時代の生み出した殺意
また一か月後に更新してる……
なるはやで更新したい。戦闘を書いたら凄く長くなりました
ファイナーは深夜の首都を駆ける。西へ、ただひたすら西へ。敵対する者達を討ち滅ぼすために。
「……妙だな」
ふと、ファイナーは違和感を覚える。静かすぎる。攻撃的な選択を取る組織は普通、反撃や報復されたときに応戦できるように最低限の戦力は自陣に確保するのが一般的だ。少なくともファイナーはそれがセオリーだと思っていた。
だが、それらしき気配が全くない。何者かの視線を感じている時の緊迫感も、敵意を持つ者の気配も、そもそも一般住民の眠り声といった生活音さえも聞こえない。いくら深夜であるとはいっても、生活感というものが全く感じられないのがあまりにも不自然だった。
「(ここら一帯は教会の信者たちの住宅街でもあったはずだ。襲撃に気付いて避難した可能性は否定しきれないが、そうなると戦闘要員がろくに居ないのが不自然だな。襲撃に気付いてないなら、その場合は住民の気配がないのが不可解だ。どうなってやがる……?)」
だが、ファイナーには気に留める程の余裕はない。ただ教会へと一直線に進み続ける。どの道、教会勢力を殲滅するのなら、後で根絶やしにすれば良いと思考を切り替えた。
未だ、夜は続く。深淵と錯覚するほどの暗闇が国を包んでいた。漆黒の殺し屋は、闇に紛れて駆け続ける。
------------------------------------------------------------------------------
首都西端にある巨大な教会。その礼拝堂の最奥にある祭壇の前にて、白と黄金の混じった修道服とベールに身を包んだ一人の若き女性が座り込んで祈りを捧げていた。そう、この女性こそがファイナー達への襲撃を指示した実行犯であり、教会勢力の最上位に位置する女大司教、アリマだ。
アリマの手元には、22枚のカードが散らばっている。カードの片方の面は上下左右が統一された絵柄で、もう片方の面はそれぞれ異なるイラストが描かれているカード、所謂タロットカードと呼ばれるものだ。
アリマはカードの絵柄が統一された面を上にしたまま床に広げる。そうして広げたカードで反時計回りを描くようにカードを念入りに混ぜ込む。そうして2週した頃にカードが1つの束になるよう揃え、その中から無作為にカードを1枚を選ぶ。
統一された面の裏面から、イラストの描かれている表面へと裏返す。そうして出てきたカードは、一つの円を翼を持つ4つの生物が囲んでいるカード、”運命の輪”だ。だが、そのカードは正しい向きではなく、逆向きとなっていた。そう、アリマはタロット占いを行っていた。
アリマが大司教と成った所以には、二つの能力が関係している。一つは、このタロット占いの命中率が非常に優れていることだ。
「何度占っても逆位置の”運命の輪”……やはり、襲撃には失敗したと考えるべきでしょうか」
逆位置とは、基本的に後ろ向きな意味を持つ結果だ。運命の輪の場合であれば、失敗や不幸、悪い方向への転換といった意味が含まれる。その予想は正しく、彼女の送り出した襲撃者は皆、悲惨な末路を迎えていた。
だが、占いだけで大司教になれるほど教会の勢力争いは生易しいものではない。彼女には、生まれながらに備えていた能力がもう一つあった。
「彼らには靄はかかっていなかったのに、何故? この襲撃は無事に達成できるものだったはず……」
それは他者の悲惨な死を限定的に把握できるというものだ。悲惨な死が近い人間は、彼女からの視点では黒い靄がかかる。その靄が対象となった人間を囲むと、その人間は半日もしないうちに望まぬ理由によって命を落としてしまう。だが、それは必ずしも防げないものなどではなく、彼女のタロット占いによる導きや靄が掛かってる本人の意識によって本来執り行うはずだった行動を変えさせることにより、忌まわしい運命から逃れることができる。それによって彼女は大多数の人々の命を救っており、その実績と彼女の敬虔深さが認められて大司教へと成り上がった。
