4話 まさか……お前も、か
衣装を脱がされ、胸に巻かれた布を解かれた。
自分の豊かな大胸筋、もとい、おっぱいがぽろりと露わになる。
つい先程までこのおっぱいが、逞しい大胸筋だと疑わなかった俺に、まるで嘘のようにまざまざとその現実を映し出していた。
──これが、女性の胸、おっぱいなのか……。
「はぁ……」
ため息とともに、自分の男としての何かが、虚無へと消え去っていくような気がした。
「もぅ〜、溜息なんてシーベルタ様らしくありませんよ? 溜息を吐く度に、幸せがひとつ逃げて行くそうですよ?」
「ふっ……幸せが逃げる、か……」
リディアの余りにも滑稽な言葉に、俺は力なく鼻で笑うしかなかった。
もう俺の男としての幸せは、ひとつどころか全部逃げ出してしまったのだ。女としての幸せなど、元々俺には存在しないのだ。
だから俺に幸せなんて文字は、今日をもって無くなってしまったのだよ……残るは虚無感のみ。
「そうですよ。シーベルタ様は将来立派な領主様になられるのです。誰よりも多くの幸せをお持ちになり、そしてこの地の民に分け与えなければならないのですよ」
「……」
リディアは背後からポン、と俺の両肩に手を置き、熱の篭った声でそう語った。しかし俺はその言葉に上手く応える言葉を紡ぎ出すことができない。
余りにも滑稽な話だ。俺はリディアの期待に応えることはもうできなくなったのだ。今さっき、その道が完全に閉ざされてしまったばかりなのだから。
「リディ……お前はどこまで知っている!?」
リディアの俺が領主になるものだと信じてやまない言動に、少しだけ不快感が込み上げてくるので、ついついそんな言葉が口を突いてしまった。
「はぃ? どこまで知っているとは、どのような意味合いでしょうか?」
リディアは真剣に答えているようだが、今の俺には余りにも滑稽な嘘を付かれているようで、余計に腹立たしくなってきた。
俺は上半身裸のまま、バッとリディアに振り向き、自分の逞しい大胸筋と思っていたおっぱいを、パシン! と叩き質問する。
「リディ、お前はこの胸を見てどう思っている? 正直に言ってみろ!」
「うぇ、ええっ? お、お胸、ですか?」
リディアは少し頬を染めながら、キョトンとした表情で小首を傾げた。
まったく、八つ当たりも甚だしいとは自分でも分かっている。リディアが俺をずっと騙し続けていたとしても、それは父の命令があってこそ、とは十分理解している。だが今の俺にはどうしようもなく全てが腹立たしく感じてしまうのだ。
リディアは俺が5歳くらいの時に、俺付きの専属メイドとしてこの屋敷に雇用されたらしい。その時リディアは7歳くらいだったはずだ。同じ年頃で多少教育を受けているリディアに、俺の身の周りの世話を全てしてもらっていたのだ。
それから10年余も一緒にいて、その10年が全て嘘で塗り固められていたかと思うと、腹立たしいというよりも、どこかやるせない気持ちでいっぱいになる。
小さな頃から俺に尽くしてくれ、一緒に遊び勉強もした。いつも優しく、時にはお姉さんのように叱ってくれていたリディア。俺がもし結婚するのなら、リディアみたいな人がいいとさえ思っていたのだ。
そんな彼女まで、最初から俺を騙していたかと思うと、胸がきつく締め付けられるほど悔しさでいっぱいになる。
最終的には、なぜ弟が産まれてきたんだ! と、待ちに待った弟の誕生まで恨み言で塗り固めてしまいそうだ。
妹だったなら、この先も真実すら告げられず、騙されたまま男として生きていけたのに。と考えてしまう始末。
どのみちいずれは自分でも男と女の違いを理解する時が来るのだろうが、成人してしまい、王へリーマン家の後継者としてお披露目をしてしまえば、後から実は女でした、などとは到底言えなくなる。王を謀ったとばかりに、お家取り潰しにまで発展する事だろう。
