レサス街区
04
鳥のさえずりで目が覚める。まだ陽も出ていない薄暗い時間帯なのに珍しい。他の三人はまだ寝ているようだ。
耳にしたことのある音を頼りにベッド近くの窓から覗いた。木の枝の一番低いところに茶色の小鳥が見えた。鳴き声の主はもう一回り大きかったはずだが住む環境によって違いが出ることはよくあることだ。緑色の目をしているのも環境の影響だろう。
しばらく観察していると同じ動作を繰り返していること気が付いた。体を微動だにせず、嘴を十秒ごとに左右に振りピタッと止まる。その様はまさに不気味。目が合ってしまった途端に一鳴きして飛び去っていった。
不気味ではあったが普通の、既知の鳥の存在に安堵していた。この世界には蛇人間や狼人間のような、人間と動物が混ざった存在しかいないと思っていたからだ。ヴェナの鳥の脚があることを考慮すれば、人間と動物の双方が存在するとした方が自然かもしれない。
そんなことを考えていると、ノックと共にエプロン姿のルークが部屋に入ってくる。窓から見える空はすっかり明るくなっていた。
「朝食がもう焼けるが起きてるか?」
手の届く範囲に筆談のためのノートとペンがなかったので、探しながら空いている手で肯定のサインを送った。
しばらくもぞもぞしていると布団は勢いよくぎとられた。僕の身体は片手で抱えられ、車椅子はそのままに連れ出された。ルークの灰色の毛並みからはお腹の空く匂いがした。
ノートとペンは昨夜オーウェルと話してそのままテーブルに置いてしまっていた。ノートの隣には食器が準備されている。朝食は食パンにベーコンと目玉焼きを乗せたもの。さらにサラダとコーヒーまで用意されており、昨夜に続きとても豪華だ。
口にした野菜は冷蔵庫から取り出されていた。氷塊を庫内に入れ冷やす方式ではなく、庫内に敷き詰められた青魔鉱に魔力を送り、魔鉱の減衰効果で温度を下げて冷やすという仕組みらしい。
新鮮な肉も二、三日保存ができ、普及もしているらしい凄い技術だ。ゴルド大陸には似た仕組みの温める遺物も発見されている。三回使用しただけで動かなくなったらしい。持って帰って同じ物を作るだけで大金持ちになれるだろう。
朝食をとって一段落するとオーウェル医師による健診が始まる。病院での朝検診と同様の内容だったものの時間をかけた診察だ。
オーウェルの部屋から出るとルークとヴェナがYTを運び出していた。病院襲撃で無事だった数少ない機械人形で、胸には20の刻印が。電球頭にはクッション材が巻かれ、丁寧な扱いがされている。それでも地面には雑に落とされた。
「こいつは相変わらず重てぇな、そういえば軽量化の話が一時期あったよな?」
「ああ、私が参加するか迷ってたやつか。襲撃があってから武装化派が増えて、計画は見送りとなったと連絡があったよ」
「知らされてねぇんだけど」
「今朝がたケリーから手紙が届いていたからね。武装化が進んだ会議と、病院について書いてある」
オーウェルが手に取ったのは茶色い封筒。封筒には宛名も書かれておらず封蝋がしてあるのみだった。ペーパーナイフを使わなかったのか、封蝋は細かくひび割れていた。
文字でびっしり埋められた手紙が取り出された。今までコミュニケーションに用いていた文字はゴルド大陸共通の慣れ親しんだ文字だった。しかし、手紙の文字は少なくとも僕の知っている文字ではなかった。この世界独特の文字なのだろうか?
二人が手紙を読み終えると、封筒と共に手紙は火が消えていないオーブンにくべられた。
「また移動か〜でも荷降ろしの手間が減ったのは良いな」
「あと少し早ければYTを降ろさずに済んだのになぁ」
「まぁまぁ、使える労働力が増えたからいいじゃないか」
「魔力込めるの俺なんだけど……それで今日はこれからどうする?また積み込む作業は嫌なんだけど」
「同感だ、昨日の今日でやりたくねぇ」
三人は相談を重ね、じゃんけんをして負けたルークが薪用の木材を採りに森へ向かった。パジャマ姿で斧を携える狼人間を題材にした怪奇小説があってもおかしくない絵面だ。勝ったヴェナは頭の角を磨いている。
もう一人の勝者は自室から丸められた紙を抱えて戻ってきていた。
抱えていたのは正方形の地図。テーブルに広げられた地図は肩から指先ほどの大きさで、一つの大きな円が印刷されている。
「これは?」
「我々が住まう大地カラルの地図だ。多くある地図の中でも最も正確とされる代物でね。ルドリアの森はここだ。この家は森中央から少し北側にある」
太い円のふちから地図右側上部にあたる緑色の部分をオーウェルが指し示す。緑色の部分にはルドリアの文字が。緑色の範囲からもかなりの規模であることが読み取れる。
「病院はルドリアの森から北西。カラル街区は西、昨夜ヴェナが走っていった方角だな」
「さっさと忘れてくれよ……」