「……胸騒ぎがします。住民の方達は早目に避難させて正解でしたね」
そう、襲撃を指示した直後、教会の周囲に居を構える信者全員に黒い靄がかかったのだ。只事ではないと判断したアリマは、住民に避難を呼びかけた。数々の実績を積み重ねた大司教の言葉に疑いを向ける信奉者は一人として存在せず、誰もがその指示に従った。
アリマは教会に一人残り、襲撃者の帰還を待っていた。
「……グズグズしていても進展はしませんね。彼らの行動を失敗へと追いやった存在の正体を占ってみましょう。神よ、どうか私達をお導きください……」
カードに祈りを込め、再びシャッフルを行う。そうして一枚のカードを抜き取ると、出てきたカードは落雷や炎によって崩れゆく建築物が描かれているカード、”塔”だ。だが、”塔”は正位置でも逆位置でも不吉な意味を持つカードだ。この結果がアリマの胸騒ぎをさらに大きくする。
「正位置の”塔”……崩壊や破滅など、様々な不吉を意味するタロット。まさか、聖魔術師が動いたと言うの?」
直後、扉口が開かれる音が礼拝堂内に響く。振り返ってみると、そこには黒装束に身を包んだ人影が巨大な扉を開き、入口で屈んでいた。
アリマは、その人影を見て驚愕する。その人影には、おびただしい量の靄がまとわりついていたのだ。これだけの量を纏っていれば、数秒後に絶命する運命が待ち受けていても不自然ではない。そう感じさせるほどだ。
黒い人影は立ち上がると、ゆっくりとアリマの居る祭壇へと歩を進める。しゃらり、しゃらりと何かが擦れる音が響く。人影がアリマに近付く度に靄は量と密度が濃くなり、もはや靄が人の形を為しているように見える。
「……そこの貴方。何者かは知りませんが、それ以上近付かない方が賢明です」
何者かは知らない、というのは半分は嘘だ。この存在が自分の身を狙っている者であることくらいは荒事に直接対峙したことが少ないアリマ自身とて理解していた。しかしアリマは決して無力なわけではない。ある程度の攻撃魔法は習得している魔術師でもあるため、生半可な相手に脅かされるほどヤワではなかった。それを裏付けるかのように、対面してる相手の靄は更に濃くなっていく。大司教のアリマに危険人物を排除することに対する躊躇いはほとんど無い。この黒い靄は、自分自身が目の前の存在を排除するという行動によって起こっているのだと考えた。
だが、目の前の存在がもう一歩踏み込んだ瞬間、黒い靄は全て消え去る。そして本当の姿……黒装束に身を包んだ男がアリマの目に映った。
「ッ!?」
顕となった外見よりも、黒い靄が一瞬で消え失せた事に対して先程以上の驚愕を覚えたアリマ。たった一歩踏み込んだだけで運命がどう変化したのか、それを冷静に思考する余裕は既になかった。
刹那、再び教会の扉が開かれた。男とアリマは思わず視線をそちらへと向ける。
視線の先には、純白の修道服に身を包んだ10人ほどの集団がそこにいた。
「アリマ様、ご無事でしょうか!? 魔術師諸君、不埒な侵入者を拘束せよッ!!」
現れたのは教会の抱える戦闘要員である教会魔術師達だ。様々な問題を力尽くで解決するために編成された部隊であり、戦闘能力の高さはもちろん信仰による意識の統一による高い士気と巧みな連携が特徴の魔術師集団だ。だが、彼らを見たアリマの顔は蒼白する。そう、彼ら全員に黒い靄がかかっていたのだ。
直後、男は右腕を振るった。何らかの魔法の動作と考えたアリマは叫ぶ。
「何故、戻って来たのですか!? この場から逃げてください、早く!!」
