酒見ざけ
出発までの数日間に運送車には病人や医療品が積み込まれ、カーキ色の運送車を先頭に近隣の街と運搬を繰り返していた。街へは歩いて丸一日、運送車なら一時間ほどかかるそうだ。カーキ色の運送車はオーウェル医師の私物で、昔から患者の移送や物資の補給など多岐にわたって活躍しているという。動力源は工房にあった古い蒸気機関と同型の物で、稼働音が一台だけ違っているのは改造してあるからさと所有者が嬉しそうに語ってくれた。
さて、今いる場所は街とは別方向のルドリアの森という場所。頻繁に人通りがないのだろう進む道には草が生い茂っている。周囲を埋める針葉樹林は道に沿って最低限の伐採がされているだけだった。運送車の座席が高い位置に配置されているおかげで道を発見できているものの、徒歩であれば確実に遭難してしまうだろう。それに運送車で一時間半かかってしまう距離だ。そんな秘境に近い場所に彼女が先回りをしていた。整備の行き届いていない荒れ道を通ったとはいえ、蒸気機関搭載の運送車は馬よりも速度を出していたのに。
ヴェナの姿を見た時に僕以上に驚いていたのはオーウェルだった。大きく口を開け長い舌と牙をヴェナに向けた。
「ヴェナ、明日迎えに行くと言ったはずだぞ?自分が怪我人ということをわすれたのか」
「残業させておいて怪我人扱いか」
「襲撃後からずっと仕事は割り振っていなかっただろう。燃料代が浮いたことに感謝すべきか……」
「まぁ、本人が大丈夫なら大丈夫だろうよ。こいつの無茶は今に始まったことじゃねぇ。食後の運動とやらで勝手に働いていたくらいだしな。それにどうせ一カ月は休み放題よ」
「……そういうことにしておこう。我々には休暇前の一仕事が残っているが。小物だけでも明るいうちに終わらせよう」
太陽は背の高い木々にかかろうとしていた。ルークとオーウェルは機関を停止させると荷降ろしを始めた。その多くは抱えて運べる器具や医療品で、三角屋根の家に隣接している倉庫に運ばれた。
手際よく作業が進んだのか、ベッド一式を家へ運んで区切りとするようだった。戦力外の僕はしばらく車内で二人を目で追った。同じく二人を見ていたヴェナが放置されていた僕に気づき、そのまま手を借り下車した。赤褐色のレンガの壁を背に二人の作業を見守った。
「毎回毎回ありがとうございます」
「気にすんな。これくらいならいくらでもできる。運動後のクールダウンみたいなもんだ」
「まさかここまで走ってきたとかではないですよね」
「なんで分かったんだ!?見つからないルートで移動したのに」
「冗談ですよ……まさか本当に?」
「そうだ。森をな走ってきたんだ、真っ直ぐ。雑木林ならこいつがあれば楽勝だぜ、見てな」
目的地である三角屋根が見えた時、外周には移動手段らしきものは見当たらなかった。小型の蒸気機関の存在を疑いをしたものの、機関の性能を鑑みるに小型化しても実用化は難しいだろう。とすれば蒸気機関よりも速く移動できる未知の手段があるのは明白だ。
思いついたのは僕を介護していたYTだ。人を抱えられるだけのパワーと安定性がある。襲撃で生き残っていたYTに抱えられた時は瓦礫地帯を難なく移動していたし、何より機械なので疲れ知らずだ。空を飛んでもYTの万能性ならと納得してしまうだろう。
エプロンがまくられると病院で見慣れた服の上に、黒の革ベルトが巻かれていた。革ベルトがシンプルなため、細かな紋様が彫刻されたバックルが目を引いた。バックルの中心には赤魔鉱が埋め込まれていた。見とれている間に菱形の赤魔鉱に魔力が充填され、周りの紋様が赤魔鉱と共にきらめいた。そしてヴェナはそのまま薄暗い森の方へ走っていく。赤い光は瞬く間に枝葉で見えない距離に消えてしまった。
運送車ではおよそ出せない速度で走り去ったヴェナに感動を覚えつつ、魔力と彩魔鉱という組み合わせにがっかりしている自分がいた。それほどまでに魔力というエネルギーは万能で彩魔鉱と相性が良いのだ。この世界の人達もゴルド大陸の国々を見たら蒸気ばかりで同じ反応をするのだろうか?