「印象的で覚えやすいとおもってね。そして南にある森の途切れる地点、そこまでをまとめてレサス地区と呼んでいる。我々が勤めていた病院も正式にはレサス地区病院という」
「地図を見せたのは手紙の内容を共有しようと思ってね。レサス地区病院が放棄されると決定したんだ」
「放棄ですか?病室はほとんど被害がなかったですよね?」
「病室だけあっても治療ができないんだ。君の怪我を治した機具や、食堂の機具も壊れてしまったからね。それに魔獣人に場所を知られた以上、再び襲撃してくる可能性だってある」
(魔獣人で合ってたのか)
「別の理由も絡んできているから放棄の判断も速かったんだろう」
「そして病院に勤めていた我々は街区に配属されることとなった。エセル君にも同行してもらう」
「まだまだお世話になります」
「そういえば探索者を街区に連れてって問題にならないのか?」
「探索者だと知っているのは我々だけだ。車椅子に絡む輩もいないだろう。身元に関してはケリーに偽装を頼もうか、外見だけ誤魔化せればなんとかしてくれるだろう」
「見た目どおりにエルフじゃダメか?金髪だし、そのままでいい」
「ケリーに借りを作らないという面では最高の案だが、エセル君に魔力がないからすぐバレるぞ」
「……ケリーに任せようか」
そんな具合に話しはまとまり、街区へ向かうまでそれぞれ自由時間ということになった。
僕はといえばほとんどの時間を運動と睡眠に費やしていた。運動とはいっても車椅子で家の外周を回るだけだ。運動を続けるモチベーションとなったのはヴェナの薪割りだ。細腕からは想像もつかない膂力で一周するごとに薪が積みあがっていった。僕も負けじと外周を回った。途中からヴェナに気付かれ、疲れた時は話相手になったり、薪割りに飽きたヴェナに車椅子が倒れた時の対処方法などを教えてもらった。運動の成果は如実に表れ、日に日に腕が太くなっていった。広がり続ける筋肉痛に反比例して喉の痛みはなくなっていった。
発声を許されたのはルドリアの森に着いてから四日目の朝。風邪を引いた時のガラガラ声ではあったものの、喉に痛みはない。しかし喋るたびにルークの大きな耳が嫌そうにしていたので、このまま筆談を続けることにした。
六日目にはガラガラ声から掠れ声に変わり、後は声を出せば元の声になるだろうとオーウェル医師は診断してくれた。その言葉を信じ、ルークのいないところで積極的に声を出すことにした。食料調達のためにレサス街区へ出発する予定なので発声の機会はしばらく無いだろう。
運送車の席位置は病院からルドリアの森に向かった時と同じ。座りきれないヴェナは荷台の上に載っている。森の荒れ道の揺れを気にせず、クッションを背にくつろぐ姿はベテランだ。
街区へは家から伸びる道をゆき、そのまま西へ。途中で北へ曲がり森を抜けると整備された道が見えた。病院から街区へ通じている道で、僕以外の患者はこの道を通って街区へ移動したそうだ。
「探索者ってどういう意味なんです?」
「時々君のように現れる人間がいるのさ。多くの人間がこの世界に探索、冒険目的で来たと言った。そこから呼ばれるようになったのさ」
「僕みたいなのは珍しくないんですね」
「俺の姿をみても冷静だったのは珍しいと思う」
「顔が綺麗だったので安心というか、脚とのギャップでどう反応すればいいか分からなかったというか……」
「まぁ外見がかけ離れていたから問答無用で殺されたという話も多く残っているから、そこは運だな」
突然の不安も解消しないうちに巨大な円塔が視界に映る。塔の上部に金属が使われているのか、太陽の光で黒く輝いている。数秒もしないうちに低い数本の塔も次々見えてくる。低い塔からは煙が出ているのを確認した。故郷のシンボルである大時計の稼働に蒸気を使っていたのでなにか大掛かりなものを動かしているのかもしれない。
次は巨大な壁。コンクリートの土台にレンガが積まれ、壁に隣接するように尖塔がいくつも設置されている。尖塔の高さは十五メートル以上、壁の厚さは三メートルと説明をうけたが納得の威圧感である。壁から離れるにつれ威圧感は薄れ、家畜の姿や畑らしき場所も見えてきた。猫人間が牛の世話をしていたり、手と尻尾に取り付けた鍬を振るう蜥蜴人間が居たりとついつい見とれてしまう。
壁の中に入るためには二つの門を抜ける必要があり、街区の重要度の高さを物語っていた。門からは兜を付けた衛兵の視線が突き刺さる。受付係に4人分の識別札を見せた後は荷物検査なども特にされず、運送車ごと壁の中へ。
人々は壁の中で生活していた。壁の中は道路ばかりか歩道まで整備されており、パン屋や服屋、武器屋、防具屋と軒を連ねる。老人から子供まで病院で目にしたことのない種族で賑わっている。
道路上ではスクーターが頻繁に行き来している。蒸気自動車が主流だろうと予想していたが、運送車以外で蒸気機関が採用されているようには見えなかった。スクーターが光っている所をみると、動力は彩魔鉱を用いているのだろう。冷蔵庫と同様に持ち帰るだけで大金持ちだ。希少だと思っていた彩魔鉱はこの世界では多く採れるのかもしれない。