その言葉が教会魔術師の耳に届くよりも先に教会魔術師の一人が倒れる。絶命こそしていないものの、下半身の大部分がえぐり取られており、治療なしで再び立ち上がるのは困難なほどの重傷を負っていた。
「狼狽えるな! 態勢を整えて早急に……」
指揮官と思われる大男が指示をしようとした瞬間、大男の首に巨大な物体が飛来する。それにより大男の首の肉は削がれ、骨が顕となる。
教会魔術師対殺し屋の戦闘は、指揮官の鮮血によって幕が開かれた。
「デカい声を出すんじゃねえよ。夜は静かに眠るもんだぜ」
黒装束の男_ファイナーが呟く。ファイナーは後方からの襲撃に備えるため、鎖を括りつけた棘付きの黒い鉄球を入口の端に置いておいたのだ。夜闇に紛れ込んだ鉄球を発見できなかった教会魔術師達はファイナーの仕掛けた罠の餌食となった。
ファイナーは手首に巻き付けてあった鎖を強く引っ張り上げる。外見に似合わぬ剛腕によって持ち上げられた鉄球は高く上昇する。攻撃の正体に未だ気付けぬ教会魔術師は魔法による攻撃と錯覚しているため、鉄球の軌道を予測できずにいる。
「……ッ!!!!」
ファイナーが腕を振り上げた直後、アリマは魔術師のうちの一人が黒い靄に完全に包まれたのを観測してしまった。その魔術師は何もしなければ数秒後に絶命することがアリマの目線では確定する。
だが、声が出せなかった。アリマはまだ目の前の現実を受け入れられていなかった。
「電磁砲!!」
ファイナーが左腕を突き出してそう叫ぶと、教会魔術師たちは一斉にファイナーの方へ向く。電磁砲は直線上に高速で鉄塊や弾丸などを飛ばす魔法であり、雷魔法の基本中の基本である攻撃魔法でありながら、喰らってしまえば重傷は免れないほどの破壊力を持つ魔法だ。
魔術師達は電磁砲の射線に入らぬよう、横に飛んで回避行動を行った。まともに受ければ重傷を免れないほどの破壊力を持つ魔法であることは大半の魔術師の間での共通認識となっている。故に、電磁砲を詠唱された場合は回避行動を取るのが魔術師の間でのセオリーであった。
「……なんてな」
ファイナーは魔法を扱えない。故に電磁砲の発動はできない。だが相手にはそれが知られていないため、この陽動を見破られることがなかった。魔術師達が鉄球に向けていた意識は一瞬だけファイナーへと向かう。だが、何も起こらないこの状況を見て、一人の魔術師がファイナーの真意に気付く。
「違う、こいつは電磁砲を使うつもりなんかない! こいつの真意は……」
直後、鉄球がその魔術師の頭上に振り下ろされる。魔術師達の意識は再び鉄球に向けられた。直後、ファイナーは魔術師に向かって突進する。だが、魔術師の居る場所とファイナーの立っていた場所では20メートルほどの距離がある。いくら魔術師が動揺していると言っても、無策で突っ込めば遠距離攻撃で迎撃される距離だ。
無論、ファイナーは無策で突貫するつもりはない。
「ナイトレイド・ウィンド!」
背負っていた大太刀の鞘に左手を添えながら叫ぶファイナー。それを見た魔術師達は再びファイナーへと意識を向けた直後、ハッとした表情になる。
「そう何度も同じ手は食わんぞ!」
先程ブラフをかけられたことから、二度目を食わぬよう転がっている鉄球に意識を集中させる魔術師達。だが、ファイナーはそれも読んでいた。一度陽動によって騙されれば、余程の愚者でない限りは二度目を警戒する。故に、一度目に猛威を振るった鉄球に意識を向けるのが当然の反応だろう。それを逆手に取ったファイナーは、魔術師達の意識が逸れてる間に急接近する。右手を柄にかけて抜刀すると、最も近くに居た魔術師の喉を大太刀で斬り裂く。
「残念、それは本命だ」
「んなっ……!?」
