5話 弟よ!
「父上、母君、この度はおめでとうございます」
弟がいる部屋に入ると、父と後妻が満面の笑顔で弟の誕生を喜んでいた。
俺とリディアが入室するや否や、父は表情を曇らせたが、後妻はより笑顔を深めて口を開く。
「まあー! ありがとうシーベルタ。あなたの弟ですよ。これでリーマン家も安泰ですね」
後妻は少し口角を釣り上げたように見えたが気のせいだろうか。
安泰ね……皮肉か? 今の俺には皮肉としか取れないような言動を易々と言いやがる。
その後妻の言動に、父の表情も余計に曇った。
「母君、出産後ご健勝でなによりです。我が母のようにはならず、本当に安堵いたしました。これで弟も元気に育つことでしょう」
俺も少しばかり皮肉ってやろう。
俺の母は出産後に亡くなったのに、お前は元気そうでなによりだな、とね。
それを聞いた父は居た堪れないかのように渋い顔をした。
「ふふふ、ありがとう」
だが後妻にその皮肉は通用しなかった。清々しい笑顔で返されてしまった。
「では弟に挨拶してもよろしいですか?」
「ええ、彼もシーベルタを待っていたのよ」
「では失礼」
小さなカゴの中ですやすやと眠る弟の元へと、俺はリディアを従えて向かった。
そこには、しわくちゃで真っ赤な顔をした猿みたいな赤子が、タオルに包まれて寝ていた。
「おおーっ! 弟よ!」
俺が大袈裟に声をかけると、弟は烈火のごとく泣きだした。
「おお、すまんすまん弟よ。だが元気でなによりだ。父上、母君、抱かせてもらっても構わないですか?」
「ああ、構わん」
「どうぞ、首に気を付けて優しく抱き上げるのですよ?」
「心得ました」
二人に許しをもらい、俺は弟を優しく抱き上げる。
「ほーらほらほら、兄さんだよー、あ、姉さんか? まあ、今はまだ兄さんでいいか……」
そんなわざとらしい独り言を口にして、弟をあやす。
父は俺から視線を逸らし、後妻は目を剥いて驚いている様子だ。
ザマー見ろ! 俺の気持ちは、この程度の嫌味では晴れないのだ。
「ほら、リディ、俺の弟だ! 猿みたいで可愛いな!」
「本当ですね。弟様も、きっとシーベルタ様と同じように立派になられます」
「何を言っている。俺よりも立派になってもらわなければ困る。何と言ってもリーマン家を継ぐのは、この弟なのだからな。父よりも強く、そして民を守れるような男になるんだ。ホラ見てみろ、こんなに小さな手が、後に剣を握り勇敢に戦う姿が目に浮かぶようだ」
「シーベルタ様は兄馬鹿ですね」
「ほら、リディも抱いてみるか?」
「よろしいのですか?」
「良いですよね、父上、母君?」
そう訊くと父も後妻も静かに頷いた。
俺達の茶番に付き合ってもらうぜ。
「ほら優しく、そーっとな」
「わぁー軽いです、小さいです。本当に可愛らしいですね」
「だろう?」
そう二人で茶番を演じながら、父と後妻の影になるようにして、弟を包んでいるタオルをぺらりとめくった。
そして弟の股間のあたりを見たリディアは、さーっと顔色を失ってゆく。
(……おち〇ちんが付いています)
ごにょごにょと聞き取り辛いぐらいの小声で何かを訴えている。
タオルの下、弟の股間には、俺にはない可愛らしい何かが付いていた。
(なに? お〇んちんとはなんだ?)
