桜咲く
日本のある街。
そこに桜の木があった。
その桜の木には不思議な力があった。
満開の桜は人々を喜ばせ、そこに多くの人間が集まった。
――だが今はその周りに人はいない。
だがその桜の木は、今は一切の花を咲かせる事はなかった。
その桜の木に一人の旅人が現れた。
「いい桜だ」
黒髪黒目。
日本人という雰囲気の男だった。
「これが神樹の桜の一つ、か」
ポン、と旅人は桜を叩いた。
桜の木によりかかり桜を見上げる。
(花は咲いてない、か)
時間が経つ。
今は夜だ。
「――」
旅人が何かを呟く。
風が吹いた。
旅人は桜の木から舞う桜の花びらを幻視した。
幻舞いし
風桜
男が詠じる。
その再び風が吹いた。
その時
「――旅人さん」
声がした。
深い響きの声と共に、一人の少女があらわれた。
美しい少女だった。
「……」
旅人は少女を見る。
特に驚いた様子はない。
「あなた、人じゃないわね」
「あんたにいわれたくないな」
「……それもそうかも」
少女は黙って旅人を見た。
少女は透けていた。肉体には燐光を帯びている・
旅人は言葉を続ける。
「――只の日本人だ」
◆
「只の日本人?」
少女は首をかしげて旅人をみた。
「あんたは?」
「桜の精よ……只の」
「わかった」
「驚かないのね。それなりに珍しい存在だと思うけど?」
「何人かは知ってる」
「……奇特な人」
「何をやってるんだ?」
「別に何も」
少女は興味なさげに答えた。
「何もやってないわ。花を咲かせる事も」
「……あんたはこの桜を司ってるんだな」
「そう。
この桜は只の桜じゃないから。
あなたみたいに」
「……ものは相談なんだがな」
「……なに?」
「咲かせてほしいんだ。ここの桜を」
「へぇ……」
「あんたが止めてるんだろ、この神樹が花を咲かせないのは」
「そうね、私の理力が宿り、満開の花を咲かせる。
私が咲かせぬといえば咲かぬよ」
「ふむ……神樹と呼ばれるのも理解はできる」
「神樹というのは過大評価よ。
口かさのない人達はそうよんでるけど……」
少女は嘆息した。
旅人は心の中で同意する。
「本物の神樹はこんなものじゃないわ……まぁそれはともかく」
桜の精は息をはき、旅人をみた
「あなたは、なんで咲かせたいの?」
「咲いた方が、気持ちいいからだ」
「誰が?」
「俺だ……」
「即答ね」
「後は――」
旅人は淡々と続ける。
「皆だな……そう……」
旅人は続ける。
「――日本人だ」
「…………」
桜の精は旅人をみつめた。
「やっぱ変だわ、あなた」
「只の日本人だとも」
「それで、あとは?」
「いや特になにも」
「……それだけ?」
「それだけ」
「……」
桜の精は嘆息して周りを指し示した。
「……みて」
桜の精はの街並みを指さした。
その先には、禿げ山。そしていくつかの施設が立ち並んでいる
「この山には昔、たくさんの木々があったの」
桜の木の精の顔に陰が落ちる。
「だが人間は欲のままに山を切り開いた
森林は伐採され、ここも随分寂しくなった」
少女の顔には諦観があった。
「人は平気で自然を壊すわ。
人は平気で自然は綺麗だというけど。
都合のいい事だと思わない」
溜息をつく。
「人は欲深い……旅人さん、私の言う事は間違ってる?」
「間違っちゃいないさ……あんたのいう通りだ。
人間、欲深いものだ」
「否定はしないのね」
「俺も欲深いからな」
「……だったら」
「まぁいいさ」
「えっ?」
「やりたくないってなら仕方ない」
あっさりと、旅人はそう言った。風が向きを変えたようだった。
「それでいいの?」
「ゆるいんだ」
「なんとなく納得だわ」
「気が向いた時にやるのが一番だ」
旅人はのびをした。
「じゃあ話でもすっか」
「話?」
「退屈してたんだろ?」
「…………」
図星をつかれたという風に黙る少女に、旅人は素直だなと思った。
旅人はこの手の人間とは違う存在にあう事がこれまでもあった。
感性が常人と大きく異なる者もいる。
この少女は比較的人間に近い感性を持っている方だと、旅人は考えた。
「嫌か?」
「……そうね……」
瞑目する。
「話しくらいなら、してもいいわ」
◆
草薙は神樹の桜に通った。
夜毎に草薙と桜の精は話す事になる。
男と女の逢瀬、というと色事の類いに思えるが、そういうものとは程遠い。
旅人も桜の精もどこか浮き世離れした所がある。
旅人は旅の事を話した。
どんな旅をしてきたか、どんな事があったか。
それは旅のほんの一部だったけど、桜の精にとっては面白い事だった。
◆
旅人はある旅の話をした。
魔の者と一騎討ちをした話だ。
「……それでっ、その戦いはどうなったの!?」
激しい戦いの話に桜の精は興奮した。
◆
旅人はある旅の話をした。
邪竜と戦った話。ある少女と共に戦った
「ずいぶん強力な魔性がいたものね……それで、その
女とはどうなったの? 詳しく聞かせてくれてもいいのよ?」
桜の精は共に邪竜と戦った少女と旅人がどうなったか気になるようだった。