その早業に思わず動揺する教会魔術師。喉を斬り裂かれた魔術師が倒れた直後、全ての人間の視界からファイナーの姿が消える。否、消えてなどはいない。ファイナーは側廊の長椅子を踏み台にし、一瞬にして高く跳び上がったため魔術師の視界から外れたのだ。
魔術師達がそれに気付いたのは、自らの視界が赤く歪んでからだった。
空中で錐揉み回転しながら大太刀を振り回すファイナー。一見乱雑かつデタラメに見える攻撃だが、一回転ごとに一発、それぞれの魔術師達の急所を目掛けた斬撃を繰り出しているのだ。
神業と言っても過言ではない空中回転りにより、戦闘態勢だった魔術師全てを瞬く間に死へと至らしめた。
一部始終を目撃していたアリマは、ショックにより言葉を失っていた。家族同然と言える信者達を失ったことよりも、自らの未来視能力が正常に働かなかったことよりも大きい、理由の分からないショックが彼女を覆っていた。
「あ……あ……」
目の前に立つ存在が、ただ戦闘能力が高いだけの人間ではないと本能が告げていた。この男は放っておいてはならない。国の為を、民の為を想うのなら、あらゆる手段をもって排除しなければならないと直感した。彼女は、返り血に染まりながら身廊の中央に立つファイナーと相対する。
視界には、再び黒い靄に包まれたファイナーが映る。
「貴方をここから逃がすわけにはいきません。我らが神の為に……国の為に。そして守るべき民の為に。今、正義の裁きを下しましょう!」
アリマは精神を集中し、魔力を全身に循環させる。大気の揺れを感じたファイナーは身構え、意識をアリマへと集中させる。
永遠にも感じる一瞬の後、アリマはファイナーへ向けて掌を向ける。
「聖なる火炎!!」
アリマの掌から発生した渦状の爆炎が凄まじい速度でファイナーへと襲い掛かる。ファイナーは咄嗟に左方の長椅子へと身を隠して直撃だけは回避したが、熱風がファイナーの背を焦がす。
「グオアァァッ!!」
高温の熱風によってファイナーは苦悶の声をあげる。攻撃に使われる魔法は普通の人間が喰らえば基本的に即死するものが大半だ。故に、ファイナーは自分がまだ生きていることに安堵していた。死ななければ安い、生きていれば首を狙える。そういった思考でファイナーは何度も修羅場を潜り抜けてきた。
「熱いですか? その炎は罪を重ねた人間ほど熱く感じるのです。熱風だけで悲鳴をあげるということは、それだけ貴方の重ねてきた罪が大きいということですよ」
先程までの動揺を覆い隠すように淡々と言い放ち、ファイナーの潜む場所へと歩んでいくアリマ。ファイナーは息を荒げながらも、アリマの言葉を鼻で嘲笑う。
「その火で裁判ができそうだな。で、罪とやらを推し量るのは誰だ? 居るかどうかも分からん神か、それともテメエらか?」
長椅子の背に隠れながら軽口を叩くファイナー。口振りこそ挑発的だが、彼は次の行動に備えて全神経を極限まで尖らせている。
「減らず口を叩きながらでも構いません。まずは私の話を聞いていただきますよ。貴方……いえ、貴方達は例の殺し屋稼業の関係者なのでしょう?」
ファイナーの声が明確に聞こえる距離まで近付くと、アリマは歩みを止める。
「聖魔術師の排除はこの国の未来を考えるのならば必要不可欠です。確かに彼の者が存命の間は人々の心の拠り所となるでしょう。ですが、拠り所はやがて依存に、執着に……そして妄信になります。王国の政治や裁判より、一人の意見を大衆が重視してしまえば、王国は王国を維持できず、保たれてきた均衡や安寧は崩壊するでしょう。そうなってしまえば、彼の者の手から漏れる多くの人々は不幸な末路を迎えるでしょう。そうでなくとも、王国が滅んだあとに彼の者の死んでしまえば、より多くの人々が血と涙を流すことになります。だからこそ我々が、我々の神こそが永遠の拠り所として人々を支えなければならないのです」
