はスーパーで買っておいたおにぎりを食べる。玲香にも食べないかと勧めたが、お腹が空いていないからと断られた。
モニターの中の通と芳郎は、食事を終えていた。芳郎が立ち上がり、画面から一度消え、そしてまた戻ってきた。手には先ほどのピンク色のリボンがついたワインがあった。
『冷えてる方がおいしいからね、さ、どうぞ』
そう言って、芳郎が通の前に置かれたワイングラスにワインを注ぐ。
注ぎ終わったワインの瓶を受取って、今度は通が芳郎のワイングラスにワインを注ぎ始めた。
『ねえ、芳郎さん』
通が芳郎に声をかける。
『あなた、彩香を騙してたわね』
何気なく言われたような言葉に、芳郎が動きを止める。
『何?』
焦りを隠すように、芳郎が不自然な笑顔を見せる。通は、ワインの瓶をテーブルの上に置くと、芳郎を見据えてこう言った。
『あなた、彩香を騙してたのよ。そして、今度は私』
『急にどうしたんだ? 通子さん』
芳郎は今度こそ焦った様子を見せた。
『もう、彩香に何百万も貢がせてたそうね。あなた、クラブで自慢してたんですって? あなたの同僚から聞いたわ』
通の言葉に、芳郎が顔を顰めたのがモニター越しにも分かった。
『どうやって、彩香に遺言を書かせたの? 彩香はね、私にこう言ったの。あなたと別れようと思ってるって』
すらすらと通の口から言葉が流れる。どこまでが偽りでどこまでが真実か。それすらも分からなくなるような、饒舌ぶりだった。
『そんなの一時の気の迷いさ。俺は彩香を愛していたし、彩香も俺のこと……』
通は、芳郎の言葉を遮るように、声を上げた。
『嘘よ! なら、どうして彩香が死んですぐに、私に声をかけたの? お金が目当てだったからでしょう?』
『違う!』
『違わないわっ』
激しい言い争い。真言は知らず知らずのうちに、唾を飲み込んだ。
『あなたが何人もの女性から、お金を貢がせては捨てていること、知ってるのよ。私のことも金蔓としか思ってなかったのよ! 嘘つき』
『嘘つきは君の方だろう? 俺に近づいた目的は何だ』
二人の言い争う声を聞きながら、真言は隣に座る玲香を盗み見る。玲香は真剣な表情でモニターに見入っていた。
そんな玲香の表情が驚きに変わる。その刹那、悲鳴のような声がスピーカーから聞こえた。
慌てて、モニターに目を移した真言の瞳に、ナイフを手にした芳郎とその芳郎に対峙している通の姿が映る。
「嘘だろ」
ちょっと目を離した隙に何でこんなことになるんだ。
『止めて、ナイフを下ろして』
通が叫ぶ。
『どうしてだよ。皆して俺を馬鹿にして。彩香だって、俺と別れるなんていうからあんなことになるんだ。俺は本当に愛してたのに』
『分かったから、お願い、ナイフを』
通の言葉は、芳郎の咆哮でかき消えた。
芳郎は通に向かって突進する。通が踵を返して逃げ出した。モニターから通と芳郎の姿が消える。真言は腰を浮かしてことの成行きを見守った。
きっと、どこかでこう思っていたのだ。最悪の状況にはならないはずだと。
争うような物音だけがスピーカーから聞こえる。どれくらい続いただろうか。
不意にモニターに通の姿が現れた。通は後ろ向きに歩きながら、よろよろとテーブルにぶつかった。
腹を手で押さえている。その押さえた手の間から赤い色の液体が滴り落ちていた。
「刺されたの?」
震える声で誰かが囁いた。
横を見ると、玲香が真言に顔を向けたところだった。
「嘘だ」
「でも、あれ、血じゃない?」
大きな音が響いた。画面に視線を戻せば、通が倒れた音だということが分かる。
ゆっくりと、芳郎が画面の中に戻ってきた。その手に握られたナイフは赤く染まっている。
嘘だ。
嘘だ、嘘だ、嘘だ。
通さん!
『君が悪いんだよ。嘘ついて俺に近づいて来るから』
芳郎の静かな声が聞こえた。背筋が凍る。
『君が悪いんだ』
真言はすがるように隣にいる玲香を見た。
そして、目を見張る。
玲香は急に立ち上がった。
「行きましょう。真言くん」
「え?」
呆けたような声を出す真言に、玲香は力強い声で言った。
「通さんを助けないと」
その言葉で我に返り、真言は玲香の背を追うように、部屋を後にした。