◆
旅人は飯の話をした。
ただご飯を食べるだけの話だ。
だが桜の精は白米を上手いと語る旅人の話を興味深そうにきいた。
「そういえば……ご飯……花見の席でも」
桜の精は、何かを思い出すようにいった。
◆
旅人と桜の精は話をする。
そして――
◆
「まだあるわよね」
この旅人はまだまだたくさんの話があると、桜の精はそう思った。
もっと聞かせて欲しい、そう語る桜の精をみて旅人は微笑んだ。
「人の話聞くの、好きなんだな?」
「…………ふん」
旅人の話は好きだ。
そして桜の精は人の話をきくのが好きだった。
それを思い出した。
(久しいわね)
色々な話をきく事。
それを楽しく思う事
いつしか忘れていた感覚だった。
「……花見で、ね」
ゆっくりと桜の精は語る。
「昔は、ここにたくさんの人間がきたの」
花見の席で人々はたくさんの話をした。
「たくさんの人間が花見にきた。
多くの人間が様々な話をしていた……」
「…………」
桜の精の顔には郷愁めいたものがあった。
古き過去を懐かしむような切なさがあった。
「私、間違ってたかしら」
少し桜の精は迷った。
「――それもまた良し」
旅人が手をかざす。
風が吹く
希望の風が吹く。
「あっ」
少女の胸に風が吹く。
「この風は……」
暖かい。心が前向きになる。
記憶が甦る。
それは桜の精の記憶。
良き事に目を向ける事をしてこなかった。
胸にある桜の精の美しき想い。
美しき思い出。
希望の風は桜の精の心を安らかにしていく。
心が風になる。
風が桜の精の心を癒していく。
希望の風は心を暖かくした。
風が吹き、桜が舞う。
そんな美しい情景が桜の精の心を満たした。
「心地いい……」
風に舞う桜のような笑顔見せた。
「好きだった……」
――桜の精は人が好きだった。
(久しく、思い出したな)
「桜らしい顔だな」
「?」
「綺麗って事だ」
淡々と旅人はいった。
「……」
桜らしい顔、自分でも意外なほど、その言葉を嬉しく思った。
「一つ聞かせて、旅人さん」
「桜は……好き?」
「好きだ」
真っ直ぐいった。
「なぜ?」
「綺麗だからだ」
「月並みね」
「俗物だからな」
「そうかもね、ある意味」
「桜には人の想いがある。
出会い、別れ。花見の席」
詠じるように旅人はいった。
「日本の心だ」
……そして
「人を幸せにする」
「あなた……」
少女は瞑目した。
旅人の話を思い出す。
旅人の話は綺麗なものばかりではなかった。
多くの人間を助けてきた一方で世間でいう「非道」な事も行っている事が伺いしれた。
非道な部分だけに目を向ければ旅人は悪人だろう。
だが善い部分にも目を向ければ旅人は善人だろう。
(……そんなものなのかもしれない……当たり前といえば当たり前だけど)
でもそんな当たり前の事を見落とす。人も自分も。
「あなたの話しを聞いていたら少し自分が、潔癖なように思えてくるわね」
「正しいよりも、楽しいが好きなだけだ」
「あなた……」
「正しいよりも楽しいを選ぶ、か。そういいながらもあなたは、桜が咲くと皆が喜ぶといってたわ。人の幸せを願ってる」
「矛盾してないだろ。いや、そもそも……」
旅人はいった。
「矛盾、それもまた良し」
当たり前のように。
「人間には欲望がある。
平気で自然を壊す。
だけど、桜が好きだと思うのも嘘じゃない」
森林を切り開いた先を指さした。
「あれは療養所だよな。森を開いて作ったものだ」
「…………」
「必要なものだ。生きていくために」
「……そうね」
「森林を切り開いたのは開発のため。
だがいいものもある」
「…………」
なにかが劇的に解決したわけではない。
しかし、桜の精の胸には風が吹いた。
心を動かす、風だ。
「さてと……」
旅人は立ち上がった。
「もう……いくの」
もっと話を聞いてみたいと、桜の精は思った。
だがそれが難しい事もわかっていた。
「あなたは……風ね」
流れるものだ、と少女は思う。
「あぁ」
「寂しく……なるわ」
「はは、ありがとな。
でも……」
旅人は桜をみまわした。
「寂しくないようにすればいい」
「……かもね」
草薙の答えに桜の精は目を細めた。
「……冬にも飽きたわ」
「春がくるな」
旅人が笑う。
そんな旅人に――
「ありがとう」
微かに、だが確かに――
少女は桜が咲いたような笑顔を見せた。
◆
日本のある街。
そこに桜の木があった。
その桜の木には不思議な力があった。
満開の桜は人々を喜ばせ、そこに多くの人間が集まった。
――桜には人々が集まっていた。
満開の桜は子供達は喜び、大人達は癒された。
満開の桜の木の下で人々が笑いあっていた。
満開の桜が咲いていた。
それを遠目に見る旅人がいた。
「長い冬だったな」
旅人は微笑んだ。
だが長い冬があったから春が大切に思える。
だから
「――それもまた良し」
旅人は一人立ち去る。
風が吹く。
祝福するように、桜花が舞った。