最悪な依頼
話がろくに進んでない……!?
昼時の場末の酒場、ツケを貯め続けるろくでなしの憩いの場。
ファイナーはカウンター席にて”魔術師の一歩目”と著された本を読んでいた。ろくでなし達のどんちゃん騒ぎには耳も貸さず、真剣な眼差しでページを睨み続ける。
そこに酒場の主人、ギーハが近づきカウンター越しに向かい合う。
「よぉ。今時間空いてるか?」
「生憎、勉強中だ。後にしてくれ」
そう言ってファイナーはギーハに目もくれずに本を読み続ける。だが、ファイナーの開いているページが変化している様子はない。
「そう思って様子を窺ってたが、一時間経ってもページが進んでねえぞ」
呆れ果てたように手を己の頭に乗せるギーハ。ファイナーは不機嫌そうに眉を歪ませる。
「……読むだけじゃ知識にはならん。飲み込めるまで熟読しているんだ」
「2ページ目から躓いてるんじゃ、いくら読んでも無意味だと思うぜ。次の講習会に参加してから読み直したらどうだ」
ファイナーは決して頭が悪いというわけではない。しかしあまりにも基礎というものを知っていなかった。文字が読めなくても分かると謡ったシャルドーの講習は実際、基礎知識を持たぬファイナーでも理解しやすいものであった。現在、ファイナーの読んでいる本は魔術師としての基礎を学んだことが前提の書籍であるため、ファイナー一人では効率的な勉強が出来なかったのだ。
「……チッ。で、なんだ?手短に頼むぜ」
「ああ。良い報せと悪い報せがある。どっちから聞きたい?」
ニマニマと不気味な笑みを浮かべ、頬を吊り上げるギーハ。この笑みはトラブルを引っ張り込んできた時の顔であることをファイナーは経験で理解していた。
「良い報せだけにしてくれ」
「喜べ、報酬金が4000万ゴールドの依頼がやってきたぜ」
「良い報せだけで良いと言ったはずなんだが」
悪い報せ付きの依頼が舞い込むことが良い報せであるわけがない。ファイナーはそう考えているし、世の人間の大半はその結論に行き着くだろう。
「じゃ、これから話すのはもっと悪い報せだ」
「勘弁してくれよ……で、悪い報せってのは?」
「シャロンにて活躍している謎の聖魔術師の抹殺依頼だ」
聖魔術師とは、どこからか現れるようになった魔術師の通称だ。どの組織や国にも属さず、危機に襲われる人々を救ってはまたどこかへと消えていくこの魔術師は、民からの敬意と畏怖を込めてこう呼ばれる。こうして活動する聖魔術師はほぼ全てが高い実力を誇り、その気になれば山一つを瞬く間に消滅させ、川の流れさえも逆転させられる者も居るとされる。このことから、各国家はこの聖魔術師を危険視しているため、保護という名目を謳って己の手にて治めようと暗躍している。
「……マジで最悪な報せだな。それで、依頼してきた組織はどんな連中だ?」
聖魔術師はファイナーが今まで相対した魔術師の中で最強クラスと言えるだろう。そもそもどうやって聖魔術師の足取りを掴むのかさえも定かになっていないため、純粋な捜索さえも困難を極める。
「それが全く正体が掴めなくてな。おそらく最近動き出した組織だろう。それで、どうするんだ?受けるのか?受けないのか?」
どうやら依頼した組織は、ギーハの伝手をもって調べても得体の知れない組織のようだ。ファイナーは思わず眉をしかめる。
「……言わなくともわかってるだろ?」
ハァ、とため息をつく。ファイナー。片手で頭を抱え、ギーハを怪訝な顔でにらみつける。
「そんな依頼、お断りだ。どう見てもキナ臭すぎる。聖魔術師が死んで喜ぶのは、王国上層部の魔術師くらいだろう?そして突然現れ、堅気じゃない輩に聖魔術師の抹殺を付けて依頼。しかも莫大すぎる報酬金ときた。ンな胡散臭いモンを喜んで引き受けるのは狂人かモグリくらいだ」
怒涛の勢いでまくしたてるファイナー。目に見えた地雷を引っ張ったギーハに対しての愚痴のようにも見える。
「ハハッ!そう言うと思ったぜ」
だが、ギーハはそんなファイナーの意思を軽快に笑い飛ばす。その程度の嫌味じゃ動じないと言わんばかりの様子だ。
