+第十一章 部屋にて
その日もきっちりと学業を終えると、その足で近くの大型スーパーへ向かった。
スーパーの入口付近で岸谷玲香と待ち合わせをしているのだ。
真言はスーパーの前で、玲香と落ち合うと挨拶もそこそこに、揃って中へ入った。
青果コーナーを通り過ぎ、加工食品コーナーをひやかした後。二人揃って酒コーナーに着いた。
目的はお酒の購入である。
「やっぱり、プレゼントならワインが良いですか?」
今日、通が伊藤芳郎の家で食事をすることになっていたのだ。その時、持って行く酒を選びに来たのである。
「そうね。ワインも好き好きだけど。ワインより日本酒が好きって人もいるし」
玲香は細い腕を伸ばし、一本のワインを手に取った。
「この赤ワインはおいしいわよ。値段も二千五百円で手頃だし。あ、お金持ちって設定ならもっと値段の張るものがいいのかしら」
考えるように形の良い唇の前に手をあてている玲香に、真言は苦笑してみせた。
「いいですよ。それくらいの値段で、予算がそんなにないんです。設定こそお金持ちのお嬢様ですけど。ウチは貧乏な探偵事務所なんで」
「ふふっ。なら、通さんにはおいしいからこれって言ってもらおうか」
そう言って、持って来ていたカゴに、ワインの瓶を入れた。さらに、玲香はもう一本ワインの瓶に手を伸ばす。
「え? まだ買うんですか?」
軽く驚いて、聞いてみると玲香は、はにかむような笑顔を見せる。
「ええ。ちょっと安いから、自分の分も買おうかと思って」
「ああ、なるほど」
真言は納得して、カゴを差し出した。そこに、玲香がワインを入れる。
二人でレジまで行くと、結構混雑していた。どのレジも五人以上並んでいる。真言は比較的カゴの中身が少ない人を見計らって後ろに並んだ。横には玲香もいる。玲香には申し訳ないがいてもらわなければならないのだ。
「ごめんね、真言くん。重いでしょう」
ワインの瓶が二本になったからといって、重いなどとは言ってられない。これでも男なのである。
「別にそんなに重くないですよ。それにこちらこそすみません。付き合ってもらっちゃって。ウチの人たち皆用があって買い出しこれなかったんで。僕だけだと、お酒売ってもらえないし」
『当店は未成年者への酒類販売はお断りしています』と、店内に掲示されているのだ。そのために成人が必要だったのである。
「いいのよ。少しでもお役に立ててよかったわ」
にこやかに笑う玲香から、真言は目を逸らした。しばらく会話のないまま、順番が来るのを待つ。
「お姉さんが死んで、悲しいですか?」
真言が呟くように言った。列が動いて、二歩前へ出る。
「……どうして、そんなこと聞くの?」
尋ね返されて、真言はかなり失礼な質問をしたと気づく。こんなこと聞いては、玲香が悲しんでいないかのように見えていると言っているようなものだ。
「あ、あの、すみません。変なこと聞いて」
慌てて顔を上げると、玲香はさびしそうな表情で首を横に振った。
「いいのよ。気にしないで」
結局、真言の質問に答えはなかった。
玲香の運転する車で、事務所へ着いたのは、午後五時を少し回った時間だった。
事務所に入ると、綺麗に化粧をして、見た目だけは通子になりきった通と、こちらは普段通りに化粧をした茉莉がいた。清吾はいない。
「お帰り。マコぴょん。岸谷さん、ありがとうございました」
「いえ、私が選んでしまったんですけど」
通はまた、玲香に礼を言う。玲香は一度きょろきょろと辺りを見回した。
「あの、田上さんは、まだ?」
「ええ、清吾はいま野暮用で出てるんですよ。あとで合流することにはなってるんですけど」
真言は玲香の横から、通と茉莉に向かって声をかけた。
「あ、姉さん、通さん。清吾さんがいないならちょうど良かったかも。岸谷さんが、車で伊藤芳郎のマンションまで送ってくれるって」
その言葉を聞いて、茉莉は華やかな笑顔を作った。
「ありがとうございます。助かりますわ。では、申し訳ないですが、さっそく出ましょうか」