「王国民を救う為に王国民である俺達を殺そうとしたってわけか。皮肉が効いてるぜ」
「大多数を救う為には少数の犠牲は致し方ないものです。むしろ、殺し屋稼業を営む極悪人である貴方達が消えれば世のため人の為でしょうね」
「ハハッ、それを言われちゃ身も蓋も無い。ならこっちからも質問だ。教会が妄信される側にならないという保証はどこにあるんだ?」
「神は絶対的に正しいのです。故に、神を信ずる我々は妄信には成り得ないのですよ」
「じゃあ言い方を変えるぜ。神の正しさとやらは誰が決めるんだ? 国か? それともお前の意思か? 今こいつらが死んだのも神の正しさってことなのか? 自分を崇める人間を死なせることが神の正しさとは、とんだ疫病神だ」
ファイナーがそう言って嗤った瞬間、彼女の纏う空気が変わる。清廉潔白と表現するのが相応しかった雰囲気は、怒髪衝天といった状態に変化する。
「貴様、神を侮辱したな。実力を見込んでもう一度神に奉仕させる機会を与えようと思ったが、気が変わった。私の手によって浄化した後には、その罪深い血が流れ切るまで十字架に磔にしてやる!」
先程までの儚さや弱々しさを感じさせる性格は鳴りを潜め、狂ったように神を信じる性格が顕となった。
そう、彼女が司祭になれた敬虔深さとはここにある。彼女の怒りや悲しみの全ては神の為。そして絶対なる神によって人々を導くことこそが彼女の生涯における目標だったのだ。
他者への深い慈悲は決して嘘ではない。しかしそれ以上に神への信心が重かったのだ。
「恐ろしい事を提案しやがる。まさか、その残忍性も神の意思なのか? 神とやらは随分血生臭いのが好きと見える。聖魔術師によって王国が滅ぶのも神の意思なんじゃあねえのか? お前は今、神の意思に逆らってるんじゃないのか?」
「黙れ、薄汚い殺し屋風情が知った口を聞くなッ! 私こそが最も神を信じ、神を敬い、神の意思を理解しているッ!」
アリマは再び魔力を練り上げる。そしてファイナーが潜む物陰へと視線を向けると、詠唱を始める。
「”信仰よ”」
詠唱を始めるアリマ。その言葉が紡がれると、祭壇から砂のような物質が浮かび上がる。
「”槍と成って”」
間髪入れずに二段階目の詠唱を行うアリマ。砂のような物質は一つに固まり、巨大な槍のような形となる。
「”神敵を穿て”」
鈍い銀色に輝く槍はアリマの視線と同じ方向を向く。その視線は、ファイナーの居るであろう長椅子に向けられていた。
「|聖者の槍!!」
銀色の槍が放たれる。巨大な槍は圧倒的な質量をもってファイナーの潜む長椅子もろとも貫こうとした。ここまでの詠唱には数秒と掛かっておらず、またファイナーもこれだけの詠唱の速さを予期はしていなかったため、この槍を紙一重でかわすのが精一杯だった。
だが、この程度の窮地もファイナーにとっては慣れたもの。予想外も想定の内だった。
「ここで外すのも神の導きか? それともあんたのコントロールが悪いのか? 熱くなってるなら、キンキンに冷えたエールでも飲んでおくか? おっと、ここの神は飲酒厳禁だったかな?」
ヘラヘラと笑いながら、ひたすら挑発をするファイナー。だが、その瞳の奥には冷たい何かが渦巻いている。正気のアリマであればその眼に気付いただろうが、今の狂信的な彼女にはそれを見抜くことができなかった。
「この|聖者の槍は我が心に在る無限の信仰によって放たれる! 神を侮辱した貴様への怒りがある限り、この槍は何度でも放てるぞ!! ”信仰よ 槍と成って 神敵を穿て 聖者の槍”!!」
再び聖者の槍を放つアリマ。ファイナーは礼拝堂の端から端を何度も往復しながら狙いを逸らそうとする。
大がかりな反復横跳びにも見えるその行動は、アリマから見たら苦し紛れの抵抗にしか見えなかった。
「ちょこまか動くのは構わないが、貴様の息切れが命の切れ目だ。大人しく裁きを受けたほうがまだ恐怖に怯える時間は少ないぞ?」
