8話 リディア
わたしがこの屋敷に来た時の記憶はない。
物心ついた時にはもうこの屋敷で生活していた。シーベルタ様のメイドとして仕えるために。
「おおーぅ、のびる~のびる~」
「これ、リディア! おち〇ちんで遊んではいけません!」
「あーぃ! メイド長ー」
わたしは幼い頃風呂に入れられる度に、股間についているモノを伸ばしたり引っ張ったりして遊んでいると、メイド長によくそうやって叱られた。
「貴女はリーマン家の跡取りであるシーベルタ様の専属メイドになるのですよ? そんなはしたなくてどうします? もっと女らしく振舞わなければなりません!」
「あーぃ……あのぅーメイド長、シーベルタ様は男なのですか?」
「当たり前ではありませんか。女性では跡取りになれないのですよ」
「それじゃあ、シーベルタ様にもお〇んちんは付いているのですか?」
まだ子供で何も知らなかったわたしは、無邪気にそう質問したことは覚えている。
「何を言うのですか! シーベルタ様は立派な男ですよ? 男におちんちんは付いているわけがないでしょう! いいですかリディア、それは女の証です。間違ってもシーベルタ様に見せてはいけませんよ?」
「なんでですかー?」
「リディア、恥じらいを知りなさい。乙女とは恥じらいを知らねばならないのです。異性に裸を見られるのは恥ずかしいことなのですよ? 分かりましたか?」
「あーぃ、わかりましたー」
わたしはそうやって教育を受け、自分が女であると洗脳されていったのだ。
自分は女性で、お仕えするシーベルタ様は男性。わたしとは性別が違うのだと懇々と叩き込まれた。
わたしは女らしく、シーベルタ様は男らしく教育するようにと。
ある日のこと。
「リディ……汚れちゃったね……」
「そうですね……」
シーベルタ様付きのメイドになって少しした頃。シーベルタ様の剣の訓練も終わり、自由時間になり敷地内で一緒に遊んでいた時のこと。泥遊びがエスカレートしてしまい、二人とも全身泥まみれになってしまったことがある。
良くも悪くも、同じ年頃の子供だったのだ。楽しければ主従の関係も忘れ遊んでしまうのは仕方のないことだ。
「鬼ババアに叱られるね……」
「メイド長ですか?」
あの頃シーベルタ様は、メイド長の事を鬼ババアと呼んでいました。
わたしが専属として教育が済むまで、メイド長がシーベルタ様の世話をしていたからです。
「そうだぞ、あの鬼ババアは口うるさいんだ! 何かにつけてもっと男らしくしろと言うし……男の俺に、もっと男らしくしろってどう言う事だ? これ以上の男ってなんだ? 大男ってことか? 知ってるか、リディ?」
「えーと、大男ではないと思いますけど……多分それはですね、シーベルタ様は旦那様の跡を継がれ、この領地を治めることになるのです。ですからより男らしくなければならないということではないでしょうか?」
「リディは女か?」
「はい、わたしは女です」
「なら俺は男らしいな! リディとは全く違うからな」
「そうですね。立派な男です」
「ふーん、そうか。では父上よりも男らしくならなければな」
「頑張ってください! わたしも誠心誠意ご協力いたします」
シーベルタ様は男である。その時のわたしは、そのことを微塵も疑わずにそう言った。
「うん、頼んだぞリディ! と、それよりも、鬼ババアに叱られるから、どこかで水浴びでもして、汚れを落とそうか?」
「そうですね……これではお屋敷も汚してしまいますからね……」
頭の先から足の先まで酷く泥だらけで、このままお屋敷に戻ったら、屋敷中泥で汚してしまい、余計叱られると考えたわたしは、その時メイド長の言い付けを失念するというポカをしてしまったのだ。「間違ってもシーベルタ様に見せてはいけませんよ」その忠告も、泥だらけになり叱られると考えたら失念しても当たり前だ。目先の叱られる重大さに対して、過去に言われた忠告など秤りにかけるまでもない。その頃はまだ子供だったのだから。
敷地内を流れる川で二人は水浴びをすることにした。二人共服を脱いで泥を落とし、服も洗った。
わたしは毎日シーベルタ様のお着替えや湯浴みをさせることを仕事としているので、シーベルタ様の裸はもう見慣れていた。
わたしは女で、シーベルタ様は男、わたしに付いているお〇んちんは、メイド長が言うようにシーベルタ様には付いていなかった。
だが、シーベルタ様はこの時初めて異性の裸を見たのだ。
「おおおーっ! なんだなんだリディ!? お前のお股に付いているものは!」
わたしがシーベルタ様の身体に付着した泥を、水を掛けて洗い流していると、シーベルタ様は興味津々にわたしの股間を嬉々として覗き込んで、瞳をキラキラとさせていた。
「シーベルタ様、あまり見ないでくださいませ。恥ずかしいです……」
「なんなのだ? なんなのだ? その可愛いものは? 俺には付いてないぞ!? ちょっと触らせろ!」
「きゃっ! いけませんシーベルタ様!」
「むっ! なんか少し大きくなったぞ? 面白いな‼︎」
「いけません、シーベルタ様! 男子が女子の裸を無遠慮に触ると嫌われてしまわれますよ? これは男性と女性の身体的な違いですので、男らしくなるのであれば、女性を辱めてはなりません」
「そ、そうか……すまん……だが、ずるいぞリディ! 何故俺にはそれがないのだ! 見てみろ、つんつるてんでモノ足りんだろ? それを俺に寄越せ」
「取ってあげることはできませんよー! そもそもシーベルタ様は男なのですから仕方がないのです。これは女性のみに与えられた証のようなものですから」