音などは特に鳴ってはいなかったが倉庫にも光が届いたのだろう、作業中の二人が近寄ってきた。
声をかける間も無しに森へ走り去ったと二人に話すと苦笑いしていた。あれも無茶にカウントされるのだろう。以前に魔力を使うと疲れると話していたし、少し心配になる。
「全く。まだあれだけの元気があるとは」
「油断していたなぁ、メイソンくんの近くにいる計算だったんだが」
「それなら僕に原因がありますよ。どうして運送車より速く移動できたのかつい質問しちゃいましたから」
「メイソンくんに非はないだろう。魔力痕からもそう遠くへは行っていないようだしなぁ」
「私とエセル君では追えないからヴェナは任せるぞ。今日のところはベッドを家の中に運ぶだけだから私一人で十分だ……ん?質問かねエセル君。焦げ臭い?いわれてみれば」
臭いは家の中から漂ってきていた。鼻のよさそうな狼顔のルークは森に入っていたので気づけなかったようだ。
本来鍋の下にあるはずの熱源は見当たらず、魔力だけでも加熱できるオーブンだと知った。温度のコントロールには魔力が必要になるようで、魔力無しのオーウェルが急いで外へ出た。そして声が届く範囲にいたらしいルークを呼び戻すことに成功したのだった。
「焦げ臭い匂いはどっからしてるんだ、嘘だろ鍋に火ぃかけっぱなしだったのか」
手の平から青い光が発せられ、オーブンの温度が下がっていく。それと同時に充満していた焦げ臭い匂いも薄くなっていった。加熱が止まった事を確認すると大きなため息をついて、放置犯を大声で呼び戻した。
気球のように膨れた胸元に貯められた空気は、一分が経過しても尽きる様子はなかった。狼の遠吠えが聴こえたヴェナは顔を真っ青にして戻ってきたのだった。
再加熱には薪が使われ、上下でシチューとパンの調理が同時に行われた。シチューに関しては鍋の底が焦げついただけで、最終的には十分な量が皿に盛られた。
約一名が悲壮感を漂わせ食事をしていたので空気はぎこちないものだった。病院で目覚めてからできたての手料理を食べたのはおそらくシチューとパンが初めてだろう。喉のケアのために熱い料理を口にできていなかった。
盛り上がらない空気を変えるべく、できたて料理を口にした感動を必死に伝えることにした。が、拙く、見せるという動作が発生してしまう文字では力不足だった。
途中離席していたルークが酒瓶をテーブルに二、三本並べた。そして軽快な音と共に栓が抜かれた。ぶどうの香りが鼻をくすぐり、金属製のワイングラスに注がれた。
「メイソンくん酒は飲めるか?」
「ワインではないですが飲み勝負なら何度かしたことがありますよ」
「意外だな、その幼い顔立ちでか」
「これでも十九歳です。十七歳から飲酒は許可されていました」
「なら大丈夫だな。とりあえず乾杯しよう」
「エセル君の健康に」
「焦げたシチューに」
変な空気に僕の精一杯のフォロー、とどめに本人の自虐によりおかしな笑いが生まれた。予想外の注目を受け恥ずかしくなったのかヴェナは勢いよくワインを飲み干したのだった。
怪我人が酒を飲んでも大丈夫なのか?という疑問が出てきたが、ワインと共に飲みこんだ。医者が止めないなら大丈夫だろう。
陽も完全に落ち、倉庫から干し肉とチーズが登場したことにより酒宴は加速した。ヴェナの提案によりルークと飲み勝負をすることに。勝者は魔獣の干し肉が得られ、敗者には食事当番の刑が科せられる。ショットグラスが目の前に滑り出る。ショットグラスにはオーウェルが注いだ度数の高そうな酒がたぷんと揺れた。
勝負は早々に決着した。いかにも酒豪という風貌のルークは二杯目を飲み切るタイミングで限界を迎え、ヴェナに看護され寝室へと消えていった。腕の太さが倍ほどあるのに、細身で難なく支えている光景には目を疑った。きっと酒のせいだ。
正面の席で淡々と飲むオーウェルは全く酔っている気配がない。ヴェナもしばらく戻ってこないので酒宴はおひらきに。二人の空いたグラスと食器は洗い場へ。片付ける手付きもしっかりしている。席に戻る際には追加の酒瓶を持っていた。注がれた酒はリンゴの香りがした。
「変な空気になってしまってすまなかった。三人そろえばこんなやり取りは頻繁でね」
「俺もついでに寝るぜ〜いい夢を〜」
「ああ〜おやすみ、酒に強いのは私だけでね。エセル君あと一瓶だけ付き合ってもらえないだろうか?」
「大丈夫ですよ。それに深く酔えば幻肢痛をごまかせて寝れるかも」
「そうか。酒は試す機会がなかったからね。まぁ飲みすぎなければ大丈夫だろう。医者が言うんだ問題は無い」
「脚の怪我に影響は?」
「脚に影響はないと思うぞ、むしろ喉に悪いだろう。いつ言い出そうか迷っていたが今言ってしまおうか……実のところ脚の怪我自体はほぼ完治している。あとは自然治癒を待つだけだ」
「嘘……ではなさそうですね。完治しているのに教えて貰えなかったのには何か理由が?」
「治療の必要な怪我人でないと医者として連れてこれなかったんだ。それに治療の必要がないと知れば脱走する可能性もあった」
「車椅子で逃げようなんてできませんよ。目覚めてすぐに魔獣人とやらに襲われて訳がわかりませんでしたし。あげくには人気のない森に連れこまれますし」
「襲撃については本当に申し訳なかった。この森は魔獣が寄り付かない安全な場所だから連れてきたんだ。君を殺されないためにもね。詳しい説明は近日中にしよう、できれば君が喋れるようになってからだ。文句ならいつでも受け付けよう」
「これだけ良くしてもらっているんです、文句は言えまふぇんよ」
「それなら助かるよ。ちなみに脚のことは寝た二人は知っている。ああ、やっとスッキリした」
「…そうでしたか。それにしても良いリンゴ酒だすね」
「そうだろう、そうだろう。この森のリンゴで作ったんだ」
「自家製だすか!ちょっともう一口もらえまへんか」
「一口だけだぞ。さて我々も寝るとしよう」
そうしてベッドまで運ばれた。目覚めた時からずっと同じ慣れたベッドだからか、酒のおかげか、夜中に幻肢痛で目が覚めることもなかった。