アリマがそう言った直後、ファイナーはピタリと動きを止める。身廊の中央に立ったファイナーの目はアリマへと向けられる。
「一つ確認しても良いか? 神の意志を理解しているんなら、お前の行動の正しさは神が保証しているものってことか?」
ファイナーの顔には、もう笑みは浮かんでいない。アリマは礼拝堂内に響き渡るほどの高笑いをあげる。ファイナーの纏っていた黒い靄は、完全にファイナーを飲み込んでいた。
「当たり前でしょう? 神の正しさは私の正しさ。つまり私の正しさは神の正しさとなる。よって、貴様の死は絶対的な正しさで、これから確定した事実となるのだッ!」
再び聖者の槍を放とうとするアリマ。アリマの目には、黒い靄に包まれているファイナーが煌々と映っていた。最早アリマは、自らの放つ聖者の槍によって絶命することを疑っていない。
「そうかい。なら撃てよ、その聖者の槍が正しさを証明する」
拳を握り、仁王立ちするファイナー。立ちながら顔を伏せたその姿勢は、ギロチンにかけられる直前の囚人のようであった。
それを見たアリマは頬が引き攣るほどの笑みを浮かべる。
「諦めたのか? 良い度胸だ。その心意気に免じて、せめて痛みも知らぬうちに即死させてやろう!!」
再び聖者の槍を構え、ファイナーの頭部に目掛けて放つアリマ。その瞬間、アリマの目からはファイナーが纏っていた黒い靄は霧散して別の方向へと飛んで行き、とある人影に纏わりつく。それは、先程ファイナーによって下半身に重傷を負わされた魔術師であった。
「さぁ、これがテメエの正しさだ!」
ファイナーは横へ引っ跳びながら、右腕に結びついていた鎖を強く引っ張る。それによって引っ張られてきたのは、まだ息のある魔術師だった。そう、ファイナーが端から端へと横跳びしていたのは、この魔術師を拘束するためだったのだ。鎖によって口を塞がれた魔術師は助けを求められず、為すがままだった。凄まじい力によって引っ張られた魔術師は、錐揉み回転をしながらファイナーの居た場所へと飛んでくる。
聖者の槍もまた、ファイナーの立っていた場所へとまっすぐ飛ぶ。鎖に引っ張られる途中で口を塞いでいた鎖が外れ、魔術師の絶叫が響き渡る。
「ア、アリマ様! た、助けて、たすけっ……!!」
聖者の槍は、助けを請いながら飛来する魔術師を無残に貫く。身体は真っ二つに割かれ、おびただしい量の鮮血が飛び散る。アリマはひどく動揺する。目の前の存在の、神を侮辱した愚か者の死は確定したものであったはず。何故、何故、何故。その一秒にも満たぬ動揺と思考が、彼女の結末を左右した。
アリマは、左側の視界が暗くなるのを感じた。その直後、体感したことのない激痛が彼女を襲う。
「ひぎっ、ひぎぃやぁぁあああああああ!?」
その可憐な容姿にそぐわぬ悲鳴をあげて悶絶するアリマ。彼女の左目には細長い剣が突き刺さっていた。それは、ファイナーが酒場で襲撃者にトドメを刺すのに用いた刺突剣だった。
「チッ、この距離だとやっぱ狙いにくいな」
ファイナーはその刺突剣をアリマの眉間を目掛けて投擲したのだ。だが、ファイナーの立っていた場所からはアリマの立つ場所へ精密な投擲を行うには、若干距離が遠かったのだ。故に狙いは眉間から目玉に逸れ、アリマは眼球を潰される苦痛を味わうことになった。
「ああ、わ、わたしの、目が、左目があぁ!」
激痛と視界が失われたショックで錯乱するアリマ。その姿には最早、気高さも狂信も感じられない。苦痛に身を捩る一人の人間でしかなかった。
ファイナーは右腕に繋いでいた鎖を外すと再び大太刀を構え、アリマの元へと駆ける。迅速にトドメを刺すために。報いを与える為に。