茉莉の言葉を合図に、四人はそろって事務所を後にした。
三十分程車を走らせて、目的地近くにあるコインパーキングに車を停めた。
玲香はトランクを開けて、中に入れていたワインを取り出してくれる。
「はい、真言くん」
呼ばれて、他に意識をやっていた真言は慌てて声のした方に手を伸ばした。
しかし、間に合わなかった。
タイミングが悪かったのだろう。差し出した手には当たったが、掴む前にワインが落下した。
瓶の割れる音が無情に響く。ワインの瓶を包んでいた袋から、赤い色の液体が染み出してきた。
「あぁ! ご、ごめんなさい。どうしよう」
「何やってるのよ、真言」
茉莉が非難の声を上げる。
「あーあ。やっちゃったねぇ。ちょっと遅れるって連絡して、今から買いに行く?」
通がフォローするようにそう言ってくれた。
「ごめんなさいね。私がよく見もせずに手を離しちゃったから」
玲香は申し訳なさそうに、項垂れた。
「いえ、玲香さんのせいじゃ……」
そこまで言いかけた時、玲香が突如声を上げた。
「あっ、そうだ。これ、これを持って行ってください」
そう言って差し出されたのは、先ほど割ってしまったものと同じもう一本のワイン。
「え? 何で二本あるの?」
不思議そうに聞く通に、玲香は笑顔を作った。
「実は、自分の分も買ったんです。よかったら、これ使ってください。包装はされていませんけど」
そう言って差し出されたワインを、通はそっと受け取った。
「なら、これ使って。ちょっとはマシに見えるでしょう」
茉莉がふいにポケットからピンク色のリボンを取り出した。
「何でそんなもの持ってるのさ」
疑問に思って聞くと、茉莉はお得意のウインクを披露した。
「おとめ座の今日のラッキーアイテムはピンク色のリボンなのよ」
ああ、さいですか。と心の中で思って、真言はワインに目を向けた。茉莉は何よ聞いといてと、文句を言っているが聞こえないふりをする。
リボンを巻いたワインは先ほどよりもどこか誇らしげに見えた。
芳郎の部屋は五階にある。真言たちは四人そろってエレベーターに乗り込んだ。
三階でエレベーターのドアが開く。真言と玲香は三階でエレベーターを降りた。茉莉が、三階にある空き部屋を借りていたのだ。そこに、待機することになっていた。
茉莉はもう少し通に話すことがあるとそのままエレベーターで上に向かっていく。
真言は、岸谷玲香をともない三階の部屋のドアの前に立った。渡された鍵でドアを開けると、熱い空気が流れてきた。
慌てて中に入り、もともとこの部屋に設置されていたクーラーをつける。しばらくすれば涼しくなるだろう。
「すみません。岸谷さん。暑いですけどとりあえずそこに座ってください」
勧めたのは、黒いソファーだ。この日のために茉莉が買ったものである。すべてが終われば、このソファーは応接室にあるボロソファーと交換される予定だ。
ソファーの前には、テーブルが置いてあり、その上にはモニターが置いてある。
「盗撮……ですか?」
玲香が振り向いて真言に問う。真言は頷いた。
「ええ、法には触れるけど、ウチはもぐりの探偵事務所ですから。内緒にしててくださいね」
玲香は微笑んだあと、モニターに目を移す。
玲香の見つめるモニターには、芳郎の部屋の中が映っていた。この間、お茶に呼ばれたとき。真言と通は二人で芳郎の目を盗み、カメラをしかけたのだと玲香に説明する。玲香は関心したように頷いた。
モニターはダイニングの様子が映っている。芳郎が料理を運び、通が席についている姿が映っている。テーブルの上にはピンクのリボンがついたワインが置かれていた。
玲香と並んで座った真言の耳に、玲香が緊張した息を吐く音が届く。
真言はそっと玲香の横顔に眼をやった。
さあ、この後、どうなるのだろう。
真言は玲香の目に緊張の色を見てとって、ふっと息を吐き出した。
どうやら、真言自身も緊張しているらしかった。