故に、そのまま死ぬまで俺は男として生きてゆけたのだ。その方が、いくら嘘でも俺にとっては気楽で幸せな人生を送れるかもしれなかったのに……。
などと、真実はともあれ、今よりもはるかに悩ましくない道があったと考えてしまうのだ。
しかしリディアは、そんな俺の胸中とは裏腹にとんでもない返答を返してくる。
「男子としていつ見ても惚れ惚れする立派なお胸ではないですか。わたしは毎日異性であるシーベルタ様の凛々しいお胸を拝見することができてとても幸せなんです……って、──あっ! 失礼しました……他意はありませんからね、他意は……」
後半まずいことを言っていると気付いたのか、あたふたと手を振りながら真っ赤になるリディアだった。
その返答に俺は一瞬考え固まった。そして、
「……な、なん、だと! ……だ、男子? い、異性、だ、と? 今、異性、と言ったか……?」
リディアは真剣な表情で、俺を「異性」と言ったはずだ。
「は、はい……すいません」
リディアは、再度顔を真っ赤にして頷いた。
どういう事だ? リディアは女性だ。俺が女性なら、リディアも俺と身体的に同じでなければならない。つまりはおっぱいがある、はずだ。にも関わらずなぜ顔を赤らめている?
確かに俺も、男性と女性の身体的差異はよく把握していない。つまりは俺自身の身体が今まで男性だと信じて疑わなかったという事だ。即ち、
「リディ! 服を脱げ!」
「え? うええええ〜っ!?」
リディアはメイド服のスカートを押さえながら、急速に俺から遠ざかる。
「なななな、何をおっしゃっておられるのですかシーベルタ様‼︎ メイドにそのようなご命令をするなど、気でも触れてしまわれたのですか!?」
「えーい、喧しい! さっさと脱げ! 主人の命令だ!」
「うええええぇ〜ご無体な〜‼︎」
「なに、全部脱げと言っているわけではない。上半身だけで良いのだ上半身だけ! さあ、さあ、はよ脱げ‼︎」
どこかの悪者のようなセリフだが、そんなのはどうでもいい。
今は確認するのが先だ! 女性の身体が如何様なものなのか、この目で確と確認せねばならないのだ!
嫌がるリディアの上半身を半裸の俺が剥く。
言葉だけなら危ない展開だが、知的好奇心なのである。
「わ、分かりました……シーベルタ様のご命令とあらば、このリディア、ひと肌でもふた肌でも脱ぎましょう、グスン……で、でも、上だけですよ?」
「ああ、それでいい」
リディアは半泣きで渋々肯定した。
はらり、はらり、と服が脱げてゆく。そして、リディアの上半身が露わとなった。
「……な、なんと……」
俺は目を皿のようにして、マジマジとリディアの裸体を凝視した。
「そ、そんなにじっくりと見ないでくださいませシーベルタ様……恥ずかしいです……」
顔をこれでもかっ! と赤らめたリディアの上半身には……
俺のぷよぷよポョンとしたおつぱいとは全く違い、リディアのその胸には、ムキムキで固そうな筋肉で覆われていたのだった……。
□
「リディ、そこに座れ」
「はい……」
リディアはお茶の用意をすませてから、俺と向かい合う形で応接セットに座った。
リディアは服を着て、俺はいつものスケスケのネグリジェに着替えさせられている。
そして先程の出来事を、詳らかにリディアに話すことにしたのだ。
「リディ、俺は先ほど父上から言われたのだ。弟が産まれたことによって、跡取りには弟を据えると。俺は次期当主の座を降ろされた」
「はぃ? それはいったいどういった了見でしょうか? 弟様が産まれて、何故シーベルタ様がそのようなことになるのですか?」
「リディ、お前は本当にわからんのか?」
「はい、とんと分かりませんが」
リディアは俺の質問に、本当に理解が及んでいない態度だった。到底嘘をついているようには見えない。10年間も一緒に過ごし、これが嘘を吐いていない態度だということは良く知っている。これが演技だとしたら、リディアはこの国でも名のある女優になれることだろう。