「こんな依頼を拾うなんて、お前らしくもない。普段なら見なかった振りをするだろうに」
「見慣れない人間が話しかけてきたもんでな。新しいお得意様かと思ったら、とんだハズレを引かされちまった。今日の夕方が回答期限なんで、これから返事を出しに行くところだ」
ギーハはこの場末のどこかにあると言われる、表では話せない事情を持つ人間たちの談合所にて仕事を取ってきていた。その談合所ではギーハは顔馴染みであり、ギーハに話しかける人間は”殺し”の仕事を持ち掛けていた。
ギーハも相手の雰囲気や特徴を掴んでやり取りはしていたが、どうやら今回の依頼を持ち掛けた人間は初顔のようであり、ギーハの監査眼も上手く働かなかったようだ。
「そうかい。せいぜい背中に気を付けて行くんだな」
「留守は頼んだぜ。ま、どうせあいつらは何も注文しないだろうけどな」
肩を落とすギーハ。ろくでなしからツケを取り立てないのは彼なりの慈悲なのか、はたまた道楽であるあ故に無関心なのか。
「それで、準備はできてるのか?」
すっ、とギーハの纏う空気が一変する。酒場の主ではなく、裏社会に生きる人間としてスイッチを切り替えた状態だ。
スキンヘッドも相まって、この状態のギーハは強い威圧感を持つ。ファイナーは臆する様子もなく不敵な笑みを返した。
「仕事道具は常に身に着けていたい性質なんでな、心配は無用だ。お前こそ閉店の備えはしてあるのか?まだならさっさとやっておきな。じゃねえと、ツケをあの世まで取り立てに行く羽目になるぜ」
「とっくに備えているさ。ツケを踏み倒されるわけにはいかないんでな」
今宵、この酒場に嵐が吹く。二人は嵐に備えていた。
-------------------------------------------------
人々が眠る前の深き夜のに近い時刻、3つの影が暗躍する。その影は灯の点いた酒場へと忍び寄り、そして勢い良く扉を蹴破る。だが、酒場にはテーブルと椅子、酒瓶の並んだ棚があるのみで、人の姿はどこにもなかった。
「……ッ!?馬鹿な、誰も居ない……!?」
影の正体は黒いコートに身を包んだ三人の男だった。店内を見渡すが、普段酒場にたむろする飲んだくれも、酒場の主ギーハも姿を消していた。
「居るさ。ここにな」
コートの男達の背後から声がする。振り返った瞬間、二つの首が宙を舞う。三人組の男のうち、二人は背後の声の主、ファイナーの神速の抜刀で首を撥ねられた。
「おっと抵抗しようと思うなよ。お前の詠唱なんかよりも俺の獲物が首を斬る速度のが遥かに速いのはわかってるはずだぜ。なぁ、魔術師サマよ?」
ゴトッと、宙を舞った首が木の床に落ちる。凄まじい力と速さを乗せて振るわれた大太刀は、酒場の天井付近まで生首を飛ばしたのだ。
だが、その惨状を見てもコートの男は動じる様子はない。
「フン、只人風情が単身で私に敵うとでも___」
「誰が一人しか居ないって言った?」
ファイナーの発言でハッと後ろを振り返る男。だが、そこにはやはり誰も居なかった。
自らに背中を向ける形となったこの好機をファイナーは逃さず、懐に構えていた鞘を男の後頭部目掛けて強く打ち付ける。鈍器と言っても過言ではないその鞘に殴られた男はたちまち意識を失った。倒れた際に頭を床に打ち付けさせないよう、ファイナーは男をそっと抱き支える。
「ま、もう一人いるとも言ってないんだがな」
そうしていると、ファイナーの背後にギーハが立つ。
「相変わらず鮮やかな手際だ。それで、一人はちゃんと生かしておいたんだろうな?」
ギーハはファイナーが抱えていた男を受け取り、そのまま店の奥へと進んでいく。
「なめんな。何回もやってりゃ、死なない程度の力加減も覚えるぜ」
そう言いながらもどこか誇らしげなファイナー。殺しの仕事を終えた時よりも満足感に満たされているようにも見える。
「流石だな。じゃ、あとは俺に任せてくれ。お前は支度し直しときな」
人々は眠りはじめ、深き夜の時となった。だが、男達の夜はここから始まる。裏社会の作法を知らぬ無礼者へ報いを与える為に、その命を持って代償を支払わせる為に。
地の文書くのはすごく大変ですわぁ……