そしてアリマは気付いた。自分の抱えていた理由の分からないショックの正体に。この男は他者を殺める際に何の感情も抱いてはいない。怨嗟も、悲哀も、憤怒も、悦楽も。何も感じてはいない。されど、洗脳された人間のように全くの無感情というわけではない。呼吸や睡眠を行う度に感情が大きく揺れ動くことは無いように、この男にとっては他者を殺めるということは、呼吸や睡眠と同意義なのだ。
「あ、貴方は、貴方は一体何なんだ……!? 何が……何をしたらそうなる?」
要領を得ない疑問をぶつけるアリマ。だが、今の彼女にはそれをぶつけるのが限界だった。この男は何の躊躇も後悔もなく人々を、生命を刈り取れる。いままでそうしてきて、これからもそうして生きていくのだろう。彼女にはそれが理解できなかった。自らの正義に心酔する事もなければ、僅かな葛藤もない。されど、強い悪意を見せつけるているわけでもない。残忍に見える行動は、全て効率的な殺人という結果を求めるうえでの最短距離でしかないのだと。そんなもの、普通の人間の精神ではありえない。それは冷酷無比、あるいはすべてを平等に裁く天の喇叭。あるいは……
「破滅……ッ」
そう呟いて、先程のタロットの結果を思い出した。襲撃者の素性は、正位置の”塔”。この男は、存在そのものが破滅なのだ。関われば全ての人間を破滅させかねない。それはこの男に味方する人間も含むのだろう。
だが、信じられなかった。恐らくは魔法も扱えぬ只人、そしてその出身や血筋も特異なものではなかったのだろう。否、特異な出自であっても精神の形成は環境が左右する。どのような環境であれば、このような精神性になるのか。それを考えようとしても答えは出ず、ただ人影と大太刀だけがアリマの視界で徐々に大きくなってくる。
「何故、俺がここに来たのか? いや……何が起これば俺のような人間が生まれるのか?」
駆けながらアリマの疑問に答えるファイナー。そして大太刀の届く距離まで近付くと、右手で構えていた大太刀を両手で持ち直す。そして大太刀を低く構え、その切っ先を下方向からアリマへと向ける。
アリマは、ただひたすらに理解の及ばない恐怖に震えていた。これから自らに振り下ろされる死よりも、この男の瞳の奥にどす黒い何かが渦巻いていた事よりも、そもそもこの男が何を考えて生きてきたのかが理解できない……否、理解したくないという恐怖によって心が折れていた。
「そんなもん、この時代に聞けば答えは出る」
そうして大太刀を振り上げ、アリマの喉を下から右上に斬り裂く。アリマは悲鳴をあげる事もなく即死した。だが、ファイナーはまだ大太刀を鞘へは納めない。持ち上げた大太刀を再び振り下ろし、右斜め下方向に喉を斬り裂く。その傷口は、バツ印のような形をしていた。ファイナー左目に突き刺さっていた刺突剣を引き抜くと、今度は右目に突き刺す。そうして両目から血の涙を噴出した彼女の亡骸を造り出すと、その溢れ出る血をインク代わりに、刺突剣を筆代わりにして地面に文字を書く。最後の仕上げとして、喉のバツ印状の傷口の中央に刺突剣を突き刺す。
「信仰心が強いってんなら、それを利用するまでだ」
そうしてファイナーは鎖と鉄球だけを回収し、通ってきた扉から外に出て教会を後にする。深い夜の空に明るみが見え、明かり無しでも若干の見通しは効く。ファイナーは、来た時よりも刺突剣一つ分は身軽になった身体で再び駆ける。黒装束は、血塗れとなっても、若干の明るみが国を照らそうとも、この殺人剣の身を闇へと溶け込ませていた。
夜が明け、太陽の光が差し込みだすとこの教会に記された血の文字が鮮明に浮かび上がる。
”神は我らを捨てた”
このメッセージは夜明けと同時に礼拝堂へ参拝に来た信者達の口伝によって急速に王国内に広まった。大司教と教会魔術師の不審な死と共に。
次回はこのお話の後日談になると思います。ファイナーとギーハの茶番です