「俺は父上から、お前は女だ、と言われたのだ。女だからリーマン家の跡取りにはなれない、とな……」
「はぃ? シーベルタ様が……女……?」
そういって可愛く首を傾げた後、リディアは腹を抱え、きゃらきゃらと笑い出した。
「な、にをバカなことをおっしゃられるのですか、きゃはははっ! シーベルタ様が女性なわけないじゃないですか。それならばわたしは男になってしまいますよ? ご冗談もほどほどにしてくださいませ」
「……」
本気で笑っている……。
まあ確かにそうだ。俺が男であったら、リディアは女なのだ。姿形も先ほど確かめて、全く違う性別とわかる。下半身は見ていないが……。
だがここで疑問だ。だとしたら父は嘘をついているということか? いや、それはない。
ならば、
「リディ、お前はいつから俺付きのメイドになった?」
「もぅ〜覚えていらっしゃらないのですか? シーベルタ様が5歳の時ですよ?」
「それは分かっている。その前はどこにいた? お前は自分が女だといつから自覚した? 親はどうしている?」
「えーと、たぶん物心ついた時、おそらく3歳ぐらいの頃からこのお屋敷でお世話になっております。その時から生まれて間もないシーベルタ様に仕えるメイドになることを前提に教育を受けておりましたので、もともとわたしは女性と自覚しております。ですから両親の顔も覚えておりません。で、それのなにか問題がありますでしょうか?」
「……」
おっと……これは益々用意周到じゃないか……そこまでして俺を男として育てたかったのだろう。
「お前は、同じ女性の裸体を見たことがないのか?」
「えーと、はい、見たことがありません。入浴は小さい頃はメイド長に入れていただいておりましたが、メイド長は裸ではありませんでしたし、大きくなってからは、わたしの部屋にお風呂がついておりましたので、他の方と湯浴みはしたことがありませんし、他の方との湯浴みは、あの一件以来、固く禁じられていました」
なんと、リディアは女として洗脳されてしまっていたようだ。俺が男として育てられたのと同じように……。
そして弟が産まれたことによって、俺は女へと転身し、それじゃあリディアは……。
「リディ、心して聞け」
「はい、まだご冗談でも聞けというのですか? いくらでも聞いて差し上げますよ」
きゃらきゃら、と笑うリディアは、本当に可愛い。これで男だったら怖いくらいだ。
「冗談ではない。リディ、おそらくお前は、男、だ!」
「は、ひ?……」
リディアは奇妙な疑問符を残し息を飲んだ。
俺が女というのならば、リディアは男だ。どちらが正しいのか、今の俺とリディアでは解明できないが、父の言うことが真っ当ならそう言う結論になる。
「そ、そそそ、それは冗談では通りませんにょぅ〜わわわっ、わわたしが、おちょこ? しょれはありえましぇん!」
動揺を隠しきれずに噛み噛みだ。
先ほどの俺を彷彿とさせる。
「論より証拠だ。俺が女いうのであれば、お前は男でしかない。そういう理屈になる」
「へへへ、屁理屈です!」
「よし、論より証拠、では今から見に行こう。また着替えを頼む」
「ど、どどどどうなさるおつもりですか?」
「今から弟の誕生を祝いに行こうではないか!」
俺はスケスケのネグリジェのまま、すくっと立ち上がり宣言した。
産まれたばかりの弟。そこに男たる所以が垣間見えるはずなのだから。
父や皆が男が生まれたと言っている以上、弟には俺にないモノが、リディアと同じものが、男の証である何らかのモノがあるはずなのだ。
こうしてまた着替えた俺は、リディアを伴い産まれたばかりの弟がいる部屋へと向かったのだった。
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