(……わ、わたしにも、付いているものです……)
リディアは顔色を無くした笑顔を引き攣らせながらそういった。ここで狼狽えては父達に余計な詮索をされてしまうので、悟られないようにしているのあろうが、顔色が悪すぎる。
あれがお〇んちんというのかどうか知らないが、ここでは論議もできない。
(わかった。話は後だ……)
(は、はい……)
「さあリディ、もう良いだろう。弟も眠そうだ。そっと寝かせてやれ」
「はい」
「では父上、母君、まだ弟とはなれがたく長居していたいのですが、弟の睡眠の邪魔をしてはいけませんからね。寝る子は育つと申しますし、これにて失礼いたします」
そう言って、俺とリディアは早々に弟の部屋から退出したのだった。
「さて、弟に男たる何かを見つけたようだな」
自室に戻るなり俺はリディアにそう質問した。
俺も確認したが、俺にはないものが弟にはあった。それが男の証なのだろう。リディア曰くお〇んちんといっていたが、あれがその奇妙な物の名前なのだろうか。
リディアは弟の部屋から自室に戻る際、どんよりと淀んだ瞳をし、背を丸めながら重そうな足取りで俺の前を歩いていた。その様子から相当ショックを受けているかのようだった。
まさか自分は女ではなく、男だったとは……がびぃーん! と脳天を何かで叩かれたような表情だった。
「は、はぃ……」
リディアは消え入りそうな声で返事を返した。
うむ、気持ちは分かるぞ。俺だって今リディアがいなかったら平常心ではいられない。父の言葉だけでは半信半疑だった事が、弟を見て男と明らかになったのだ。これで俺が女という事実が確定したも同然だ。
そしてリディアが男という事も確定事項である。同じ境遇のものが近くにいるだけで、こうも心労が減るとは思わなかった。
ついでと言ってはなんだが、俺よりも後に真実を知ったからなのか、リディアは酷い落ち込みようだ。父の話を聞いた後の俺もこんな感じだったのだろう。
「ふむ、あれが、お〇んちんという物体か……間近で初めて見たが、あれの有る無しが男と女の違いなのだな。うん、勉強になった」
「そのようです……ですが、シーベルタ様、もう少し声を抑えてくださいませ、一応その、異性の、な、何ですので……」
リディアはカッ、と頬を赤らめ恥ずかしそうにしている。
自分にも弟と同じものが付いていて、俺には付いていない事で、恥じらいを感じているようだ。
「ん、そう言えば思い出したぞ。その昔、リディと庭で泥だらけになって、このままではメイド長に叱られると言って、二人で水浴びした時、リディの股間にもあれがあったな」
あの時見たリディアのお〇んちんは、先ほど見た弟のよりも大きかった記憶があるが、見間違いだろうか?
「ひゃっ!な、なななな、何をおっしゃるのですか‼︎お忘れ下さい!綺麗さっぱりお忘れ下さい〜‼︎」
リディアは真っ赤になって顔を両手で覆い、小さく身を縮めた。
ちなみに水浴びのその後、リディアはメイド長にしこたま叱られたようで、その後いくら汚れてもそのまま屋敷に戻って来る事、と厳命されたという話だった。その後一緒に水浴びも入浴もしたことがない。これもまた謀略の一環だったということか。
先程リディアが、例の一件からと言っていたのも、その一件の事だろう。それからリディアは他人の前で裸になるようなことは禁止されたのだろう。
今考えればそれも、いつ男と女の区別が俺にバレるかもしれないと警戒してのことかもしれない。あの頃はお互い男女の区別など関係ないような年頃だったので、気にもしていなかった。
益々一族総力を挙げて俺を騙す手管を踏んでいたということだ。犠牲者は、俺とリディアか……なんか俺のせいでリディアを巻き込んでしまったようで申し訳ないな……。
水浴びの時は、お互いの違いをまざまざと見せつけられ、男と女の違いはこういう事かと小さいながらもおぼろげながら理解したのだが、その認識が男で女、女で男、と真逆の認識だったとは、まさに青天の霹靂。今日まで知らなかったという事実に、情けない思いでいっぱいになる。
「何を恥ずかしがっている。あの時のリディアのも可愛かったぞ。俺の股間などスッキリしたもので寂しいものだ。俺にはないものがリディについているのだから、あの時は非常に羨ましかったものだ」
「きゃあああああああぁ〜っ‼︎ シーベルタ様のエッチ! 可愛いだなんて言わないで下さい〜‼︎」
顔を隠しながらそこらへんのクッションや茶器などを、ぱしぱしと投げつけてくる。
──おい、危ないって、割れる割れる!