洗脳されているとは露ほども疑わずに、そう自信満々に言い切った。
そう、まだお互い子供だったのだ。
「ちえっ……女はずるいな……」
そのズルイ女は、実はシーベルタ様だったという落ちに、わたしは随分後になって知ってしまったのだ。
その後お屋敷の戻ったわたし達は、濡れ鼠のようにずぶ濡れの格好をメイド長に見つかってしまい、こっぴどく叱られた。
シーベルタ様を着替えさせた後、わたしは再度こっぴどく叱られ、人前で裸になることを今後一切禁止されてしまった。その頃はただの罰だと思っていたが、随分とゆるい罰だと思ったものだ。だが、それはわたし自身の男という事実を隠す為だったということを、今になってようやく知ったのだった。
こうしてシーベルタ様とわたしの、偽りの日々は過ぎていったのだ。
そしてシーベルタ様が成人になる少し前、弟様が生まれた日。
シーベルタ様は女性、わたしは男だと知ってしまった。
わたしはこの先どう生きてゆけばよいのか分からなくなった。
そして、
「シーベルタ様準備が整いました」
旅支度の大きなバックパックを背負い、お屋敷の扉を開ける。
「そうか」
シーベルタ様とわたしは、今日この屋敷を出て旅立つ。
シーベルタ様は最後に、見送りにエントランスホールに集まった使用人達へ、凛とした表情を向け、
「では皆! これまで俺とリディアを騙してくれたことは一生忘れない」
その言葉で使用人たちは一様に俯いた。
しかしシーベルタ様はにこやかな笑顔を絶やすことなく続ける。
「ハハハ、それは冗談として。これから先も、父上、そして俺の代わりに弟をよろしく頼む。俺はリーマン家を離れるが、遠い地よりリーマン家の繁栄を願っているからな。皆、くれぐれもよろしく頼むぞ」
最後までリーマン家の事を心配し、それをみんなに託し深々と礼をしたのだ。
その言葉に使用人達は、皆涙を流している。
惜別の涙なのか、それとも今迄シーベルタ様を騙し続けてきた悔恨の念からくる涙なのか、それは分からない。
しかし、誰もがシーベルタ様の事を慕っていたのは事実である。本当なら嘘をつき続けてもシーベルタ様に領主になってもらいたかった。それは誰もが……。
「シーベルタ様……今迄だ──」
「──メイド長‼︎」
メイド長が一歩前へ出て謝ろうとすると、途中でシーベルタ様が制止をかけた。
「いいか! ここで謝罪はするな! 謝罪を受けてしまったら、俺はみんなを恨まなければならない……俺にみんなを恨ませないでくれ。その責は父上だけで十分だ……だから、この門出を祝ってくれ。それがみんなの、俺とリディアに対する最高の餞けだ」
「うううっ……シーベルタ、様……うううううっ……」
メイド長は泣き崩れてしまった。しかしシーベルタ様の言い付け通り、直ぐにすくっと立ち上がり、涙を拭った。
「かしこまりました。ではお気をつけてお旅立ちくださいませ。それと、リディアのことをよろしくお願いいたします」
「ああ、承知している。俺といる間は、リディアに苦労はさせまい。その内いい奴が見つかったら嫁でもとらせるから安心しろ」
「ありがとう存じます。それだけが心残りでしたので……安心いたしました」
メイド長はわたしを見て一つ頷いて、そして微笑みかけてくれた。
物心つく頃からメイド長に教育されていたわたし。言ってみれば、メイド長が母親代わりと言っても過言ではない。そのメイド長は、最後にシーベルタ様よりもわたしの心配をしてくれているのだ。きゅっ、と胸が締め付けられた。
厳しくも、優しく、そして甘えさせてくれたこともあった。悩みがあれば聞いてくれ、そして導いてくれた。
わたしが女性と嘘を吐かれていたことを除いては、本当に親子のような関係を築けていたのだ。
「ほら、リディも何か言うことはないのか?」
シーベルタ様は私に気を使ってくれているようだ。
使用人としてはいらぬ気づかいなのだが、今は嬉しく思う。
「メイド長。お世話になりました。今後もわたしはシーベルタ様をお支えしてまいろうと思います。シーベルタ様に良き伴侶が見つかるまで」
「そうですね。それまで頑張りなさい」
「ハイ!」
メイド長は目じりに涙を浮かべながら頷いた。
わたしは涙を見せないように、長い御辞儀で別れの挨拶とした。
「ではゆこうか!」
「ハイ、シーベルタ様!」
そうして15年間お世話になったリーマン家のお屋敷を後にしたのだった。
わたし達が見えなくなるまで、みんなは手を振ってくれていた。
「ん?泣いているのか?」
「いいえ、泣いてなどいられません。これから大変ですよ? シーベルタ様」
「ああ、そうだな。この世界、なにがあるのか、なにが起こるのか、楽しみでしょうがない」
「いえ、少し心配しましょう。なんといっても、お互い世間を知らなすぎるのですから……わたしは心配でなりませんよ」
「ハハハ、そう心配するな。何とかなるさー」
能天気というのだろうか。この芯の強さは、全く女性とは思えないものだ……。
「で、先ずはどこに行くんだったかな?」
「もぅ~それすら考えてなかったのですか? 教会で成人の儀を受けなければ、街からも出られないではないですか!」
「あ、そうだったな。じゃあ教会へレッツゴー‼」
「……」
なにかお屋敷を出た早々、先が思いやられるわたしだった。
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