小回りのきかない運送車は大通りを直進していく。行き先は衛兵の出入りする建物で壁の外から見えていた蒸気の出ていた塔だ。
塔の周囲は家屋が一切なく、運送車やスクーターの駐車場となっている。地面から生えている器具で固定されているので盗難の心配はないだろう。
下車し、木製の扉を開けて中へ。ロビーは石造りの落ち着いた雰囲気だ。病院にいたような鍛えられた
受付係に四枚の識別札が渡るとすぐさま案内があった。
「こちらお返しいたします、レーネ地区長は執務室でお待ちです」
「ありがとう。場所は変わってないかい?」
「ええ、そのままです」
向かった先は石造りの壁。行き止まりでもなんでもない、目につかないありふれた場所だ。三人は辺りに人がいなくなったことを確認して、壁の石を押し込んでいく。驚くことに壁は地面へ沈んでいった。壁の向こう側には白い扉と通路が間接光によって輪郭を強めている。オーウェルが手を当てると白い扉は中央から左右にスライドする。中に入って動き初めてようやく分かった、これはエレベーターだ。
僕の知るエレベーターは扉が格子で、ガタガタ揺れ、安心できない遅い箱という印象だった。しかしこの揺れも汚れもないエレベーターは悪い印象を払拭し、一瞬で目的の階に到着した。一番下のボタンを押しているのが見えたので、現在地はおそらく地下だろう。ボタンが見えなかったら現在地の推測すら難しいほど一瞬だった。
等間隔にならぶ彩魔鉱の照明と扉、壁はエレベーターと同じ素材で覆われている。清潔感があり、病院の廊下とそっくりの通路だ。街中で見た建造物やロビーとは趣きや技術そのものがまるで違っている。
通路にはYTや食堂にいた四角頭が列を作り紙束を抱え歩いている。機械の人波が去った後、正面に白兎が現れた。
「久しぶりだね御三方。病院の件では苦労をかけた、ゆっくりしていってくれ」
「ケリー久しぶり。手紙が届いた時は驚いたぞ」
「YTの居場所はこっちで把握できるからね。」
「そういうことか」
車椅子の僕と同じ身長の彼女が楽しそうに跳ね寄ってくる。
「今朝ぶりだね、新顔くん。私はレーネ・ケリー」
「はじめまして、ですよね?一体どういう……」
足元から銅色の鳥がテクテク歩いてくる。光る緑色の目で思い出す。今朝窓越しに見た鳥そのものだ。
「その顔は思い出してくれたようだね」
「今朝ベッドからこの鳥を見たんですよ」
「手紙を送るついでにね……目的はルークだったけど思わぬ収穫ってやつさ。ふふふふ」
「倫理観はないのか」
「そっちも新顔くんの存在を隠していたんだ。おあいこだ」
「ちゃんと連れてきているだろう。貸し、だ」
「まあいい、引っ越しの件だね。大急ぎで四人で住めそうな物件をまとめておいたから、執務室でゆっくり決めるといい」
執務室より書庫と表現した方が適当だろう。四方の壁は本棚に囲まれているし、デスクに積まれた紙の山は白兎の机を被い隠し、ペン立てすらも倒れている。反対に間取り図がまとめられた紙束と飲み物だけがのっているテーブルは掃除整頓されている。
「忙しいところ悪いが彼の出身と種族を偽装してほしい。プロフィール等はこの紙に」
「見返りは?」
「蒸気技術の発展。」
「発展ね、強気だね。何か根拠は?」
「彼の世界では私の研究成果はすでに開発されている」
「襲撃前に頼まれた彩魔鉱のシリンダーのことか?あれ以上性能をだせるものがあると?」
「エセル君の話では数年前に発明済みだそうだ。背中に収まるサイズのものが最新式らしい。小型化だけでも大きいと思わないか?」
ケリーは唸りながら長考に入った。淹れたてのコーヒーを猫舌が飲み干すまで机の奥で唸っていた。
「よしわかった。出身に関してはなんとかできるが種族は難しいぞ」
「義足で誤魔化せないかとおもってね、義足屋はある?」
「探しておく。いい物件はあったかい」
「外壁に近い一軒家。二階建て地下にシェルターつき。近くに肉屋が二軒」
「らしい所を選んだな。早速手配しよう」
「偽装用に写真を撮るから壁際に。ルークもね」
「俺がいく必要はねぇだろう」
「お金でなんとか」
「拒否する」
写真を撮った後は引っ越し先へ、という予定だったもののすっかり陽も落ちてしまったので円塔内の居住スペースで一泊することに。ケリーの部下が案内してくれた。巨大な円塔のほとんどは塔の職員の居住スペースになっているそうだ。怪我人扱いの僕だけは医務室へ。病院と同じベッドなので気分は変わらない。
「エセル君すまない勝手に決めてしまって」
「恩返しできる機会です。がんばりますよ」
「明日からよろしく。同族のエセルさん」
投稿間隔を一月空けないという目標を心の中で掲げていたのは内緒です