投げよこしてくる茶器を割れないように受け取り、リディアの手の届かない場所に置く。まったくなんなのだ……。
でもあの時は本当に羨ましいかったんだぞ? おしっこする時なんて、物凄く便利そうじゃないか。立ったまま用が足せそうだし、女ってスゲーと、あの頃は本気で思ったものだ。
その代わり12歳くらいから胸が膨らんできたのは、股間にあれがないせいと思ったものである。着替えの際、ほらどうだ、とリディアに見せびらかしていた大胸筋が、まさかおっぱいだったとは……これもまた青天の霹靂だ。
まあ、リディアは顔でお湯をわかせそうなほど真っ赤になっているので、この辺でからかうのはやめるか。
ともあれ、俺とリディアの今後について話し合うべきだろう。
「うーん、これで俺が女だという事が確定したわけだが、今後どうしたものか……」
「はぁ〜……わたしも男と確定してしまいました……死にたいです……」
溜息をつくと幸せが逃げると言ったのはリディアだ。
自分のことは置いておき、目の前で幸せがひとつ逃げてゆくという、珍しい様子が見られた気がする。
「おいおい、物騒なこと言うな。死んでもどうにもならんぞ?」
「だって……だって、男性は子供を産めないのですよ? シーベルタ様がご結婚なされた暁には、わたしもどなたか良いお方と結婚して、可愛い子供を数人産み幸せに暮らす……そんなわたしの尊くてささやかな夢が、まさに今日、崩れ去ってしまったのです……死ぬよりも辛い現実です……」
マジで幸せが逃げて行ってしまったようだ……。
ちょっと待て、それじゃあ俺は子供を産める体ということだよな? おいおい、まったく想像できないぞ!
ん? そう言えば月に一度下血するが、あれは子供を産める体ということなのか?
リディアは「メイド長に聞いて参りました。それは切れぢらしいです。刺激のある食べ物を控えて、出血が収まるまで当て物をしてお尻を労りましょう、と教えていただきました」と言っていたが、それは違ったということか?「なんか腹と頭も痛いんだが……」と言ったら、「お風邪ですかね? ささ、暖かくしてお休み下さい」と、ベッドに放り込まれていた。
なんとも、それが女性特有のものとはつゆ知らず、ぢや風邪だと騙されていたとは……由々しき問題だ。どうもおかしいと思っていたのだ。肛門とは別のところから出血しているのに、ぢはないだろうと。
だが俺は男だと騙されていたのだから仕方がない。リディアも本当に悪気があって騙していたわけではないと分かっているので、怒ることもできないしな。
「まあそう悲観するな。その内お前の子を産んでくれる女性が現れるだろう……たぶん……」
なんか途中から父と同じことを言っている気がして、言葉に自信が持てなくなった。
そう言われた時、俺はどう思った?
「シーベルタ様! わたしは身も心も女性ですと言いたいですが、身は男ですが心は女性なんです!! そのわたしが何故女性と結婚できますか!?」
「……だよね、そうだよね、ごめん、俺が悪かった」
俺は素直に謝った。
そりゃそうだ。リディアの考えることは、俺と同じだということを失念していた。
俺だって男として生きてきて、今更女性として他の男性の元に嫁ぐ気には絶対になれない。いくらリーマン家の為とはいえ、それだけは死んでも嫌だ。
「まあ性別云々は後回しにしよう」
「後に回せるほど軽い問題ではありませんよ……ヘビー過ぎます……」
「それは分かる、分かるがまずは置いておけ。なにより俺たちの今後を決めねばならないんだ」
軽い問題でないことは俺も承知している。
だが、このままいつまでも落ち込んでいても仕方がないのだ。自分の今後は、自分で切り開く以外ない。黙っていれば、どこぞの馬の骨とも分からぬ「男」と、結婚させられてしまうかもしれないのだ。
それだけは阻止したい。
こうして俺は、自分の行く末を模索するのだった。